デザート・サン
2010年3月12日
チャリティ・イベントでロジャー・フェデラー、アンドレ・アガシ、ピート・
サンプラス、ラファエル・ナダルが同じコートに立つ
文:Leighton Ginn


インディアンウェルズ―――14のグランドスラム・シングルス・タイトルを獲得したピート・サンプラスが、ダブルスをするのは極めて稀だ。今夜、砂漠地帯にも家を持つサンプラスは、さらに稀なポジションに立つ。

今晩のハイチ救援エキシビションで、ロジャー・フェデラーと組んでプレーする事について、サンプラスは「自分より多くのメジャー・タイトルを持つ者と一緒にプレーするのは、そうある事じゃないよ」と冗談を言った。

サンプラス、そして16のグランドスラム・シングルス・タイトル記録の保持者であるフェデラーは、ダブルスでアンドレ・アガシ/ラファエル・ナダルと対決する。彼らはそれぞれ歴史的な業績を挙げており、おそらく過去20年で最高の4選手による取り組みであろう。

「我々4人、90年代のライバルとこの10年のライバルが一堂に会するというのは、かなりステキな事だ」とサンプラスは語った。「そうある事じゃない。楽しい夜になり、我々は笑い合う機会も得られるだろう。ファンもそれを楽しんでくれるといいね」

4選手は合計で44のメジャータイトルを獲得しており、スポーツ界における2つの究極のライバル関係を形成してきた。1990年代のサンプラス - アガシと、この10年のフェデラー - ナダル。他のキャリア・タイトルまで併せれば、4人のグループは倉庫を満たすだけのトロフィーを持っている。

イベントは大会オーナーであり、オラクル社の創設者・最高経営責任者のラリー・エリソンによって計画された。イベントを後援し、義捐金集めの主体となるのはオラクル社である。

ハイチ大地震は、オーストラリアン・オープンが始まる数週間前の1月12日に起こった。フェデラーは大会に先だってメルボルンでチャリティ・イベントを催す事を決断した。多くのトップ選手が積極的に参加して、オークションのためにアイテムを寄付した。イベントは60万ドル以上の義捐金を集めた。

「ロジャーやオーストラリアにいた皆による、素晴らしい行動だと思った」とサンプラスは語った。「イベントまで時間もなかったのに、被災者が食物・水・衣類などを手に入れられるよう、選手たちは義捐金を募るためにアイテムを提供したんだ。素晴らしい事だ」

この取り組みに心を動かされ、12月に BNP パリバス・オープンを買収したエリソンは、さらなるハイチ救援イベントを行うと決定した。そのイベントのために、 エリソンの念頭にはある選手たちが浮かんでいた。男子イベントに加えて、シュテフィ・グラフ/リンゼイ・ダベンポート組がマルチナ・ナヴラチロワ/ジュスティーヌ・エナン組と対戦する女子イベントが予定されている。

エリソンとオラクル社は、イベントが少なくとも100万ドルの義捐金を集め、アメリカ赤十字社に寄贈されると予想している。

サンプラスはチャリティ・イベントについて、当時オーストラリアにいた元コーチのポール・アナコーンから聞いたと語った。サンプラスはパームデザートに家があり、喜んでイベントに参加すると語った。サンプラスもまた、テレビで地震の被害を見て、行動に駆り立てられていたのだ。

サンプラスは語った。「壊滅的な状況で、呆然とした。この地震はすべてを破壊し尽くしたんだ」

「自分の家があっという間に崩れて、路上に放り出される。そして愛する家族を失った人々がいる。想像もつかないような出来事だった。ただただ恐ろしい………僕は彼らと共に自分の役割を果たすつもりだよ。どんな援助でも」

フェデラー対ナダル

この10年の大半、 フェデラーは並ぶ者のないナンバー1の座を不動のものとしてきた。それはナダルがテニスシーンに現れるまでだった。

2人はウィンブルドンの神聖な芝生の上で勇壮な戦いを演じ、彼らが対決した2回の決勝戦は、テニス史上でも最も素晴らしい試合の2つと見なされている。

「我々のライバル関係は素晴らしいもので、大いなる精神で推移してきたと思う」とフェデラーは語った。「双方が相手のプレーゆえに、互いのゲームを高める事ができたんだ。同じく、我々の対戦は半分以上が決勝戦だったと思う。それは我々のライバル関係における、非常に特別なものとなってきた。我々はとても長い間ナンバー1とナンバー2、あるいはナンバー2とナンバー1の座を保持してきた。だから決勝戦より前で対戦する事はあり得なかった。特別な何かだ」

またフェデラーはキャリアを通じて、サンプラスとの友情を深めてきた。ウィンブルドンでフェデラーがサンプラスの記録を塗り替えた時、サンプラスは決勝戦を見るためにイギリスへと飛んだ。

「我々が目にしているのは、信じがたいほどのものだ。とても堅実で16ものメジャー・タイトルを獲得し、さらに続くのだ」とサンプラスは語った。「彼は世界最高の選手で、ゲーム・気質ともすべてが備わっている。彼は謙虚でもあり、僕はずっと前から彼のファンだったよ」

サンプラスはまた、今夜初めて対戦するナダルへも大いに敬意を払っている。

「ラファには途方もない敬意を抱いている。彼の気力、決意、そして23歳という年齢で成し遂げてきた業績。信じがたいほど素晴らしいものだ」とサンプラスは語った。「彼は痛み―――膝の怪我による―――を抱えながらもプレーする。僕は彼がスポーツにもたらすものの大ファンだよ。彼は感動をもたらす。みんな彼を愛し、応援する」

「だがラファは精力的な若者、疲れを見せない積極的な男だ」

サンプラス対アガシ

1990年代の大半、テニスはアメリカ人に支配されてきた。特にサンプラスとアガシによって。それはファンの注目を引きつけた。ともにテニス史上最高とも目された、サーブのサンプラス、リターンゲームのアガシという取り合わせだったからだ。

「我々は素晴らしい大試合をした。そして良い友人になっていった」とサンプラスは語った。「我々は同じ地域で成長し、僕が7歳、彼が8歳の頃から、ノースリッジで対戦してきたんだ。たくさんのメジャータイトルを獲得して、キャリアにおいて個人的にも職業的にも、多くの違った状況を経験し、現在に至っている。我々はコート上で、言わばスポーツを越えた素晴らしい戦いをしてきた。それは初めて彼と決勝で対戦したメジャー大会(1990年USオープン)で始まり、最後も彼との決勝対決(2002年USオープン)で終わった」

その組み合わせは、ラスベガスのショーマンであるアガシと、カリフォルニアのクールなサンプラスという、人柄のコントラストでもあった。その性格的相違は、1980年代 NBA のライバル関係、ボストン・セルティックスのラリー・バードとロサンゼルス・レイカーズのマジック・ジョンソンを思い出させる。マジック - バードのライバル関係は、先週始まった HBO(合衆国ケーブルテレビのネットワーク放送局)スペシャルの主題だった。

サンプラスが言った。「面白いね。僕は妻と一緒にそれを見ていたが、ラリー・バードが話をしていた。最後に妻が、あなたはラリーみたいで、アンドレはマジックみたいね、と言ったんだよ」

「彼らが(1992年バルセロナ・オリンピックで)ホテルを出る時には、ラリーは裏口を探し、マジックは大勢の人がいる正面玄関を探す。僕とアンドレみたいだ。僕は裏口を探すよ」

キャリアを通してサンプラスとアガシは互いに敬意を示し、一緒にナイキのコマーシャルにも出演した。

しかしながら、昨年秋にアガシは自叙伝『オープン』を発表し、その中でサンプラスについて、退屈で、ケチなチップの払い方をした事があるとコメントした。メディアを通して、サンプラスは失望を表明した。

それ以降に、サンプラスはアガシと話をして、2人の関係は良好だと語った。

「我々は話し合い、そして言わば誤解を少しばかり取り除いた。彼はあれやこれや言っていたよ」とサンプラスは冗談を言った。

「僕はアンドレが好きだよ。それは彼について語るべき愉快でない事が何もない、という意味ではない。誰かが僕に彼の言った事を伝えて、不意を突いたんだ。こういった状況では、メディアを通じて話すよりも、直接に話し合う方がいい。我々は上手くいっているよ。大した問題じゃない」

フェデラーはサンプラス、アガシと関わりを持ってきた。彼がテニスシーンに登場してきた時、2人のアメリカ人はキャリアの終わりにあった。フェデラーにとって初の大いなる勝利は、2001年ウィンブルドンでだった。サンプラスを破って、彼のオール・イングランド・クラブでの31連勝を終わらせたのだ。

年月とともに、サンプラスとフェデラーは強い結びつきを育んできた。マジソン・スクエア・ガーデンを含め、2008年には2人でエキシビション・シリーズも行った。

「彼が戻ってきて、僕と同じコートに立つ、それは我々双方にとって素晴らしい事だよ」とフェデラーは語った。「我々は喜んでいる。アンドレ、彼とは何回か途方もないほどの試合をした。彼がコートに戻り、そして彼と対戦できるなんてとても楽しみだ。彼らのような偉人とともにコートに立つのは、名誉な事だよ。素晴らしいね」


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