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2010年7月20日
男子テニスの史上最高トップ10
文:Chris Chase

女子テニスの史上最高トップ10をランキングするのは、かなり容易な作業だった。マルチナ・ナヴラチロワがナンバー1で、シュテフィ・グラフとクリス・エバートがそれに続き、セレナ・ウィリアムズはその下に位置するという事に、大して異論はなかった。セレナには、キャリアが終わるまでにランクが上がる可能性がある。

男子についても、同じくらい単純明快ならば良かったのだが。

以下が当ブログの、オープン時代における男子の史上最高トップ10テニスプレーヤーのリストである。ナンバー1と2は別として、我々は何回も順番を入れ替えた。第2グループの男子選手は、グランドスラムと勝率で一団となり、それによって、ランク付けは女子よりも少し複雑になっている。

自由に意見を述べ、称賛、あるいはこのリストは不適当だなどのコメントを、Twitter か電子メールで伝えてほしい。何人かの読者は後者を選択するだろう。水曜日には最良の答えを公表するつもりでいる。

メモ:*=アステリスクは、オープン時代最高のリーダーを示す)

10.マッツ・ビランデル―――7グランドスラム、33タイトル、勝率72%、ナンバー1在位20週

獲得タイトル数がトーマス・ムスターより11少なく、ナンバー1在位週がグスタボ・クエルテンより23週間も短い男が、どうしてこのリスト入るのか? 7つのグランドスラムと1988年の記録ゆえである。ビランデルはジミー・コナーズに次いで、クレー、芝生、ハードコートでスラム大会に優勝した2人目の男となり、スウェーデンの同胞、ビョルン・ボルグの後継者たる地位を確立したのだった。

9.アンドレ・アガシ―――8グランドスラム、60タイトル、勝率76.1%、ナンバー1在位101週

近代にキャリア・グランドスラム優勝を果たした、わずか3人の男の1人(そしてオリンピックを含むゴールデン・スラムを達成した唯一の男)としては、これは少し低く見えるが、他のトップ10該当者がどれほどの業績を挙げたかは、これから示していこう。アガシは1997年の底知れぬ大転落によって、若干のポイントを失っている。しかしこの事を考慮してほしい:転落の前に、ラスベガス出身の彼は3回のスラム優勝を遂げていた。その後、彼はさらに5つのトロフィーを掲げたのだった。

8.ラファエル・ナダル―――8グランドスラム、41タイトル、勝率82.4%、ナンバー1在位53週

2005年以降、ナダルはクレーで176勝6敗―――実に96.7パーセントという驚くべき勝率を挙げている。ウィンブルドンでは出場した過去2年に優勝し、昨年はメルボルンでもトロフィーを掲げた。そして紛れもなく現役の最も偉大な選手として、ロジャー・フェデラーを王位から退けた。あぁ、そして彼はまだ24歳になったばかりなのだ。

7.イワン・レンドル―――8グランドスラム、94タイトル、勝率81.8%の、ナンバー1在位270週

なし得なかった事のために、レンドルが記憶されているのは残念だ:つまり、ウィンブルドンでの優勝。ここに彼がなした事を挙げよう:かつて彼は、幾つもの記録を保持していたのだ。最多週ナンバー1在位。グランドスラム決勝戦に最多進出。最長連続年の大会優勝。生涯タイトル数と勝率では第2位。フレンチとUSオープン両方で3回ずつの優勝。そして1984年には44試合に連勝した。

6.ジミー・コナーズ―――8グランドスラム、109タイトル*、勝率81.5%、ナンバー1在位268週

5.ジョン・マッケンロー―――7グランドスラム、77タイトル、勝率81%、ナンバー1在位170週

マッケンローはコナーズとの生涯対戦成績で上回っている(31勝20敗)。そして、さらに重要なのは、重なり合う彼らの全盛期にも優勢だったのだ(1979〜1983年には11勝8敗)。私は順位表における2人のライバルの位置を何回か入れ替えたが、最終的にジョニー・マックをジンボより上に置くと決めた。ダブルスでの優れた能力と、デビスカップでの業績ゆえである。一方で、コナーズは我々にこの問題を突きつけた。彼らをもう一度入れ替えるには、遅すぎるか?

4.ビョルン・ボルグ―――11グランドスラム、63タイトル、勝率82.7%*、ナンバー1在位109週

このスウェーデン人は、当時の記録だった4年連続フレンチ・オープン優勝と、5年連続ウィンブルドン優勝を含めて、キャリアで出場したグランドスラム大会での勝率が41パーセントであった(比較して、ロジャー・フェデラーは36パーセント)。

1980年のウィンブルドン決勝戦は、史上最高とされる2試合のうちの1つである。そのクライマックスは、第4セットの34ポイントにわたるタイブレークだった。ボルグは5本のマッチポイントを落とし、マッケンローの6本のセットポイントをしのいだが、ついに第4セットを落とした。彼はとにかく試合には勝利したのだった。

しかしボルグは、USオープンでは決勝戦に4回(クレーで1回、ハードコートで3回)進出したが、優勝する事はできなかった。1981年にジョン・マッケンローに敗れた事で、ナンバー1の座を失い、そして事実上、彼のキャリアをも終わらせる事となった。まだ25歳だったが、彼がその後グランドスラム大会に出場する事はなかったのだ。
3.ロッド・レーバー―――11グランドスラム(オープン時代には5)、40タイトル、勝率79.8%、ナンバー1在位は記録なし

1969年(オープン時代の2年目)、レーバーは年間グランドスラムを達成し、出場した32大会のうち18大会で優勝し、106勝16敗の記録で1年を終えた。トップスピンを発明したのは、このオーストラリア人ではなかったかも知れないが、彼はそれを完成させた。誰が史上最高かという論議に、彼は関わりたがらないが、全盛期ならフェデラーを倒せただろうかと尋ねられた時、レーバーはこのように答えた。「ウッドラケットでなら、私は誰とでも戦うだろう。言えるのはそれだけ」

2. ピート・サンプラス―――14グランドスラム、64タイトル、勝率77.4%、ナンバー1在位286週*

1993年から1998年まで、サンプラスは連続6年間ナンバー1で1年を終えて、オープン時代の記録を樹立した。また彼は、286週間ナンバー1の座に就いた。ロジャー・フェデラーが肉薄してきてはいるが、これも記録である。ピストル・ピートはウィンブルドンで7回、フラッシングメドウで5回優勝を遂げたが、ローラン・ギャロスの遅いコートで優勝する事はできなかった。パリには13回出場したが、準決勝まで達したのは一度だけだった。

1.ロジャー・フェデラー―――16グランドスラム*、62タイトル、勝率80.7%、ナンバー1在位285週

フェデラーの業績にケチをつける事が流行している。「ナダルを攻略せずして、彼は史上最高であり得るのか?」「彼の競争相手は、サンプラスが対決した者たちほど優れていなかった」「幸運にも、昨年ラファはフレンチに出場しなかった。さもなければロジャーはタイトルを獲得しなかっただろう」などなど。

ナンセンス。ナダルはクレーにおけるフェデラーの天敵(このスペイン人は、クレーでは12回の対戦で10勝している)ではあるが、芝生とハードコートではフェデラーが5勝4敗で、わずかにリードしている。彼らのキャリアは複雑に結びついているが、フェデラーをナダルとのライバル関係でのみ判断するべきではない。このスイス人スターは、16回グランドスラムで優勝しているのだ。

もしサンプラスが近年に14という基準を打ち立てていなかったら、そしてフェデラーの偉大さが、完璧なグラウンドストロークと人を惑わすような敏捷性という、さほど面白くないものに頼っていなかったら、いっそう印象的な記録と思えるだろう。彼は偉大さを容易なものに見せるのだ。


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