ブリーチャー・レポート(外野席からのレポート)
2009年10月21日
2人の王のライバル関係:ピート・サンプラスとアンドレ・アガシ
文:Guganathan Muthusamy


彼らは1990年代にテニス界を支配した。現在、フェデラーとナダルが2人の王子であるなら、彼らはその前10年間の王だった。彼らとは、ほかでもないピストル・ピートとカリスマティック・アンドレである。

サンプラスは対戦成績で、アガシに20勝14敗とリードしている。サンプラスは1990年から2000年まで(6位だった1991年を除いて)毎年、トップ5以内で1年を終えた。一方アガシは、1988年から2005年まで、2年の例外(1993年は24位、1997年は122位)を除いてほぼ毎年トップ10内につけた。
彼らのゲームはいかなる意味においても、最上の好一対だった。サーブはピートの最高の武器であり、アンドレの主力はリターンだったのだ。彼らがそれぞれ、世界最高のサーバーとリターナーであったのは真実だ。彼らは共に、大きな弱点のないほぼ完璧なオールコート・ゲームを有していた。

彼らのいずれもが、ワン・トリック・ポニー(一芸だけに秀でた小物)ではなかった。唯一の相違は、サンプラスがサーブ&ボレーヤーであったのに対して、アガシはベースライン・プレーヤーであった。しかしその事実も、彼らのライバル関係に魅力を加えたのだ。ピストル・ピートの世界最高のファースト、セカンド・サーブをリターンする時、アンドレはしばしばベースライン上、あるいはその内側に立っていた。

サーフェスという点で見ると、彼らはクレーとハードコートでは接近した戦績だった。カーペットではピートが優勢だった。ピートが芝生の皇帝だった事に疑いはないが、彼らの対戦の1回(1993年ウィンブルドン準々決勝 )は5セットのフルセットだった。サーフェスごとの、彼らの対戦成績を見てみよう。

から
まで
サンプラス
アガシ
89年
1995年USオープン決勝戦
8
8
1995年USオープン決勝戦
1999年
9
3
2000年
2002年
3
3

2番目の期間にピートはハードコートで5勝3敗、カーペットで2勝0敗、芝生とクレーではそれぞれ1勝0敗である。

上の数字は、彼らが1995年USオープンから1999年までトップ選手ではあったものの、アガシはその1995年USオープン決勝戦での敗北によって、その10年間の後半は心理的に苦しんでいた(特にピートに対して)事を物語っている。個人的な問題もあって、1997年にはアガシはトップ100からも滑り落ちた。アガシはその年24試合しかプレーせず、当然サンプラスとの対戦もなかった。

もし彼が致命的となった1995年USオープン敗北を受け流していたなら、ライバル関係はいっそう接近した、さらに魅力的なものとなっていただろう。


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