テレグラフ(イギリス)
2010年6月19日
ウィンブルドン2010年:ピート・サンプラスは、ロジャー・フェデラーなら10の
ウィンブルドン・タイトルを獲得するだろうと予想する
文:Mark Hodgkinson


今夏のウィンブルドン・チャンピオンへの賞金は100万ポンドとなり、オール・イングランド・クラブで獲得する金に関する卑しい会話が横行しているが、すでにスポンサー契約、賞金、出場料などで、その100倍もの金額をクリアしたに違いない男にとって、それは何か意味があるのか?

いいや、ロジャー・フェデラーは現金を得る事よりも、歴史に身を置く事に関心がある。フォーブス誌の金持ちリストよりも、オール・イングランド・クラブの最多タイトル保持者となる事に関心がある。彼にはこの2週間で、記録的な7つのウィンブルドン・タイトルを獲得し、ピート・サンプラスと肩を並べる可能性があるのだ。

かつてサンプラスは、7つの金の複製トロフィーと共に、自分の座は永久に安泰だろうと思っていたが、フェデラーが自分と並び、さらに抜き去る事も喜ばしく感じると語った。実際にサンプラスは、フェデラーには10のウィンブルドン・タイトルをも獲得する才能があると示唆した。

「ロジャーは破るのに長い時を要する数字を打ち立てようとしている。それは大きい、とても大きい数字になると思うよ」と、アメリカ人はテレグラフ日曜版の独占インタビューで語った。

「僕は長い間ウィンブルドンを支配した。そして現在はロジャーがウィンブルドンを支配している。彼は8つ目のウィンブルドン・タイトルを勝ち取れると思う。そして9つも可能だ。それによって『マルチナの境地』、彼女が獲得した9つの女子タイトルと並ぶだろう。ロジャーなら10のウィンブルドン・タイトルも獲得できるだろう。言い過ぎかも知れないが、それは可能だと思う」

もしフェデラーが今年のウィンブルドンで優勝し、さらに3年間タイトルを保持できれば、2桁に達する時に彼はまだ31歳である。10という数は不可能ではない。「彼がウィンブルドンに出場する時はいつも、トロフィーを求めて戦おうとしている」とサンプラスは語った。

サンプラスが7回目のウィンブルドン優勝を果たしたのは、ちょうど10年前、2000年の事だった。しかし、もしサンプラスがフェデラーの負ける事を、そしてラファエル・ナダル、アンディ・マレー、アンディ・ロディック、あるいは他の誰かがタイトルを勝ち取るよう望んでいると想像するなら、そのすべては間違っている。

「自分のウィンブルドン記録が永久に保持される事を望むか? 記録は当分の間安泰だろうと思っていたか? そりゃそうだ。だが、もし誰かが僕の記録に並び、さらに破るとしたら、それがロジャーである事が嬉しいよ。彼がそれを果たしても一向にかまわない」とサンプラスは語った。

「みんなは僕が彼の対戦相手に肩入れするに違いない、彼がこれ以上のウィンブルドン・タイトルを勝ち取る事を望んでいないと思っているが、そんな事はない。誰かの反対に肩入れするような事はしないよ」

自分のウィンブルドン記録は、恐らくフェデラーが全財産を預けているだろうスイス銀行の金庫と同じくらい安全だ、とサンプラスは想像していた。「これほど速く、誰かが僕の記録をおびやかすとは思っていなかったよ」と彼は語った。

1月のオーストラリアン・オープンで16回目のグランドスラム優勝を果たして以降、フェデラーはタイトルを獲得していないが、ウィンブルドンの緑の芝生に戻れば、彼は再びベストの状態になるだろう。

フェデラーの6つのウィンブルドン・トロフィーのうち5つは、2003〜2007年にわたる黄金の5年間に獲得された。そして2008年、彼は卓抜した決勝戦でナダルに敗れた。マヨルカ出身のナダルは、怪我のために昨年のチャンピオンシップを欠場したが、今年はオール・イングランド・クラブへと戻ってきた。この2週間で何が起ころうとも、彼は世界ナンバー1の座に留まる。

フェデラーは昨年夏、決勝戦でロディックを倒してウィンブルドン優勝を果たしたが、臨月の妻がセンターコート上で産気づくのでは、と懸念されたほど長くかかった。サンプラスはその試合を、ロイヤルボックスから見守っていたのだった。

サンプラスは少し遅れて到着し、座席を探しながらフェデラーに親指を立てて 「ハロー」と挨拶した。フェデラーは第5セットを16-14で勝ち取り、サンプラスの14を1つ上回り、15のグランドスラム優勝を成し遂げた初の男子選手となった。サンプラスが「テニスにとって偉大な」と描写した日、彼はフェデラーを「偉人、偶像的存在であり、強い男」と称した。

それはまた、2002年大会の2回戦でスイスの無名選手ジョージ・バストルに敗れて以降、サンプラスが初めてオール・イングランド・クラブを訪問した日でもあった。

「感動的な1日だった。僕は合衆国からの長いフライトで到着したばかりだったので、すべてが少しばかりボンヤリとした感じだった」とサンプラスは語った。しかし彼は今年の芝生テニスを見るために、もう一度ロス - ロンドン間の徹夜フライトを敢行する計画は立てていない。

フェデラーは2001年大会の4回戦でサンプラスと対戦し、第5セット7-5で勝利したが、当時の自分は長髪で無精ひげを生やし、「若くて、クレージーで、荒っぽかった」と振り返った。それが彼らの唯一の対戦となった。

「彼が2001年にここで僕を倒したのは、彼が芝生でプレーできると示した時だっただろう。芝生は難しいサーフェスで、すべてがあっという間に決する。だが彼は芝に対して完璧な気質を持っている。とても冷静で抑制が利いている。情緒の大きな波がない。それが芝に臨むベストの態度だ」

「昨年、ロディックは本当に良いサーブを打っていたが、ロジャーはあくまで冷静を保っていた。それがとても重要だったのだ」とサンプラスは語った。

「グラスコートでロジャーにはオーラがあり、そして彼にはすべてが備わっている。彼には弱点がない。あそこで彼を怖がらせるものは何もない。そして彼はセンターコートにいる事を愛している」

「ステイバックする時は素晴らしいし、もしネットに詰めるべきだと感じる時には、前に出るだろう」とサンプラスは述べた。「彼の堅実さにはとても感銘を受けるよ」

フェデラーは昨年夏の優勝を祝う時に、金糸で「15」と刺繍されたトラックスーツを着用していたが、それは必ずしも万人の趣味には合わなかった。

しかしサンプラスは、月曜日の午後にセンターコートでコロンビアのアレハンドロ・ファジャに対して今年の大会を始める彼の友人は「うぬぼれで」テニスをしてはいないと語った。

「ロジャーを知っているが、彼は人々が自分を指さし、『あれが史上最も偉大なテニスプレーヤーだ』と言ってもらうのを期待して道を歩くような類の人間ではない。うん、彼はウィンブルドン・タイトルを勝ち取るのが好きだ。だがそれは、うぬぼれのためではない」

「彼はラケットにものを言わせる。自分のテニスを愛しているんだ。彼は謙虚で飾らない男だよ」とサンプラスは語った。

彼らの「兄弟のような親しさ」は2007年の春、フェデラーがサンプラスの招待を受けてロサンゼルスの自宅を訪れ、庭のコートでテニスをして始まった。その年の秋には、2人はアジアで豪華なエキシビションのミニ・ツアーを行った。

「我々はアジアで、かなり互いを知る事ができた―――繋がりができたんだ。そして友情を深めていった。連絡を取り合って、テニスや人生について話をする。我々の性格はかなり似ているんだ。さっぱりしていて、控え目だ」とサンプラスは語った。

「ロジャーにはいたずらっ子のようなところもある。それは人にあまり見せないロジャーの一面だね。彼は一流の男、偉大なチャンピオンだ」

SW19(ウィンブルドンの番地)のキング

ピート・サンプラス

1993年:対ジム・クーリエ

サンプラスは22本のエースを放って厳しい4セットの末に当時の世界ナンバー1を破り、SW19における断固とした支配期を開始した。

1994年:対ゴラン・イワニセビッチ

ディフェンディング・チャンピオンは自分のサーブを頼みとし、ビッグ・サーバーのクロアチア人をストレートセットで破って優勝した。

1995年:対ボリス・ベッカー

2人のトップのグラスコート・プレーヤーの対決。第1セットはベッカーが取ったが、サンプラスは逆転勝ちした。

1997年:対セドリック・ピオリーン

フランスのセドリック・ピオリーンにストレートセットで勝利。サンプラスは大会全体を通して、2回しかブレークされなかった。

1998年:対ゴラン・イワニセビッチ

ピストル・ピートがフルセットまで押し込まれた唯一の決勝戦。6-7、7-6、6-4、3-6、6-2で勝利を決めた。

1999年:対アンドレ・アガシ

グラスコートにおける歴史上で最も素晴らしいプレーと評する者もいる。彼はセカンドサーブのエースで試合を決めた。「自分でも驚きだよ」と語った。

2000年:対パトリック・ラフター

サンプラスは大会を通して向こうずねの怪我を抱え、4セットの勝利を収めて―――
エースで―――13回目のグランドスラム優勝を果たした。彼は合計で14回の優勝を成し遂げた。

ロジャー・フェデラー

2003年:対マーク・フィリポウシス

21歳のフェデラーは、ほぼ完全無欠なプレーを披露して初のグランドスラム・タイトルを獲得した。

2004年:対アンディ・ロディック

フェデラーは劣勢から挽回してウィンブルドン優勝を決め、2年連続の優勝に涙ぐんだ。

2005年:対アンディ・ロディック

フェデラーは3年連続でタイトルを獲得し、自分の出来を「完璧」で人生最高だったと評した。

2006年:対ラファエル・ナダル

フェデラーは6-0、7-6(7/5)、6-7(2/7)、6-3の勝利で4回目のウィンブルドン優勝を果たし、芝生における連勝を48とした。

2007年:対ラファエル・ナダル

ウィンブルドン最高の決勝戦の1つ。フェデラーは第5セットで4つのブレークポイントをセーブし、5年連続タイトルでビョルン・ボルグの持つ記録に並んだ。

2009年:対アンディ・ロディック

もう1つの叙事詩的決勝戦。77ゲームにわたったウィンブルドン男子決勝戦―――史上最長―――の77番目のゲームで、フェデラーは唯一のサービスブレークを果たした。フェデラーは50本のエースを放った。


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