ESPN.com
2010年3月17日
サンプラスとアガシは共存できるのか?
文:Joel Drucker


ピート・サンプラス - アンドレ・アガシのライバル関係は、BNP パリバス・オープンで先週の金曜夜に行われたエキシビション「ヒット・フォー・ハイチ」の最中に、当惑するほどの遺恨まっただ中という段階に入り込んだ。2人のアメリカ人と、フォーサム(ゴルフ用語。4人が2組に分かれる)を形成する他の2人を対比させると、問題点が明らかになる。ラファエル・ナダルとロジャー・フェデラーは、両親が祖国の方言で言い争うのを車の後部座席で見ている子供のようだった。

元プロで現在フォックス・スポーツ / テニス・チャンネルの解説者を務めるジャスティン・ギメルストブは、エキシビションの後に、サンプラスとアガシの間に平和を取りもとうとして言った。「それぞれのライバル関係は、互いへの敬意が際立っている。だがロジャーとラファは、オフコートでは類似した率直なものの捉え方をするが、ピートとアンドレは様々な点で、かなり異なっている。敬意で趣を添えられているにしても、対立は避けがたい」

粋なスペイン人も堂々たるスイス人も、アメリカのスポーツ界を汚すわざとらしい、時には本物のバカ話への理解力は持っていない。2人はその代わりに、ライバルのテニスについては注意を与える事もできるが、大勢の人の前で人柄を疑問視するような事は禁止事項であるという前提のもとで行動する。アガシがサンプラスのチップを茶化したようなやり方で、ナダルあるいはフェデラーが、相手のオフコートでの行為をあざ笑うのは想像しがたい。アメリカの元トップ10選手で心理学者のアレン・フォックスによれば、「アガシはどんなきっかけを作るべきか承知していた」

対照的に、ナダルはフェデラーについて、教区民が信徒席から見上げるかのように、 敬意を込めて話す。そしてフェデラーは、20回の対戦で自分を13回破った男ほどには威厳に打たれていないが、敗戦を喫してもフェデラーの態度は、対決的というよりは礼儀正しい。絹のように滑らかなスイス人は、通常は国連の外交官のような人当たりのよいマナーで話をする。

ナダルとフェデラーが共有するものは、戦う喜び、卓越への渇望、そしてゲームをして大金を得られるという事への、一定の陽気さと満足感である。なんと言っても、今年のオーストラリアン・オープンの前日に開催された初の「ヒット・フォー・ハイチ」を思いついたのは、 フェデラーだったのだ。

フェデラー - ナダルのライバル関係は自然に発生し、変わらず持続してきたが、アガシ - サンプラスのライバル関係は、テニス界のカリスマが不調からカムバックまっ最中だった1994年に、コート上よりもはるかに記者会見室で話題となった。それは『スポーツ・イラストレイテッド』誌のカバーストーリーが、「テニスは死にかけているか?」という答えようのない、しかし挑戦的な疑問を投げかけた年だった。

2人のタイタン、ジョン・マッケンローとジミー・コナーズ―――ジョーン・クロフォードとベティ・デイビスにも等しい、話題を生み出すライバル関係―――は、2年前に引退していた。マルチナ・ナヴラチロワは、偉大なライバルのクリス・エバートが引退して5年後の1994年に引退した。モニカ・セレシュは刺傷事件で、ジェニファー・カプリアティは燃え尽き症候群で、共に試合を離れていた。ボリス・ベッカーはモチベーションの問題でもがいていた。もう1人の世界ナンバー1経験者、アメリカのジム・クーリエも同様だった。不動のシュテフィ・グラフでさえ、 アイドル的なガブリエラ・サバティニにではなく、粘り強いが凡庸なアランチャ・サンチェス - ヴィカリオにナンバー1の座を奪われ、その年は一時的な低落を堪え忍んでいた。テレビ視聴率と用具の売り上げは低迷していた。サンプラスはラケットを振り回す天才にすぎず、むしろウォーレン・バフェットのようだと見なされていた―――すなわち、定期的に年4回の利益をあげる謙虚な単独行為と。
訳注:ジョーン・クロフォードとベティ・デイビス。共に1900年代前半を代表するハリウッド女優。1962年に「何がジェーンに起ったか?」で共演。犬猿の仲だったと言われる。
ウォーレン・バフェット。アメリカの著名な投資家・経営者。その投資哲学や先見性、質素なライフスタイル等から世界じゅうの尊敬を集め、「オマハの賢人」とも呼ばれる。

テニス界のダイナミックな2人組はサンプラス - アガシとなった。アガシはそれまで長い間、順位とは関係なくチケット売り上げに貢献する、テニス界の救世主といった存在だったが、1994年にはようやく自身のゲームに磨きをかけ始めていた。ナイキは機を見るに敏で、ジュージューいう音はステーキそのものより、はるかに強く心をそそるという事をいま一度証明しようと、広告キャンペーンに乗り出した。世間からのいく分か高い評価を求めるには、やってみる価値があると考え、サンプラスは契約を交わして参加した。それをウォーレン・バフェットとスティーブ・ジョブズの間の、戦略的提携と呼んでくれ。なぜいけない?
訳注:スティーブ・ジョブズ。アメリカの実業家。アップル社の共同設立者の1人で、そのカリスマ性の高さから、発言や行動が常に注目を集めている。

確かに、数字だけを見れば、サンプラスとアガシは1990年代における最高の選手たちだった。彼らはその10年間に、17(サンプラスが12、アガシが5)のグランドスラム・タイトルを獲得した。

しかし、さらに注意深く見てみると、 正確には、ナダルとフェデラーの関係と同じように、アガシが一貫してサンプラスのすぐ後ろにいたとは、およそ言いがたい。ナダルは2008年8月にナンバー1となる前には、連続3年以上にわたってナンバー2の座を確保していた。そして2009年の大半、トップの座をキープしていたのだ。フォックスは語った。「しばらくの間、ナダルとフェデラーは、それぞれが大きなタイトルを獲得して、各々の勢力圏を持っていた」

ピート・サンプラスとアンドレ・アガシの間に示される敬意は、まったくの偽物なのか?
ギメルストブが指摘したように、「ロジャーとラファがごくスムースに共存できるという事は、各々がプレッシャーに対処できる様を雄弁に物語っている」

サンプラス - アガシのライバル関係の特徴は、1人の男は毅然とした集中心を保ち、もう1人の人生はジェットコースターという事であった。サンプラスが1993年から1998年まで6年連続で、世界ナンバー1でシーズンを終えたのに対して、アガシは1994年11月から1996年2月までの間のみ、2位かそれ以上にランクされただけだった。1997年の終盤には、彼は141位というキャリア最低まで落ちていた。

アガシがただ一度ナンバー1でシーズンを終えた1999年でさえ、背中の怪我によるサンプラスのUSオープン欠場という事実に後押しされていた―――そして、ウィンブルドンとシーズン最終戦の ATP テニス・マスターズカップという2つの大舞台での決勝戦を含めて、その年サンプラスに5回の対戦で4回敗れていた。

フォックスは語った。「アガシとサンプラスは、フェデラーとナダルよりもずっと、同じ骨を求めて戦っていた。例えば、同じ国の出身だと、ただ1人だけがトップ・ドッグ(最高位)になれるのだ。誰かに近ければ近いほど、相手を倒したいと思うものだ。常に相手を目にしなければならないのだ。そして大試合では、ほぼいつも勝利するのはサンプラスだった。正直なところ、アガシはその事に憤慨していたと考えなければならない。ナダル - フェデラーの関係は申し分なく、信じがたいほど礼儀正しい。しかしサンプラス - アガシの関係の方が、おおかたのライバル関係に似通っている―――一方の勝利が他方にとって敗北となり、感情的で、厄介だ」

いたる所でナイキによって仕組まれた、アガシとサンプラスを取り巻くすべての興奮と期待にとっては、アガシのあやふやなテニスへの取り組み方は、スポーツ界の花形であるライバル関係の信頼性をそこねた。サンプラスがアガシを最も恐れる対等者だと認めてもなお、アガシは1998年までテニスに専心しなかった。現在でさえ、アガシの自叙伝における主たるメッセージの1つはテニスへの憎悪(彼はその後に「愛する事を憎む」関係と修正した)であり、アガシの長年にわたる言いのがれと悔い改めの才能は、彼とサンプラスが対戦した断続的に卓越したテニスを汚してきた。

ナダル - フェデラー間の戦いには、このような霧が暗い影を投げかける事はなかった。テニス界にとってもう1つの良い点は、ナダル - フェデラーのライバル関係は魅力的な物語であるとはいえ、それは多くの中の1つにすぎないという事である。ウィリアムズ姉妹やマリア・シャラポワといったスターの存在、さらには世界じゅうの新旧テニス国―――セルビア、英国、ロシア、中国、アルゼンチン、スペイン、スイス、ベルギー―――から一流の選手たちが輩出して、テニスの世界的な勢力図は、かつてないほど広範囲に及んでいるのだ。

全キャリアを通じてのサンプラス、1998年以降のアガシのように、ナダルとフェデラーはこの上なくひたむきで、常に可能な限り自分を駆り立てようと努め、そして最大のタイトルを得ようとして、あらゆる手段を尽くす。それが互いと対決する事を必然的に伴うのならば、それでいい。間違いなくフェデラーは、ローラン・ギャロスでナダルに勝って優勝する回り合わせを好む。そしてナダルは、パリで王座を取り戻し、2008年にそこで優勝して以来となるウィンブルドンで競い合う事を熱望する。しかしテニスは、かつて必死なまでにサンプラス - アガシのライバル関係を切望したようには、ロジャーとラファのショーによって定義される事はないのだ。



ロサンジェルス・タイムズ
2010年3月16日
非難(Hits)はピート・サンプラスとアンドレ・アガシに襲いかかる
文:Bill Dwyre


金曜日に行われたチャリティ・エキシビション中の張り詰めた瞬間は、果てしなく、そして否定的に蒸し返され、2人のテニスの偉人の関係にも否定的な影響を与えた。AA(アンドレ・アガシ)がそれを吹き払えば、蒸し返しもテニスもより良い状態になるだろう。

同じくこの一件は、ピート・サンプラスとアンドレ・アガシのためにも、手遅れにならないうちに通過すべきである。

先週の金曜日夜に、インディアンウェルズ・テニス大会で催されたハイチ救援エキシビション(Hit for Haiti)に期待されていたものは、ライバル関係の不和へと変わった。チャリティは現金を得たが、伝説は報いを受けた。

現在はインターネット、YouTube、Twitter の時代である。事が起こると、瞬時に世界じゅうが知るところとなる。そして無分別なお喋りや書き込みが始まるのだ。たとえそれが少しも面白くなくても。

サンプラスとアガシの間に生じた緊張状態は、非常に興味深かった。テニス史で最も偉大な選手の2人が、チャリティ・イベントで緊迫したやりとりを交わし、チャットルーム天国を生み出したのだ。気がふれたようなアガシのサンプラスに対する冷やかしが、大衆に受け流されて終わる見込みはない。

火曜日のインディアンウェルズでも、ざわめきは続いていた。アガシはチャリティ・イベントのために会場に現れ、そしてメディアが知る前に去った。メディアへの餌を提供して。元選手で現在はテレビ解説者のジャスティン・ギメルストブは、アガシの独占インタビューが行われたのを知り、それを手に入れた。

その中で、アガシはとりわけ語っていた。「面白くしようとして色々な事を言っても、100パーセント当たるとは限らない。僕は自由に喋ったが、冗談がうけなかった」

金曜日の夜以降、アガシはいくつものテレビ・インタビューで謝罪をして回った。サンプラスはそれを受け入れたが、物見高い衆生に話題を提供して、噂話を続かせておくのは嫌っている。アガシは社交的で、考えを口に出し、短いジョークを連発するような人間だ。サンプラスははにかみ屋で、公の場をあまり心地よく感じない。

サンプラスはこの騒動が過ぎ去って、時が癒やしてくれる事を望んでいる。今まで聞こえてこなかったが、彼もこの一件について語っている。

「おおかた、この事態にはガッカリしている」と、彼は火曜日の夜に語った。「それは今や、我々の関係をぎこちなくしている」

「悲しいよ。時がたてば分かるだろう。僕はアンドレが好きだよ。彼のゲームをとても尊敬してきた。起こった事態は残念だ。とても気まずい状況だ」

サンプラス - アガシの関係は、決して親しい友情でも、競り合ったライバル関係でもなかった。

彼らは34回対戦して、サンプラスが20勝を挙げている。グランドスラム大会では9回対戦したが、それは両者にとって最も重要だった。サンプラスが5勝、決勝戦では4勝している。アガシがスラム大会の決勝でサンプラスを下したのは、1回である。サンプラスの最後の試合は、2002年USオープン決勝戦だった。彼は全盛期を過ぎたように見え、その年の大半は苦闘していた。それから、彼はアガシを打ち負かしたのだ、いま一度。

その2002年の決勝戦後、ずいぶん経ってからサンプラスは公式に引退した。前宣伝もほとんど無しで去った。アガシは2006年USオープンで、3回戦で敗れた後に引退した。彼はコートを去る前に、テニスとそのファンに感謝する感動的なスピーチをした。

ギメルストブは金曜夜の「ヒット・フォー・ハイチ」が始まるまでロッカールームにいたが、現役選手たちが2人に対して抱く畏敬の念に驚いていた。

「まるで彼らが、過去の大統領であるかのようだった」とギメルストブは語った。

アガシは来月で40歳になり、サンプラスは8月で39歳になる。アガシはラスベガスで財団を運営し、とりわけ、設立した学校に基金を提供している。その財団のために彼は多くの場に姿を見せ、毎年ラスベガスで催すディナーショーでは何100万ドルもの基金を集め、その種のイベントでは最も成功を収めてきた1つとなっている。

サンプラスは静かに家庭生活を営み、インディアンウェルズ大会を含めいくつかの事業に投資をし、慈善団体に寄付もしてきた。アガシの基金へも7万ドルの寄付を行った。彼がその事実を自ら話す事はなかった。今後もないだろう。それは新聞の一般記事で明らかになったのだ。

そういう訳で、アガシが自叙伝の中でサンプラスを、ケチで駐車場の係員に1ドルしかチップを与えなかったと慰みものにした事は、とても異常だった。その一件は、ほぼ20年前に起きた事だったのだ。同じく、チャリティ・イベントで再びこの話を持ち出すのも妙だった。

「我々は以前にも、互いの物真似をしてきた」とサンプラスは語った。「彼はよく舌を出していたよ」

何年も前の事だが、伝説的な2人はボブ・クレーマーが主催するロサンジェルス・オープンで、ロビン・ウィリアムズ、ビリー・クリスタルとダブルス・ペアを組んだ。素晴らしい夜で、ハイライトは、アガシがアクションを止めてパートナーのクリスタルに、あの男にボールを打つのは心得違いだと指摘した場面だった。

「あれはピート・サンプラスだよ」とアガシは言った。「彼は6回ウィンブルドンで優勝したんだ」

時がそういった互いへの敬意を回復させるだろう。テニスはそれを必要としている。同じくサンプラスとアガシも。


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