ESPN.com
2010年12月10日
盗難事件はサンプラスの偉大さを重ねて強調する
文:Peter Bodo


犯罪者に助言する事は、私の職種ではない。しかしピート・サンプラスが15年にわたる記録破りのキャリアの間に収集した、思い出の品々の大半を盗んだ愚か者に対しては、若干のアドバイスがある。盗んだ品々を美しく箱詰めして、地元の宅配便業者の店に運び(ヒント:ニセの返送先住所を用いる)、サンプラスに送り返せ、と。

その品物は(サンプラス家の人たちと国際テニス名誉の殿堂以外に)君、あるいは恐らく他の誰にとっても大して価値がない。なぜならスポーツの記念品を収集するすべてのコレクターは、それがサンプラスの自宅にある、あるいは長年のスポンサーのナイキに貸し出してある、13のグランドスラム・トロフィーのレプリカの1つでない限り、トロフィーも、プレートも、クリスタルの花びんも、そして他の装飾品も、盗んだばかりの物と知る事になるからだ。

さらには、そもそも、埃をかぶった1992年頃のハッピーバーガー・テニス・クラシック準優勝トロフィーなどに対して、売りさばくマーケットはどれほど大きいというのか?

だが、私はサンプラスの損失を軽くみなすつもりはない。サンプラスが西ロサンジェルスの倉庫に預けておいた、偉大さ(それは盗まれた物の金額をはるかに上回る)の残り物であるコレクションを持ち逃げした泥棒は、彼の人生を定義する工芸品や象徴を強奪するという、極悪な犯罪を犯したのだ。

サンプラスは「冒涜された」ように感じると語った。彼の家族は、たいせつな品々を不当に奪われたのだ。しかしまた、ここに「人生は芸術を模倣する(life-imitates-art)」というテーマがある。サンプラスはキャリアの半ばから、彼にとって重要な唯一の大会はグランドスラム大会だと公言していた事を、我々はみんな知っているからだ。そして、他のほとんどすべてを失った(理屈のうえでは、64の優勝トロフィーと24の準優勝トロフィー)とはいえ、メジャー大会の優勝者に授与されるシングルス・トロフィーのレプリカは、1つを除いてすべて無事なのだ(サンプラスが1994年オーストラリアン・オープンで獲得したトロフィーは、失ったアイテムに含まれている)。
訳注:life-imitates-art :オスカー・ワイルドが好んで用いたフレーズ。「人生は芸術を模倣する、つまり人生とは実際には虚像であって、芸術こそが現実なのだ」という、ワイルドならではの芸術至上主義を謳っている。「映画を地でいく人生」といった意味合いもあるらしい。

この忌まわしい事件は、サンプラスがメジャー大会のために生きていた事を我々に思い出させる。そしてこの犯罪には、ある種の恐ろしい詩的な真実性が存在する。それはサンプラスがグランドスラム・タイトルの追求に、新しい息吹を吹き込んだ事を強調しているのだ。そして、ロジャー・フェデラーがサンプラスを上回った現在、その事は記憶される価値がある。

サンプラスがメジャー大会のシングルス・タイトルを集め始めた時には、頑固なテニス専門家でさえも、ロイ・エマーソンの記録(12)に迫る事ができると想像するのは困難だった。男子テニス界はずっと強力になり、新しいラケット技術は戦いのレベルを平均化した。4つのグランドスラム大会の3つが芝生でプレーされた時代は、とうの昔に終わっていた。プレーヤーへの肉体的負担は、何倍も大きくなっていた。

しかしサンプラスはこつこつと励み続け、そして2002年USオープンで14回目のメジャー優勝を遂げた直後に引退した。彼はそれによって、進化するトレーニング・プログラムの下では可能性をほとんど想像しえない高さにまで水準を上げた。それでもなお7年の内に、フェデラーがサンプラスの記録を破ったのだ(フェデラーは16のメジャー・シングルス・タイトルを獲得し、さらに進行中)。そしてラファエル・ナダルは、フェデラーに迫りつつある。

グランドスラム大会に焦点を合わせる事によって、サンプラスはプロゲームに重要性の新たな序列を課す一助をなし、そして続く世代を鼓舞した。そしてメジャー大会に対する彼のビジョンと忠誠は、必ずしもテニス狂や信奉者ではない多くのファンに、ゲームに関心を持つ手掛かりを与えてきた。1年に少なくとも4回は、彼らはテニスに注意を払うよう条件づけられている。そしてテニスはそれゆえに、ずっと良くなっている。

ピートはそれら14のメジャー・シングルス・タイトル・トロフィーのうち13を、今でも所有している。私は彼が他のすべても取り戻せるよう望む。結局のところ、小さいものも大きいものと同じくらい、我々が「思い出」と呼ぶ極めて重要なものだからだ。


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