スポーツ・キーダ
2009年12月20日
過去からのお楽しみ:サンプラス - アガシ、キャリア最高の試合
文:Rajat Jain

マカオでのサンプラスとアガシ。

この10年はテニスファンに、いつまでも記憶されるであろう多くの試合をもたらしてきたが、その大半がロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルの対戦であった。お気に入りの試合を1つだけ選ぶのは、困難な作業だ。2007・2008・2009年のウィンブルドン決勝、今年のオーストラリアン・オープン準決勝と決勝、フェデラー対アンドレ・アガシの2005年USオープン決勝………そのリストは果てしない。

しかしながら、私の記憶に今でも新しい、ほぼ10年前の試合がある。ピート・サンプラス対アガシの2001年USオープン準々決勝は、今もって個人的なお気に入りの筆頭である。

サンプラスとアガシは、もはや絶頂期にはいなかった。しかし彼らのライバル関係は、すでに伝説的なファンタジーとなっていた。彼らは31歳で、ドローに残っている最年長の選手だった。そして20,000人の騒々しい、クレージーなテニスファンが声援する中で、ホームコートの雰囲気を持つお気に入りのスタジアムでプレーしていた。

彼らのプレースタイルは、全くもって異なっていた。サンプラスは攻撃者で、稲妻のようなスピードでネットに詰め、常に素速くポイントを終わらせようとしていた。一方アガシは稲妻のように速い反射神経を持つベースライン・プレーヤーで、相手を左右に振って疲れさせる事を主な戦術としていた。

屈託のないくつろいだ人柄のサンプラスは、いまにも地に倒れ伏すかのように見えながら、ゆっくりと額から汗を拭っていたものだった。一方アガシはエネルギーに溢れ、汗をしたたらせてコートの周りを素速く歩き回っていた。

史上最高とも言えるサーブの持ち主であるサンプラスは、白のウェアを身につけて落ち着いた様子だった。最高のリターナーとも言えるアガシは、黒いウェアに身を包んでいた。

ニューヨークの灯火はざわついた雰囲気を補完し、演劇的ステージとアーサー・アッシュ・スタジアムの音響効果は壮麗さをいや増し、サーフェスは両チャンピオンに公平―――サンプラスの方がアガシより少し有利だが―――だった。そして選手自身も、時代を代表するスペクタルを提供した。

両者は互いのベストを引き出した。サンプラスのサーブはセンターライン上に打ち込まれ、ボールが広告板にぶつかると、耳をつんざくような反響音を生み出していた。アガシのリターンはベースラインからサンプラスの足元に向けて打たれ、息を呑むようなピートのボレーを引き出していた。

プレッシャーは凄まじく、アガシは強いて自らネットに襲いかかり、ピートに信じ難いほどのランニング・フォアハンドを打たせていた。

アガシはめったにアンフォースト・エラーを犯さず、一方サンプラスは楽にサービスゲームをキープしていた。そのような状態になると、激しい競り合いではあっても、通常のゲームでは2人のアメリカ人に差をつける事などできないのだ。

4セットすべてにブレークゲームは生まれず、タイブレークだけが2人の選手を分ける事となった。驚くべき事に、アガシは全48ゲームの間よりも、4つのタイブレークの間に多くのエラーを犯したのだった。第4セットの前に、観客はプレーの質を称えて2人の選手にスタンディング・オベーションを送った。

試合が終了しても、ジョン・マッケンローは自分が目撃したものを咀嚼しかねて、解説者席に10分以上も留まっていた。ファンは少しばかり貪欲で、試合が5セットで終わらなかった事に少々ガッカリしていた。

何年も後に、私はホームシアターで試合のビデオを見たが、10年前と同じく、はらはらドキドキする事ができたのだった。


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