第8章 1997〜1998年
ウィンブルドンは永遠に(2)


ヨーロッパのクレーコート・シーズンは散々だった。ピート・フィッシャーのスキャンダルは僕を打ちのめしていた。さらにスウェーデンのヨナス・ビヨルクマンが、クウィーンズ・クラブ大会から僕を放逐していた。だがウィンブルドンは………ウィンブルドンは別の話だった。それは僕にとって逃げ場となっていた。そして1997年、僕はそれを本当に必要としていたのだ。

ウィンブルドンでは、最初の3人の対戦相手を楽にクリアした。各5セットの試合で、平均して10ゲームを失っただけだった。つまり、相手が1ゲームを取る間に僕は3ゲームを取っていた事になる。かつては芝生で苦労してきて、将来も苦労するだろうが、1997年には、ゲームはただ………容易に感じられた。ライバルであるウィンブルドンの英雄、ボリス・ベッカーを準々決勝で倒した際も、とても容易に感じられたのだ。試合が終わって握手を交わした時、彼はネット際で驚くべき告白をした。彼は僕に、たったいま最後のウィンブルドン決勝戦を戦ったところだと言ったのだ―――彼は引退しようとしていた。

僕はその告白に凍りついた。彼は全盛期をわずかに過ぎていたとはいえ、引退まで考えているとは、思ってもみなかったのだ。後に、それは敗戦直後の感情であったと知った。どうやら、僕が圧倒的な試合をしていたので、彼は「なぜ思い悩む?」と考えたようだった。彼が1998年には心変わりして、ウィンブルドンに戻ってきたのは嬉しかった。

ウィンブルドンは儀礼と伝統に満ちた場所だが、僕が大会について最も愛しているのは、芝生で行うテニスの単純明快さだ。それは容易で自然だ。清らかで、優雅で、静かな舞台でプレーされる実質本意の仕事なのだ。「芝生のテニスは退屈である」という論争によって、ウィンブルドンがボールと芝の混合を変える事でゲームを遅くするようになった後でさえ、本質はそのままだった。そのプロセスは僕のキャリア後半にも進行中だったが、ほとんど気付かなかった。僕はウィンブルドン・キャリアの初めから終わりまで、サーブを基本とした攻撃的なテニスをしてきたのだ。

僕は芝生のテニスがサーブを基本としている(あるいは、していた)ところが好きだ。利己心から言っているのではない。歴史的にも、ゲームは常にサーブが基本だった―――サーブはテニスにおける最も重要なストロークなのだ。同じく、サーブに対しては自分が完全に主導権を握っている。サーブを始める時、ボールは動いていないからだ。スコアリング・システムを含めて、サーブ権のある側に大きな有利性があるという考えのもとに、ゲーム全体が構成されているのだ。

バックハンドやフォアハンドがどれほど優れているかは関係ない。セットを取る、あるいは試合に勝つ方法はただ1つだ。ブレークされるよりも多く、サービスをブレークしなければならないのだ。これはタイブレークが導入されてからの時代でも変わらない。タイブレークに勝つ唯一の方法は、少なくとも1本の「ミニブレーク」を取る事―――つまり、相手が自分のサーブで得るポイントよりも、自分が相手のサーブで少なくとも1ポイント多く勝ち取る事なのだ。コートが遅くなったこの時代には、優れたサーブが以前ほどには報われず、そのために現代のコーチや選手が、優れたサーブを持つ選手はそのショットを中心にゲーム全体を組み立てられるという事実を見落とすまでになっているのは、少し残念だ。

僕にとっては、サービスブレークの多い試合は、1回もブレークのない試合と同じくらい不満だ。素晴らしい試合というものは、決定的な場面が数える程(他のポイント全部を合わせたのと同じくらい面白いかも知れない)の試合だとのみ思われるからだ。本や映画には、ほんのひと握りの鍵となるシーンや意外な展開があるとされるのと同じような意味だ。

僕にとって芝のテニスは容易になってきたが、精神的には消耗するものでもあった。僕はチャンスを待ちながら、サーブを打ち、ボレーをし、リターンを返し、集中力を保ってポジティブであろうと努めていた。一筋の光がドアのすき間から漏れてくる好機に備えるよう努めた。パワー・プレーヤー同士が戦う芝生のテニスは、よく博打にたとえられた(ミハエル・シュティッヒ対ステファン・エドバーグの1991年ウィンブルドン準決勝では、試合全体でサービスブレークが1回しかなく、サーブをブレークされた男、シュティッヒが試合には勝つ事になったのだ! スコアは4-6、7-6、7-6、7-6だった)。だが勝つ事は、サイコロを転がす事では決してなかった。もっと適切なたとえは、僕の時代における芝生のテニスは、昔かたぎの西部劇のガンファイトだったのだ―――誰も自分が目をぱちくりさせたり、次の動きを気取られたり、あるいは、拳銃を引き抜く際に革の乗馬ズボンを引きずって、へまをやる側になりたくなかったのだ。

芝生の上では、またたく間に流れの変わる事がよくあった。ウィンブルドンほど、すべてのポイントがビッグポイントになる場所はなかった。ラケットを2〜3回振るだけでセットを取る事もよくあったからだ。ウィンブルドンでは、第1セットか第2セット序盤で放った1本の不用意なセカンドサーブがブレークに繋がり、それがそのまま試合を決するかも知れないのだ。芝生ではミスがひどく高くついた。サービスブレークは滅多になく、貴重だった。だから僕はそれを逃してしまうと、本当に自分に腹が立った―――1ゲームを勝ち取るチャンスを台なしにするのは、とても落胆する事だったのだ。

僕がウィンブルドンで圧倒的だった時代、芝生のテニスにおける「問題」は、ビッグサーバーがどんな相手をもコートから追い出してしまえる事だと言われたりした。だが実情は、ウィンブルドンに勝つためには、決してビッグサーブだけが重要な訳ではなかった。テニス界最大のビッグサーバーは、必ずしもウィンブルドンで優勝していない。タイトルを獲得した優れたサーバーの多くは、他のメジャーでも優勝していた。ゴラン・イワニセビッチはどこででも、サーブで僕をコートから追い出す事ができた。彼と対戦するのは恐ろしかった。それでもなお、彼はウィンブルドンで1回タイトルを勝ち取っただけで、それは彼のキャリアの晩年近くだった。ロスコ・タナー、オープン時代の最も破壊的なサーバーの1人は、1回のウィンブルドン決勝戦に進出しただけで、そしてビョルン・ボルグに敗れた。

実際、サーブ力を無効にして理論的には「平等な立場」のローラン・ギャロスよりも、ウィンブルドンはワン・スラム・ワンダー(1回限りの意外な優勝者)が少ないのだ。基本は、ビッグタイトルというものは、ほぼ常に偉大な選手によって勝ち取られるという事なのだ。彼らはより卓越した手腕(誰もが優れた基本のストロークを身につけている)と、最も強い心と精神を持ち、勝つすべを見いだすからだ。


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