ブリーチャー・レポート(外野席からのレポート)
2009年5月7日
もしピート・サンプラスが両手バックハンドだったら?
文:Rob York


君たちの多くは、私が何者かを知らないかも知れない。だが社会性のいささか低い傾向にある者たちは、私をマーベル・コミックス「ファンタスティック・フォー」のページで紹介されているウアトゥ、ウォッチャーとして認識するだろう。そこでは、私は出来事を記録に留めるのみで、決して干渉してはならないとされていた。
訳注:ウォッチャー (Watcher)。本名:ウアトゥ (Uatu)。全宇宙の全事象を観察することのみを使命とする超種族「ウォッチャー」の一員で、地球を観察地域に指定されている。

後に、私は「What If…?」シリーズのナレーターを務めた。「もしスパイダーマンがファンタスティック・フォーに加わったら?」「もしキャプテン・アメリカが大統領に選出されていたら?」といった、仮想現実で起こる出来事を詳述していたのだ。

さて、君たちがテニスと呼ぶ、地球における運動競技レクリエーションを見るのが好きな者たちに、私のレンズを通した見解を提供しよう。スポーツの中でも最も知性に訴えるという点で、それは私に適している。そしてゲームの年代記に起こり得たであろう興味深い相違には限りがない。

今日は1980年代を振り返る事から始めよう。ピート・サンプラスという名の天才児が、ピーター・フィッシャーという慣例に従わないコーチの指導下にいた時代だ。フィッシャーが若いタレントをウィンブルドン・チャンピオンに創り上げようと努める発達段階であった。

その第一歩はサンプラスに、それが彼の最も得意なショットであったにもかかわらず、両手バックハンドを放棄し、芝のコートで盛んだったネットへと突き進むスタイルにより適切な、片手打ちに換えるよう命じる事だった。

変化は即座に現れた。サンプラスはジュニア・ランキングを急速に下げ、アンドレ・アガシ、マイケル・チャンなどの著名人、さらにはデビッド・ウィートンといった、さほど成功を収めなかったプロの後ろにさえ甘んじる事となった。彼の総合的な運動能力にもかかわらず、新しいバックハンドはあまりにも不安定で、何年も後まで開花する事はなかったのだ。

しかしながら、この仮想世界では、サンプラスはフィッシャーのアドバイスに抵抗し、ベストのグラウンドストロークから片手打ちに換える事を拒む。間もなく、彼らは意見の相違によって、1989年の前に師弟関係を終わらせる事になる。それは現実の世界でも終わりを告げた。

しかしながら、この決定の後にサンプラスは成功する。彼は仮想世界でも発達した肩に恵まれ、フィッシャーが課したサービスドリルは彼のプレースタイルにしみ込んでいたのだ。サンプラスのサーブは、なお巨大な武器である。爆発的なスピードと今や確固たるストロークゲームを備え、結果としてサンプラスは優れたジュニアキャリアを手にする。

現実の世界では、サンプラスは若く、いまだ非常に細く、そして目立たない存在―――私を認識する社会性のいささか低い傾向にある者たちと同類―――だったが、1990年USオープンで挙げた結果により、全世界を驚かせた。それとは異なり、こちらの世界では、彼の成功は期待されていた。

結果はすぐには出ないものだ。サンプラスは期待に添うよう努力するが、その年のオープンではイワン・レンドルを破る事に失敗する。その代わりに、彼は1992年オープンで躍進を遂げ、決勝戦でステファン・エドバーグを破る。君たちの現実世界でエドバーグに敗れた時には欠けていた、ハングリー精神を示したのだ。

1993年、強烈なサーブとグラウンドストロークのおかげで、彼はウィンブルドンとオープンで優勝し、ナンバー1の座に就く。ピークには、彼の素晴らしいサーブは速いサーフェスでも充分に成功をもたらし、今やグラウンドストロークも安定し、遅いコートでも実を結んでいる。特に1996年には。

君たちの現実では、その年ローラン・ギャロスで優勝には及ばなかった。トッド・マーチン、ジム・クーリエ、セルジ・ブルゲラには5セットで打ち勝ったものの、準決勝でエフゲニー・カフェルニコフに屈した。

しかしながら、この仮想の歴史では、彼はストレートセットでマーチンに、4セットでクーリエとブルゲラに打ち勝ち、カフェルニコフを片付けるだけのエネルギーを充分すぎるほど残している。次のラウンドで、彼は唯一のローラン・ギャロス・タイトルを獲得するのだ!

その意味では、彼は君たちに馴染みの現実世界でよりも、バランスのとれたキャリアを有している。しかしながら、そのバランスには、かなりの代償が伴っている。

君たちが知っている世界でのように、サンプラスは1998年に下降線を辿り始めた。現実世界では、彼のゲームは芝にお誂え向きで、さらに3回のウィンブルドン優勝を遂げるが、こちらの世界では、老化する偉人には頼みとなるサーフェスがない。芝ではゴラン・イワニセビッチやマーク・フィリポウシスといった強烈なサーバーに打ちすえられ、シーズン最後のUSオープンでは、たび重なる怪我に倒れる。1997年の後には、彼はメジャー優勝から遠ざかる。

グランドスラム・タイトルの新記録を達成する事は運命かと思われていたが、彼は10〜12(謝罪:この仮想現実に関する見解は、少しばかり曖昧である)のメジャー大会で挫折し続ける。彼は歴史上最も偉大な選手の1人として記録されるが、史上最高という地位は不確かである。

このバージョンのサンプラスは、やや華麗さに欠けるキャリアだった。だが君たちの知るサンプラスは、クレーコートにおける記録のため、履歴には欠落があった。2つのいずれがより良いだろうか? それを決定するのは君たちである。私はウォッチャーで、できるのは観察する事のみなのだ。


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