ブリーチャー・レポート(外野席からのレポート)
2009年4月22日
ピート・サンプラスは問題を自分自身で解決したのか?
文:Aaron Kumar


2002年USオープン決勝、ピート・サンプラスがオープンコートにバックハンドのボレーを決め、4セットでアンドレ・アガシを下して14回目のグランドスラム・タイトル、史上最多記録を打ち立てた時、彼は誰にも超えられないであろう高みに達した、と多くの者は考えた。

サンプラスはその後、試合に出場する事はなかった。彼は2003年ウィンブルドンに向けてトレーニングを開始したが、長きにわたって支配してきたスポーツで、望んだものはすべて成し遂げたと自覚したのだ。

皮肉な事に、21歳のロジャー・フェデラーが、ウィンブルドンで初のグランドスラム・タイトルを獲得したのは2003年だった。神聖な芝生におけるフェデラーの優勝は、スイス出身の巨匠の4年間にわたる支配の始まりだった。

フェデラーは毎回のように楽々とメジャー大会で優勝し、コートへ出るたびに記録更新へと向かっているように見えた。2006年と2007年には、あと1試合で同じ年に4つのメジャー大会すべてに優勝するところまで達した。

フェデラーがサンプラスを凌駕して史上最多グランドスラム優勝者になるのは、ただ時間の問題だと思われた。フェデラーがメジャー大会で優勝する確率を鑑みて、彼は14を抜き去り、さらに引退までには20以上のメジャー優勝を射止めであろうと多くの専門家は予測していた。

フェデラーは26歳の時に2007年USオープンで優勝(11回目のグランドスラム・タイトル)し、テニス界の最も高名な記録を破る途上にいまだあると思われた。

しかしながら2007年の終わりに、マドリッドとパリのマスターズシリーズ大会で、フェデラーは奮起したデビッド・ナルバンディアンに連続で敗北を喫した。ナルバンディアンはそのまま、両大会でタイトルを獲得したのだった。

多くの者はこれら2回の敗戦を一大事と受け止めたが、私はさほどの挫折とは見なさなかった。つまるところ、ナルバンディアンはフェデラーのキャリア初期における天敵であり、マドリッドとパリでは、同じくノバク・ジョコビッチ(1回)とラファエル・ナダル(2回)をも破った事を思い出すべきである。

フェデラーが上海に向かった時には、マドリッドとパリでの出来事を忘れる事ができた。彼はラウンドロビンでフェルナンド・ゴンザレスに敗れはしたが、4回目のマスターズカップ優勝を果たした。

秩序は回復された―――あるいはそう思われた。

マスターズカップの後、 フェデラーは東アジアに留まり、サンプラスと3回のエキシビション・マッチを行った。多くの者は2人のレジェンドの間で繰り広げられる3試合に興奮したが、現役選手にほとんど負けない世界ナンバー1選手が、引退からほぼ5年も経つプレーヤー(偉大な選手とはいえ)と対決する事に価値を見出さない者もいた。果たして競い合った試合になるのだろうか?と。

シリーズ1戦目では、メジャー大会と同様に、 フェデラーが3回の対決を圧勝するだろうと思われた。世界ナンバー1は、なるほどと思わせる6-3、6-4の勝利を収めた。

第2戦はやや競ったスコアとなった。ストレートセットで敗れたとはいえ、サンプラスは両セットともタイブレークまで持ち込んだ。

最終戦である第3戦では、サンプラスは思いもよらぬ事をやり遂げた。彼は7-6、6-4のストレートセットでロジャー・フェデラーを破ったのだ。サンプラスは正確無比のサーブと卓越したボレーで、時を逆戻りさせたのだった。

その試合を繰り返し見ると、サンプラスがこの勝利を獲得したという事に疑いはない。彼はテニス界のトップにいた頃のように、ネットをカバーし、そしてゲームを読んでいた。

フェデラーはサンプラスがまずく見える事を望まないので、最善を尽くさなかったのだという意見を私は耳にしていた。だが試合を見れば、フェデラーは見事なテニスをしたのが分かる。重要なポイントで及ばなかったというだけの問題だったのだ。

さらに、史上最高論議がされてきた中で、フェデラーが引退して5年も経つ選手に負けたがっていたなどとは、誰が本当に信じるだろうか? 我々は皆、その質問への答えを知っていると思う。

2人は昨年の早い時期に、マジソン・スクエア・ガーデンを舞台に「時代の対決」と名づけられた試合で再び対戦した。フェデラーが最終セットのタイブレークを制して試合に勝利したとはいえ、サンプラスは最終セットで5-2リードとしていたのだ―――それは恐らく、満足というにはあまりにも接戦の試合だっただろう。

フェデラーとサンプラスが対戦した4試合以降、フェデラーはグランドスラムで1回しか優勝しておらず、マスターズ1000ではタイトルがない。彼は確実にサンプラスの記録を破ると思われていたが、今やわずかに及ばないかも知れないと見えるまでに至った。

ジョン・マッケンローは、サンプラスに対するフェデラーの敗戦、および勝った試合でもアメリカの伝説的偉人と接戦だったという事実は、やはりフェデラーも無敵ではないのだという自信を他の選手たちに与えたと思う、と公言した。

私には、サンプラスが問題を自分自身で処理したように思える。

アメリカ人は自身の高名な記録を守るために、充分な事をしたのかも知れない。


読者調査
ピート・サンプラスはロジャー・フェデラーを破る事によって、自身の記録を守ったのだろうか?

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