ASAP スポーツ
2009年1月15日
リージョン・モーガン・キーガン・チャンピオンシップの記者会見
ピート・サンプラス


司会:本日はピートとの電話記者会見に、皆さんをご招待したいと思います。ピートは2009年のリージョン・モーガン・キーガン・チャンピオンシップに戻ってきて、2月16日、月曜日の18:30に元世界ナンバー1、レイトン・ヒューイットとエキシビション・マッチを行います。

ピートとレイトンは2001年USオープン決勝戦を含め、9回対戦しました。また、ピートはリージョン・モーガン・キーガンに6回出場し、1996年には優勝を果たしました。もちろん、彼は6年間にわたり年度末 ATP ナンバー1の座に就き、14のグランドスラム・タイトルを獲得したチャンピオンです。それでは電話記者会見を始める前に、ピーターとビルに引き継ぎましょう。

ビル・ラップ:本日は電話を受けてくださり、ありがとうございます。我々はあなたがメンフィスに戻ってくる事を、大いに歓迎しています。まずは2つの質問から始めましょう。1996年にメンフィスのラケットクラブで、トッド・マーティンを下して優勝した時の事を手短かに語ってもらえますか。さらに、2月16日にレイトン・ヒューイットと対戦する事についても、考えをお聞かせください。

ピート・サンプラス:はい、90年代にトッドに勝った時は、2人ともトップ10だったから、嬉しい勝利だった。メンフィスの出場をいつも楽しんでいたよ。ここのコートが好きだ。コートのスピードは中程度だった。ステイバックする事も、中に詰める事もできた。観客は素晴らしかった。くつろいだ雰囲気で、クラブのエネルギーが感じられた。

あそこでのプレーは楽しかったよ。残念ながら優勝は一度だけだったが、メンフィスでプレーするのは楽しみだ。戻るのが楽しみだよ。

Q. もちろん、バーベキューもですか、ピート?

ピート・サンプラス:
うん、バーベキュー、食物、ホスピタリティもね。あなたがロッカールームにいるから、僕はメンバーと連絡を取らなければ。僕やアンドレが再びプレーするのを、彼らは楽しみにしている。

ビル、もう1つの質問への答えだけど、レイトンとの対戦にはワクワクしている。もちろん彼は世界最高の1人で、打ち負かすのはとても難しいよ。特に現時点ではね。

僕の全盛期でも、彼との試合はタフだった。だから僕はうまくプレーして、競い合ったものにしたいな。もし1セットでも取れれば、有頂天さ。僕はただクラブに戻って人々に会い、そして良いテニスをする事を楽しみにしている。あそこで楽しい時を過ごすんだ。

Q. レイトンとの対戦のようなエキシビションに、今年はどれくらい参加する予定ですか?

ピート・サンプラス:
多くはない。恐らく何人かと対戦する。1カ月前にジェームズ・ブレイクと対戦したようにね。これまで3〜4回、現役選手と対戦してきた。メンフィスと、そしてサンノゼではジェームズ・ブレイクと対戦する予定だ。だからそれほど多くはないよ。

だが彼らはタフだ。僕はこのレベルではそれほどプレーしない。彼らは毎日プレーしている。彼らに対して自分のサービスゲームをキープする、今でもそのチャレンジを楽しんでいるよ。

だからそれを楽しみにしている。月曜日の夜はどうなるかな。あのクラブの親密さが好きだった。スタジアムは大きすぎず、観客の息吹を感じられた。だからとてもワクワクしているよ。

Q. それでは、メンフィスはあなたの人柄に合っているのですか?

ピート・サンプラス:
どういう意味?

Q. あなたはあそこの雰囲気について語りましたね?

ピート・サンプラス:
好きだったよ。半分埋まっている20,000席のスタジアムよりも、3,000〜4,000席が満員になっている所でプレーする方がいい。もっとエネルギーに満ちていて、観客を感じ取れるんだ。僕はそれを楽しんできた。僕の現役時、選手たちはメンフィスでプレーするのが好きだとコメントしていたよ。そしてコートのスピードは決して変わらなかった。優れた本物のハードコートだ。ベースラインからも有利だし、違った事をするのも可能だ。

すべてを総合して、僕が出場し、アンドレも数回プレーし、多くのトップ選手がプレーしている理由だと思う。

Q. 皆がフェデラーとナダルについて話をしている、それが言わば男子テニス界の現状です。アメリカでゲームが隆盛を取り戻すには、匹敵するアメリカ人のスターが必要だと思いますか? あるいは、あなたやアガシに対したように、アメリカ人はフェデラーとナダルを追うでしょうか?

ピート・サンプラス:
僕は―――まあ、昨年のウィンブルドンでの事を覚えているよね。アメリカのファンは本当にテニスを支持していたと思うよ。試合を通して視聴率は高かった。それが一過性の出来事でない事を望むよ。

だが少なくともフェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレーに匹敵するアメリカ人の存在があれば、もっといいだろう。アンディとジェームズはとても、とても優れた選手だ。だがあのレベルまでは行っていない。だから、トップ3に入ってメジャー大会で優勝したり決勝戦に進出するアメリカ人がいたら、スポーツ界に大きな影響を与える事がより容易になるだろう。

フェデラーとナダルのライバル関係は、素晴らしい役割を果たしてきた。だがこれから何年もの間、この国でテニスへの関心を高めていくかどうかは、よく分からない。アンディかジェームズ、あるいは新人の誰かが彼らに挑戦し、ライバルの1人になれる事が求められている。そうなるには数年かかる。だがアメリカのテニスは良い状態だよ。まだ本当のトップにはいないという事だ。

Q. アンディやジェームズの世代は、時機を失したでしょうか? 彼らがフェデラー、ナダル、ジョコビッチといった選手たちと同等のレベルに到達する事はできるでしょうか? あるいは、次の世代がそれを引き継がなければならないのでしょうか?

ピート・サンプラス:
まあ、今のところはジェームズやアンディを除かないよ。彼らは競っていると思う。メジャー大会ではダーク・ホース的な存在だ。一貫してとなると、彼らが長い期間、世界のトップ2でいられるほど優れているかどうかは分からない。だがそこここで、メジャー大会の脅威にはなれると思う。

だがそれより上の段階に到達し、ナンバー1になって1年に2つのメジャーで優勝するような事が起こるには、数年かかるかも知れない。ロジャーはもう何年か圧倒的でいると思う。そしてナダルは、恐らくもっと長く活躍するだろう。

アメリカのマスコミやファンは、僕やアンドレ、ジムが90年代にしてきた事でかなりスポイルされてきた。それを繰り返すのは厳しいよ。だから今は難しい時期と言える。

Q. 90年代におけるアメリカ・テニスの全盛期には、ランキング上位に優れたアメリカ人選手がたくさんいて、多くのメジャー大会に優勝してきました。それはラケット技術の革新に続いていたと私は考えています。グラファイトやストリングス、ラケット全体の重量バランス等について行った事です。

その時期に多くの優れたアメリカ人選手が輩出した理由の一端は、アメリカ人選手はその技術を取り入れたからであり、現在は世界が追いつき、より均等な状態にあると言えないでしょうか。そしてもっと速くアメリカ人選手がトップへ到達するためには、全体的にラケット、あるいはテニスの技術でさらなる革新が必要でしょうか?

ピート・サンプラス:
良い質問だね。バボラのラケット、ルキシロンのストリングスで、テクノロジーは限界まで来たと思うよ。ラケットの軽さ、パワー、ストリングスのコントロールについては、これ以上何もできない。素晴らしい組合わせだ。ナダルのラケットを見てごらん。まさに武器そのものだ。

だがもし何かあるとすれば、ヨーロッパの選手や南アメリカの選手が、このストリングス、そしてラケットとルキシロンの組合わせを見つけたのだと思う。アメリカの選手は、僕は85平方インチのラケットに旧式のガットを使っていたよ。今日ではウッドラケットのようなものだ。だから技術革新がアメリカ・テニスに影響を与えたとは思わない。ルキシロンのストリングスを導入したのは、ケリーが最初だったと思う。僕も現役時に、少し試してみたら良かったよ。

だから―――技術革新が影響したとは思わないね。偉大な選手は偉大な選手だ。あなたが何の技術に注目しているのか知らないが、最高の人はいつだってトップに上がると思うよ。たとえばロディックはすべての技術を備えていて、バボラのラケットとルキシロンのストリングスを使っている。そしてそれは彼が、言わばここまで到達する一助となった。明らかに、彼がロジャーやナダルのようにゲームのトップへ到達するためには、彼のゲームにもう少し何かを見いだす必要がある。

Q. テクノロジーは、ことによると、ゲームを損なうものでしたか? 私は時速120マイルのサーブが一大事であった時期を知りません。現在は時速140マイルです。ポイントは非常に速く終わり、テレビで試合を見ていると、うわーっ、彼はなんて速いサーブを打つんだという以外には、それ以上見るべきものはないようです。しかし平均的な視聴者が30〜40回もそれを見た後には、少しばかり生彩が薄れませんか?

ピート・サンプラス:
少しね。同時に、誰もがステイバックしていて、サーブ&ボレーはあまり見られない。最近のウィンブルドンを見ていると、強烈なサーブを打っても皆がステイバックしている。そしてラリーになる。

僕の時代には、テクノロジーはそれほど洗練されていなかったが、皆がサーブ&ボレーをして、ラリーはなかった。それは微妙な事柄だ。テクノロジーは、これ以上の何かはできないという時点まで至ったと思う。ラリーは見られると思うよ。誰も本格的にサーブ&ボレーをしていないからね。

Q. あなたがアメリカ人選手について語る時に、恐らく我々が知らない誰かで地平線に姿を現している者はいますか? 上昇途上にある選手ですか?

ピート・サンプラス:
僕はあまり知らないんだ。ロサンジェルスで何人かのジュニア、言わば若いプロとヒッティングをした事がある。スタンフォードに進む若者がいる。ライアン―――大柄な左利きの子供だ。彼の苗字は知らないな。だが、もし彼が次のレベルへ行く事を望むなら、潜在能力を持っていると思う。

ドナルド・ヤングに会った事がある。彼は良いね、才能がある。彼に世界のトップ30、20に食い込むだけの力があるかは分からない。少しばかり不充分だ。だが同時に、僕が新人の頃も、皆はあまり知らなかった。誰が伸びてくるかを語るの難しいよ。

だが、90年代のような集団はいないようだ。4人の男がトップ10に入り、ナンバー1を争い、そしてメジャー大会で優勝する。そんな事が再び起こるには、何年もかかるかも知れない。分からないよ。誰が引き継ごうとしているか、名前を挙げる事はできない。

Q. ツアー自体は昨年の後に若干の見直しを行い、異なったレベルに細分化しました。どのように評価しますか? ツアーについての考えは?

ピート・サンプラス:
僕は最新情報を掴んでいない。ゲームやツアー運営を追っていないんだ。僕がプレーしていた時にも、常に問題はあったよ。プレーしすぎているとか、あれこれ考えている人もいた。だが正直に言うと、僕はその質問に答える事ができない。何が進行しているのか、よく知らないんだ。

Q. チャンピオンズ・ツアーでプレーする事、それに関わる事について、テニスへ戻ろうと思い立ったのはどんな理由でしたか? 何が楽しくさせましたか?

ピート・サンプラス:
楽しいよ。引退して2〜3年を過ごし、スポーツに関しては大して何もしなかった。日々もう少し何かをしたい、少しヒッティングをしてより良い体調にしたいと感じたんだ。そして、あちらこちらで少しプレーしようと、まあ言わば自分を啓発した。

この2年間で、何回かプレーした。ヨーロッパの大会やジムのアウトバック・ツアーで試合をした。楽しかったよ。そういう事だ。それはテニスで、真剣勝負だ。だが死にもの狂いのテニスではない。

僕にとって本当に楽しいのは、メンフィスでレイトンと対戦したり、サンノゼでジェームズ・ブレイクと対戦するといった、現役選手との対戦だね。僕にはエキサイティングだよ。ロジャーとの試合は楽しかった。マジソン・スクウェア・ガーデンで行った試合もね。そういったものは、血を沸きたたせる。他の試合も楽しいよ。競技テニスだ。楽しいし、真剣になりすぎる事はないが、外に出て人生を実りあるものにするのは良い事だよ。

Q. 知りたいのですが、メンフィスが惹きつけるもの、そして戻って来る理由の一部に―――あなたは96年のメンフィス大会で優勝した同じ年に、脳腫瘍のためにコーチを失いました。あなたは今でもティム&トム・ガリクソン財団を持っています。そしてガンの慈善団体だけでなく他の慈善団体や、セント・ジュードの小児ガン団体と多くの仕事をしています。あなたにとって、それがこの都市と大会へのかなり強いアピールになっていると想像するのですが?

ピート・サンプラス:
そうだね、メンフィスとセント・ジュードの施設に行く時には、重要な事柄だ。メンフィス市にとって大きなチャリティの週だ。あそこでプレーする時にはいつも、人々が返礼してくれていると感じていた。だから再び返礼してメンフィスに出場するのは、いつだって嬉しいよ。慈善団体に、そして大会に援助するのは胸が躍る事だ。それにワクワクしているよ。

Q. あなたにとって新たな発見でしたか? あなたは何年も引きこもり、物事がどのように進展してきたか、あなたのキャリアがどのようであったかを言わば見てきました。注目、そしてたくさんの人々が今でもあなたについて来て、あなたが何をしているかに関心を払うという事実に、驚きますか? 現時点では圧倒されますか?

ピート・サンプラス:
ええ、まあ、面映ゆい事だね。毎日の生活では家で子供たちが周りを駆け巡っていて―――自分のキャリアについて考える事はあまりないよ。言わば日々の生活に振り回されている。シニア大会に出場するためにロンドンへ行った時だ。それが、僕が本当の意味で自分のウィンブルドンについて、キャリアについて考えた最初の時だった。独りで過ごし、過去を少しばかり追憶する。

だがコートに出てプレーし、観客から支持を受けるととても嬉しいよ。人々は僕がプレーするのを見てきたんだ。それをこの2年くらいの間に感じたが、素晴らしい事だ。僕は大いなるキャリアを過ごし、自分にできるすべてをした。そして人々はこの2年くらいにわたり、言わば僕を支援してくれているんだ。

Q. これまでに戦った試合で、最高のものはどれですか? お気に入りは?

ピート・サンプラス:
最もレベルが高いのは、6回目のウィンブルドン・タイトルをかけてアンドレを破った試合だったと思うよ。2000年か1999年だったと思う。それが恐らく―――メジャー大会の決勝ではナーバスになるから、ゾーン状態に入るのは普通より難しいんだ。だが第1セットの3-3、0-40から最後まで、僕はゾーン状態だった。ああいった状況では難しい事だが、いい時にすべてがピタッとはまったんだ。彼は恐らくキャリア最高のテニスをしていた。そして僕は、言わば彼を制圧した。練習では時々そういう事もできるが、ウィンブルドンの決勝戦でするのは容易じゃない。レベルの点でいうと、あの試合が恐らく最もハイレベルだったと思う。あの日の僕は、ただ手がつけられない状態だと感じていた。

Q. あなたのプレーで忘れられないものの1つは、スラムダンク・オーバーヘッドでした。あなたは跳び上がり、そしてボールはサーブ&ボレーをするあなたの目前にありました。あのショットはどのように身につけたのですか? 私はそこそこのジュニア選手でしたが、誰もやり方を教えてくれませんでした。できる限り模倣しようとしたのですが。どのようにあのショットを身につけたのですか? つまり、本当に、私があんな風にプレーしようと初めて試みた唯一の人は、あなたでした。

ピート・サンプラス:
ヤニック・ノアがしていたよ。僕が少年だった頃に彼のプレーを少し見たが、彼はあのショットを打ち、中へ詰め、そしてシザーズキック(ジャンプして片足を上げ、続いて他方の足を上げてボールを頭上でキックする)をしていた。僕は彼がそれをするのを見たんだ。そしてクラブでは、子供同士バスケットボールもしていた。僕はかなり上手くジャンプできた。

そして何であれ、僕は90年のUSオープンで初めてあのショットを打ったんだ。マッケンロー戦でだったが、サーブを打ったらフワリとした返球が来たので、ただそれをした。特に何も考えたりしなかった。練習した訳ではないんだ。たまたまだった。キャリアの後期には、少しばかり意図的にやったと思う。言わば対戦相手へのメッセージになると知っていたからね。観客は喜んでくれて、とても良かったよ。

タイミングと少しばかりの運動能力が必要だ。僕にはそれが備わっていた。それで僕はあのショットを身につけ、完成させた。そして観客は、あのショットがエキサイティングだと思ってくれたんだ。

Q. そうですね、あなたの対戦相手へのメッセージになっていますね。あなたはスラムダンク・ショットを打ち、すぐにきびすを返してストリングスを直し、そしてベースラインへと戻りました。ショットの後に拳を突き上げるような事は、ほとんどありませんでした。そのやり方のどれほどが、平静を保つためだったのですか? かけ引きはどれくらい、性格によるものはどれくらいでしたか?

ピート・サンプラス:
僕の性格の一端だったね。あのショットを打って、しつこくアピールしたりはしなかった。そして勝利のダンス、そっちの方が好きだった。観客も気に入ってくれた。それ以上にすべき事はなかったよ。打つのが楽しいショットだった。良いチャンスがあれば、それをするつもりでいた。もしなければ、それでもかまわなかった。

対戦相手に、僕は準備ができていると知らせるものだった。フレッシュで、ジャンプして、そして自分のゲームを進めているように感じるんだ。打つのが楽しいショットだと感じていた。観客を盛り上げるために、その後に何かする必要はなかった。あのショットを打つだけで充分だった。

Q. あなたはコート上だけでなく、コート外でも落ち着いていました。テニスでは精神的な準備が大いにものを言います。そのレベルでは、誰もが優秀な運動選手です。それを一貫してできて、日々戦いの場に臨める人々、そこに違いが生じます。名声に伴う気を散らせる物事は、どのくらい関わっていると言えますか? かつてアンドレがキャノン・カメラの新しいコマーシャルに登場するたびに、私は友人と、彼はランキングを20位くらい落とすぞと冗談を言い合ったものでした。トップレベルのテニス選手として、そういった気を散らせる物事はどれくらい影響を及ぼしましたか?

ピート・サンプラス:
両方をするのには慎重を要するよ。テニスでは、自分1人だ。うまくプレーしないと、負ける。有名人であり、そして―――トークショーに出演したりイメージを作ったりして、さらに世界最高のテニス選手になるエネルギーを保つのは、難しいよ。とても難しいと感じていた。

僕はただ、テニスの試合で勝つ事に集中した。自分を売り込む事には焦点を当てなかった。多分、もう少しできたかも知れない。だが僕は自分のイメージにも、キャリアに関してしている事にも満足していた。両方ともするのは難しい。それをできても、何かが崩壊するような気がする。僕の場合は、もし自分の P.R. に集中し始めたら、熱意を失うのではないかと不安だった。だから僕はかなり控えめにしておいたんだ。世界最高の選手になる事だけに心を砕いていた。

Q. どこかで読んだのですが、あなたが試合中にコート上で嘔吐したUSオープンの後に、現在ここメンフィスでタイガースの監督を務めるジョン・カリパリが、チームに話をするようあなたを連れていったとか。それは本当ですか?

ピート・サンプラス:
ああ、まいったな。彼はネッツを応援していた。ネッツの監督をしていたの?

Q. はい、そうです。

ピート・サンプラス:
僕もそこで観戦していて、それからタンパ周辺のどこかで練習をしていた。僕は子供ではないが、6フィート1インチだよ。そして彼は巨人ぞろいの場で、コートの真ん中に僕を出したがった。彼はあの時に何が起こったのか、そして僕がどのように感じたかについて質問をした。

この男は具合が悪くなり、けれども心意気と意志、そして自分を鼓舞するものを持っていたという事を、チームに示そうとしたのだと思う。ちょっときまりが悪かったよ。ジョンと少しばかり知り合いになれた。タンパに共通の友人がいたんだ。それは動機づけの訓練だった。彼は熱意に溢れた男で、選手から多くを引き出すために、言わば僕を使ってあの時の状況を語らせたんだ。

Q. 役目は果たせましたか? 一種の霊感を与える事項ですか? 見た者としてではなく、あなた自身がそれを乗り越えたという事実によって引きつけられた出来事でした。あの出来事を重要な核心として用いたのは、彼だけではないのでは?

ピート・サンプラス:
何人かのコーチが用いたり、人生上の何か他の行為について使われた。良かったよ。それほど感じていなかったが、何人かの運動選手への例となっているのかも知れない。自身が、そして意志がどれほど強いかといった精神的な教訓としてね。あの時、僕は消耗し尽くしていて、それでも試合を捨てなかった。多分それが教訓になるのだろう。

司会:今朝は参加してくれて、ありがとうございます。我々はメンフィスで共に仕事をするのを楽しみにしています。ピート、貴重な時間をありがとう。皆さん、ごきげんよう。


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