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アメリカ版TENNIS
1994年7月号 クーリエとサンプラスが語り合う インタビュー:David Higdon |
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昨年のウィンブルドン決勝を戦った二人が、 ライバル関係、プロツアーの倦怠、1位になる事の 高揚感と恐ろしさについて話し合う |
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ジム・クーリエ、ピート・サンプラス、そして私は、インディアンウェルズの「ニューズウィーク・チャンピオン・カップ」大会を控えたある日、鼎談の機会を持った。その前日、彼らは一緒にゴルフのラウンドを回った。サンプラスの談によると「僕はいい感じで87のスコアを出し、ジムのは見苦しい87だったよ」 1年前、この2人の親しい敵同士は、もっと神聖な芝―――ウィンブルドンのセンターコートで対戦した。2人は際立って異なるプレースタイルと予想をもたらした。ビッグサーバーのサンプラスは、子供の頃から、この大会で優勝するように育成されてきた。一方、根気強いベースライナーのクーリエは、大方の否定的な見方を覆し、印象的な勝ち上がりをしてきた。また2人の対戦は、1984年にジョン・マッケンローがジミー・コナーズを下して以来の、アメリカ人同士の決勝となった。 いろいろな意味で、勝者のサンプラスと敗者のクーリエの取り合わせは、90年代のマックとジンボを彷彿とさせるものだった。サンプラスはマッケンローのように、非凡なショット・メイキングの技量と運動能力を備えた、眩惑させるような才能の持ち主である。クーリエはコナーズのように、ストロークの多様性は限定されるものの、激しく燃える闘争心の持ち主だ。しかし2人の若いアメリカ人と、名高い伝説的選手たちとの間には、大きな違いが1つある。「彼らは憎み合っていた」サンプラスは事実を口にする。 初の試みであるジョイント・インタビューが立証するように、それはスイート・ピートとジンボ二世には当てはまらない。2人はデビスカップのチームメイトでもある。2人は時に皮肉や鋭い発言をさしはさみながら、ジュニアのテニス、アメリカ人の同僚、ATP、ロンドンのタブロイド紙などについて語り合った。 |
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これから始めようか。僕は1987年の、ジュニア・デビスカップの写真を持ってきたんだよ。 ピート 僕はあの合宿でジムをよく知るようになった。僕のこの縮れ毛の事で、ジムだけが僕をいじめたんだよ。彼はブロンドの長髪で、歯列矯正のブリッジをつけてるような奴だった。 クーリエ 僕はカッコよかったんだ。ピートの言葉を真に受けちゃダメだよ。合宿はカリフォルニアのサンタ・バルバラで行われたんだけど、いちばん愉快な思い出はあれだな。毎朝6時半に起きて、ランニングをしなくちゃいけなかったんだけど、みんなクタクタに疲れていて、やっとの思いでベッドから起き出していたんだ。そしてピートはいつも、「いつも」最後に起きてきたんだよ。 |
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ピート 真打ち登場さ! クーリエ 彼の目ときたら糸みたいで、物も見えてなかったんじゃないか!? ピート みんな僕をS―――扱いさ。僕はいちばん年下だったんだ。 クーリエ 彼はキャンプ・ベビーだったのさ。 この写真には1ダース以上の選手がいるけど、キャンプ・ベビーと歯列矯正ブリッジをつけてた奴が、どうやってテニス界のビッグスターになったんだい? ピート ジムと僕は、それぞれ17歳と16歳でプロになったけれど、他のみんなは大学に行ったというのが違いじゃないかな。 クーリエ あの年の終わりに、僕はヨハネスブルグの大会に出場した他、2つくらいチャレンジャー大会にも出た。そして翌1988年のこの大会(インディアンウェルズ)で、プロに転向した。ピートはここで予選を勝ち上がり、3回戦まで進出してプロに転向した。同じ大会でプロになったんだ。 どうして大学に行かず、プロに転向したの? クーリエ いや、ピートはまだ高校在学中で、まず高校の卒業証書を手に入れなくちゃならなかったんだよ。もちろん手に入れなかったけどね。 ピート まあね、僕は君みたいに「ボロテリー高校」の卒業証書を手に入れたわけじゃないからね。(笑) クーリエ 実際はセント・ステフェンズ高校さ。でも僕は、壁に飾る紙切れは手に入れたぜ、ピート。 ピート いずれ手に入れるさ………パロス・ベルデス高校に、ビルディングでも寄付したらね。僕はプロに転向する準備ができたと感じたんだ。エリオット・テルシャーとラメシュ・クリシュナンに勝ったんだけれど、彼らは当時トップ25以内にいた。 クーリエ そういう選手に勝てたら、準備はできているよ。 ピート 僕はその後、6〜8カ月くらいで100位以内に入った。僕はラッキーだったよ。サテライト大会とかでプレーする必要がなかったから。予選から出るだけでよかったんだ。 クーリエ 僕は1987年の4月に、サテライト1大会に出た。それから夏はジュニア大会に出て、ヨーロッパにも行き、全部の課程をこなしたよ。「オレンジ・ボール・ジュニア大会」で優勝し、チリのチャレンジャー大会に出て、1セットも落とさなかった。決勝では97位の Lawson Duncan に6-1、6-1で勝ったんだ。そして「97位の選手に1&1で勝てるなら、大学なんて忘れちまえ」って思ったのさ。 |
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大学の事は考えていたの? クーリエ ああ。 ピート 僕はあまり考えてなかった。時のはずみでプロになったような感じだったかな。 クーリエ そりゃ酔っぱらったんだろ、ベビー、僕はプロになるぞ!って。 ピート 僕の家にとっては、大きなお金でもあった。 |
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クーリエ 誰にとっても大きなお金だよ。 ピート 僕たちがこんなに早くプロに転向する事については、少し非難も浴びたかな。*アーサー・アッシュとスタン・スミスは反対した。 訳注:2人はジュニア・デビスカップ・チームの指導者だった。 クーリエ アメリカでは久しく、そういう例がなかったからね。でもヨーロッパや南米では、ごく普通だった。あの頃はまた、誰もが「アメリカのテニスは、いったい何が悪いんだ?」と言っている時期でもあった。 ピート その通り。 クーリエ それが当時の大きなキャッチフレーズだった。次の中心選手はどこから来るんだ? コナーズは去ろうとしている。マッケンローも去ろうとしている。次は誰?ってね。アンドレ・アガシは僕らよりさらに早くプロに転向していて、ブレークし始めていた。だから僕たちも時流に乗っかる事に決めたわけさ。 ピート、君はどうしてアカデミーに行かなかったの? ピート ロサンジェルスには、いい競争相手がたくさんいたんだ。僕はアガシやマイケル・チャン、ジェフ・タランゴと試合をしていた。対してジム、君はデイド・シティ出身で、あそこには何もないよね。だからボロテリー・アカデミーに行かざるを得なかったんだ。 クーリエ 僕には選択の余地がなかった。 ピート 僕は家にいられて、それが好きだった。でもジムは行くしかなかったんだと思うよ。 クーリエ 行くしかなかった。でもそう悪くもなかったよ。デイド・シティからは1時間半くらいだったから、週末は家に帰れたしね。ボロテリー・アカデミーは、いわば僕にとっては、大学での経験のようなものだった。寮暮らしをし、自分で洗濯して、カフェテリアで食事し、自分の勉強について責任を持つ。それは大学に行ったら誰もが経験する、家から離れて成長する経験だ。僕はそれを少し早く経験しただけだ。 初めて出会った時の事を覚えている? クーリエ サンディエゴの、12歳以下のハードコート大会だった。 ピート ほんと? 僕は覚えてないや。 クーリエ 君が9歳で僕が10歳、もしくは君が10歳で僕が11歳の時だ。出会ったかどうかは分からないけど、2人ともいたのは知ってるよ。アガシのプレーを初めて見たのを覚えている。奇妙な経験だった。 なぜ? クーリエ 彼の父親がとても変わっていたからだ。いい人なんだけど、ジュニアのテニスについて、ちょっと異常な感じだった。アンドレは決勝か、あるいはプレーオフの3回戦か4回戦で負けて、トロフィーをもらったんだが、彼の父親はそれを取り上げて……… ピート ………投げ捨てたんだ。アガシと彼の家族が、車でラスベガスから往復してきてたのをよく見たけど、ちょっと普通と違っていた。彼の父親はすごく気性が激しくて、タランゴの父親と殴り合いのケンカをしたりした。まあ、ジュニア時代の話だよ。 クーリエ そう、ジュニア時代の事だ。 ジュニアのテニスシーンは、とても熱烈だからね。現在はもっと激しいようにさえ見える。 ピート 親は、僕らが生み出すお金とか名声とかを見ている。子供のというより、親の夢なんだろうね。 クーリエ 親は子供に、自分の夢を託しているんだろうな。 君たちは中流の出だけど、君たちのテニスは、家族への負担になっていた? ピート 父は、僕がロバート・ランズドープの指導を受けるのに、たくさんお金を使ったよ。僕はいろいろなコーチの指導を受けたから、さらにね。僕の家族、兄や姉・妹には負担になっていた。 クーリエ 大きな負担だよ。 子供の時、君は家族に負担をかけていると気付いていた? ピート 父は節約をしなくちゃならなかった。でも僕は、少し大きくなるまで気付かなかった。幼い時は分からなかった。 クーリエ 11歳の時には分からないさ。ただ大会に行かれるのか行かれないのか、知るだけだ。国内12歳以下の大会に出た時の事を覚えている。フロリダからノース・カロライナへドライブし、そこからヒューストンの大会へ行き、そして家に戻った。楽しい日々だったよ。 誰と一緒に旅したの? クーリエ 普通は両親とだ。父が仕事を休めない時は、母がついてきてくれた。うちはバンを持っていて、弟は当時まだ赤ん坊だった。彼は僕が11歳の時に生まれたんだ。姉は13歳で、いやいや一緒に来なければならなかった。姉にはすごく辛かったと思うよ。彼女はテニスをしなかった。2〜3の大会には出たけれど、自分には向いてないと判断したんだ。 他の選手の親と違って、君たちのご両親は滅多に姿を見せないね。なぜ? ピート (冗談ぽく)僕たちは充分に分別があるからさ。実際は、僕の両親は控えめでいようとしたんだ。両親は大会のために旅行するのが好きじゃない。家を離れ、独り立ちする事で、僕は成長した。それは多分、テニスコート上にも表れていると思うよ。 クーリエ ご両親が君を独り立ちさせたのは、君のために良かったんじゃない? ピート もちろん。 クーリエ おおかたの子供より早くから、君は大人として振る舞わなければならなかったけれど、それはコート上にも表れていると思うよ。自分のためにしているんだと、自信を持って知っているわけだし、君が自分で自分をコントロールしてるんだからね。君は男で、もう少年じゃない。親が子供に任せる事で、そうなれるんだと思う。チャンをご覧よ、いつも両親がそばにいる。僕は彼が好きだから、けなしてるわけじゃないけど、結びつきの緊密な家族だ。彼は守られ、大事にされている。彼らにとっては何も悪い事じゃないけど、僕が好きなやり方じゃないな。 プロとして独り立ちした後、しくじった事はある? クーリエ 絶対に忘れないよ。ロスで試合した時の事だけど、きっと君は覚えてるだろうね。 ピート ああ、そうだね。(笑) クーリエ 僕は1回戦でこの男、ピート・オールドリッチ(訳注:オールドリッチという苗字がどんな意味を持つか不明)に負けた。当時もいい選手だったけどね。でも僕は、自分が勝つべきだと思ったんだ。主審は女性で、この長身の女性はいまでも審判をしているよ。彼女はいくつかミスコールをし、僕はすごく腹を立てて、彼女に向かってきついたわごとを言ったんだ。今後も言うだろうけど、あの時はもっとひどい事を言ったんだな。 ピート そうだね!(笑) クーリエ そうしたら、この女性もコート上で僕にやり返して、僕は猛烈に怒った。試合後の記者会見で、最初の質問が女性レポーターから出た。僕は18歳で、バカ者さ。この女性は僕にこう質問したんだ。「女性が主審を務める事をどう思いますか?」って。僕はまだカッカしていて、答えた。「女性はコート上で仕事すべきじゃないと思うね。これは男性の試合なんだから、男性が主審をやるべきだ」と。彼女は「なぜ?」と訊いて、僕は「S―――、さあね、多分ボールが速すぎて、女性には見えないんじゃないか」とやらかした。 ピート ヒステリックだったね。新聞で読んだよ。 クーリエ 言わせてくれ、あれは「ロサンジェルス・タイムズ」紙が、いろいろでっち上げたんだ。翌日、僕は家に戻った。空港で父が僕を出迎え………僕に説教をした! 約45分のドライブだったが、父は10分間僕をとっちめて、僕は一言も口をはさめなかった。それから父はダンマリを決め込み、後はひとっ言も喋らなかった。家に着くと、母も姉も口をきかなかった。みんな僕に沈黙のおしおきをしてるんだなと分かったから、友人に電話して「君に会いにいくよ」と言い、翌朝には荷物をまとめて家出して、大学の友人のところに行った。いまも腹を立てたら、似たような事を考えるかも知れないけど、もうちょっと上手くやるだろうね。 君は何か後悔するような事をした事がある? ピート 多分、昨年イギリスの人を#S●$&!って呼んだ事かな。子供の頃は、僕はコートではとても良い子だったんだ。 クーリエ 僕は同じとは言えないな。 ピート 1回か2回、ラケットを壊した事もあるけど、とても早い時期に終わったね。父と(以前のコーチ)ピート・フィッシャーはとても厳格だったから。 ジュニアの頃は誰に憧れた? マック? コナーズ? ピート 僕はコナーズの大ファンではなかったな。 クーリエ テニスを始めた頃は、ボルグに憧れたね。最高にクールだと思っていた。コート上では氷みたいだった。 ピート 僕は14か15歳の頃、かつてのオーストラリア選手のフィルムを見て、彼らのプレーやコートでの態度がとても好きになった。彼らが、僕が尊敬していた人たちだ。ボルグもかな。それと、僕はいつもイワン・レンドルを応援していた。みんな彼の反対を応援するから。2〜3年前にローマでシニア大会があって、ロッド・レーバーやケン・ローズウォール、フレッド・ストールが来ていた。僕はレーバーと、ゲームがどう変わってきたか、彼がどんな風にプレーしていたか話したんだ。彼はいくつか助言をくれた。彼らと以前の時代の事や、どんな事をやっていたか、どんな風に準備したかを話したけれど、いい意見を聞かせてもらった。 クーリエ 彼らはたくさんの知識を備えているよね。 |
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でも今日のゲームは、当時とは劇的に変わったんじゃないか? クーリエ うん、確かに違うよ。でもゲームのエッセンスは、永久に変わらないと思う。やはりどうやって勝つか知らなければならない。いつだって重要なポイントはあるし、サーフェスごとの戦略もある。あの人たちはプレーの仕方を知っていたし、いまでも知っている。ただそれをするための足がないというだけだ。 ジム、何年か前にボルグがここでプレーした時、君はそれを見るのが辛いという話をした事があったね。シニアのイベントで、トニー・ローチがわざと負けて、彼にタイブレークを取らせた時の事だけれど。 |
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クーリエ うん、でもボルグがテニスで成した事は、記録に残る事だ。いま彼がプレーし、誰に負けようが、5回のウインブルドンと6回のフレンチ・オープンの優勝を汚すものではないよ。それは歴史的な事だ。断言するけど、彼はいまプレーを楽しむ事ができるし、その権利もある。3年だよ! 3年間、彼はフレンチとウィンブルドンに続けて優勝したんだから。 ピート いや、彼は5年連続でウインブルドンに優勝したよ。 クーリエ フレンチとウィンブルドンに続けて勝った事を言ってるんだよ。同じ月に。僕はフレンチの終わりまでいて、どれほど疲れるか知ってるけど、それからまたウィンブルドンで試合をしなくちゃならない。彼はそれで3回も連続優勝してるんだ。すごいよ。 ピート 信じがたいほどの奮闘だよね。でもみんな強くなった今日のテニスで、それをできるかどうかは分からない。彼は当時、誰よりもずっと良かった。対して今は、選手間の差がそれほど………。 クーリエ 彼はクレーでは、誰よりもずっと良かった。芝では、1週目はかなり苦労していたよ。 ピート でも現在でも、彼がウィンブルドンで5年連続優勝できるかどうかは分からない。ビッグサーバーが大勢いるし、いい選手がたくさんいる。現在それをするのは、とても厳しいだろうと思う。 クーリエ 僕たちが言うのは無理だよ。 ピート そうだね。でも彼ができないとは言わないよ。 クーリエ 僕は本当に、ボルグとプレーしてみたかったな。空想でも、フレンチで5セットマッチをプレーしてみたいよ。 ピート そりゃ戦争だろうね。 クーリエ 彼のベストゲームと僕のベストゲームでね。彼はどんな球も追うだろう。面白いだろうなあ。 ピート 君はネットに出なくちゃならないだろう。 クーリエ フォアハンドを打ってネットに突進しなくちゃね。チャンとプレーするような感じかな。 ピート ボルグの方がサービスはいいだろう。 クーリエ それと彼の方が1歩速かった。より強い、重い球だ。 ピート うん、重い球。考えつかないね。 君たちのコーチ(サンプラスのコーチはティム・ガリクソン、クーリエのコーチはホセ・ヒゲラス)はどちらも、ボルグの時代にプロとしてプレーしていたね。その頃のプレーはどんな風だったか、話した事がある? ピート 僕は毎日聞かされているよ。 クーリエ 彼はガリクソンの全成績、全試合を知ってるんだよ。 ピート ………彼がコートで考えた事、みんなどんな風にプレーしていたか、1972年に誰からレッスンを受けたか、誰を負かしたか………。いや、まじめに言うと、時おりティムと、ゲームがどんな風に変わってきたかとか、ボルグやマッケンローと試合した時の話、彼らがどんなに良かったかとか話すよ。 クーリエ そういう話を聞くのは楽しいよね。 今日、テニスのプロでいるのは、より厳しいと感じるかい? クーリエ ボルグやマッケンローが、とても厳しくしたと思うよ。 ピート 容易ではない。記者会見とか、いろいろしなくてはならない事は、仕事の一部だと考えている。でも普通の22、23歳の人の生活ではないよ。 クーリエ 容易ではないけど、いい人生でもある。僕たちは好きな事をやっているんだからね。自由もある。友人と夕食をとりたい時にも、プライバシーがないとか、手放さなければならないものも多いけど。でも得ているものに比べたら、小さな代償だ。 ピート そうだね。自分が経済的にはずっと保証されていると知っているし、この先10〜15年間、何をやっているかも分かっている。でも僕たちくらいの年齢の大多数は、大学を卒業したばかりで、仕事に就こうとしている時期だ。 クーリエ 僕たちはゲームをしてお金を得ているんだ。ステキじゃない? いまでもゲームだと考えているかい? クーリエ う〜ん………時にはね。 ピート プロになったばかりの時を覚えているけど、2試合勝って、13,000ドルとコンピュータ・ポイントを50ポイント稼いだんだ。次の週はずっと舞い上がっていた。いまは勝つ事を予想・期待されている。大会で優勝するのはいい気持ちだけれど、あの頃とはちょっと違うね。 クーリエ 誰よりも君自身が、予想・期待してるんだろ。 ピート その通りだね。 クーリエ 周りの期待もあるけど、君も期待している。もし君がフィラデルフィアとか東京へ行き、準々決勝か準決勝までしか勝ち上がれなかったら、多分とても腹が立つだろう。4年前なら、2大会連続で準決勝に進んだりしたら、やった〜! 150ポイント稼いだし、20,000ドルのボーナスもだぞ、どうだい!……… ピート 僕ってすごいぞ! クーリエ 誰も僕に追いつけないさ、僕は驀進中だ。可愛い子ちゃん、僕はトップに行くぞ! 君たちがホテルの部屋をよく出入りしていた頃、2回くらい勝った時に、トップ10選手になる事について話したりしたかい? ピート そういう話はしなかったと思う。 クーリエ なかったね。「もしトップになったらどんなかな。クールだろうね?」とかはね。 ピート 「きれいな女の子もよりどりみどりで、スゴイんじゃない?」なんてね。 クーリエ そういう事を、誰かと話した記憶はないね。 ジム、誰かが君に、いつか世界1位になれるだろうと言った事はあるかい? クーリエ いいや。 それが君たちの大きな違いだね。君のコーチとか周りの人は、いつも君にそう言い聞かせていたんだろう、ピート? ピート うん。彼らは、僕はいいプロになれるだろうと考えていた。僕には才能があると考えていた。僕はいつもテルシャーと比較されていた。みんな僕に才能があるとは知ってたけれど、偉大な選手になりたいという情熱や欲求を僕が持っているかどうか、誰も分からなかった。 2〜3年前でさえそうだったね。 ピート そうだね。 クーリエ 僕は反対だった。みんな僕が欲求を持っているのは知ってたけれど、僕に才能があるかどうかは誰も分からなかった。 ピート 僕は良くなるって、いつも言われてきた。 クーリエ そして………フウッ! ………君はなった。ランプの精が願いをかなえてくれるみたいに。 君たちは、マッケンローとボルグみたいなライバル関係になれると思うかい? クーリエ 可能性はある。 ピート うん。 クーリエ そうなるためには、僕たちは何回もグランドスラムの決勝で対戦しなくちゃね。 ピート その通り。 いまのところ、昨年のウィンブルドンで1回だけ実現したね。 ピート アンドレとチャンも含めて、僕たちが対戦する時はいつも、お互いのベストを引き出し合う事が多いと思う。 クーリエ 誰も負けたくないからね。 ピート そうだ。 クーリエ みんな自尊心がすごく強い。 |
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昨年のウィンブルドンはどんな感じだった? ピート 試合前、多分いままででいちばんナーバスになった。すごく神経質になって、試合前に何も食べられなかった。そして第3セットの中頃から、とても疲れてしまった。君が試合前にどう感じていたか分からないけど、僕はどんなデビスカップの試合よりも、USオープンの決勝よりも、何よりもナーバスになった。子供の頃からずっと、優勝したいと憧れてきた大会だったから。 君は前からその事を知ってたんだろう、ジム? それがピートにとっていかに重要か。 クーリエ 知っていた。僕にとっては、自分がウィンブルドンの決勝に進出するというのは、奇妙なシナリオだった。僕はあの大会にペシャンコの状態で臨んで、とにかく最善を尽くそうと考えていた。フレンチの後で疲れ、精神的にもへとへとの状態だった。試合の前の晩はいつも………。 ピート 翌日は家に帰ると考えていたんだろ。 |
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クーリエ そう。僕はフロリダに帰るんだってね。自分に大して期待してなかったんだ。(フレンチの決勝でセルジ・ブルゲラに敗れた後)ダラダラしたような状態だったからね。まさかウィンブルドンのセンターコートで、ステファン・エドバーグに勝つなんて、考えてもみなかった。でも彼はボレーをミスし始め、サービスを僕の届く所に打つようになったんだ。 準決勝の後はすごく幸せだった。つまり、いつも大きな試合の前にナーバスになるのと同じ程度ナーバスにはなったけど、眠れないとかそういう状態になるほどではなかった。実際かなりリラックスしていた。誰も僕が優勝するなんて思ってなかったし、そもそも僕が決勝に来るなんて考えてなかったのを知っていたからね。僕はただ吹っ飛ばされない事を願ってたね。 ピート そして僕は、気を失って倒れないようにと願っていた。 もう一方がどう変わってきたか、話してくれる? ピート この2年くらいで、ジムはコートで以前よりずっとリラックスしてきたと思う。ジムがプレーするのを見たり、一緒にダブルスを組んだ時の事を覚えているけど、彼は激しすぎた。自分自身をすり減らしているような感じだった。僕はジムの反対で、無頓着すぎた。ジムは真剣すぎて、それがかえって不利に働く事があったんじゃないかな。 クーリエ ああ、よくあったね。 ピート そして僕はもっと気合いを入れるようになってきた。逆方向だね。 クーリエ いまはお互いの中間くらいかな。僕たちは2人とも極端なところから出発した。彼は以前は、半分死んでるみたいだったよ。 ピート そして彼の脈拍は180だった! クーリエ 僕は電気のコードをかじってたんだよ。人間的には、ピートはあまり変わってない。オフコートでは、いまでも半分死んでるよ。彼はいまでもリラックスしていて、何事もうっちゃっておく。それはいま、より重要な事だ。トップになると、さらに余計な面倒事があれこれ押し寄せてくるから、そういう事どもを適当に放っておくようになる。さもないと、頭がどうにかなっちゃうからね。 ピート いい指摘だね。 クーリエ 君はそういう、あくせくしない考え方を身につけたね。選手としては、ずっと激しく真剣になった。ずっとね。ごく普通の人は、ピートはうろうろコートを歩き回っていて、鼻歌まじりのマイペースだと思うかも知れないけど、彼の目を見れば、2年くらい前に何かが変わったのが分かるよ。エンジンがかかった。変わったのは、殺し屋の本能を身につけた事だと思う。無頓着な天性の代わりにね。 彼はなぜそうなったと思う? クーリエ 彼は勝ちたいと思うようになった。 ピート 成長したんだ。 クーリエ チャンピオンの目には、何か特別のものが見えるんだ。君はウィンブルドンの第3セットで疲れたと言ったけれど、頑張って第4セットで勝つ途を見つけ出した。それはチャンピオンがする事だ。壁にぶち当たった時、そこで倒れずに、くぐり抜けた。チャンピオンは壁をくぐり抜ける途を見つけるんだ。 お互いについて、私が知らない事を教えてくれるかい? ピート ジムはゴルフでは、スライスをかける悪い癖があるんだ。彼が畑でトマトを育てたら、きっとスライスされた状態で実がなるよ。 クーリエ ピートはマリブ・グランプリ・カー並みの、荒っぽい運転をするよ。 いま君たちは世界のトップ選手だが、キャリアの初め頃のような友人でいられるかい? クーリエ ちょっとむずかしいと思う。以前は一緒に出かけたりダブルスを組んだりして、いつも一緒にいた。コーチもいい友人同士だった。 ピート 2人ともガールフレンドができたし。 クーリエ 女の子を関わらせたら、何もかもメチャメチャになっちゃうぞ! ピート 恋人ができた事が、僕たちが以前よりちょっと疎遠になった大きな理由だと思うよ。 クーリエ それが始まりではあった。君はデレイナ・マルケイと付き合うようになったら、もうベッタリになった。君たちはいつも一緒で、君が一緒にいたいのは彼女だったしね。僕がモーガン・フラーワースと付き合い始めた時も同じだった。僕も彼女と、いつも一緒にいたいと思った。 ピート 君たちはアツアツだもの。 クーリエ 少し経ったら、いつも誰かと一緒にいる事もないと分かって、友人のところに戻る事もできるさ。 君たちは同じものを求めるがゆえに、友情がぎこちなくなった、あるいはなる事があるかい? クーリエ いや。僕たちがやり合ったなんて話は、ニュースにならないよ。そんな事をする理由も必要性もないね。 ピート そういう話をほしがるのはメディアだけど、僕たちはそういう話を提供したりはしない。だから僕たちを退屈だと呼ぶんだろうね。退屈な勝者としては、そんな話題は何もないよ。 メディアが退屈だと言うのは、煩わしいかい? ピート それは正当じゃないと思うよ。僕には理解できないね。 クーリエ うん、でもキャッチコピーは存在するよ、ピート。君はそれを正当じゃないと思い、僕も同じように感じる………。 ピート ………でも彼らはそう決めつけるんだよね。 クーリエ つまりこうさ。僕は彼らに屈しないし、彼らも僕に屈しない。そして彼らのために自分のやり方を変える事はないし、彼らもそうだ。 ピート その通り。 クーリエ もしそういう事をしたら、君のプレーはうまく行かなくなるし、僕もまたそうだ。 成功するためには、視野を狭くしてよそ見しない必要があると感じているかい? ピート 僕はこんな風に考えている。気を散らすような余計なものは、何も必要ないって。 クーリエ 全くだね。 ピート 僕たちには、対処しなくちゃいけない事がタップリある。これ以上そんな事に身をさらす必要はない。昨年のウィンブルドンのメディアで経験したけど、本当に心を乱すものだと思った。幸いにも、1年のうち2週間だけの事だけれどね。 世界1位でいるって、どんな感じかい? クーリエ 初めて1位になった時は、ちょっと違う扱われ方だった。でもその後、失ったりまた1位になったりを繰り返してきた。基本的には、初めての時はちょっと変な感じって事だ。 ピート アジアで初めて1位の座に就いた時、いい気分ではあった。でも初めてグランドスラムで優勝した時とは比較できない。比べものにならないよ。 1位になるのと、その地位を保つのとはどちらが大変かい? クーリエ どちらも大変だよ。 ピート どちらもとても大変だ。 クーリエ ただその地位を借りているようなもので、所有しているわけじゃない。基本的には………「基本的に」が口癖になったな………基本的には、僕にとっては向こうからやって来るもので、気にすると、かえって有害なものになる。その事を考えないで、ただやるべき事をやっていれば………。 ピート 優勝すれば、順位はそれに伴ってくるよ。 クーリエ たとえ優勝しなくても、自分が正しい事、適正なトレーニングをやっているんだって事を確かなものにしてくれるよ。僕たちはその場に留まるのではなく、前進しなければならないんだからね。もし留まっていたら、誰かが追い越していくだろう。 では、トップランクのためにポイントを稼ごうとは考えない? クーリエ もしポイントを稼ごうとしていたら、僕らは毎週試合に出ているだろう。 君たちはグランドスラムを中心に、シーズンを考えていくのかい? クーリエ 僕はクアラルンプールの大会を中心に、シーズンを考え………。 ピート 僕はカタールの大会を中心に………それが基本だ。 クーリエ ピート、それで行こうぜ。(両者、笑) ピート 基本的には、シンシナティやパームスプリングで優勝するのも素晴らしいけれど、1年の終わりには、グランドスラムの成績で自分の出来を判定するよ。 クーリエ どんなスポーツでも同じだろう。もし60ゲーム勝っても、プレーオフの準決勝で負けたら、San Antonio Spurs の事を気にかけるかい? そりゃ名誉だし、ゲームに勝って嬉しいだろうけど、本当にほしいのは大きな勝利だ。僕たちにはそれが4つある。でももちろん、その他の優勝もほしいよ。どこかの地を離れる時、そこでは誰も僕を負かせなかったと知っているのは、いい気分だからね。毎週、1人の人間だけがその気分を味わえるんだ。で、最高なのは、128ドローの大会で、自分は他の127人より優ったんだと感じる事だよ。 ATPツアーの運営全体については、どんな風に感じている? 君たちは選手会がスタートした1988年にプロになったわけだが。トッププロとして、ツアーは君たちのニーズに応えていると思うかい? ピート 唯一の問題点はランキング・システムだ。すべての試合がカウントされるべきだと思う。現在はそうじゃなくて、それが番狂わせがたくさん起こる原因だ。ヤッコ・エルティンが僕を負かしたり、ジムが番狂わせで負けたりとかのね。下位の選手たちは、このランキング・システムゆえに、気楽な気分で試合に臨み、思いっきりやる。勝てばそれでいいし、負けたら1年に30大会出場して、敗戦をカウントしないようにできるんだからね。 クーリエ このシステムはテニスを変えるし、プレーの仕方を変えてきた。かつてプロだった人に聞いてみたらいい。もし1回戦で負けたら………。 ピート ………痛い思いをする。 クーリエ いまは無料のホテルを提供され、3000ドルくらい手に入れる。これじゃエキシビションだ。敗戦のペナルティがない。 ピート カタールでエドバーグと話したんだけれど、彼も同じ意見だよ。いまの選手の考え方は変わってきているって。かつては平均点方式で、負ければポイントを失っていた。 競技に刺激を添えるために、何か変えようという考えには反対かい? クーリエ 僕は反対だね。盛り上げるために何か変えようというのには。僕は現在のテニスのあり方が好きだ。僕は純粋主義者ではないけれど、テニスの純正さを支持する。 ピート なぜ変えなければならない? ラケットの売り上げが落ちてきているから? フランクフルトでATPのシンポジウムが行われた時、ルーク・ジェンセンは、NBAみたいにミュージック・ビデオやダンシング・ガールを取り入れるべきだって説いて回った。でも、ある種の品格をもって自分を表現する選手を見たいと望む、年長の人々も大勢いるよ。 クーリエ 単純な事さ。みんな「テニスは下り坂にある」っていう意見に便乗しているんだ。でも見逃している事がある。この2〜3年、世界経済は不況で、失業者も増大している。不景気だと感じたら、まずどうする? 消費を控えるさ。もう1足テニスシューズを買うのを控えたりするだろう。 ピート 250ドルのラケットもね。 クーリエ 今年はボックスシート席の購入をやめるだろう。経済的にうまく行ってなかったら、節約するよ。 では、君たちは自分を伝統主義者だと見なしているのかい? ピート 僕はそうだね、絶対に。(クーリエも同意して頷く) 君たちは、テニスを肯定的なやり方で代表する責任があると感じているかい? クーリエ (サンプラスを指さし)ここに最高の代表者がいるじゃないか。彼はコートで素晴らしいテニスを披露する。余計な事には口をつぐんでいる。僕たちの責任は、世界最高のテニスをするという事だ。 ピート 僕たちが気にかけるべき事は、それがすべてだ。 では、テニスはモデルチェンジが必要だとする懸念に、メディアが囚われすぎていると思う? ピート その通り。 クーリエ すべてメディアの思い込みだよ。「テニスは何が悪いの? とても退屈だ。ラケットを買いにいく気にならない」なんて言うファンには、会った事もないよ。これは一種の誇張だけれど、僕に近づいてくる人からは、肯定的な意見しか聞いた事がないよ。 君たち2人がえり抜かれて、昨年のウインブルドンの試合後に「アメリカ合衆国の退屈?」なんて見出しを、タブロイド紙が載せたのをどう思う? ピート それがイギリスの新聞だって事だ。したい放題さ。 クーリエ 僕はいつもサーブ&ボレーをしたわけじゃない。ボリス・ベッカーとミハイル・シュティッヒの試合より、変化に富んで良かったはずだ。僕たちはグラウンドストロークもしたよ。イギリス人は#S&$●!ってのが僕の言い分だね。僕らの決勝は7月4日のアメリカ独立記念日に行われたが、それで彼らは面白くなかったんだろ。 ピート 僕たちについて、書き立てる否定的なネタがあまりないから、イギリスの新聞は好きじゃないんだと思うよ。僕らはそういう話題を提供しないから。 クーリエ 君は脚の毛を剃ったりしないし、僕は頭を剃ったりしないからね。 ピート コートで勝とうと努力する事の何が悪い? オーストラリアの新聞でジョン・ニューカムが、クーリエと僕はコートで観客を面白がらせるべきだと思うって語っているのを読んだよ。 クーリエ ハァ! そりゃ「自分の事は棚に上げ、目くそ鼻くそを笑う」ってものじゃない? ピート 考えたんだけど、マイケル・ジョーダンがバスケットボールのコートで、観客を面白がらせたりするかい? 彼は勝とうとして出るんだ。それが基本だよ。コメディアンになったり新聞に話題を提供するのが、僕たちの責務ではない。 成功は君たちを変えたかい? ピート おそらく変わったと思う。僕はいま、どんな事が進行しているのか、僕に儲け話を持ち込んでくる人たちの意図などについて、もっと注意深くなった。彼らが親切にするのは、僕の立場ゆえだからね。 クーリエ 君への処遇が変わってきたから、君は変わったという事だね。僕もそうだった。でも悪い方へ変わったとは思わない。人は誰でも変わる。成長するにつれ、自然に毎日変わっているんだ。19〜20歳の人は、誰でもその後3年くらいで変わるだろう。僕らは普通の人たちよりもっと人目にさらされているから、変わらざるを得ない。生き残っていくために、適応しなければならない。でも必ずしも悪い方へ順応する必要はないさ。 お金は君たちを変えたかい? 自分を百万長者だと見なしている? ピート いいや。 クーリエ いいや。 いままで買った中で、いちばんバカげた物は何? ピート う〜ん、車はミツビシから無料で提供されたし………。特にこれって思いつかないな。 クーリエ 無駄づかいしたなと思うような物はないよ。僕は中古のポルシェを買ったけど、すごくうまい取り決めをした。手放す時には、買った時と同じ金額で売れるだろう。だから無駄づかいとは言えないな。けっこうなレストランで食事し、友人や家族のために200〜300ドル使うのに困らないね。 ピート 僕は必要な物はみんな持っている。ほしいと思う物はあっても、買おうとまでは思わない。 クーリエ 今日はほしいと思っても、次の日にはほしいと思わない物がある。23歳で、ほしい物すべてを所有したいとは思わないよ。そしたらその後はどうする? そんな風に感じない? ピート 時々はそうだね。外出して………。 クーリエ 毎日リムジンに乗る事もできる。飛行機を買ったりレンタルしたりして、ニューヨークへディナーやショーに飛び、また飛んで戻ったりもできる。 ピート すごく楽しいだろうけど、そういう事はもっと後でもできるよ。 |
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