ESPN
2010年2月9日
サンプラスはエキシビションでベルダスコに敗れる


カリフォルニア州サンノゼ―――ピート・サンプラスはかつての素晴らしいサーブを披露した。だが近頃は、その他の部分は少しばかり不足している。

SAP オープンで月曜夜に行われたエキシビション・マッチで、サンプラスは9本のエースを放ち、第2セットでは12歳年下のトップ選手に対して食い下がったが、スペインのフェルナンド・ベルダスコに57分、6-3、7-6(2)で敗れた。

「かなり大変な夜だった」とサンプラスは語った。「彼のサービスゲームでは、自分が入り込めたとは感じられなかったよ。今はディフェンスの方が僕には厳しい。かつてはかなり上手くこなしていたが。動きが苦しいね」

試合が終わると、サンプラスは熱烈なスタンディング・オベーションを受けた。彼は手を振って観客席に3つのボールを打ち込んだ後、「ちょっと年を取ったなと感じたよ」と言った。

14回のグランドスラム・チャンピオンにとって、昨年の10月下旬にマカオで長年のライバル、アンドレ・アガシを3-6、6-3、10-8(タイブレーク)で破って以来、初となるエキシビション・マッチだった。

38歳のサンプラスは15年のキャリアの後、2003年に引退したが、もはや確実でシャープだった頃とは違うと認める―――そしてコートをカバーするのは厳しくなってきていると。第1セットでは、左ふくらはぎに問題も生じた。

彼は1年に半ダースほどのエキシビションに出場している。最近では、強打する現役の若い選手たちに屈しないよう、大きめのラケットを使用している。

力で圧倒するベルダスコと同じく。左利きの彼は、今週の ATP ランキングで11位まで上昇した。

5,948人の観客の中には、サンプラスのサポーターがたくさんいた。「愛してるよ、ピート!」と1つのボードに書いてあった。

「ゴー、ピート!」とファンが叫んだ。

第2セット第1ゲームでは、サンプラスは時速127マイルと129マイルのファーストサーブで連続エースを放ち、ベルダスコはリターンができなかった。4ゲーム後には、サンプラスのすくい上げるような見事なボレーウィナーが決まり、ネットの向こう側にいるベルダスコは親指を立てて称賛した。

しかし次のゲームでは、サンプラスのフォアハンドは長くなり、彼は頭を振って自分のラケットを見つめた。次のポイントでサンプラスが放ったもう1つのフォアハンドを、主審がロングとコールした後に訂正すると、サンプラスは腕を挙げ、ラケットをくるくる回した。

「少しばかり年を感じたよ」とサンプラスは語った。

「チャレンジはしたが、あまり競い合いにならない場面もあったね」

サンプラスはまた、アガシの自叙伝「オープン」中のコメントに関して、アガシと電話で話をしたと認めた。

サンプラスは先月、アガシが本の中でサンプラスを「狙い撃ち」した事に驚き失望した、そして「1対1」で向き合って話し合いたいと語っていた。

「彼が話をして、僕は耳を傾けた。肯定的で感じの良い、心からのものだったよ」とサンプラスは言った。「いいかい、大した事じゃない。僕は今でも彼が好きだよ」

エキシビションのおよそ1時間前に行われた、大会の有力選手たちによる開始パーティーの席で、サンプラスはベルダスコと親しく歓談した。またブライアン兄弟、双子のダブルスパートナーであるボブとマイクは、HP パビリオンの舞台でジャム・セッションを催した。ブライアン兄弟は、4回目となるオーストラリアン・オープンのダブルスタイトルを獲得したばかりである。

「(年長者に)ちょっとは敬意を表してよ」と、サンプラスはにこっと笑ってベルダスコに呼びかけた。「僕はできるだけネットに詰めて行かなければならない―――ベースラインでの長いラリーは避けて。サーブとボレーで、自分のサービスゲームはキープできると思う。今夜はひたすらネットへと詰める以外に選択肢はない。彼のリターンとパスが冴えていれば、短い夜になるだろうね」

今大会の第2シードで初舞台を踏むベルダスコは、強烈なグラウンドストロークと爆弾サーブでサンプラスを面食らわせ続けた。

「彼はタフだ。本物だよ。メジャーで優勝する事もできるだろう」とサンプラスは語った。

トップシードで第7位のアンディ・ロディック、そしてベルダスコは水曜夜に初戦を戦う。

「この試合は確実に僕の役に立ったよ」と、月曜早くに北カリフォルニアへ到着したばかりのベルダスコは語った。

3年連続でサンプラスは、サンノゼでエキシビションに出場してきた。1996年と1997年に今大会で優勝している。そして、この2勝がグランドスラム・タイトルに加算されたら、ロジャー・フェデラーの16に並んだのだが、と言った。

彼は熱心なポーカー・プレーヤー―――有能なゴルファーである事は言うにおよばず―――となり、南カリフォルニアの相棒と共に、30,000ドルのゲームに毎週参加している。

「昨年はマイナスだったから、ここらで盛り返してイーブンになる必要があった」とサンプラスは語った。

また、USTA(アメリカ・テニス協会) のためにロサンゼルス地区で若いテニス選手と働く事に興味を持っているが、仕事として報酬が支払われる事を望むと語った。

「僕はいつでもオーケーだよ」と彼は言った。



スポーツ・エグザミナー
2010年2月11日
引退から7年、今なおピート・サンプラスは SAP オープンで人気が高い
文:Ryan Leong


カリフォルニア州サンノゼ―――ピート・サンプラス、テニス界の史上最高選手の1人は、サンノゼで SAP オープンの幕開けを務めた。サンプラスは伝説的な選手ではあるが、過去に目を向けるよりも、ゲームは現役選手たちの戦いが中心であるべきだろう。サンプラスは2003年以降、競技テニスからは遠ざかっている。

かつては、サンプラスは対戦相手に対して自分のサービスゲームをキープしてきたが、スペインのフェルナンド・ベルダスコ、世界第7位の選手に対しては、ついにサンプラスも明らかに38歳という年齢そのものに見えた。

現在は強力なグラウンド・ストロークとベースライン・ゲームに独占される時代の中で、サンプラスは卓越したサーブ&ボレーで知られており、今なおコート上におけるエキサイティングなプレーヤーの1人である。

オフコートにはもう1つの物語があった。長い間メディアは、ジョン・マッケンローやジミー・コナーズのように品位を落として突飛、あるいは論争好きにならない選手について、過剰に批判的だった。

28歳のアンディ・ロディックもかなりのお喋りだが、アンドレ・アガシもしかりだった。最近出版された彼の自叙伝は、テニス界の評判をさらっている。

彼の試練と苦難を全面的に明かした自叙伝「オープン」は、テニスだけでなく、ブルック・シールズとの関係や、衝撃的なクリスタル・メス(違法薬物)の使用までを詳細につづっている。

サンプラスも本の中で、テニス選手として「鈍く」、インスピレーションが欠如していると、アガシに非難されていた。

ピートは答える。「僕が自分の事をしているやり方は、彼をいらいらさせたのだろう。あるいはきっと、僕が集中を持続できる事は、彼の頭をかき乱したのだろう。僕にとっては難しい事ではなかったが、彼はそれに驚かされたのだろう。僕は物静かにしているという事実を、彼は理解できなかった。そしてあなた方も理解できないでいる。それは(ビョルン)ボルグ、ロジャー(フェデラー)もしている事で、僕にはごく当たり前の事なんだ」

サンプラスはまた、男子トップ10にアメリカ人が少ない事にも触れた。「1990年代に僕やアンドレがいた事で、ファンやメディアは少し甘やかされていたんだ。現在、我々は次のチャンピオン、次のナンバー1となる男を求めているが、少しばかり有力選手を欠いている。かなり良い状態だが、望ましいところまでは至っていない。そうなるには5年、10年、あるいは20年かかるかも知れない。何とも言えないよ。アンディ(ロディック)はこの数年間リーダーを務めてきた。そして(2009年)ウィンブルドン決勝戦では、あと少しだった。彼にとって大いなる事だっただろう」

サンプラスは、年を取りすぎる前に、できる間に、何回かエキシビションでプレーしたいと語る。また、若い選手をプロレベルへと養成するための指導ができるが、仕事として報酬が支払われる事と、南カリフォルニアの自宅から遠くまで離れない事を望んでいると語った。





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