デイリー・ブルーイン(カリフォルニア大学ロサンジェルス校学生新聞)
2009年7月27日
キング・オブ・スウィングは徐々に静まっている
文:Sara Salam


テニスの伝説的偉人ピート・サンプラスは家族との静かな生活から抜けだし、
LA テニスオープンでエキシビション・マッチを行う


プロサーキットにおけるテニスキャリアの間に、ピート・サンプラスは世界を巡る旅行者、記録の保持者、尊敬される運動選手となった。生活はクロスコートのサーブ、記者会見、チャーター機、ルームサービスを繰り返す目まぐるしさだった。

現在、サンプラスがエネルギーを集中させるのは、スポーツを取り巻く絶え間ない活気にではない。むしろ、ゴルフスウィングの向上、そして2人の息子クリスチャン、ライアンと共に過ごす事である。

しかしキング・オブ・スウィングには、今なおいささかのサーブが残っているようだ。

ロサンジェルス・テニスセンターでの最後のタイトルを獲得してから10年後、サンプラスは LA テニスオープンでのエキシビション・マッチのため、本日シュトラウス・スタジアムに戻ってくる。彼は同僚で友人、そして2度のグランドスラム・チャンピオン、マラト・サフィンと対戦するのだ。

引退して6年が経ち、「ピストル・ピート」は自分が全盛期のような第一級のサーブ&ボレー・スペシャリストではないと認める。37歳となり、彼の忍耐力と機敏さには、数々のタイトルに恵まれたキャリアを作り上げてきた激しさが不足しているのだ。サンプラスは時折エキシビションに出場し、スポーツとの生涯にわたる関係を持続している。

この穏健派的なアプローチは、彼の性に合うようだ。

「現在している事は、僕にはちょうどいいよ」とサンプラスは語った。「体調を保たせてくれる。時折プレーする事を今でも楽しんでいるよ」

サンプラスは心臓のドキドキ、アドレナリンの噴出を待ち望む観客をうならせる事ではなく、姿を見せて自身のサービスゲームをキープする事に意を配っている。彼は通常4カ月ごとに1試合をプレーする。したがって、熾烈な試合に耐え抜く体力増強はしてこなかった。

「現役の選手たちと対する時には、僕は良いプレーをしたいと考えている」とサンプラスは語った。「ばつの悪い思いはしたくないよ。1セットでも取れたら、有頂天だ。もし試合に勝つ事ができたら、さらに素晴らしいね」

サフィンはエキシビション・マッチについて、過去の競争を再現するのではなく、楽しむ事が眼目だと語った。

「おおかたは楽しみになるよ。僕は誰に何を証明する必要もないし、彼もそうだからね」とサフィンは語った。「ただプレーして、良き日々を思い出し、楽しみを味わう。そして観客も楽しんでほしいな」

ロサンジェルス・テニスセンターで、サンプラスは1999年に、当時はメルセデス・ベンツ・カップと銘打たれた ATP ツアー大会のタイトルを獲得した。彼の姉、ステラ・サンプラス・ウェブスターが現在、監督として UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)女子テニスチームの練習を行うのも、同じくこの場所である。

サンプラス・ウェブスターはピート・サンプラスの2歳年上で、家族と共に最初から最後まで、弟のキャリアを見守ってきた。姉弟は共にゲームに取り組み始め―――ピートが6歳、ステラは8歳だった―――ローリング・ヒルズ・エステートのジャック・クレーマー・クラブで、ジュニア向けの育成プログラムに参加した。

「お互いがいて、私たちは幸運だったわ」とサンプラス・ウェブスターは語った。

ピート・サンプラスが16歳でプロに転向した頃、ステラ・サンプラス・ウェブスターは UCLA のテニス部で、学生選手としてのキャリアを始めていた。

互いに厳しいスケジュールを抱え、彼ら2人が定期的に連絡を取り合うのは難しかったが、家族は常にサンプラスの試合について熟知しているようにした、とサンプラス・ウェブスターは語った。日常的な電話連絡を必要としたのは両親だったが、彼らはそれを得ていたと。

「私たちは、彼が出場するすべての大会を見守っていたわ」と彼女は言った。

サンプラスがニューヨークでUSオープンに出場する時には、サンプラス・ウェブスターは東海岸へ旅して弟と共に過ごし、さらに何らかの選手勧誘もしたものだった。

2002年に弟が最後のグランドスラム優勝を遂げた時も、彼女はフラッシングメドウにいて立ち会った。

サンプラス・ウェブスターは、サンプラスがプロキャリアの間に成し遂げた事、そしてスポットライトから身を引いて以降、人間的に成長していった事ほど誇りに感じるものはないと語った。

「彼は今、生活を楽しんでいて、その生活は少し変わってきた。彼が人間的に、そして父親として成長していくのは素晴らしいわ。彼が偉大なキャリアを持っている事が嬉しい。………彼は自分自身を誇りに感じるべきよ。彼はスターが遭遇する世界に巻き込まれなかった。………彼は自分に忠実なままでいたのだわ」

コーチの仕事を考えた事あるかどうか尋ねられ、彼は「自宅から携帯電話でだけならね」と答えた。

15年間を旅に明け暮れた後には、妻や子供たちと家庭で過ごす事が、彼にとって最高の恩典なのだ。

「彼は家族から離れるような事は何もしないでしょう」とサンプラス・ウェブスターは語った。「彼はいわばマイホーム型の人間よ」

最近サンプラスは、イギリスで2009年ウィンブルドン決勝戦を見るために住まいのあるロサンジェルスを離れ、自身の史上最多グランドスラム優勝記録が破られるのを目撃した。

ロジャー・フェデラー、大会優勝者は今や15のタイトルを保持している。

全盛期のサンプラスは、フェデラーを倒す事ができただろうか?

「僕を倒せる者がいたとは思わない………芝生では」とサンプラスは語った。「だが、彼をブレークするのは難しいよ。特に決勝戦でのように、50本ものエースを打っているとね。素晴らしい好敵手同士になっただろう」

さまざまな推論はさておき、サンプラスは自身を歴史上で最も成功した運動選手のキャリアを持つ1人―――たとえ史上最高ではないとしても―――とした。しかし現在、彼の視線はネットの向こう側にではなく、家族を育てる事に向けられている。

それでもなお、彼は何本かのサーブを放ち、何本かのエースを叩き出す時間を見いだしている。ただ時速135マイルを記録する事はないだけなのだ。


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