妻のブリジット、息子のクリスチャンとライアンへ:
君たちは幾多のグランドスラム・タイトル、あるいはテニスの栄光にも
できなかった方法で私の人生を満たしてくれた


序文


僕がテニス界で過ごした人生や時代について本を書くというアイディアは、読者の皆さんにとって驚きだったかも知れないが、僕にとっても数年前にはおよそ縁遠いものに思われた。つまるところ、僕はラケットに物を言わせる男だった。目標に焦点を合わせ、グランドスラム・タイトルを求めて、ひたむきで規律正しい、修道僧のような生活を送ってきた男だった。そして私生活を守り、キャリアでも私生活でも論争やドラマを避けてきた男だった。

だが引退した選手としての生活が落ち着くにつれて、自分がどこにいたのか、何をしたかについて振り返る時間を多く持ち、僕のキャリアの物語は人々にインパクトを与えるかも知れないと考えるようになった。何よりも、家族は僕がテニス界でしてきた事に、興味や好奇心を抱くだろうと気づいた。僕がどんな様子だったか、僕の時代はどのようなものだったかを、もし息子たち(そして大きな広がりを持つ家族のメンバー)が経験し理解したいと望む時が来るなら、僕の目を通してそれを経験してほしいと思う。これを書いている現在、息子のクリスチャンとライアンは、ボールをまっすぐに投げる事ができるようになっている――それは僕自身の運動能力を示す最初の兆候だったと父のサムが語ったものだ。同じく僕のファン、そして一般的なテニスファンにも、僕の目を通してそれを見てもらえたらと思う。この本は僕が遺すものだ。

他の事もあった:世間のレーダーよりかなり低く飛ぶ能力は、僕のキャリアにとって大いに有益だった。集中を保ち、スポットライトの外にいる助けとなった。それは僕が望むあり方だった。だがそれは同時に、僕のキャリアは断片的にのみ認識されている事を意味した。僕はそれらすべての事柄をまとめて大局的に捉え、そして見過ごされてきた、あるいは注目されなかった関係性を整理するという趣向が気に入った。

この本を書く過程で、僕はかなり波乱の多いキャリアを過ごしてきた事に気づいた。それがキャリアを脅かす事はなかったが。最初のコーチは刑務所に収監された。成熟した僕のゲームが真に発揮されるのを助けてくれた恩師は、癌に冒され、若くして亡くなった。選手間で最も親密な友人の1人を悲劇的な事故で失った。ストレスから来る身体的問題と、少なくとも1つのキャリアを脅かす怪我を経験した ――史上最多グランドスラム・シングルス優勝者としてロイ・エマーソンを追い抜こうという時に。仲間の選手、そしてスポンサーやテニス界の権威とも、ちょっとした諍いを経験した。だが、多くの人々が気に留める事にはなっていない。それを幸いに思うし誇りにも感じるが、それらの出来事や事件の存在を認め、それが何を意味したか、そして僕にどう影響を及ぼしたかを明らかにしたいと思う。

とはいえ、これは昔の恨みを晴らす類の本ではない。僕の目標は、厳密に焦点を絞ったテニスの本を書く事だった――そしてまたゲームを、僕がプレーしていた時期を祝福するという意味を込めて、僕の物語を語る本だ。実のところ僕は、自分は自分、人は人、世の中は持ちつ持たれつという考えの男だ。物事に正面から取り組み、そして先へ進むというやり方を通してきた。

僕がテニスをしていたのは、広範な変革が起こった時期だった。国際的な競技レベルの爆発的な増大に始まり、用具の革命、ゲームの盛んな商業化、テニス界における最初のドーピング・スキャンダル、ゲームのスピードダウン――最愛の、そして僕が恐らくベストのプレーをした大会であるウィンブルドンでも始まったプロセス――といった事柄が含まれていた。

それはまた輝かしい時期だった。特にアメリカのテニスにとって。僕の世代には4人のグランドスラム・チャンピオン(マイケル・チャン、ジム・クーリエ、アンドレ・アガシ、僕)がいて、他の国にも恐るべき、そして断固たる何人かのライバルがいた。そのハイレベルな競争は継続され、今や親しい友人となったスイス人のロジャー・フェデラーが現れて、記録を破る勢いでグランドスラム・タイトルを獲得し続けている。様々な事が変わっていく中で、時はゆっくりと、あるいは早く流れるように思える。そして僕の物語を自分の言葉で記録として加える時が来た。

ボストン・レッドソックスの偉大なスラッガー、テッド・ウィリアムズはかつて、人生最大の望みは、通りを歩くと人々が自分を指さして「史上最高のバッターが行く」と言う事だ、と語った。キャリアの初期、僕は同様の心構えを身につけた。尊大だと思う人もいるかも知れない。だが真に頂点を極めるためには必要なエネルギー源なのだ。現役時代に重要な試合で競り合うさなか、決定的な場面でサービスラインに歩み寄り、立ち止まって雰囲気を深く感じ取る時があった。アドレナリンが燃え上がり、観客の方を見て、そして挑戦的に自分に言い聞かせたものだった。よし、皆さん、僕は自分が何者かを示そう、と。

チャンピオンはそういった攻撃性、競争心を持っている。その地位にはつきものである。それなくしては、背中に標的を負って長期間を生き延びる事はない。だが同じく、これも事実だ。我々のスポーツでは、ベストのプレーヤー、最も恐るべき競技者の多くは、紳士――潔いスポーツマン、模範――でもあるのだ。僕の時代の前にはロッド・レーバー、後にはロジャー・フェデラーがそうだ。

この本は、広範に、そして激しさは抑えた形で、僕が何者であるかを語る。

                              ロサンゼルス、2008年1月


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