スポーツ・イラストレイテッド
1997年7月14日号
誰が男の中の男か?
文:Michael Farber


哀しいかな、大衆の秘蔵っ子がピート・サンプラスのような
称賛に値するチャンピオンである事は、滅多にないのだ


ピート・サンプラスは魔法使いのようにサーブを放ち、防水シートより上手くコートをカバーし、凶悪なまでの意志を持ってグラウンドストロークを強打し、そして5年間で4度目となるウィンブルドンのシングルス・タイトルを楽々と手に入れた。ロッド・レーバーと他に2人の男だけが住まう、テニス史におけるあの黄金の場所へとさらに忍び寄った。サンプラスは合衆国の大衆がスポーツ・ヒーローに求めるすべて―――才能に恵まれ、高潔で、謙虚で、ハンサム―――を備えている。しかしそれが、一般人が彼をあまり好きでない理由なのだ。もちろん、その責任はスターにあるのではなく、ファンにある。日曜日、サンプラスはセドリックという名前のフランス男を楽々と倒した。しかしチャンピオンがその穏やかな流儀を変えない限り、彼は決して「男の中の男」とはならないのだ。

さて、けた外れの才能という条件を考えると、サンプラスは男っぽいと言えるかも知れない。しかし彼はライン判定への抗議もしたがらず、その定義から自らを排除する(たとえ抗議する時でも、眉を上げ、思わせぶりに囁くだけだ)。彼は短い、適切な勝利のスピーチを述べ、クイーンズクラブのコートであれセンターコートであれ、あたかも自宅にいるかのように振る舞う。彼のとる態度(attitude)は、かつては申し分のない健全な態度と呼ばれたもので、けんか腰(attitude)ではない。サンプラスは10のグランドスラム・シングルス・タイトルを持っている。しかし attitude には全くもって欠けている―――例えば、アンドレ・アガシとは違って。

アガシは極めつきの男であるばかりか、「男の中の男」の名誉の殿堂に選出される第1候補である。2年前にコスチュームすべてを投げ捨てる前でさえ、アガシは汗臭いシャツをスタンドに投げ入れていた。彼はカッコいい髪型をして派手なコマーシャルに出演するホットなプレーヤーだった。大衆は彼に群がった。それには心理的な力を要し、すべてはアガシのバンダナ頭にかかっていた。サンプラスはスマートなテニスプレーヤーという風情だったが、アガシにはスタイルがあり、その方がより重要な事に見えたからだ。もちろん、アガシは今年ウィンブルドンを欠場した。彼は5月以降3大会を欠場し、昨年8月の ATP チャンピオンシップ以来、大会優勝がない。近頃アガシをテニスコート上で目にする唯一のチャンスは、清涼飲料か何かのコマーシャルのために、彼がショットを追って飛びついている時だけだ。いつかメジャー大会について孫に話す時、彼はこれらを数え上げる事ができるだろう:ナイキ、キャノン、マウンテン・デュー………。

ジョン・デイリーは間違いなくそのもので、たとえ彼のゲームはそうでなくとも、アル中には治療を必要としたゴルファーである。ここに18ホールのみならず、19ホール目もプレーする事のできる男がいた。思いっきりかっ飛ばせ(Grip it and rip it. ゴルフ用語。ジョン・デイリーのホームページのサブタイトルにも使われている)。アメリカ人は1991年の全米プロゴルフ選手権でデイリーの勝利をひと目見るや、メロンサイズのヘッドを付けたドライバーに1カ月分の家賃を費やした。デイリーはドライバーを豪快に打つと、男の中の男だ!と怒鳴るために、実際にあなたをロープ際まで呼び寄せた。あなたはトム・レーマン(1959年生まれのアメリカ・ミネソタ州出身のプロゴルファー。1996年の全英オープン優勝者で、この年にPGAツアーの年間賞金王になった)に、男の中の男だ! と叫んだりするだろうか? 彼は(チノパンツで有名な)ドッカーズ・ブランドを身につけている。ドッカーズを身につける人々は多くのものになり得る―――当然ながら、男の中の男以外ならば。ニック・プライス、スティーブ・エルキントン、さらに他のすべてのゴルファーはフェアウェイとグリーンに達していた。しかしそこにあるのは、大衆にはウンザリの退屈な優秀さだけだった。奴らには330ヤードのドライブと、時折メチャクチャにされるモーテルの部屋をくれてやれ。6月、デイリーは全米オープンにいた。彼を見つけるためには、彼が第2ラウンドで自分のクラブとキャディーを置き去りにする前に、走り回らなければならなかったが。それ以来、彼の姿をツアーで見かけていない。

デニス・ロッドマン、彼は今のところ、明らかに男の中の男だ。あるいは女の中の女か? 大衆は彼の道化た振る舞いを買い、彼の本を買った。あるいは少なくとも、合衆国で最も影響力を持つ文芸評論家のオプラ・ウィンフィリーが、彼を自分のショーから出入り禁止にするまでは。ロッドマンは反逆児、リバウンダー、自傷行為をする者、そしてアメリカ人が愛しいと考えるその他もろもろであった。それが NBA ファイナルの最中に、シカゴ・ブルズ戦で彼が今でも時折テレビに特別出演する理由である。

神の福音をとうとうと弁ずるイベンダー・ホリフィールドは、ヘビー級チャンピオンである。しかし先月ラスベガスで行われたマイク・タイソン戦の賭けでは、本命ではなかった。マイク・タイソン、彼はゴタゴタが何より好きな男の中の男だった。アイアン・マイクは地球上で最悪の男だった。したがってレイプ罪で3年間服役した後、95年8月にキャリアを再開してからは、トマト缶以外の何に噛みつこうと、ほとんど問題ではなかった。タイソンには究極の男臭さがあり、ホリフィールドへの噛みつき事件によるライセンス停止処分が解かれ、再びキャリアを復活させる時、金を払う大衆を間違いなくエキサイトさせる神の恩寵を受けているのだ。

時にアメリカのファンは、申し分のない男―――マイケル・ジョーダン(彼は謙虚さを発散させている訳ではない)、ウェイン・グレツキー、カル・リプケン・ジュニア、レジー・ホワイト、そして最近ではタイガー・ウッズ―――を支持する。これまでのところウッズの振る舞いからは、男の中の男だ!的な叫びは排除されている。しかしアメリカのファンは、遺憾ながら天賦の才ではなくけばけばしさを、理想よりもむしろ奇異なイメージを選択しすぎる。哀れ、退屈なピート・サンプラスよ。完璧な世界でなら、彼の見事なウィンブルドンでの勝ちっぷりは、テニス状況に関する死亡記事などではなく、賞賛の的となるであろう。

きっと物語の教訓は、男の中の男だ!と金切り声を上げたくなるアスリートについて、もし何かあるなら、恐らくそれは彼でないという事なのだろう。


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