第7章 1996年
戦士の時(2)


1996年のオーストラリアンでは、ティムが倒れた1年後のその日、あの出来事と結びつくあらゆる心の痛みが甦った。だからメルボルンを去り、すべてを済んだ事とするのにこだわりはなかった。アメリカに戻ると、ティムの病状は急速に悪化していた。僕はその事についてたびたび考え、自分が何を失おうとしているかをよく分かっていた。

向上し、自分のゲームを見極めようとがむしゃらな選手とは違い、トップのプレーヤーともなると、単に個々の技能を熟達させるためにコーチを雇う事はない。通常そういった事は、最初の6〜8カ月で整理がついた。その後は、どのように互いが交流し、影響を与え合うかがすべてだ。互いの信頼を構築する事、忠誠心がすべてなのだ。

ティムが倒れた時までに、我々の関係は芝生でのリターン、あるいはグランドスラム決勝戦に自信をもって臨むといった事を話し合うのとは違う段階に入っていた。だが彼が病気になるまでは、僕はその部分について大して考えていなかった。ティムは徐々に僕のより所―――僕の話し相手(どんな話題、程度であれ)、限定的ではあれど僕が打ち明け話をする相手になっていたのだ。

1996年の冬、僕は不安で、少し意気消沈していた。だがオーストラリアンでしくじった後、僕はサンノゼとメンフィスで2つの冬季室内大会の優勝を果たした。前者ではアンドレを6-2、6-3で一蹴した。だがメンフィスの後は、すべての記憶がぼやけている。ティムは死に向かっていた。それは「もしかしたら」ではなく、「いつ」という問題になっていた。僕は合衆国の大きな屋外ハードコート大会を上の空でやり過ごし、香港と東京では両大会に優勝して―――自分でも驚きだったが―――出場料を得た。

ヨーロッパのクレーコートシーズンが近づいてきていたが、ティムに残された時間はわずかとなっていた。ティムがコーチでポールが彼の意向を伝えるという我々のシステムは、完全に崩壊していた。ティムはすでに、明晰に考える能力を失うまでに至っていたからだ。彼と話をするのは困難になっていた―――何についても。その過程は胸の痛むものだった。僕の心理状態はプレーに影響を与えたが、それはティムがコーチの役割を果たせなくなっている事とは何も関係がなかった。その時までに、ポール・アナコーンとの関係はとても心地よいものになっていて、自分のゲームとそれへの取り組み方は素晴らしい状態だと感じていたのだ。

僕はシカゴのティムの自宅を何度も訪れた。最後に彼に会ったのは、彼が亡くなる何週間か前だったが、最も辛いものだった。彼は車椅子の中で自分の身体を支える事も難しくなっていた。髪は抜け落ち、顔はむくんでいた―――事実上、彼は死を待っている状態だった。空港へと向かうドライブで、僕は後部座席に座り、彼は運転手の横で車椅子に支えられていた。車が曲がるたびに、彼の身体は反対方向に傾いた。彼には何の力も残っていなかったのだ。僕に話しかける時には、僕の方を向くために身体全体を動かさなければならなかった。彼は言葉を発しようと苦労し、記憶は徐々に失われていた。ティムという人間を創り上げているすべてが、ゆっくりと、そして容赦なく、失われていたのだ。僕は飛行機に乗って窓越しに振り返り、そこに彼が独りぼっちでいるのを見た事を覚えている。僕もまた独りだった。ゆっくりと、涙が僕の頬を伝い始めた。

ティムは1996年5月3日に亡くなった。それは僕の人生で、家族の一員のような誰かを亡くした初めての経験だった。それまでは葬儀に列席した事さえなかったのだ。トム・ガリクソンが僕に、追悼会で話をするよう頼んだが、気が進まなかった。僕はトムに言った。「葬儀で自分がどうなってしまうか分からない。公の場でまた取り乱したくないんだ。この式典で僕が注目される事になってほしくない。だから今のところはノーと言うよ」と。だが葬儀の場で、たくさんの共通の友人や愛する家族に囲まれていると、自分が話をしなければならないと分かった。そうすべきだった。

僕は趣味と関心に対するティムの極端主義について話をした。彼はいつも自己啓発、あるいは精神的な含蓄を持つさまざまな本を読んでいた。断食、老荘哲学・道教、禅といった事柄に関する本を読んでいた。かつて我々がタンパの僕の自宅にいた時、ティムは唐突に7日で10ポンド体重を落とすと宣言した。彼は何かで、その方法を読んでいたのだ。そこで彼は地元のドラッグストアへ行き、水に混ぜて飲むとされる恐ろしげな暗緑色の飲み物を手に入れた。それは沼の緑藻か、ある種の藻類か何かに見えた―――そしてこの男はダイエット・コークの中毒だったのだ。6年間、毎日午前7時から午後10時まで我々は一緒に過ごしたが、ティムの手にはいつもコークの缶があるようだった。

そしてティムは沼の緑藻を酷評した。数秒後、彼は立ち上がって別の部屋へ行った。僕は彼が電話をかけるか何かする必要があるのだろうと思っていた。だが居間のテレビの音に交じって恐ろしげな音が聞こえてきて、ティムが吐いているのだと気づいた。その部屋へ走っていくと、彼はそこにいた。壁に向かって前かがみになり、紙のように青白い顔で、胸の悪くなるような緑の液体を吐き続けていたのだった。


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