ESPN.com
2010年3月15日
アガシは不文律を破った
文:Peter Bodo


ライバル関係とは、認め合い続けるものである―――しかし常に良い方法でとは限らない。

金曜日の夜にインディアンウェルズで開催されたハイチ・チャリティ・エキシビション「ヒット・フォー・ハイチ」で、アンドレ・アガシとピート・サンプラスの間に起こった半ば険悪な衝突を見たのなら、その気分を共有するかも知れない。

この2人の男は、もはや日曜日の真昼にセンターコート上で、がっぷり組んで決着をつける事ができない今となっては、相手に対して感じるどんな類の反感でも、吐き出すためには他の道を見いださなければならない。そして金曜日の夜は、確かにアンドレの方が、より多くの吐き出すものを持っているようだった。無理もない:ピートはコート上で彼を痛めつけ、対戦全体で20勝14敗、グランドスラムの対戦で6勝3敗、そしてグランドスラム決勝戦では4勝1敗と、圧倒していたのだから。

アンドレがピートをケチと思うのも、もっともだ。サンプラスはアガシに1回のメジャー優勝しか許さず、しかもそれは、ウィンブルドンでもフラッシングメドウでもなかったのだ。

その「ケチ」の一件は、もちろん、ロジャー・フェデラーとラファエル・ナダル(ダブルス・パートナーとしてピート、アンドレと共にコート上にいた)をすくみ上がらせ、自分たちのライバル関係はもっとソフトな激しさである事に感謝の念を抱かせた、ばつの悪い対決の源だった。

私は、アンドレがピートの倹約傾向を笑いものにする様はあくどいと思った。そしてそれはピートを傷つけた―――それは事態が制御できなくなっていく様子(同じくピートのボディ・ランゲージ)からも明白だった。とげとげしい冗談が深いみぞへと広がるにつれて、2人の人格の相違をかなり適切に要約していった。

富豪の有名人による慈善活動には、かなりの虚栄心を含んでいる事がうかがえるとはいえ、ピートはアンドレのような慈善事業への衝動を持っていない。そしてアンドレは、ピートほどには「互いに干渉せずに共存する」という気だての良さ―――それとも無関心か?―――を持ち合わせていないようだ。もしピートがケチならば、アンドレは浪費家である。その傾向は、彼らのテニスキャリアにも大いに反映している。ピートは自身の才能をすべて出し切った。アンドレは自身の才能を大量に浪費した。時にはショッキングな、メロドラマ調の方法で。

私はピートの自叙伝『A Champion's Mind(チャンピオンの精神)』を彼と共同で執筆した(そしてそう、経済面でも対等だった)。また長年にわたり、アンドレとも良好で実り多い関係を保ってきた。彼らそれぞれの本(アンドレの自叙伝はベストセラーの『オープン』)は、2人の男を正確に表している。ピートは自分の本でライバルへの恨みを晴らしたり、けなしたりする事を望まなかった。自分のキャリアの物語と、いかにして史上最高のグランドスラム・シングルスチャンピオンとなったかだけを語るよう望んだ。アンドレは自由気ままに書き、誰に対しても容赦なかった。そうする事で、なぜ彼がピート・サンプラスではないかを明らかにしたのだ―――コート上だけでなく、人生においても。

アンドレは遠慮なくものを言い、あと先考えずに喋ったり行動する傾向がある。ピートは慎重で、そしてゴシップを好まない―――それゆえに、アンドレがあの独特なやり方で彼を攻撃したという事が、いっそう愕然とさせるのだ。こういった男たちの大半は、不文律に従って生きている。互いを個人的に攻撃したりせず、人前で互いの弱点などを暴露したりしないものなのだ。アンドレがよく知っているように、ベガス(「テニス」に置き換えてくれ)で起こる事は、ベガスに留まるのだ。どちらがより無分別な行動か:従業員に1ドルのチップを払う事か、僚友と想定する人物はお粗末なチップを払う奴だと、そこらじゅうに喋りちらして回る事か? つまり、従業員は生きながらえてきた、そうだね?

アンドレは昔から、ピートや他の人たちに個人攻撃を仕掛けてきた。それが彼という人間だ。彼はそう言われるのを嫌うに違いないが、彼の内部には自分で認めるよりも、父親のマイク・アガシ的な要素を多く持っているのだ。彼が『オープン』で語ったチップに関する逸話は、本が出版された後に独り歩きを始めていた。インディアンウェルズのコート上で、アンドレが再びその話を持ち出したのは、よく見ても思慮に欠け、悪く言えばあくどかった。すでにその一件は、ピートに心痛を与えていたのだから。(ここに書き記しておくが、私がその物語について個人的にピートに尋ねると、彼はただ肩をすくめて言った。「その一件が起きた時、僕たちは若造だった。チップの払い方や従業員について、僕が何を知っていたっていうんだい?」)

アンドレは正気に戻ったが、ピートの内には不快感と怒りが生じているのを見てとる事ができた。アンドレが人の痛い所を衝く様には、うんざりだった。大衆うけを狙うという点に関しては、アンドレは昔からまさっていた。グランドスラムの試合では、そのような事はめったに行なわれなかった。多分それが、読者が知っておくべき事だろう。アンドレは、1回くらいは大衆うけを勝ち取る必要があると感じてきたのかも知れない。そして、それを実行した時、彼はむしろ卑小に見えた。



テニス・チャンネル
2010年3月15日
アガシはチャリティ・イベントで私事に立ち入る
文:Steve Flink


インディアンウェルズで先週金曜の夜に開催された「ヒット・フォー・ハイチ」エキシビションで、男子テニス界のスーパースター4人がコートに立った時、我々の大半はうまくいかない事などあり得ないと感じていた。すでにジュスティーヌ・エナン / マルチナ・ナヴラチロワ組は、リンゼイ・ダベンポート / シュテフィ・グラフ組から愉快で感じのいい勝利を挙げていた。それはロジャー・フェデラー / ピート・サンプラス組が、彼らのダブルス技能をラファエル・ナダル / アンドレ・アガシ組に対してテストする時である事を意味した。インディアンウェルズのファンとテニス・チャンネル視聴者にとっては、テニス史上最高ともいえる2人の選手、フェデラーとサンプラスがペアを組み、恐らくこれまでで最も精力的な競技者であるナダルと、近代で最も有名なアスリートの1人であるアガシのペアと対戦するのを見る、滅多にないチャンスだったのだ。

あらゆる意味で、夢の競演だった。登場する4人の伝説的な人物は、合計で44ものメジャータイトルを獲得していた。しかし、私はこの対戦を見るため夜遅くテレビの前に座っていたが、早い段階から不安を感じていた。目の肥えたファンが選手同士の気さくな冗談を聞けるように、選手たちはマイクロホンを装着していた。さらにアガシは、それが自分にコート上で最高のエンタテイナー、最も気の利いた機知を持つ男、個性の力ですべてを、他の誰をも圧倒する選手であると明示する、許可証を与えたと信じているかに見えたのだ。

アガシのうぬぼれは、大半が制しきれない状態で空回りしていた。いろいろな意味で彼は、聴衆が自分の演目に満足するかどうかを充分に判断しないまま、新しい冗談を試してみるコメディアンのようだった。同じく重大な事には、アガシは何が好印象の範囲内かを誤解していた。彼は不可解にも故意に、容認できないほど卑劣な心得違いのユーモアを誇示して、サンプラスに屈辱を与えておとしめたのだ。彼はサンプラスに、ひどい気詰まりと当惑を感じさせた。フェデラーとナダルを、彼らが望まない立場に追い込んだ。そして観戦していた誰もに、彼の動機と思慮分別を疑わせた。

そのシーンと状況に立ち返らせてほしい。エキシビションは穏やかな雰囲気のうちに始まった。4選手全員が、自分の立場を心得ていた。最初から、アガシはひっきりなしに喋っていた―――他のいかなる選手よりも。フェデラーはアガシと多少の愉快なやり取りを交わし、なんとか自分の個性を見せていた。しかしサンプラスとナダルはあまり口を出さず、ただ良いテニスをして楽しもうとしていた。

サンプラスは最初のゲームでサービスをキープし、ナダルも自分のサービスゲームをキープして1-1とした。第3ゲームでフェデラーのサーブとなり、アガシはコメントを連発して型どおりの演技を増やした。彼はある場面でフェデラーに言った。「君なんて大して怖くないね。君はまさしくスイス人だ」フェデラーはその台詞を苦もなく受け流し、こだわりなく笑った。それからその夜一番のポイントを勝ち取って30-0とした。そのポイントでは、アガシとナダルはショットをフェデラーに集めて、勢いよく打ちまくっていた。フェデラーは次から次へと厳しいボレーをこなした。アガシ / ナダル組が8回目に世界ナンバー1を狙うと、フェデラーはバックハンドの華麗なアングルボレーでウィナーを決めたのだった。

そのポイントの後、アガシはフェデラーに「ああ、お見事」と言った。40-0とした後、フェデラーはハイバックボレーを決めそこなった。するとアガシは強烈な打球をサンプラスの背後に放ってウィナーを決めた。アガシがコメント無しでその瞬間を流すはずもなく、「ああ、いい気分だ!」と叫んだ。しかしフェデラーは、アド・コートでアガシに対してセンターへのエースを決め、2-1とした。アガシは判定にチャレンジしたが、リプレー映像はボールがラインを掠めていた事を明らかにした。次のゲームで、アガシは自分のサービスゲームをしながら、言葉のアンティー(ポーカーの賭け金)を上げた。ある時点で怒鳴るように言った。「今10,000人の子供が何と言っているか知ってるかい? フェデラー、ナダルとプレーしているあの2人の年老いたハゲの男は誰だろう?だよ」

それは正真正銘に愉快な発言だった。そしてサンプラスは「僕にはまだ少し(髪が)残ってるよ。君は(刑事)コジャックみたいだ」と反撃した。アガシが答えた。「ピート、みんな知ってるよ。秘密は終わったんだから、それでいいとしよう。(不安から)解放されてるんだ」と。彼の意味する事を見抜くのは難しかったが、まだ彼は、良識の線を越えて道からそれてはいなかった。まだ完全には。アガシは2-2とし、次の第5ゲームはサンプラスのサーブだった。ここでフェデラーは観客の愛を勝ち取った。アガシは長い黒のスウェットパンツを穿いていた。そこでフェデラーは言ったのだ。「長ズボンを脱いだらどうだい? 君の脚を見たいよ?」アガシは「彼ら(僕の脚)はもう6カ月も太陽を見てないんだ」と答えた。さらに、ズボンを膝の上まで引き上げ、そして下品に言った。「彼らはここにいるよ。何てこった、僕は下着もつけてないんだ」

それは彼がマイクロホンの後ろで、道に迷い始めているという明らかな兆候だった。アガシはポイントの前に、後に、そして最中にさえ喋っていた。サンプラスは気を散らされてウンザリしたのか、サービスゲームを落とした。ナダルは即座にキープして4-2とした。第7ゲームでは、 フェデラーはデュースまで持って行かれたが、「サドンデス(ノー・アドバンテージ)」ポイントを勝ち取ってサービスをキープした。フェデラーがスマッシュを決めるために構えると、アガシは子供っぽく「ミスしろ、ミスしろ!」と叫んで、彼の気を散らしてエラーを誘おうとしたが、無駄だった。フェデラーは冷静を保っていた。

アガシは相変わらずほぼノンストップで喋っていた―――それは堪えがたくなりつつあった―――が、フェデラー / サンプラス組はブレークバックして4-4とした。そして第9ゲームでは、アガシはその振る舞いで、誰もを仰天させたのだった。サンプラスが自分のサーブで40-0とした後、アガシは彼をあおり始めた。「君はいつも本気でやるんだな。はぁ、ピート?」サンプラスはダブルフォールトを犯して40-15となり、そして「オーケー、アンドレ、少しばかりふざけるとしよう。君の物真似をするよ」と言った。サンプラスはアガシの内また歩きをうまく真似て、観客から大笑いを誘い、アガシの顔からも大きな微笑を引き出した。

サンプラスはアガシが応じたがっているのが分かった。アガシは自分もサンプラスの物真似をしたいと言った。「さあどうぞ」と、サンプラスは愛想よく言った。ピートが額から汗をぬぐい去る、いつもの物真似をアガシがすると、恐らく予想していたのだろう。しかしアガシはまったく違う、もっと邪悪な領域へとあえて足を踏み入れた。彼はスウェットパンツのポケットを引き出して、「僕は金を持ってない」と言った。一瞬後に「いや、いや、待って。1ドルがあった」と付け加えた。それはアガシが自叙伝の『オープン』ですでに使っていた逸話への、明らかな言及であった。彼はその逸話で、サンプラスが1990年代にカリフォルニアで従業員に1ドルのチップを与えたと語り、サンプラスをケチな奴として辛辣に描写しようとしていたのだ。

アガシの本が発売された後、かつてのライバルが自叙伝の中で、一度ならず彼をけなしていたという知らせがサンプラスに伝わり、2人のアメリカ人の間に、すでに何らかの不快を引き起こしていた。いずれにしても、サンプラスが「空のポケット」の安っぽい物真似を気に入らないと承知のうえで、アガシはすでにかなりの傷を与えた相手を、次のコメントでさらに侮辱したのだ。彼は見るからに傷ついているサンプラスに「あぁ、誰かが傷つくまでは、すべて楽しみとゲームだよ(it is all fun and games until someone gets hurt. 最近のアメリカではよく使う言い回しらしい)」と皮肉っぽく言った。

今やサンプラスは我慢の限界に達していた。40-15サーブの場面で、ナダルはデュースコートでリターンの構えをし、アガシはパートナーと共にベースライン付近にステイバックしていたが、サンプラスは元ライバルにきっぱりと、もうたくさんだと分からせた。彼はファーストサーブを直接アガシに打ったのだ。アガシはコート後方にいたので、ボールが当たるのは避けられた。しかしサンプラスは、自分の言い分を強調したのだった。その後に彼は「それが君の望むプレーのやり方なら………」と言った。アガシは「君が車を止めるレストランの駐車係になるよりはマシだよ」と言い、先ほどと同等の無作法なセリフで報復した。

相手の悪意のレベルと不快な振る舞いには、本当に面食らったのだろう。サンプラスは言った。「はいはい、僕はチップの払いが悪いです。すみません、バラク・オバマ」と。明らかに、彼は高額所得者の税金について遠回しに主張しようとしていた。しかし何よりも、もっともな理由でサンプラスは不機嫌になり愕然としていた。間をおかず、サンプラスはアガシに「君は個人攻撃をした(got personal)んだよ」と言った。卑劣にもアガシは答えた。「いいや、いや、いや。もう皆がその事を知っているよ、ピート。私的な(personal)事じゃない」

アガシの本が発売された後、サンプラスは様々な人から、アガシが本の中で彼について否定的な事を語っていたと聞かされていた。彼らは電話で話し合い、そしてサンプラスは、2人がわだかまりを解決したと信じているようだった。その事が、インディアンウェルズ事件の意味をさらに理解しがたいものにしていた。控えめに言っても、アガシは本の中でサンプラスに対して容赦なかった。サンプラスは水に流す事をいとわなかったが、アガシは古い傷にさらに塩をすり込んでいたのだ。本の中で、彼が言うところの従業員への1ドル・チップ事件を記述するやり方は、不自然に見えた。その本は、すべてが現在形で書かれているのだ。アガシはサンプラスとの2002年USオープン決勝戦前夜について、このように読者に語っている。大試合の前夜に、自分がサンプラスについて1990年代に起こった事を回想しているのに気づく。

彼は読者をカリフォルニアへの旅にいざなう。そこでは彼とコーチのブラッド・ギルバートが、レストランで食事をしている。サンプラスは同じ場所で、他の人たちと食事をしている。そして店を出る途中で、アガシに「ハロー」と声を掛ける。それから、サンプラスが従業員にどれくらいチップを渡すつもりか、アガシとコーチのブラッド・ギルバートは賭けをする。彼らが去ると、アガシとギルバートは従業員に話をもちかける。彼はサンプラスが1ドルを渡したと言う。アガシはこの物語を、自分とサンプラスはその点に関していかに違うか、読者に例をあげて説明するために利用しているのだ。

それでは、いったい彼はなぜ金曜日の夜にそこへと戻り、あのような流儀でサンプラスをおとしめるのだろうか? 私はまもなくその疑問に答える。差し当たっては、「ヒット・フォー・ハイチ」を追体験する我々の旅を終えさせてほしい。アガシの軽口は徐々に減少していき、サンプラスはサービスをキープして5-4とした。6-6、30-40の場面で、サンプラスはアガシのバックハンド・ワイドにビンテージ物の雷電を放ち、アガシはリターンできなかった。デュース、「サドンデス」ポイントで、サンプラスはナダルのバックハンド・ワイドにスライスサーブを活用し、スペイン人は何もできなかった。ナダルのサーブで6-7、マッチポイント・ダウンという状況で、サンプラスはリターンに続いて前へ詰め、フォアハンドの厳しいローボレーをこなし、ネットで主導権を握った。そして見事な角度のついた、バックハンドのクロスボレー・ウィナーで試合を締めくくった。

サンプラスとフェデラーが8-6で勝利した。それにも関わらず、驚く事ではないが、弁護の余地のないアガシの態度によって、その特別な祭典の輝きはかなり減少させられたのだった。彼は本当にサンプラスを「個人攻撃」した。満場の観客と多くのテレビ視聴者の前で、故意にライバルを悪く見せようと決めていたのだ。しかし、本の中でサンプラスの名誉を傷つけようとした一件と同様に、アガシはその代わりに自分自身をちっぽけな執念深い人間に見せていた。

なぜ彼は、それほどひどい基準にまで品位を落としたのだろうか? 私の意見では、サンプラスの方が彼よりもずっと優れたテニス選手であるという根本的な事実を、彼は受け入れていないのだ。サンプラスは14回のメジャー優勝を遂げた。アガシよりも6回多い。サンプラスは34回のキャリア対決で20勝し、優勢だった。グランドスラム大会の決勝対決では、サンプラスが5回のうち4回勝利している。USオープンでは、2001年の壮大な準々決勝対決はもちろん、1990・1995・2002年の決勝戦を含め、サンプラスはアガシに対して4勝0敗だった。さらに、世界最高の大会であるウィンブルドンでは、サンプラスはアガシに対して2勝0敗で、1999年に対戦した唯一の決勝戦でも勝利した。

それゆえに、どうやらアガシは、最大のライバルが自分より格段に優れている事に憤慨し続けているようだ。彼がインディアンウェルズでした事は、作法に照らせばつばを吐く事にも等しかった。彼は本質的に、選手たちは最高のパフォーマンスを見せてくれると誰もが想定していた一夜を台なしにしたのだ。アガシはより高潔な一面、ラスベガスで運営している素晴らしい進学準備学校の慈善事業によって、正当に賞賛されてきた。彼はその巧みなゲームよりも大きな存在だと示した多くの事柄によって、尊敬されてきたのだ。しかし「ヒット・フォー・ハイチ」では、はるかに的はずれだった。そして彼自身とゲーム両方の評判を傷つけたのだ。


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