スポーツ・イラストレイテッド
1994年9月5日号
ナチュラル・ボーン・キラー―――生まれついての殺し屋
文:Sally Jenkins


ピート・サンプラスは超然としているように見える。
しかし彼は、コート上で全ての挑戦者を殺す事を渇望しているのだ

慎重に抑制されてはいるが、ピート・サンプラスの性格の奥底には、機知に富んだ話し上手な一面、少しばかり神経症的で非常に短気な一面、それと、そうではないと非難されるが実はそうである全ての面が秘められている。それらは感じの良い爽やかな若者の一面により、奥へ押し込められているのだ。

時々、そういう一面が顔を出す―――サンプラスが夕食に出かけ、食事を待たなければならないような時に。彼はイライラし始め、10分後にはあの有名な行儀良さはボロボロになり、そして彼は言う。「忌々しい食べ物はどこにあるんだ?」

外観上はそう見えるからと、彼を、彼自身が言っているような「感じの良い標準的な若い男」以外の何者でもないと思うのなら、恐らくサンプラスには2種類の血流があるのだろう。もちろん、サンプラスはナイスガイであり、確かにノーマルに見える。しかし彼の兄、ガスが言うように、「ピートが感じよく接するからといって、その人の事を本当に好きであるとは限らない」

ただの感じの良い標準的な男は、23歳で5つのグランドスラム・タイトルを持っていたりはしない。トニー・ベネットがバックで歌う、スマートなコマーシャルに出たりはしない。7歳の時から天才児だったりしない。実際には1人のマッド・サイエンティストによって創造されたのだ。

ただのナイスガイはジョージ・スタインブレナーやヴィタス・ゲルレイティスを友人とは呼ばない。デビッド・レッターマン・ショーに出演したりもしない。ただのナイスガイは不朽の名声を追い求めたりしない。そしてテニスの試合での敗戦を、まるで家族に死のように見なしたりはしない。もちろん、サンプラスは常に握手するし、決してラケットを投げたりしない。「でも心の奥では、僕がやろうとしているのは、相手のお尻を蹴っ飛ばす事さ。ナイスな方法でね」と彼は言う。

もしサンプラスがただの感じいい、標準的な男であったら、恐らくどこかで同世代の仲間と一緒に、ステージのすぐ前でくねくね踊っているか、あるいはコンピュータのハッキングでもしているだろう。

その代わりに、彼はチェック柄のショートパンツと青いデッキシューズを履いて、今年の大会が始まる前、人けのないウィンブルドンの会場をぶらぶら歩いていた。サンプラスは角を曲がり、ロッド・レーバーとケン・ローズウォールが打ち合っているのをふと見つけた。サンプラスは少年の頃から、レーバーとローズウォールの名前を口にし、彼らのようになりたいと思っていたのだ。

サンプラスはバッグを置き、ラケットを取り出して手で叩いた。レーバーとローズウォールに招かれ、彼はソックス無しでナイキのシューズを履き、コートに入っていった。クラブの服装規定をおよそ40くらいは破っていた。レーバーがクロスへバックハンドを送った。サンプラスは追いかけ、ビンテージ物のランニング・フォアハンドを打ち返し、チョークの粉を舞い上げた。「お見事」レーバーが言った。

サンプラスがレーバーのスタイルと―――ヘアスタイルではなく―――その不滅の業績を手本とするのにこだわる事は、彼が退屈であると決めつけられる理由の1つである。そういう見方では、サンプラスの全体は理解できない。サンプラスは自分を駆り立て、取り憑かれてさえいる若者だ。大胆にも歴史に手を伸ばし、それをレーバー、マイケル・ジョーダン、ジョー・モンタナ、ウェイン・グレツキーのように、一世代に1回現れるかどうかというたぐいの、身体的な優雅さと才能でやってのけようとしているのだ。

だからサンプラスを彼の同世代と比較するのはやめたまえ。彼には同世代で比較できる人はいない。2位のゴラン・イワニセビッチのような男と比べるのは見当違いである。サンプラスはウィンブルドン決勝でイワニセビッチをストレートで下し、そしてUSオープンに入る今週のランキングでは、2,223ポイントという驚くべきリードをイワニセビッチにつけた。

サンプラスは既にボリス・ベッカーの持つ5つのグランドスラム・タイトルに並び、ジョン・マッケンローの7つ、ジミー・コナーズの8つに迫っている。そしてゴールである、レーバーの11個のほぼ中間まで来ている。サンプラスの唯一の真の競争相手は、記録である。「年齢を重ねるにつれて、それを信じるようになる」と彼は言う。

しかし業績は粋ではない。反抗こそがそうである。そしてサンプラスは一度も反抗的だった事がない。最も近いのは、若者らしい少しばかりの疎外感であった。それはなぜ『ライ麦でつかまえて』が彼の愛読書で、彼のモットーがホールデン・コールフィールドの「誰にも何も言うな」であるかを説明している。

サンプラスはプライベートを守り、大望を抱くがゆえに、空しい評判しか得てこなかった。それは不当である。「誰もそれほど単純ではない」と、彼のゴルフの相棒ゲルレイティスは言う。

サンプラスは正々堂々と因習を打破する。皆が叫ぶ一方で、サンプラスは囁くのを好む。スターは派手なだけで空っぽと見なす事で気分が良くなるような、大衆にとってのカタルシスを彼は持とうとしない。それは退屈というのだろうか? 「時々、おそらく僕は退屈な奴じゃないと思う事があるよ」とサンプラスは言う。そんな風に、彼はあなたが考えるより頭が切れる事を証明している。

サンプラスは自分の神経症的な面をひけらかしたりしないが、彼にはそういう面もある。彼の睡眠を見てみよう。どんな状況の下でも、彼の睡眠を妨げてはいけない。「確かに睡眠については神経症的だよ」と彼は言う。「僕はワールドクラスの眠り屋だ。こだわりがある」

完璧な状態なら、サンプラスは11時間眠る事ができる。しかしそれは「姫とエンドウ豆」のように厳格なものである。部屋は完全に真っ暗でなければならない。もし時計にライトがついていたら、彼はそれをタオルで覆う。同じくテレビの赤いライトも、覆い隠されていなければならない。彼はしっかりカーテンを引き、次に室温をひんやりした洞窟の中のように下げる。「室温で汗をかくんだ」と彼は言う。ようやく彼はベッドに入る―――シーツは皺一つなく、ピンとしていなければならない。

もう1つ必要条件がある。「誰も僕に触れてはいけない」彼と同居している恋人のデレイナ・マルケイは、充分な距離を取らされる。「ニュートラル・コーナー」と彼は宣言する。

それで、真実のサンプラスは、今みんなを愉快にしただろうか?

歳より大人びた超然たる態度に隠されているが、サンプラスは感情と気まぐれ以外の何ものでもない。彼は犬を怖がる。それは真の恐怖症である。彼の胃は気分屋だ。彼の足も。しょっちゅう腱炎に悩まされ、極度に固いスニーカーのサポートを必要とする。

サンプラスの足はとてもデリケートなので、この夏ツアーから6週間の離脱をしなければならなかった。そしてウィンブルドン優勝以降は、デビスカップで2試合プレーしただけでUSオープンに参加した。

ウィンブルドン優勝の5日後、レッターマン・ショーに出演した時、サンプラスは気の利いた振る舞いが、彼の堅物ぶりの下に潜んでいる事を明らかにした。

彼はアンドレ・アガシを声援するバーブラ・ストライザンドの物真似をして、ホストを笑わせた。「カモン、ドレ。カモン、ハニー」と、サンプラスは甘ったるい声を出してみせた。

それでも、なぜ「退屈」というレッテルが貼られているのか、サンプラスは理解している。「人々は今日、論争を欲している」と彼は言う。サンプラスは鬱病に見えかねない様子と、およそ出しゃばらない態度しか見せない。彼がうなだれて通り過ぎる時、ほとんどの人が「あれが彼? おいおい、私のラブラドール犬みたいじゃないか」と思うだろう。「誰かを見て、その人が痛烈だと、人々は彼らを天才だと思う」とサンプラスは言う。「僕に会っても、そうは思わないだろうね」

時には、サンプラスは気付かれさえしない。昨年、ロサンジェルスからタンパへ戻るフライトの際、ファーストクラスの座席でリラックスしていた時、彼は自分がバリー・ボンズのすぐ後ろにいる事に気付いた。「彼のイヤリングで分かったんだ」とサンプラスは言う。ボンズはサインをし、通路を挟んでサンプラスの向こう側の男と談笑していた。ついにボンズはサンプラスに一瞥をくれた。サンプラスは気付かれるのを待った。ボンズは連れに向き直り、「もしこの子が動くなら、君はこちら側に座れるな」と言った。

サンプラスは無言で立ち上がり、席を代わった。4時間のフライトの間、彼はただ大人しく食事をし、映画を見た。「それは面白くて、奇妙で愉快だった。僕はそういうのが気に入っていた」と彼は言う。

サンプラスは名士ぶりを磨こうとも、目立たせようともしない。彼はただ落ち着きだけを求める。彼とマルケイは、タンパ郊外のゴルフコース上にある、快適な3寝室の家に住んでいる。その家は5,000平方フィートの広さだが、とりわけ豪華という訳ではない。必需品のプール、ビリヤードテーブルと金魚の池もあるが、隣の4倍の広さのウェイド・ボッグの家とは比べようもない。

サンプラスの賞金総額は10,273,112ドルで、さらに1年に推定200万ドルの契約金もあるが、彼はその富に殆ど手を付けない。彼はIMGのエージェントに「残りの人生に充分という事だけハッキリさせておいて」と言う。グランドスラム大会の優勝を祝うやり方さえ穏健である。彼は飛行機でタンパに戻り、「チェッカーズ」あるいは「ファドラッカーズ」でチーズバーガーに食らいつき、脂肪分の少ないトレーニング・ダイエットを滅茶苦茶にする。「そして彼は気持ちが悪くなる」と兄は言う。

サンプラスがシンプルな好みを持っているからといって、彼が退屈なわけではない。ゲルレイティス、あるいはヴィタス小父さん―――彼がユーモアを込めて呼ぶ―――との関係が示唆するように。内向的と思われているサンプラスと、お喋りで派手な元チャンピオンである40歳のゲルレイティスは、意外なペアである。2人の付き合いは数年前、フロリダのゴルフ練習場で始まった。サンプラスは16歳の時からツアーを回っているため、近しい仲間がおらず、彼との友情は主要なものとなってきた。「僕には高校で親しい友人がいなかった」とサンプラスは言う。「友人は必要だ。ヴィタスは僕が話をする事のできる人だ」

サンプラスは人との関係に慎重だ。「僕はおべっかを言うたくさんの人に出会った」と彼は言う。ゲルレイティスは腹心の友なだけでなく、この春はイタリアン・オープンで非公式のコーチングも行った。フルタイム・コーチのティム・ガリクソンが休暇中の事である。サンプラスはベッカーを圧倒して優勝した。

「ピートが静かすぎると批判されるのには、うんざりだよ」とゲルレイティスは言う。「それはただ物事に対処する彼のやり方なんだ。最近は、奇妙な性癖がないと、何かが間違っていると考えられるようだ」

サンプラスの最も強い結びつきは、マルケイとのものだ。30歳の彼女は、フロリダ州デランドのステットソン大学2年生で、法律を学んでいる。サンプラスとマルケイは、彼が19歳、彼女が26歳だった1990年、USオープン初優勝後に出会ったが、それ以来、中傷や親族の反対に耐えてきた。

サンプラスの家族を含む多くの人は、当初マルケイがサンプラスと交際する動機に、疑問を抱いていた。特に彼女はかつて、彼の元エージェントと付き合っていたからだ。

それはサンプラスの最初の真のロマンスだった。「デレイナは、一緒にいて心地よく感じる最初の女性だった」と彼は言う。「彼女は独立心があり、理解してくれる。僕は彼女のご機嫌を取らなくてもいいんだ」

その関係は、サンプラスに申し分のない良い影響を与えた。彼はさらに4つのグランドスラム・タイトルを勝ち取っただけではなく、高校の学位に相当する事について話をする。それはマルケイが強く心がけ、高校を中退したサンプラスが、後ろめたく感じる話題である。

サンプラスの教育の多くは、テニスに関しても他の事に関しても、ピート・フィッシャー博士の影響を受けてきた。彼はパロス・ベルデスの小児科医で、サンプラスのコーチであり、家庭教師でもあった。すべてのチャンピオンには、決して満足させる事のできない1人の人間がいる。サンプラスにとってそれはフィッシャーである。

未熟児の赤ん坊を救う事が仕事で、趣味はテニスという面白い男である。もしサンプラスが、彼の魅力的な面を見せるのに少し時間がかかったとすれば、それはある程度フィッシャーに責任がある。彼はサンプラスに、テニスコートでは「イン、アウト、スコア」の3つの言葉しか口にしてはならないと教えたのだ。

フィッシャーはサンプラスが9歳の時から、一緒にやってきた。フィッシャーはサンプラスに、コート上では何の感情も表すなと強く主張した。なぜなら彼は「最も恐しい男は、決して表現を変えない男である」と信じているからだ。フィッシャーはサンプラス家のダイニングルームでレーバーのフィルムを回し、ピートの目標として、レーバーの11のグランドスラム・タイトルを設定した。彼はピートを両手から片手のバックハンドに変え、ベースライン・プレーヤーからサーブ&ボレーヤーに改造した。そしてあの読めないサービス・モーションを身に付けさせた。

しかし、サンプラスが18歳で、彼のホールデン・コールフィールド期がピークの時、彼らは別れた。サンプラスは粗っぽくなり、もっと悪い事に、トレーニングしなくなった。フィッシャーは彼と対立した。「君にとって唯一受容できる順位は、1位だけだ」とフィッシャーは言った。ピートの父親、 ソテリオスは息子を擁護した。「もし彼が5位になる事を望んだら?」

フィッシャーは「受け入れ難い」と言った。彼らはお金についても揉め、さらにフィッシャーは、ピートとツアーを回る事を拒否した。その結果、サンプラスが19歳で初めてのメジャー選手権、1990年USオープンに優勝するまで、2人が話をする事はほとんどなかった。フィッシャーは彼に祝福の電話をした。

しかし、サンプラスは未だにフィッシャーを満足させられない。ヨーロッパ遠征後、サンプラスはフィッシャーを訪ねた。遠征の間、彼はイタリアン・オープンとウィンブルドンで優勝したが、ローラン・ギャロスでは敗れた。フィッシャーの最初の一言は「いいかい、ピート、君がフレンチで優勝するまでは、真の史上最高の1人ではない」だった。

サンプラスは面白そうに、同時に怒ったように言う。「あの人にとっては、何事も充分じゃないんだ。僕はウィンブルドンで優勝して帰ってくる。そして彼は言うんだ。『君はそこに近づいている』と」

人々は常に、サンプラスを駆り立てる必要があると感じていた。彼の顔に指をぐいと突きつけ、そして言う必要があると。「ヘイ! 君はリングで全員と、コナーズやマッケンローとさえ競えるんだ。君はグランドスラムの大きな希望だ。だから目を覚ませ」

チャンピオンは、結局のところ、燃え立つ事になっている。もしサンプラスが燃えるなら、それは長い、ゆっくりした炎でだ。

「僕は下を向き、舌を出し、元気がなく見える。素晴らしいショットを打って、そしてただ歩み去る」と彼は言う。

「僕は無頓着で、あまり関心がないように見える。僕がいいプレーをすると、天才のように見える。そしてそうでない時は、みんな僕がやる気をなくしていると思うんだ」

サンプラスは内側で燃えるのだ。さもなければフィッシャーや、現在はパット・エチェベリーのような、決して満足しないタイプを求め続けないだろう。

最近サンプラスは、フロリダ州サドルブルックで、うだるような暑さのガレージの床に横たわっていた。彼は、USオープンタイトル防衛の準備で、トレーニングの真っ最中だった。「USオープンには冷房はない」とエチェベリー。彼はマルキ・ド・サド侯爵のようなトレーナーで、ジム・クーリエとセルジ・ブルゲラの肉体強化にも携わってきた。

週に6日間、エチェベリーはサンプラスに日課を課す。バイク漕ぎ(訳注:この時期ピートは足を痛めていたため、トラックでの走り込みはできなかった)、500ポンドのレッグプレス、部屋中を巡るメディシンボール投げ、そして、苦痛の声を上げるくらいの腹筋運動。

この日、エチェベリーはレッグプレスにさらにウェイトを積み上げた。「パット、パット。僕にはさらに10以上やる事があるんだよ」とサンプラスが泣きついた。エチェベリーの答えは、さらにもう1つ重りのプレートを載せる事だった。

「インフレーション」とエチェベリーは言った。

エチェベリーは自分を誰よりもよく知っていると、サンプラスは言う。彼らは1990年から一緒にやってきたが、当時のサンプラスは無頓着だと見られていた。それが違う事を知るのにエチェベリーが要したのは、20分のジョギングだった。「彼はその間じゅう、半歩前にいなければ気が済まない。もし彼の前に半歩出たら、彼はそれをレースに変える」

最近エチェベリーはサンプラスについて、他の事を見つけた。長く1位にいるほど、彼はいっそう野心的になる。「たいていの男は、勝つと休息する事を望む。この男は違う」

トロフィーがどんなに大きかろうと、サンプラスは次のタイトルに向かって、翌朝にはもうトレーニングを始めてきた。「勝つ事がすべてだ」とサンプラスは言う。「それが本当に気にかける事。僕が取り憑かれている唯一の事だ」と。


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