シャークス・ページ
2010年2月9日
ピート・サンプラスはフェルナンド・ベルダスコとのエキシビション・マッチを6-3、7-6で落とす―――引退、アメリカのテニス、アンドレ・アガシ、ロジャー・フェデラー等について、メディアの質問に答える


先頃のオーストラリアン・オープンと今週開催の SAP オープン男子トーナメントに刺激され、冬の嵐の合間をぬって、地元のプレーヤー達はテニスコートに集合していた。月曜夜には、5,948人のファンが雨をものともせず、HP パビリオンで行われた第2シードのフェルナンド・ベルダスコと、14回のグランドスラム優勝者ピート・サンプラスのエキシビション・マッチを観るために集まった。試合は6-3、7-6(2)でベルダスコが勝利した。

サンプラスは1996年と1997年の2回、SAP オープンで優勝している。 第1ゲームはベルダスコがキープしたが、サンプラスも自身のサービスゲームで40-0として答えた。しかし次のサービスゲームでは、ワイドに逸れたボレーとダブルフォールトでスペイン人にブレークを与え、3-1リードとされた。フィットして動きの良い26歳のベルダスコは、フットワークを生かしてグラウンド・ストロークと堅実なサービス・リターンに備え、機械のように精密だった。

ピート・サンプラスが第1セットで、ベルダスコに時速124マイルのサーブを放った。
観客はよりスローな38歳のサンプラスを後押しすべく応援したが、ふくらはぎのの筋肉を捻った事もあって、かつてのサーブ&ボレーを甦らせようとする彼の努力は実らなかった。「調子をつかむのに何ゲームかかかった。第2セットまでは、しばらく試合をしていなかったから、とにかく頑張ろうと自分に言い聞かせたよ」と、試合後の記者会見でサンプラスは語った。40-15となったところで、時速115マイルのワイドへのスピンサーブを取り混ぜて、サンプラスは4-2まで追いついた。

サンプラスは時速124マイルのサーブでもう1ゲームをキープし、第1セット5-3まで迫ったが、結果は既定していた。ベルダスコの強烈なフォアハンドは、テーブルから落ちるようにコート内にバウンドした。彼がトップ10まで上った理由をかいま見せるショットだった。

第1セットはベルダスコが6-3で取った。彼はスペインが2008年と2009年のデビスカップで優勝したチームの中心的存在だった。そして2009年オーストラリアン・オープン準決勝ではラファエル・ナダルと対戦して白熱した5セットの末に敗れたが、そこへ至るまでにラデク・ステパネク、アンディ・マーレー、ジョー - ウィルフライ・ツォンガを堂々と打ち負かしていたのだ。5時間14分にわたったナダルとの試合は、多くの人にその年最高の試合の1つと評価された。

ピート・サンプラスはサーブを炸裂させて第2セットを始めた。時速127マイルと129マイルのエースは、試合全体で9本のエースのうちの2本だった。さらに時速120マイルのサーブで、相手のリターンをネットにかけさせた。彼はよりネットへと詰めるようになったが、左利きのベルダスコはよくペースを合わせていた。セットの終盤、サンプラスのカットボレーがネットのすぐ向こうに落ちると、ベルダスコは観客に「リプレーを見せてくれ」と叫んだ。しかしそういった場面は長く続かなかった。日常的なツアープレーで磨かれるタイミングと直感は、サンプラスには取り戻せなかった。グラウンドストロークをミスした後、彼はラケットを振り、そしてベルダスコのエースに不意を突かれた後は、ぼんやりとラインズマンを見つめるだけだった。

世界11位のフェルナンド・ベルダスコが、第2セットでサーブをリターンする。
サンプラスは6-5アップとして、第3セットまで持ち込もうとしたが、ベルダスコのサーブに食らいつく事はできなかった。第2セット・タイブレークでは、長いラリーで犯すグラウンドストロークのミスと、フォア・ボレーがワイドに逸れた事で、フェルナンドに早い段階でのリードを与えてしまった。サンプラスのダブルフォールトによって、試合は57分で終了し、フェルナンド・ベルダスコが6-3、7-6(2)でエキシビション・マッチに勝利した。

試合後にコート上で、サンプラスはアナウンサーのダニー・ミラーに、ベルダスコはメジャー大会で優勝する事もできる「タフな」相手だったと語った。ミラーは返答し、サンプラスが14のグランドスラムに2つの SAP オープン・タイトルを加えると、世界ナンバー1のロジャー・フェデラーと肩を並べると述べた。

エキシビション後の記者会見で、ピート・サンプラスは自身の引退、アメリカ・テニスの現状、アガシが自叙伝で語ったコメント、ロジャー・フェデラーは史上最高のテニスプレーヤーと見なされるべきか、その他いくつかの話題について語った。

以下がその一部である。


どんな調子でしたか?

少しガッカリしたよ。彼のサービスゲームになかなか対応できなかった。彼のサーブはトリッキーで、捕らえきれなかった。彼は時にはスピンをかけ、時には時速135マイルのフラットサーブを打つ。それで僕の態勢を整わせなかった。僕は相手のサービスゲームでリズムをつかむ事ができなかった。サーブ&ボレーに関しては、かなりいい感じだった。ブレークされた時は、40オールでちょっと不意を突かれた。ダブルフォールトを犯して………少し調子が下がった。僕はブレークされ、そして彼のサービスゲームには入り込む事ができていないと感じた。今はディフェンスの方が僕には厳しい。動きが苦しいね。彼はトリッキーなプレーヤーで、スピンを多くかけている。トリッキーなサーブとセカンドサーブ、彼に短いフォアハンドを打ってしまうと、それで一巻の終わりだ。彼はタフだ。本物だよ。昨年は世界7位につけていた。メジャーで優勝する事もできるだろう。明らかな優勝候補の1人という訳ではないが、優れた選手だ。

彼のストリングスはテンションが低くて、緩く張ってある。彼はそれをムチのように打って、コントロールしている。返球が難しいボールだ。ナダルのような、こういったタイプの選手たちは、トリッキーなゲームを持っている。ルキシロンのストリングスは、対戦するのが難しいね。

第2セットでふくらはぎの筋肉はほぐれましたか?

おさまったよ。軽い疼きを感じたんだ。どんな具合か見定めるのに、数ゲームを要した。3カ月ほど試合をしていなかったから、とにかく頑張ろうと自分に言い聞かせたよ。

あなたが「名誉の殿堂」入り式典で語った「私はテニスプレーヤーで、それ以上でも以下でもない」というコメントは、何を意味するのか説明してもらえますか?

自分はテニスプレーヤーである、そのコメントでスピーチを終わらせたかったんだ。僕はいわゆるエンターテイナーではなかった。自分のする事を職業と捉え、僕にはとても純粋なものだった。テニスのイメージ / 娯楽性といった部分には関わらなかった。僕は単なるテニスプレーヤーだった。それが、僕がゲームに入った流儀であり、ゲームから去った流儀だった。その中間で、僕はなにがしかの満足できる事をした。「テニスプレーヤーで、それ以上でも以下でもない」というのは、スピーチを終わらせる僕なりのやり方だった。それでスピーチを終わらせるのが、僕には心地よかったんだ。

あなたがテニス界を去ってから数年が経ちましたが、自分のキャリアを振り返り、そして昨年ウィンブルドン決勝戦に参列した事を振り返ると、現在はあなた自身についてどんな風に回顧しますか?

決勝戦に参列して、ロジャーとアンディが優れたプレーをするのに目を見張ったよ。素晴らしい試合だった。だが自分のキャリア、僕の時代のウィンブルドン、そしてあそこで見たものを振り返ると、僕がコート上でした事はとても圧倒的だった。あの5時間のテニスマッチの中で、自分のゲームと僕があそこで勝ち取った7タイトルの事が少しばかり思い出されたよ。ゲームは変化してきたし、僕はそこからかなり遠ざかっている。今でもあちこちで少しプレーしているが、ここに来るのは楽しいよ。フェルナンドは厳しい相手だが、ファンが楽しんでくれたならいいなぁ。ステキな夜だったよ。

2010年オーストラリアン・オープンに関しては………。

ロジャーはそこここで拙い試合をする事もあり得るが、メジャー大会の決勝戦となると、偉大な選手は確実にレベルを上げるんだ。僕はハイライトを見たが、射撃訓練のようだった。アンディは攻撃性が不足がちで、勝機を生み出せなかった。ロジャーに充分なフォアハンドを与えると、彼は相手を痛めつけにかかるよ………ロジャーが決勝戦に進むと、倒すのが容易ではなくなるんだ。
サンプラスは試合後の記者会見で、メディアからの質問に答えた。

タイガー・ウッズが経験した、いわゆる崩壊について話してもらえますか?

僕に言えるのは、悲しい状況だという事だけだよ。僕はタイガーをそれほど知らない。彼の妻と子供たちを気の毒に思う。

アンディ・ロディック以降のアメリカ・テニスの状態について話してもらえますか?

もちろん、トップ15とか20にもっとアメリカ人がいたら素晴らしいだろう。アンディーの後は、少しばかり寂しい状況だ。(ジョン)アイズナーが頭角を現してきて、そして(サム)ケリーもいる。ファンやメディアは、90年代に少し甘やかされてきたんだ。僕、アンドレ、ジミー、我々の世代はかなり稀なグループだった。現在は、自国の次のチャンピオン、次のナンバー1になる男を探している。だが、少し物足りない状況だ。それなりに良い状態だが、我々が望むほどの段階ではない。だがそうなるには、5年あるいは20年を要するかも知れない。なんとも言えないね。アンディはリーダーで、昨年のウィンブルドン決勝戦では、優勝に手の届きそうなところまで行った。優勝していたら、彼にとって大いなるものとなっただろう。ジェームズは少し調子を下げているようだね。

停滞期でしょうか?

それはサイクルだ、低調なサイクル………。テニスは世界的なスポーツで、だから世界じゅうに多くの素晴らしい選手がいる。合衆国におけるテニスは今でも非常に人気が高いが、バスケットボール、野球、フットボール等と競合している。厳しい道のりで、若干の時間がかかるだろう。

アンドレが自叙伝であなたについて語ったコメントに関して、彼と話し合いましたか?

したよ………。彼が話をして、僕はそれを聞いた。もし充分なチップを払わない者がいるとすれば、それは彼だ。僕は何年もかけて、彼にとても多くの教訓を示してきたんだからね。我々はあの件について話をした。僕は彼の自叙伝を読んでいなかったが、彼は僕が意見を述べる前に、本を読んでいてほしかったと言ったよ。僕はあちこちで少しばかり噂を耳にしていた。いいかい、これは大した問題じゃない。自叙伝は彼が語り、そしてする事だ。僕としては、我々はああいった当てこすりなどを超えたところにいると考えている。確かに僕も、自分の本の中でアンドレへの当てこすりをする事もできただろうが、僕はそうしない事を選んだ。彼は様々な事について、よりあからさまで、正直でいる事を選んだ。それは彼の選択だ。少し驚いたけれど、今でも彼が好きだよ。アンドレに対して悪感情を持っていない。だが、彼がああいった手段をとったのには少し驚いた。

僕はアンドレが好きだよ。もしここで彼に会っても、彼を避けたりはしないだろう。僕の物事への取り組み方は彼を少し驚かせた、あるいはきっと、僕が集中を維持できる事は彼を混乱させたのだろう。僕にとっては大した事ではなかったが、彼は驚いた。僕はわりに物静かな方だったかも知れないが、彼はそれを理解できなかったのだ。僕としては、なぜそれを理解できないの、と思うけれどね。それはボルグがしていた事であり、ロジャーがしていた事であり、僕にとってはごく順当な事だ。

彼が気持ちを乱していたのどうか分からないが、すべてが神経過敏で、すべてが大ごととなっていた。(アンドレがテニスを憎んでいたと語った事について)テニスは僕にとても良くしてくれた。プライベート・ジェット機で移動する事もしてきた。不満を言う気はないよ。彼の幾つかのコメントについては、彼の子供時代、父親との関係から来たものだと思う。同時に、世界的に有名になり、多くの金を得ている事に不平を言っている。それは素晴らしい生活で、僕ならそれを手放そうとは思わないよ。

彼との会話は前向きなものだった。感じが良くて、心のこもったものだった。彼は言うべき事を言い、そして僕は自分の考えを伝えた。大した問題ではないし、僕はこれ以上この件について語る気はない。僕は(彼が良い事もいろいろと語ったと)承知している。否定的な事も幾つか耳にしたが、マスコミは否定的な事を話題にしたがるものだからね………。僕は海外に行く時にでも、彼の本を持っていって、ページを開くかもね。

また本を書くチャンスがあったら、少し違ったやり方にするでしょうか。それとも、ある種のロッカールーム規定のようなものはあるのですか?

変えないよ。それは僕のスタイルではない。僕は誰も傷つけたくなかった。家族の感情に気をつかったし、他の選手に気をつかった。そういった書き方もできただろうが、僕はそうしないと決めたんだ。それは僕にとって重要な事じゃない。自分がどのようにチャンピオンになったかが、主要なテーマだったんだ。発行元は僕がそういった事について書くよう望んだが、僕は自分の子供が読む事のできる本にしたかった。そうした事を誇りに思っているよ。僕は金もうけのできる本を書く事はしなかった。息子たちが、テニスプレーヤーとしての僕を理解できる本にする事………それが、僕が誇りにしたいと願う事だった。

ロジャー・フェデラーは年間グランドスラム優勝をできるでしょうか?

何だって起こり得るよ。可能性はあまりないだろうが。彼がフレンチを防衛する事が重要なポイントとなる。ベルダスコやナダルといった選手たちはいるが、ロジャーなら可能だと思う。物事がプラン通りに進行する必要がある。良いドローが必要で、運も必要、好天も必要だ。何だって起こり得るよ。フレンチが本当に厳しいハードルになるだろう。ウィンブルドンもタフだ、簡単ではない。だが彼は突然変異的なプレーヤーだからね。

彼は23大会連続でグランドスラムの準決勝に進出しています。人々はその記録を充分に注目していると思いますか? 皆はディマジオの記録を引き合いに出しますが。

いやになるね。すべてのサーフェスであれほど堅実だというのは………信じがたいほどの事だよ。

こういったエキシビション以外にも、今後もテニスに関わっていこうと考えていますか?

何をするべきか見つけるのは難しい。少し手助けしようとする事について、USTA(アメリカ・テニス協会) に話をしたが、まあ、話が折り合わないでいる。もし僕が何かをするとしたら、相応の報酬を受けたいと思う。その点について、彼らとは見解が異なっている。僕は何人かのジュニアとプロを手助けする事に関わっていて、すべき事を承知している。数回パット・マッケンローに話をしたが、彼とは見解が異なっている。それに関しては冷静でいるよ。アカデミーとか何かについても考え、そのアイディアについて話し合ってきた。引退して、次に何があるかを見極めるには、テニスは慎重を要するスポーツだ。ゴルフだと、クラブとかコースをデザインする事もできる。チーム・スポーツなら、違う役割に関わる事もできる。テニスでは落としどころが難しい。しばらくの間はプレーをして、その後は何をするのか。大会のオーナーになろうとは思わない。上着とネクタイを着用する仕事には、あまり関心がない。少しプレーして、何らかの方法で関わってテニスへお返しをする事だ。僕には時間がある。もし USTA がもう少しステップアップを望むなら、僕はチャンピオンを生み出すだろう。

僕はロスに住んでいて、それほど遠くないカーソンには施設がある。僕には多くの時間がある。この数年・数週間に、多くの若者とヒッティングをしてきたが、これらの若者を手助けしたいと思うよ。彼らはまだ未熟だ。彼らのゲーム、心構えには変更が必要だと思う。僕は彼らにこうすべきだとか強調するタイプの人間ではないが、援助の手は差しのべられる。直接に言ってこなくても、彼らが何らかの助言を求めていると分かる。

名声と富の他に、あなたがテニスのゲームから得たものは何ですか? そして長い間あなたにテニスを続けさせたものは何でしょうか?

自分が世界でベストの選手だった年月、そしてつらい仕事とストレス振り返ると、そこへ到達するには若干の時を要したが、厳しい局面で、僕は良い気骨を示したと感じていた。肉体的にも幾つかの事を乗り越えてきた。安易に迎合せず、自分のやり方を貫くのだと考えていた。午前3時までマッサージを受けたり、氷で冷やしたりしていたのを思い出すよ。厳しい年月だったが、順調にやっていると思う事ができた。自分自身を誇りに思っていた。僕が自分でそう言うのは、あまりない事だけれどね。


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