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2002年1月31日
ピート・サンプラス電話インタビュー


このスクリプトは、木曜日(1月31日)に行われたピート・サンプラスの電話記者会見である。ピートが合衆国の代表としてデビスカップに出場するのは8年目となる。彼は1992年の優勝に貢献し、また1995年にモスクワで行われたロシアとの決勝戦では、ダブルスを含めて3勝を挙げた。これはデビスカップの歴史でも、最高のパフォーマンスの1つと見なされている。

今回のデビスカップの後、サンプラスはアリゾナ州スコッツデールで開催されるフランクリン・テンプルトン・テニス・クラシック大会、さらにカリフォルニア州インディアン・ウェルズのパシフィック・ライフ・オープン、マイアミのエリクソン・オープンに出場する。


まず確認したいのですが、今年のデビスカップ・チームに参加したいと思った背景には、何かカギとなる要素があったのですか? それとも強制されたのですか?

ピート:
1年のある時期には、やる気を起こすのがむずかしい時があると昨年感じたんだ。その点デビスカップは確かに何らかの意味がある。チームメイトのため、国のためにプレーする―――こういう状況には発奮させられるよ。それがまあ今年チームに参加する事にした理由だね。

2人の年長者と何人かの若者とで過ごす、楽しい週を期待してるよ。自分が精力を傾けるべきユニークなイベントだ。デビスカップでプレーするのは、間違いなくやる気を起こさせられるからね。

いままでにオクラホマでプレーした事はありますか?

ピート:いや。

初めてですか?

ピート:その通り。

トレーニングを11・12月に合わせたのは、デビスカップを考えてのものですか?

ピート:
いや、1年を通していい体調でいられるように、大いに努力してみたんだ。デビスカップは1年を通じて参加すると約束したから、年末に取り組んだ事は何か特定のもののためではないよ。

昨秋あなたはヒューストンの Clay Court Championships に出場すると伝えられましたが、その後取り止めましたね。何か理由があるのですか?

ピート:
うん。もしデビスカップ第1ラウンドがうまく行けば、マイアミのすぐ後に第2ラウンドがある。その時期はかなり多くプレーする事になり、多分少し休養が必要だろうと考えたので、ヒューストンを取り止めたんだ。

その大会がクレーだという事は関係ありますか?

ピート:
いや、クレーだから出たかったんだ。でも少し休養し、それからクレーでの練習をする時間を取ろうと考えた。最初の3カ月のスケジュールを見た時、かなり立て込んでいると感じたから。

ロディックがいるので、今回のデビスカップでは、あなたは少し違った立場になるという事について伺いたいのですが。彼はおそらく今後10年の最高のアメリカ人選手でしょう。あなたは過去10年の最高の選手でした。いまあなたは指導者と言ってもいい。

また、10年前あなたは似たような立場にいました。マッケンローがいてあなたがいて、ダブルスを組みました。彼はアメリカのデビスカップ史上最高の選手で、あなたはグランドスラムで優勝したとはいえ、まだとても若かった。この両方の立場での経験について話してくれますか?

ピート:
ジョンとチームにいた時、彼は間違いなくチームリーダーで、発言力も大きかった。あの時はダブルスに出ただけだったけど、彼の存在感を意識したよ。それが彼が監督になりたがった理由だろう。

僕とアンディの関係だけど、彼はすべてを備えている選手だ。僕は頼まれもしない助言をする人間ではないけれど、もし彼が今回のタイ、あるいはテニス全般について僕に話したい事があるのなら、喜んで僕の考えや、彼がどうすべきかという事などへの僕の見方を伝えるよ。

だけど僕はあまりお喋りな人間ではない。ジョンのように何でも遠慮なくズケズケ言うって事は永遠にないだろう。僕たちはみんなアンディの能力に自信を持っているし、彼は自分がしている事を分かっている。でももし僕に力になれる事があるなら、喜んでアドバイスするよ。

チームメイトではない時に、アンディに対してライバル心のようなものを感じますか? おそらく感じないと思いますが、彼は新しく登場した選手で、あなたにはいわば守るべきものがありますよね。また、あの時点でジョンに対してそういうものを感じましたか?

ピート:
僕がチームに加わった頃、ジョンはまだシングルスでプレーしていたけれど、もうそれほどでもなかった。僕とアンディの立場だと、彼は今後2年くらい対戦していくライバルと言える。だから彼に僕の知識を授けすぎないようにしなくっちゃね。

でも僕とジョン、アンディのキャリアでの位置は少し違う。あの時点でのジョンの順位とかはよく知らないけど、アンディとは間違いなく今後2年間くらい競い合っていくだろう。

デビスカップでのあなたの最高の思い出は何ですか?

ピート:
ロシア戦の時、とてもむずかしいサーフェスで2人の優秀なプレイヤーと対戦し、ダブルスにも出た事にまで遡るよ。あれは自分のキャリアを振り返る時、単にデビスカップだけでなく、テニスでの最高の思い出の1つだった。

コーチを新しくし、あなたは高い期待を抱いてオーストラリアに来ました。その後落ち着くのに少し時間がかかりましたか? ウィンブルドンでの失望を知っていますが。今回のオーストラリアン・オープンをどう受け止めますか?

ピート:
厳しかったよ。僕は何カ月もトレーニングに費やし、コーチを替えたりしてきたんだからね。オーストラリアではとてもいい感じだったし、事態もいい具合に進んでいた。かなり速いコートでのこういう試合では、自分有利に進めるためには幾つかブレークゲームが必要だ。2セットオールにしてファイナルセットに入るチャンスが何回かあったけど、それは起こらなかった。僕は最後まで行けるという思いがあっただけに、とても辛い敗戦だった。

一生懸命やり続ければ、いずれブレークチャンスをものにできるようになるだろう。でもコートを去るのは辛かったよ。試合の流れを引き戻すために、ハードに戦ったと感じていたからね。

新しい年を迎えるにあたり、僕はいつもと同様高い期待を抱いているし、1年の初めに優勝できたら素晴らしいよ。だけど必要以上に落ち込んだりはしない。デビスカップや今後を見つめていかなければ。

今年1年の中で、ローランギャロスはどのあたりに位置づけていますか?

ピート:
マイアミの大会が終わり、クレーシーズンに入ったら、すぐに僕の頭に戻ってくるよ。クレーに集中し、体調を整え、ヨーロッパに渡ってクレーコート・プレーヤーと打ち合って、自分にチャンスを与えたい。僕は自分を優勝候補ではなく、ダークホースだと見なしている。勝つのが厳しい大会だ。素晴らしいクレーコートプレーヤーがたくさんいる。

2つ質問があります。好調を保つため、若い頃と比べて食生活を変えていますか? またコーチングの必要性については、どのように変わりましたか?

ピート:
食生活は変えている。何を食べるべきかにより気を遣っている。年齢を重ねるにつれて身体は変わってくるからね。20歳の頃はハンバーガーを食べて、1時間後にテニスをできた。いまは適切な栄養物を取っているし、この2年くらいでたくさんの物をキッチンから追い出したよ。

コーチングについては、新しいコーチとどうやっているかを知りたいの? それともコーチ全般についての僕の考え?

コーチについての考えです。どんな風に変わってきましたか? また実際問題として、おそらく半年前、1年前にはあまり考えなかったであろうどんな事を期待していますか?

ピート:
僕にとってコーチの最大の意味は、僕がどんな風にやっているかを全体的に見通せる目を持っているという事だ。僕には経験もあるし、自分が何をしているかも分かっているけど、テクニック・戦略両面で僕がやっている事を見てくれる人がいるのは重要だ。コートにいる時には気がつかない事もあったりするが、コーチはそれを補い、助けとなってくれる。

選手に動機を与え、気が付いた点を指摘してくれ、誰かと対戦する時に試してみるべき事柄を授けてくれる。

また良い友人になる事も重要だ。長い時間を共に過ごすんだからね。うまく折り合っていき、理解し合う事が必要だ。オープンな関係を作り、オープンな心を持ち、選手のゲームを理解している―――ガリーは間違いなくそれらを満たしているよ。彼は僕のプレイを10年間見てきたし、ポジティブなエネルギーを持っている。

昨年はスランプというか不運な年でしたが、いままでこれほどの成功を収め、モチベーションを保っていくのは、どれくらいむずかしいものですか? たとえば5年前と同じ気迫・自分を駆り立てるものを持っていますか?

ピート:
自分を駆り立てるものという点で言えば、むしろ強まっていると思うよ。昨年は成功を収められなかったし、何回も優勝し、コンスタントにグランドスラム・タイトルを獲ってきたのに、昨年はそれができなかったから。

トレーニングに多大な努力を払ったのもそのためだ。オーストラリアンのようなグランドスラムでの敗戦がより辛いのもそのためだ。気迫も集中もいまでもある。後はただテニスの試合に勝つという問題だ。

それが僕のゴールであり、願わくば今年何回かそれがうまく噛み合い、メジャータイトルを取れればと思っているよ。

最近あなたはいくつか重要な変革を行いました。それらをどう見ていますか? アガシもコーチとの間で同じような変更をしています。キャリアのこの時点で、1人の人と大いなる成功を収めてきた後、なぜこのような変更を行うのですか?

ピート:
別の意見、別のエネルギーって事だよ。ポールとはもう何年間も一緒にやってきた。スポーツの世界ではどんな選手とコーチの関係でも、長くやってくるとある種のマンネリに陥る時がある。練習でもモチベーションを持って楽しくやらなければならないが、僕もポールも昨年は時々マンネリズムを感じていたと思う。僕は常に向上したいし、触発されたい。結果とは関係ないんだ。

今度の事は重大な決断だった。僕は習慣を重視する人間で、いろいろ変えたりするのは好きじゃないから、心地よい状態から抜け出るというのは重大事だった。でもそうなったし、アンドレの場合もきっとそうなんだろう。理由についてはコメントできないけれど。

僕とポールはいまでもとても良い友人で、しょっちゅう話もしている。こういう事を友人に言わなければならないのも人生の一部で、それがプロフェッショナルという事なんだろう。これが全体の要約だよ。

むずかしい決断でしたか?

ピート:そうだね、むずかしかった。ポールと僕は一緒に様々な事をくぐり抜けてきた。ティムの病気の時にもそばにいて力になってくれたし、僕のテニスにも大いに働きかけてくれた。たくさんのタイトルを獲ったし、楽しい思いもしてきた。

昨年は単にいつもと違う年だったというのではなく、僕には変化が必要だったのだと思う。新しい声・意見を必要とし、それで効果がある事を望んでいる。この決断は辛いよ。7年というのは長い年月で、僕達はお互いになじんできたし、彼が言うだろう事、僕が言うだろう事になじんできた。いつも良い態度できたと思うけれど、さらに良いポジティブなエネルギーをもって練習や試合に臨むには、少し変化が必要だと感じたんだ。

少しマンネリを感じ、新しい声を必要としたとの事ですが、ガリクソンはどんな違った方法であなたを発奮させてくれるのでしょう?

ピート:
彼は僕のゲームや細かいところについて、ポールとはまた少し違う見方をする。だけどまずは目的をもって練習する―――2〜3時間ただボールを打つのではなく、1時間半でも質の高い練習をするというのが僕にとってはカギだね。練習コートで試合のように激しくプレイする、簡単な事じゃないが、それが先月オーストラリアで彼が強調してきた事だった。

練習マッチで勝つ事―――いままで僕はうまくボールが打てている限り、気にかけてこなかった事だった。それが1つの変化で、練習でうまく行けば、それが試合に繋がるという事だ。オーストラリアではそうならなかったけれど、これからまだ時間はあるよ。

戦略や哲学的なものは、どの程度変えるつもりなのですか?

ピート:そう多くは。僕は自分のプレーのやり方でとてもうまくやってきた。でも彼は長年僕のプレーを見てきて、いくつか試せる点、もう少しうまくやれるだろう点について意見を持っている。サービスゲームについては単純明快なものだが、リターンゲームについては、もっと練習が必要で、そうすればもっと勝てるようになるだろう。その部分が本当に努力しなければならないところだね。

インディアンウェルズですが、あなたはこの2年間かなりうまく行きました。過去あなたはコンディションに苦しんできたと語っていましたが、この2年間で、より良い手応えを感じ始めているのですか?

ピート:
うん、かつてはあそこへ行く段階ですでに、乾燥したコンディションやボールが高くはずむのに手こずるだろうと考えてしまっていた。これは僕がアジャストしなければならない事で、精神的にも―――それがスコッツデールにも出る理由だが、似たようなコンディションだからね --- ストロークや戦術を少し変え、コンディションに合わせなければと自分に言い聞かせるんだ。

昨年はいわば殻を破り、かなりいいプレーができた。ここ数年プレーも精神面でも苦しんできたけど、いまはもっと前向きに臨み、願わくばそれが今年うまい具合に働いて、最後まで行ければいいんだけどね。

昨年の9月11日以来、一般的に愛国心の気運が高まっているようです。あなたはいつもアメリカ人として認識されてきましたが、いま、それをもっと誇りに感じますか? その事がデビスカップの意味を強めると思いますか?

ピート:
ある意味ではそうだね。9月11日はアメリカの誰をも変えたと思うし、僕たちはお互いをより忍耐心と共感の念をもって見るようになった。歴史的にも僕らはみんな同じチームに属しているのだという意識を持ち、より近しくなった。もし9月11日から何か肯定的な事があったとしたら、それだろうね。

それが僕がデビスカップに出る事にした理由のすべてではないけれど、僕たちがオクラホマシティーや、勝てばその後も感じる要素ではあるだろう。アメリカの人々は、あるイベントではより愛国心を感じるだろう。デビスカップであれライダーカップであれ、僕らはそういう見えない力を得て、雰囲気やチームに属する事、国を代表する事を楽しみにしているよ。

9月11日にはどこにいたのですか?

ピート:
ロスにいた。日曜の夜、試合の後にニューヨークを発ち、家で寝ていたんだけど、妻が僕を起こして、そしてすべてを見たんだ。

つい2日ほど前には、もう二度と思い出せない姿のニューヨークにいたのだという思いは、信じがたいものでしたか?

ピート:
もちろん。僕は3週間毎日通りを歩き、タワーを見ていたんだからね。そしてもしかしたらUSオープンも危機にさらされたかもしれないんだから、本当に信じがたい事だ。あれがもっと早く起こって、もしかしたら僕もそこにいたかもしれないと思うと、驚くべき事だ。だけど僕はロスにいて、あの時点ではいい場所だったよ。

あなたは二度、コーチと長きにわたる関係を保ってきました。長年のそういった安定から得られる良い点は何ですか?

ピート:
チームスポーツであれ個人スポーツであれ、アスリートにとって重大な事だと思う。一緒に過ごす時も、コーチとしても、尊敬できる人がそばにいてくれるというのは。うまく行っている時も、うまく行かない時でも、コーチは選手の精神の安定のためにとても重要だ。

僕は幸運にも2人の本当に良いコーチ・友人を得られ、いくつかの厳しい事態も乗り越えてこられた。テニスは個人スポーツで、コート上では誰も一緒にいてくれない。だからこそ、ことのほかコーチがコート外で激励してくれる事が重要で必要なんだ。

そういった長い関係を見つけ出す事は、なぜむずかしいのだと思いますか? 多くの選手は、非常に才能のある者でさえ、しばしばコーチを替えていますが。

ピート:
僕は一緒にやっていく人に関して、とても恵まれていたと思うよ。他の人については、個性の衝突とか考え方の衝突とか、選手が変化を必要としたとか、たくさんのコーチがメリーゴーランドのように選手を渡り歩くのには、様々な理由があるのだろう。ほんのいくつかの事が、別れる原因となるのだろう。

デビスカップでは、ホームでやる有利はどの程度のものですか?

ピート:
とても大きいよ。望むサーフェスでプレーできるし、ホームタウンのファンの前でプレーでき、事がうまく行っていない時などは、応援で勢いを取り戻したりもできる。デビスカップはむずかしいだけに、ホーム・アドバンテージの意味は大きいよ。

あなたはスロバキアの選手のうち、ハバティ、クチェラ、クロスラックの3人と対戦した事があります。彼らについてよく覚えていますか?

ピート:
よく知っているよ。クチェラとは何回も対戦したが、いつもとてもタフだった。ハバティとはそれほど対戦はしてないけれど、彼のプレーは見ているし、両選手とも経験豊富だ。彼らは畏れを抱いたり萎縮したりは決してしない。

とても厳しいタイになるだろう。僕たちの方がほんの少し優位かと思うけれど、デビスカップでは何が起きても不思議ではない。彼らは自分たちを負けそうな側と見なして、伸び伸びとやってくるだろうから、僕たちはしっかり準備して、勝ち上がりたいものだね。

あまり大きなテニス都市とは言えないオクラホマシティが開催地になった事で、ある人々は奇妙に思っているだろうと、P・マッケンローが2〜3週間前に指摘していました。あなたは驚きましたか?

ピート:
少しね。僕はオクラホマへ行った事がないし、彼から聞いた時に少し驚いたけど、これは決まった事だ。オクラホマシティの人々はきっとテニスをサポートし、僕らを応援してくれるだろうし、出来る限りの大声援をしてくれるだろうと思っているよ。それが必要なんだ。

あなたは必要とあらばシングルスとダブルスと、3日間ともプレイする用意がありますか?

ピート:
金曜日の結果を見て、自分たちの立場を考慮した上で決まると思うけど、もし必要ならダブルスの準備もするよ。でもまず金曜日の結果しだいだね。まだ何も確たる決定はなされてないと思う。


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