第8章 1997〜1998年
ウィンブルドンは永遠に(3)


トッド・ウッドブリッジは1997年ウィンブルドンで、スラム大会におけるキャリア最高のシングルス成績を挙げた。準決勝に進出したのだ。トッドは史上最高のダブルス・プレーヤーの1人ではあるが、その技能をシングルに移し替える事には問題を抱えていた。彼は優れたテクニックと技巧を持ち、とても器用だった。だがパワーが不足していて、動きはさほど良くなかったのだ(ダブルスでは、コートの約半分だけを気に掛けていれば済むのだ)。トッドの弱点は僕の強みとなり、彼に対してはほとんど問題がなかった。いま再び、僕は決勝戦でセドリック・ピオリーンと相対していた。

セドリックを気の毒に感じた。彼は以前にもUSオープンで僕とグランドスラム決勝戦を戦ったとはいえ、今回は話が違った―――ウィンブルドンほど歴史を感じられる大会はないからだ。彼にかかるプレッシャーはなかった。僕は絶対的な優勝候補だったのだ。彼にとって最大のチャンスは、コートに出て、ただ思い切ってやる事にあった―――彼が何を失うというのか? だが、言うは易く行うは難しだ。

いま再び、USオープン決勝戦の時のように、セドリックは途方に暮れているようだった。僕は6ゲームを失っただけで最初の2セットを勝ち取った。絶好調で、授けられた才能に触れているような状態だった。試合が始まって数分しか経っていないように感じられたが、僕は第3セット5-4でサービング・フォー・ザ・チャンピオンシップを迎えていた。こう考えている自分がいた。うわぁ、なんて簡単なんだ、と。セドリックを軽視しているのではない。僕が予想していたよりもはるかに早く、そしてはるかに楽々と、試合は僕のラケットに委ねられていたという事だったのだ。

優勝まで2ポイントというところで、僕の頭にこんな事が浮かんだ。おい、すごいぞ、僕がしている事は―――これなんだ。ウィンブルドン。すごい………。だがすぐに、不安定な感覚に圧倒された。不安にさらされている者のように、パニックに陥った。こう考えたのだ。本当にそれほど簡単な事なのか? 何かを見のがしているのか? 結局すべては、何かの冗談かペテンだったとなるのか? それはまさに、素晴らしい夢のようだった。その中では自分が全能だと感じ、だが自分の一部は、いずれは目覚めて幻影は消え失せてしまうかも知れないと本能的に知っているのだ。

だが夢から目覚める事はなかった。僕は合計で10ゲームを失っただけで、ストレートセットで優勝のゴールを駆け抜けていた。僕のウィンブルドンの中で、最も波乱のない、あるいは最も意味の薄い大会にふさわしい終わり方だった。キャリアを通したライバルとの激戦も、決定的対決もなかった。それでもなお、1997年ウィンブルドンにおける僕のプレーは、ベストだったかも知れない。自分のゲームを完全にコントロールし、それを最も長い期間にわたって最大限まで活かしきったという観点では。1つの統計値がすべてを物語っていた。僕は118回のサービスゲームを行い、そのうち116ゲームをキープしたのだった。


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