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2010年8月27日
過去20年におけるUSオープンでトップ5のプレーヤー
文:Christopher Mayers



フィットネス、忍耐、そして技能がそろって初めて完璧なテニスプレーヤーを作りだした時代、実際にはほんのひと握りの選手たちだけが、一度ならずフラッシングメドウで卓越を発揮したのだった。多くのファンには、ロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルの優越性に関する議論が流行かも知れないが、この2人の前には、多くの優れた選手が存在する。Bettor.com では、過去20年にフラッシングメドウで成功を収めたトップ5の選手たちに目を向ける。

第5位―ステファン・エドバーグ
フラッシングメドウで優勝を遂げるまで、ステファン・エドバーグはUSオープンでは験が悪いとされていた。1991年と1992年に連続してタイトルを獲得する前には、大会に14年間出場してきたが、1回も優勝がなかったのだ。エドバーグは1991年に第2シードとして臨み、決勝戦で第4シードだったアメリカのジム・クーリエと対戦した。スウェーデン人は対戦相手を圧倒し、6-2、6-4、6-0の勝利でタイトルを獲得した。翌年、彼はタイトル防衛に成功し、決勝戦で元チャンピオンのピート・サンプラスを3-6、6-4、7-6、6-2で下した。そのタイトルは、芝のスペシャリストと見なされていたエドバーグにとって、特別なものだった。しかし彼はUSオープンで冷静さを保ち、その偉功ゆえに、リストの第5位としての地位を獲得した。

第4位―パトリック・ラフター
オーストラリアのパトリック・ラフターは、優れたサーブ&ボレーゲームを持っていた。しかし1997年の前には、グランドスラム大会でそれを長所として活かす事はなかった。だがこの年から、ラフターは鉄のように強い拳を最大限に活かしきり、ニューヨークを支配した。1997年の対戦相手はイギリスのグレッグ・ルゼツキーで、彼は4セットの末に決勝戦で敗れた。ラフターのスコアは6-3、6-2、4-6、7-5だったが、1998年の決勝戦は、より楽なものとなった。彼は同胞のオーストラリア人、マーク・フィリポウシスを6-3、3-6、6-2、6-0で退け、2年連続でUSオープン・タイトルを獲得した。

第3位―アンドレ − アガシ
アメリカのテニスの偉人アンドレ・アガシは、キャリアを通して史上最高の偉人―――ピート・サンプラス―――のために影が薄い存在だった。それでも彼はUSオープンで2回優勝し、リストの3位に就いたのだった。彼は15年間にわたって優勝候補の1人であり、敗戦後にもカムバックする能力ゆえに、危険な競技者であり続けた。彼は21年連続でフラッシングメドウに出場し、初出場は16歳、最後の出場は36歳の時だった。決勝戦には6回進出し、2回は勝ち、4回は敗れた。それでもなお、彼はニューヨークで最も影響力のある選手の1人である。決勝戦での初勝利は、ドイツのミハエル・シュティッヒに6-1、7-6、7-5で勝った1994年に訪れた。次のタイトル獲得までには5年の時を要したが、同国のトッド・マーチンに6-4、6-7、6-7、6-3、6-2で勝利した。この試合は今なお、フラッシングメドウにおける最高の決勝戦の1つと見なされている。

第2位―ロジャー・フェデラー
USオープンにおける過去6回の決勝戦で5回優勝し、今なお最有力優勝候補と見なされているロジャー・フェデラーは、地球上で最高のプレーヤーと描写される。6年連続のUSオープン決勝戦における初の敗北は、アルゼンチンのフアン・マルティン・デル・ポトロに負けた昨年の事だった。しかし南アメリカ人が今回は参加していないため、ラファエル・ナダルが一度も脅威の存在となった事のない開催地で、 フェデラーは勝者へと返り咲くかも知れない。5つのUSオープン・タイトルで、彼はピート・サンプラス、ジミー・コナーズといった偉人に並んだ。さらに、彼の優勝は連続という点で最高のものである。

USオープンにおける彼の連続優勝は、元チャンピオンのレイトン・ヒューイットに6-0、7-6、6-0のストレートセットで勝利した2004年に始まった。2005年にはもう1人の元チャンピオン、アンドレ・アガシを6-3、2-6、7-6(1)、6-1で破って優勝し、続く2006年には、さらにもう1人の元チャンピオン、アンディ・ロディックに対して6-2、4-6、7-5、6-1で勝利を収めた。2007年にはセルビアのノバク・ジョコビッチを、2008年にはアンディ・マレーを、共にストレートセットで簡単に打ち負かした。彼の功績は、このリストの第2位に値した。

第1位―ピート・サンプラス
疑いなく近代における最も偉大なテニスプレーヤーであるピート・サンプラスは、1990年に19歳で初のUSオープン優勝を遂げ、2002年に31歳で最後の優勝を果たした。その間に、彼はさらに6回の決勝戦に進出し、一度だけ大会を欠場した―――1999年の事で、怪我のためだった。USオープン決勝戦における彼の初勝利はアンドレ・アガシに対してで、6-4、6-3、6-2で打ちのめした。3年後、サンプラスはフランスのセドリック・ピオリーンを破って、フラッシングメドウにおける2つ目のタイトルを獲得した。1995年にはアガシを、そして1996年には少年時代の仲間、マイケル・チャンを破り、その時点で彼のUSオープン・タイトルは4つとなった。

2002年、サンプラスは5つ目、そして最後のUSオープン・タイトルを獲得した後に、キャリアを終えると決断した。その相手は皮肉にも、1990年に彼が破ったまさにその対戦相手―――アンドレ・アガシだった。今日まで、ピストル・ピートは過去20年にテニスコートを飾った、最も影響力を持つ選手であり続けている。それ故に、このリストでも最高の地位を保っているのだ。


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