インサイドアウト・スポーツ&エンターテインメント
2009年2月15日
サンプラスは50歳のマッケンローに敬意を払うが、ボストン優勝をかけて彼を下す


ボストン―――2009年アウトバック・チャンピオンズ・シリーズ開幕戦のボストンで、ピート・サンプラスは日曜日にジョン・マッケンローを7-6(10)、6-4で下し、タイトルを獲得した。この日はマッケンローにとって50回目の誕生日前日で、第1セットででは一時3-0リードとし、その後のタイブレークでも4つのセットポイントを握ったが、37歳のサンプラスを抑える事は不可能だった。

サンプラスは半世紀近くを生きてきたマッケンローを称賛するばかりだった。彼は1992年シーズン後に ATP ツアーの現役を退いてからも、17年間にわたって高レベルの競技テニスをしてきたのだ。

「ジョン・マッケンローは明日で50歳になる―――彼が今でもこれほど上手くプレーするとは、信じがたいほどだ。本当に畏敬の念を感じている」と、日曜日の決勝戦後にサンプラスは語った。「50歳であれほど動きが良いとは、驚くべき事だ。信じがたいほどだ。引退してからも、彼はコンスタントにプレーしてきた。今でも素晴らしい体調で、技も経験も物を言っている。コートでどうすべきかを知っている。かつてほど上手くは動けないが、50歳でこれほど良いプレーをするのは注目に値する事だ」

マッケンローは2008年のボストン大会で優勝し、アウトバック・チャンピオンズ・シリーズでは初となるタイトルを獲得したが、その途上でサンプラスを下している。さらに、昨年はアリゾナ州サプライズでも優勝を果たし、シリーズの年末チャンピオンを決定するスタンフォード・チャンピオンズ・ランキングで2位となった。

「私は持てるすべてを傾注した」と、サンプラスとの決勝戦についてマッケンローは語った。「状況が厳しくなる時、この男(サンプラス)は少しばかり勝ち方を知っているのだ。それが、彼が14のグランドスラムという信じ難いほどの優勝を果たした理由だ」

サンプラスは優勝賞金として60,000ドルを獲得した―――彼にとってシリーズ4回目の優勝である。マッケンローは準優勝賞金40,000ドルを獲得した。

「いい試合だった」とサンプラスは語った。「僕はスロースタートとなり、ブレークされてしまった。彼は良いプレーをしていて、サーブも良かった。僕はイーブンにして、タイブレークに持ち込む事ができた。サーブの調子はあまり良くなかったね。2回もダブルフォールトを犯したが、なんとか乗り切ったよ。良いテニスで、観客も楽しんでくれた。彼には称賛を送りたい。僕に対して実に良いプレーをした。今日は彼を負かすのが大変だったよ」

マッケンローは、今週は試合ごとにプレーが良くなっていったと語った。昨年11月初旬のアウトバック・チャンピオンズ・シリーズ最終戦以降は長く休んでいたので、ジミー・アリアスに勝利した金曜夜の試合は、腕が鈍っていて不出来だったと語った。

「3カ月間プレーをしなかったから、週末にはもっと好調になるだろうと考えていた」とマッケンローは語った。彼は30年前の1979年USオープンで、7つのメジャー・シングルス・タイトル中の初優勝を果たしている。「私の最高の試合は今日のものだと思った。敗れはしたが、今日は最高の試合をしたように感じた。良いボールを打っていると感じていた。彼のサーブは読むのが難しかったが、私はブレークを果たした。相応に速いコートでブレークを果たした時は、その者がセットを勝ち取るべきだとも言える」

準決勝で敗れたジム・クーリエは、土曜日のマッケンロー戦で痛めた背中のため、日曜日の3位決定戦に出場できなかった。したがってトッド・マーチンが大会3位の栄誉を得た。マーチンは日曜日、サンプラス - マッケンローの決勝戦に先だって行われたエキシビション・マッチで、マッツ・ビランデルを8-6で下した。

昨年、マッケンローはボストン大会の決勝戦でアーロン・クリックステインを破り、当シリーズ初のタイトルを獲得した。優勝への途上では、ラウンドロビンでサンプラス2-6、7-5、10-4(チャンピオンズ・タイブレーク)で下していた。サンプラスは2007年のボストン大会でタイトルを獲得し、ラウンドロビンでマッケンローに6-3、6-4で勝利している。



ボストン・ヘラルド.com
2009年2月16日
ピート・サンプラスは現在でも成功を収める
文:Rich Thompson


引退したピート・サンプラスは、必要とするほぼすべてを持っていた。

サンプラスは一生かかっても使い切れないほどの富を得て、14のグランドスラム・タイトルという驚異的な遺産を作り上げ、そして6年連続世界ナンバー1という記録を打ち立てた。

引退したサンプラスに唯一つ欠けていたもの、それはテニスだった。

アウトバック・チャンピオンズ・シリーズに参加する事で、サンプラスはその物足りなさを満足させた。そして昨日、彼はチャンピオンズカップ・ボストン大会のアガニス・アリーナで、前年チャンピオンのジョン・マッケンローをストレートセットで下し、タイトルを獲得した。

「テニスによって僕は活動的であり続け、シャープさを保ち、そして家庭でも準備すべき事に集中するんだ」とサンプラスは語った。

「引退後、僕は3年間ラケットを握らなかった。そして言わば身体も休ませていた。いくらか体重も増えたが、それはしっくりしなかった。3〜4カ月ごとにプレーするくらいが僕には良いようだ。それ以上に何かしたいとは思わないよ。今でも面白くて楽しいからね」

サンプラスは1970年代後期から80年代早期に、マッケンローの素晴らしい活躍を見ながら成長した。互いに全盛期の2人が試合をしたら、さぞかし魅力的なものになったであろうと承知している。

「僕はジョンに憧れていた。テニスに関する最初の思い出は彼だった」とサンプラスは語った。「ジョンは才能溢れる選手で、ゲームの歴史をひもとくと、最もユニークな選手とも言えるかも知れない。プレースタイル、ストロークの方法ゆえにね」

「独特だが、効果的だった。そしてあのサーブは、今日に至っても返球が難しい」

そして50回目の誕生日前日に、マッケンローは7度のウィンブルドン・チャンピオンに、その賛辞を裏切らない真剣勝負を提供した。

昨年マッケンローはこの大会でサンプラスを破り、優勝も果たした。そして今年も、ほとんど遜色のないプレーを披露した。

サンプラスは感銘を受けた。

「彼は今でも素晴らしい体調で、技も備えている。戦い方も心得ていて、経験豊かだ。いかにすべきかを知っている」とサンプラスは語った。

第1セットはマラソンの様相を呈した。サンプラスはセット、タイブレーク共に早い段階での劣勢を挽回し、セットを勝ち取ったのだ。マッケンローは効果的なサーブ&ボレーで最初の3ゲームを取り、サンプラスに先行した。

4-1ビハインドとなった後に、サンプラスは3ゲームを連続で取り、4-4で並んだ。

両者は次の4ゲームでサービスをキープし合い、タイブレークへと突入した。マッケンローは再び4-1リードとしたが、その後サンプラスが追いついた。結局、サンプラスが12-10でタイブレークを制した。

ようやく調子が上がってきたサンプラスは、第2セットを通して名高いパワーゲームを全開させ、絶えずマッケンローを守備に回らせた。

両者は最初の2ゲームをキープし合ったが、サンプラスは試合の主導権を握り始め、自分のサービスゲームはラブゲームでキープし、2-1リードとした。

マッケンローもサービスをキープして2-2としたが、しだいにペースを保つのにも苦労するようになっていった。次の2ゲームで、サンプラスは左利きの達人を突き放した。3本のエースを交えて3-2リードとすると、第6ゲームでは長い戦いの末にマッケンローをブレークしたのだ。

そのブレークはサンプラスに充分な余裕を与え、最終的に7-6、6-4でタイトルをも提供した。時が経とうが、彼が勝者であり続ける事を阻止はできないと証明したのだ。


*おまけの写真

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