第5章 1993〜1994年
炎の下に秘めた品位(2)


1993年のウィンブルドンを迎えるにあたり、僕は明らかな優勝候補の1人だったが、専門家やロンドンのブックメーカーの間では違った。今回、僕は期待に対しても不安を感じず、そして優勝したいと望んでいた。僕がティムを雇った時に掲げた主要な目標の1つは、芝生でのゲームを把握する事だった。そして我々は関係を結んだ始めから、様々な方法でそれに取り組んできた。クウィーンズ・クラブで早期敗退した事は、むしろ助けになると我々は考えた。それは、構築し直した僕のウィンブルドン・ゲームにおける最後の不備を解決するために、ほぼ2週間めいっぱいの貴重な追加の時間を得た事になるからだった。

兄のガスと僕が1989年に初めてウィンブルドンへとやって来た時、我々はまっすぐにセンターコートへ向かい、ただ座ってそのすべてを感じ取った。センターコート―――それは子供だった僕に非常に大きな影響を与えていたので、年月が流れて新人プロとなった僕は、その場所が本当に、現実に存在しているのを見てショックを受けたと言ってもよかった。それはガスと僕が想像していたよりもずっと小さかった。我々は10分間ほどそこに座って、誰もいない静かなスタジアムの光景に魅了され、心を奪う美しいエメラルドグリーンの芝生を見つめていた。ここは、我々がテレビで見ていた時に、ジョン・マッケンローが優勝した場所だった。ロッド・レーバーが試合をしていた場所だったのだ―――我が家の居間の壁で。

だが実際にその芝生でプレーするとなると、彼らのプレーを見ていただけの時とは違って、いささか問題があった。その問題は比較的単純だった。僕は容易にサービスをキープできるが、それでも7-6、7-6、7-6で試合に負ける事もあり得るという事だった。大げさに語られはするが、グラスコートのテニスはサーブがすべてなのではない。リターンこそが重要なのだ。僕のゲームはハードコートで発達してきた。そこではサーブ、特にセカンドサーブがものを言う。だが1990年代初期には、たいていのグラスコートでは、それでは足らなかった。特にサーブ&ボレー・テニスでサービスゲームを確実にキープするすべを知っている優れたグラスコート・プレーヤーに対しては。

芝生でのテニスは、サービスをキープして、なおかつ試合の結果を決定づける1回か2回のサービスブレークを、なんとかして行う方法を見いだす事がすべてだったのだ。もし相手が幸運にも1本か2本のリターンウィナーを放ち、そして自分がエラーをしたら………セットは終わりだ。それは五分五分の賭けのようだった。不当に思えた。初期の頃、僕を必要以上に悩ませたもう1つの事は、芝生ではボールがいつも不規則にバウンドする事だった。この問題はウィンブルドンの前哨戦や、本大会の後半戦ではいっそう顕著だった。頻繁に使用される事で、コートが荒れていくからだった。

関連した問題は、芝生の上ではいつもとは違う動きが必要な事だった。普段よりも屈み込んでプレーしなければならず、膝腱と背中にひどく負担がかかった。芝生でのバウンドは比較的低く、バウンドが予測しにくいからだ。多くの調整を要求されるのだが、その部分には対処できた―――身体的に柔軟で、最後の瞬間に変更する事にも対応できたからだ。また、芝生では強烈なサーブを持つどんな相手に対しても、数え切れないほどのパッシングショットを打つ必要があった。それは僕には馴染みのない事だった。他のコートでなら、僕のリターンとストロークで相手に攻撃させにくくする事ができたからだ。

これらが不平のリストだ。ティムと取り組み始めるまで、僕が芝生についていかに否定的であったかは、これくらいで充分だろう。ジョン・マッケンローは芝生についてではなく、イギリスの観客に対して苦労してきたが、その彼でさえ僕の態度を見とがめたのだ。1992年のある日、我々はアオランギ・パークの練習コートで、隣り合って練習していた。そして僕は芝生にいらいらし、ティムに不平をこぼしていた。僕はジョンが口の端で「その否定的な態度を改めなければな」と言うのを耳にした。今でも覚えている―――彼の言い方の何かが、僕の内部にある何かをカチリと動かしたのだ。

1993年のウィンブルドンを迎える2週間で、僕はついにグラスコートのテクニックを掴んだという感覚を持つに至った。それはすべて僕のリターンゲームにかかっていたのだ。すでにティムは、僕のスウィング、特にバックハンド・リターンのスウィングを短くさせていた。常に身体の前にラケットを保持するよう指導した。なぜなら大振りは言うまでもなく、バックスウィングをする時間的余裕など滅多になかったからだ。同じく、ボールをブロックして返すのに、相手のペースを利用するよう指摘した。芝生で相手が攻撃してくる時には、ただどちらかのサイドにボールを通すか、あるいは短い、ソフトなリターンを打って、相手にボレーをしにくくさせれば良いのだ。

ウィンブルドンの嵐が始まる前の平穏なひと時の間、我々はドリルや神経を張り詰めるような事は何もしていなかった。ひたすらリターンを磨く事に集中した。そしてティムは僕に、とりわけブレークされにくくあらねばならないと言い続けた。ティムは僕を自信に満ちた積極的なプレーヤーにするため、できる限りの事をしてくれた。それは芝生の上ではごくシンプルなものだった。そしてティムは、僕にとって最大の挑戦は、僕ならできると彼が承知している方法でプレーする自信と勇気を持つ事だと気づいていた。


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