ハンツビル・タイムズ
2009年2月17日
彼のゲームは痛みで疼いている
文:Bill Bryant


今、サンプラスの身体と心は「無理だ」と言う

メンフィス―――月曜夜にレイトン・ヒューイットと対戦する前、ピート・サンプラスは3日分の顎ひげを生やし、自分のゲームの現状については、背中と腕が疼いていると語った。

「僕は37歳だ。自分はシニアなんだなと時には感じるよ」とサンプラスは語った。30歳以上のシニアサーキットに出場してから数日と経っていなかった。

「だが、それでもサーブはまあまあ打てるよ」

14回のグランドスラム・チャンピオンは、それを証明する必要があるかのようだった。「ラケットクラブ」のスタジアムコートでエキシビション・マッチを心待ちにする満場の観客を前に、彼は最初の11本のファーストサーブのうち、10本を叩き込んだ。

「僕はサービスリターンに自信があるが、その何本かには触れられなかったよ」とヒューイットは後に語った。「彼は今でもビッグサーブを打つんだ」

しかしながら今夜、ヒューイットは(彼はリージョン・モーガン・キーガン・チャンピオンシップの本戦に出場している)さらに良いサーブを放った。より強烈ではなかったとしても。

2001年USオープン決勝(オーストラリア人が勝利した)の再現となる試合で、ヒューイットは常に時速125マイルに達するサーブを打ち、第1セットでは5 - 5でサンプラスをブレークする事に成功し、さらに第2セット第1ゲームでもブレークを果たし、7-5、6-4で勝利した。

14年間のキャリアを通じて容赦ない攻撃をしてきたサンプラスは、やはり素晴らしいキャリアを通して不屈の闘志を見せてきた対戦相手に出くわしたのだ。もしワイリー・コヨーテ(アメリカの人気アニメ『ルーニー・テューンズ』のキャラクター)がヒューイットをモデルに作られたら、ロード・ランナーのキャラクターは1回で生け捕りされていただろう。

「もう少し軽い雰囲気になるかと思っていた」とサンプラスは語った。「だが彼は全力で臨んできた」

ヒューイットに笑いを引き起こす気のない事がいつ分かったかと質問され、サンプラスは微笑んで「ウォームアップの最中に」と答えた。

元世界ナンバー1のヒューイットは、臀部手術から5カ月が経過したばかりである。そのために彼の順位は103位にまで急下降した。サンプラスと共にコートへ出る事は、確かに彼の歴史観に訴えかけるものはあったが、大勢の観客を前にプレーできる事は、ヒューイットの目下の展望にもアピールしたのだ。

「僕はこのところ充分な試合経験を積んでいないので、もう何大会か勝ちたいと思っている」とヒューイットは語った。彼は水曜夜に1回戦で第3シードのジェームズ・ブレイクと対戦する。「これは試合への素晴らしい練習になった。観客は興奮でざわめいていたよ」

サンプラスは2002年USオープン決勝戦で、長年のライバル、アンドレ・アガシに叙事詩的な勝利を収めた後、衆目から遠ざかった事で知られている。彼は3年以上が経った後に再び姿を現し、初のエキシビションに出場した。それ以来、散発的に―――時には壮観に、ロジャー・フェデラーを押し込み、勝利さえ挙げている―――大小のイベントでプレーをしてきた。

だがサンプラスは40歳になんなんとしている。本人も認めるところだが、彼はそれほど多くはコートに立たず、練習パートナーと本当のテニスをするように、2人の息子と Wii テニスをしている。

「僕はこつを掴んだと思うよ」と、サンプラスはビデオゲームについて語った。「息子たちはゲームが好きなんだ。恐らく、少しばかり過剰にね」

しかし、月曜日の午後に練習セッションで間近から彼のサーブを注視すると―――まさに我々はそうしたのだが――― サンプラスが鋭さを失っていない事は明確である。問題となるのは熱意である。

「1セット半くらいなら、僕は(ツアーで)競い合えるだろう」とサンプラスは語った。「今でもかなり良いレベルのプレーができる。だが、2日続けて2時間それをするのは? 身体がついていかない。気持ちもついていかないよ」

そして思い出す必要があるならば、ヒューイットのトップスピンロブは――― テニス界で最高と見なされている―――月曜夜に再三お見舞いされたのだ。

「『追いかけろ、ピストル』って感じのロブも1〜2本あったが、追いつかなかったよ」とサンプラスは語った。彼のオーバーヘッドは、テニス史上でも最高と目されていた。

「心はボールに追いつきたいと思うが、身体はまあ言わば『おい、気をつけろよ』と言っているんだ」

身体がかつてより疼くのは、言うまでもない。



メンフィス・コマーシャル・アピール
2009年2月17日
メンフィス・テニス1回戦:大いなる炎
サンプラスもヒューイットも、エキシビション・マッチでそれを消しはしない
文:Ron Higgins


37歳のピート・サンプラスが20代の頃を思う時、14回のグランドスラム優勝、4,300万ドルの賞金、6年連続で世界ナンバー1になった事などが鮮やかに甦る。

「サーブを打ってキレのあるボレーを打ち、動きもいい。自分のサービスゲームをキープできると、気分がいいね」とサンプラスは語った。彼は1996年にここ、メンフィスの大会でシングルス・タイトルを獲得している。

レイトン・ヒューイットが月曜日にラケットクラブのエキシビションでピート・サンプラスと対戦した時、彼の心には懐かしい思い出よりも気に掛けるべき事があった。ヒューイットは臀部の手術から復帰したばかりで、試合経験が必要だと言う。

「それが、僕が教わったプレー方法だ。心に火をつけて、攻撃的になるんだ」

それから、現実の分析がある。たとえば月曜日の夜にラケットクラブのエキシビションで、サンプラスがオーストラリアの現役プロ、レイトン・ヒューイットに7-5、6-4で敗れた対戦。ヒューイットはサンプラスよりほぼ9歳若い。

「『追いかけろ、ピストル』って感じのロブも1〜2本あった」と、サンプラスは笑いながら言った。「だが、追いつかなかったよ。心はボールに追いつきたいと思うが、身体は言うんだ。『おい、気をつけろよ。お前さんはもはや27歳じゃない』ってね」

それをヒューイットに納得させる事はできなかっただろう。

臀部の手術から5カ月が経過し、1週間後には28歳になるヒューイットは、あらゆる機会はフォームを取り戻すためと考えている。サンプラスを破って2001年USオープンのタイトルを獲得し、翌年にはウィンブルドンで優勝を果たし、2年連続で世界ナンバー1となった頃のフォームを取り戻すための機会と。

したがって、リージョン・モーガン・キーガン・チャンピオンシップとセルラー・サウス・カップ大会の初日に、会場を埋め尽くす4,755人の観客はエキシビションを見ているのだと考えていたが、ヒューイットは違った。

「この試合に出る依頼があった時、迷いはなかったよ」とヒューイットは語った。彼は水曜日に1回戦で、世界11位で第3シードのジェームズ・ブレイクと対戦する。「懐かしいひとときとしての良さもあったが、試合への素晴らしい練習になったよ。僕は調子を取り戻して、何大会か勝つ必要があるんだ」

それがサンプラスの見たものである。エキシビションは気軽な雰囲気になるのではないか、と彼は思っていたのだ。

「彼はウォームアップの時からボールを強打していた。微笑む事もなかった」と、サンプラスはヒューイットについて語った。「彼にとっては微妙な試合だ。引退して6年も経つ男と対戦し、彼は負ける事を望まないし、僕もばつの悪い思いはしたくないのだから」

「最初の2ゲームほど、彼とボールを打ち合って『オーケイ、行くぞ』と思った」

しばらくの間は、そうだった。第1セット第3ゲームでは4連続エース放ったりと、サンプラスのビッグサーブはヒューイットによくついていった。

しかしセットの終わりが近づくにつれて、サンプラスは少しばかり疲れを感じ始めた。年齢のためだったかも知れない。日曜日に2009年アウトバック・チャンピオンズ・シリーズ開幕戦のボストン大会でジョン・マッケンローと決勝戦を戦い、タイトルを獲得したという事実ゆえだったかも知れない。

「最初の2ゲームほど、彼はコーナーにエースを打ち込んでいた。『レイトンに関して、こういう記憶はないぞ』と思ったよ」とサンプラスは冗談を言った。「彼にはステロイドのテストをしてほしいね」

ヒューイットは第1セットの終わりでサンプラスのサーブをブレークして、6-5リードとした。そして振り返る事はなかった。

第2セットでは、第6ゲームでヒューイットの脇を抜く見事なダウン・ザ・ラインのフォアハンド・ウィナーを放つなど、サンプラスは幾ばくかの栄光の時を持った。しかしヒューイットは2本のエースで応え、そのゲームをキープして4-2リードとした。

「彼は今でもビッグショットを打つ」と、サンプラスについてヒューイットは語った。彼は年長の対戦相手に対して、勢いを保たねばならない事を承知していた。「僕はサービスリターンに自信があるが、触れられないものを返すのは無理だね」

しかし最後の最後まで、サンプラスは戦い続け、観客は彼を応援し続けた。彼はそのサポートに深い感謝の念を表した。

「素晴らしい気分だ」と、メンフィスの観客から示された好意についてサンプラスは語った。

「キャリアを通じて、世界最高の選手である時には、敬意は受けるが、あのようなサポートを受ける事はないよ」

「年齢を重ねるにつれて、そして負けが増え始めるにつれて、彼らは僕を声援してくれるようになっていった。(引退したプロゴルフ界の偉人、ジャック)ニクラウスが最後の数年間に、第18ラウンドで暖かい喝采を受けると感じたのと同様だよ」

「来年もここに戻ってきたいと思う」


情報館目次へ戻る  Homeへ戻る