ATP ワールド・ツアー
2010年12月9日
サンプラスはトロフィーや記念品の盗難後、「冒涜された」ように感じた
文:Paul Macpherson


泥棒が80以上のトロフィーや、金には代えがたい記念品を盗んでいたと知った後、ピート・サンプラスは「冒涜された」ように感じたと語る。サンプラスが ATP ワールド・ツアー.com のみに語った中で、盗難のニュースを公にすると決断したのは、「望みの薄い」試みではあるが、思い出の品々が戻ってくる事につながる、一般からの情報がもたらされるかも知れないからだ、とつけ加えた。

「僕はなし得るすべてをした」とサンプラス語った。「少しばかり巡り合わせや幸運が必要だろう。すでに破壊された可能性もあるが、この件を公にしたところで困る事はない。もしこれらの物が発見されたら、本当に素晴らしいよ。望み薄だが、公にする事で情報が寄せられ、品々が取り戻されるという結果につながるかも知れないと考えたんだ」

転居に際して、サンプラスは3カ月ほど前に、西ロサンジェルスの公共倉庫にトロフィーや記念品の大多数を預けた。しかし3週間ほど前、彼の格納庫と他の1つが泥棒に入られた。内部には64の優勝トロフィーのうち51、24の準優勝トロフィー、6つの年末ナンバー1トロフィー、そして金には代えられない記念の品々があった。

盗難にあって以降、さまざまな感情を味わったとサンプラスは語る。「最初は、どこかの子供たちが僕の物を盗んだと考えて怒りを感じたが、それから冒涜されたように感じた。今は、たくさんの思い出の品々が失われ、息子たちは僕のテニス人生の歴史を見る事ができないと、落胆している。父親がしてきた事を、息子たちが見られるようにと望んでいた。自分が狙われたのか、彼らはそれが僕の物と知っていたのか、あるいは単なる無作為だったのか、僕には分からない。トロフィーを見つけるには、箱を開けてかき回さなければならなかった筈だ」

39歳のサンプラスは、盗難のニュースが明らかになって以降、テニス界から心強い支援を受けていると語る。オーストラリア・テニス協会は1994年オーストラリアン・オープン・トロフィー―――サンプラスの14グランドスラム・トロフィーの4つ目―――のレプリカ提供を検討している。さらに、元選手で ATP 委員会のメンバーであるジャスティン・ギメルストブはサンプラスに、彼が1993〜1998年に獲得した6つの年末世界ナンバー1トロフィーに対して、ATP はレプリカを提供しようと考えていると伝えた。「何人かの選手から、ニュースを聞いて気の毒に思うというメッセージをもらった」とサンプラスは語った。他の13のグランドスラム・シングルス・トロフィーは倉庫になかったため、無事である。「なぜ1994年のオーストラリアン・オープン・トロフィーだけが倉庫にあったのか分からない。単なる偶然だった」

トロフィーに加えて、泥棒はジョージ・ H.W. ブッシュ大統領、ビル・クリントン大統領と一緒に撮った写真、そしてブッシュ大統領によって書かれた2通の手紙を盗んだ。「ブッシュ大統領からの手紙の1通は、ティム・ガリクソンを喪った後に書かれたものだった」と、1996年に脳腫瘍で死亡した元コーチについて、サンプラスは語った。「それは僕以外の誰にとっても価値のないものだ。だが僕にはとても意味がある」

サンプラスのキャリアを時系列に整理した貴重なスクラップブックは、兄のガスと元コーチのポール・アナコーンによって収集されたもので、新聞記事のスクラップ、サンプラスが表紙になっている雑誌と共に、盗難品に含まれていた。エルトン・ジョンのサイン入りピアノベンチ、カルロス・サンタナのサイン入りギターも、同じく失われた。

泥棒へのメッセージがあるかと尋ねられ、サンプラスは答えた。「彼らが正気に返り、良心がとがめ(て盗品を返してくれ)る事を望むよ。彼らにとっては、これらの品々は価値がないが、僕には多くの思い出があるんだ」

火曜日に「ロサンジェルス・タイムズ」紙は、西ハリウッド警察の報道官が、継続中の捜査はすでにダウンタウン営利犯罪部門に移管された旨を認めた、と伝えた。

手掛かりを報告する警察の特定電話ラインはない。しかしサンプラスは、情報を持っている人は地元の法執行事務所に連絡をくれるよう強調した。さらに、情報を持つ ATP ワールド・ツアー .com の読者は、content@atpworldtour.com までぜひお寄せください。電子メールの件名欄には「Sampras Trophies」とお入れください。


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