ブリーチャー・レポート(外野席からのレポート)
2009年11月23日
テニスの解釈:ピート・サンプラスのアスレティックな表現主義
文:antiMatter

2001年6月27日:ウィンブルドンでプレー中のピート・サンプラス。

テニスは時に、討論・論争といったものの対象となる。

熱心な論者が他者の論点における弱点を見いだそうとするように、プレーヤーは常に相手のゲームの穴を探る。あらゆるプレーヤーは、前回に見つけ出した欠点につけ込み、より良い戦法で次の戦いに備える。そのプロセスは決して終わらない。

人は様々な方法で争う。ある者は忍耐強く、苛酷さをじっとこらえて最後には難局を切り抜ける。またある者はしじゅう策略を巡らせ、思いも寄らない瞬間に反駁できないポイントを取り出す。そしてなお、すべてのカードを晒しているにも関わらず、ただただ圧倒する者も存在する。

通常、支配する意図は攻撃的な心理を伴って起こる。そして攻撃には通常、がむしゃらさが伴う。

ここに1人の男がいた。彼は全盛期に、そして恐らく歴史上でも、最も攻撃的なプレーヤーであった。彼はまた、同世代の最も冷静なプレーヤーとしても知られていた。

彼と対する時は常に、何がやって来るかを承知していた。彼の戦法をすべて知っていた。しかし何カ月も、何年も分析した後でさえ、勝利への三段論法を見いだす事は不可能だった。彼は次回もただ同じ戦法を披露し、そして相手は挫折感のうちに頭を振るしかなかった。

ピート・サンプラスはテニス史で最も優れたオールラウンド・ゲームを備えている。多分ロジャー・フェデラーの次に。このような変化に富んだゲームを持ちながらも、ピストルは根本的に異なった道を選んだ。彼は攻撃すると決めていたのだ。

それは、フェデラーが常に信じていた事を、サンプラスは常に証明しようとしているかのようだった。そして証明するというこの心理的要求は、サンプラスのゲームを引き立てていた。

その要求の強さは、彼があの捕らえがたいボールを追って走り、ランニング・フォアハンドのウィナーを叩き込む様、数々のエースを放つどん欲さ、空中に跳び上がってスラムダンクを爆発させる殺人本能によって際立った。もちろん、すべては無表情な顔と夢遊病者のごときボディ・ランゲージで為されたのだ。

彼は豊かな変化に富んだゲームのあらゆる要素を用い、それを1つの攻撃武器にとじ合わせた。しかし彼のゲーム全体に影響を与えた1つの独特な局面―――それは運動能力であった。

そう、それは彼が行うすべてにおいて、明らかに目についた―――彼の動き方。

彼がランニング・フォアハンドを打とうとする時、まるで疾走する機関車のように見えるが、なおトップスピードには達していない―――加速し続けているのだ。彼があのジャンピング・オーバーヘッド・スマッシュをする時、マイケル・ジョーダンと頭部をすげ替える事も可能だろう。そして、それがバスケットボールなのかテニスなのか、混乱するだろう。

彼の身体の重心は、それ自体が意思を持つかのように見えた。あたかも重心が空中へと動き、それに伴って身体全体が引き上げられ、脚は腰からぶら下がっているだけのようだった。一連の動きは、すべてがごく自然な事であると我々をだまして信じさせるかのようだった。まさに、脚がコート上に浮かぶ様は、時に文字どおり、彼が水の上を歩いているように見えた。

しかしピートの走りは、絹のように滑らかなものではなかった。それは完全に彼のゲームと調和していた。攻撃的であるためには、自分のストロークを信じる必要がある。そしてストロークは動きを信頼していた。ボールへ向かって常にフルスピードで動き、調整が必要なら、それは瞬く間になされた。特にネットへと向かう時には。彼は常に、ボールを打つポジションに着くべく正しい軌道にいた。

多くの場合、ピートは大きなストライド―――動きに対応しやすい伝統的な「ショート・ステップ」ではなく―――で走った。恐らく彼が走る事を知った時から。これはまさしく、彼のスラムダンクを NBA のゲームと完璧に調和させるものだ( Youtube を思い起こしてほしい)。

彼のゲームの純然たるスピード感は、ポイント間に彼がなす事と明確なコントラストを呈した―――サイドからサイドへと足を引きずるようにコートを歩き、肩は落ち、首は頭を支えきれないかのようにうなだれ、口は舌を内部に収める強さがないかのように半ば開いていた。

ポイント間の覚束ない歩みに取って代わる、ゲーム中の自信に満ちたスピードは、プレーをしたくないにも関わらず、なお並はずれた身のこなしで、競争では相手を上回る男について語っていた。それはサンプラスが対戦相手に伝えると決めたメッセージを伝えていた。

彼の引退後、カムバックする気があるかを尋ねられると、ピストルはこう答えた。再びナンバー1になりたいと思わない限り、カムバックする事はないと。

支配するという心理的要求―――自分がベストであると証明するためにプレーする心理的要求―――は、彼の攻撃的で威圧的なゲームに反映されていた。

サンプラスのゲーム解釈は不変のものであり、それは彼の対戦相手すべてを制圧するに充分であった。しかしそれは、攻撃的なベースライン・プレーヤーの揺るぎなさ、あるいはサーブ&ボレーヤーの揺るぎなさでもなかった。それは多次元的な揺るぎなさであった―――あらゆる武器を備えていたが、防御にはいっさい用いなかった。

テニスにおける1つの最も強力な戦法は、同じく最も表現豊かな戦法の中にあった。そして、そこに込められた感情の大半は、最も重要な構成要素のためにあった―――走る事。

ピストルより「ゲームにものを言わせる」というマントラに従って生きるアスリートを見つけるのは非常に難しいだろう。キング・オブ・スウィング。アスリートの皇帝。


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