テニスマガジン
1996年9月20日号
ピート・サンプラス
「挑戦者」という名の王者

インタビュー:Boze Hadleigh
訳:後藤 裕子


   ゴールドメダルを期待されたアトランタ・オリンピック出場を右アキレス腱の故障
   を理由に
直前に取りやめたピート・サンプラス。5月初めには敬愛するコーチのテ
   ィム・ガリクソンを失うという不幸にも見舞われた男子ナンバーワン・ランカーは、
   グランドスラム・タイトルを今年はひとつも手にしていない。

   残るチャンスは、USオープンただひとつ。6年前の夏、わずか19歳で初優勝を果
   たしてトッププレイヤーにのし上がったUSオープンへ、ディフェンディング・チャ
   ンピオンは2連覇と王者の維持をかけて、挑戦者として挑む ---。


ウインブルドンでの敗北が記憶に新しいピート・サンプラスは、まず最初にこう静かにコメントした。自分は常に先のことを考えるタイプであり、希望を持って未来に臨むのだと。
「ウインブルドンでは、しばらくの間浮かない気分で、社交的になれなかった。だから誤解されたんだろう。あるドイツの記者は、僕が隠れていたのかって聞いたんだ。僕はただ笑うしかなかった。馬鹿げた質問だよ」

人は間違った期待という罠にはまることがある。(ウインブルドンで)僕はその期待を信じ、ガードが甘くなってしまったのかも……

今現在の最大の関心事は?

ピート USオープンだよ。ほかに何かある?

それと、プレーすること?

ピート たくさんプレーすることだね。そうすることで発奮できるんだ。僕はひどいスランプに陥ったわけじゃない。ただ、シェイプアップして調子を取り戻したいだけなんだ。

昨年、あなたはウインブルドンでアメリカ人初の3連覇を達成しました。だから、ウインブルドンで4連覇できないということなど予想もできないことだったのではないですか。

ピート 人は、間違った期待という罠にはまることがあるんだ。つまり、間違っているというのは、それが自分自身の期待ではないからだ。去年優勝したあと、あれ以上何を望めただろう。3連覇は新記録だし、冷静に考えてみると、3回優勝したなんて何てすごいんだろうと思った。だから、4回目の優勝、それも4連続優勝なんて、もちろん期待はしてはいなかったよ。

でも、今年になってみると、人はすぐ忘れてしまうものなんだと思った。大勢の人が3回の優勝のことなんか覚えていなかった。一方で3連覇したんだからと、また優勝を期待する人たちもいた。そういう期待があって、僕はその期待を信じてしまった。そのせいでガードが甘くなったのかもしれない。コーチやスポーツ記者の中には、勝利を予想するのは勝手だが、そう信じ込んでしまうのは心理的に良くないと言っている人たちもいるんだ。

そういう思い込みがあると、ただ無名なだけでとてもすぐれた相手に対してガードが甘くなる。でも誰でも知ってる通り、新しいプレーヤーが登場し、才能が開花して大きなタイトルをいくつか獲得するともう無名ではなくなるということは、どんなスポーツにもよくあるんだ。ところが少なくともテニスでは、連続してすばらしい成績を挙げてすごく有名になると、期待がかかり、簡単に罠にはまってしまうのさ。

ウインブルドンにこだわっていてはいけない、と。

ピート いや、別にいいんだ。精神的ダメージはないから。

ウインブルドンには、マラビーヤ・ワシントン、リチャード・クライチェクといった、比較的知られていないプレーヤーとは違って、有名なプレーヤーとして参加したわけですが……。

ピート 彼らはよく知られているよ、もう長いことツアーにいるから。でもふたりともあれで一気に有名になったね。

僕ががっかりしているのは、あの準々決勝に勝てなかったことじゃなくて、翌日に順延になったことなんだ(再試合は男子の他の2試合の間に行なわれた)。順延になると、もう時間切れじゃないかとか、このまま終わってしまうのではないかという疑いの気持ちが少し湧いてきてしまう。

でも、先に進まなければね。ガックリきた気分からだって抜け出すことはできるんだし、あらゆるプレーヤーが一度は不調に見舞われてきたんだから。

マスコミは、新しいスターを発見し、完成されたスターにプロとしての死を宣告するのにあまりにも性急だとは思いませんか。

ピート それはマスコミ全体の傾向だよ。マスコミはドラマを求めているんだ。実際プレーヤーだったら、ある種のリズムや調子の波があるってことがわかっている。だから、連勝したり、連敗したりすることもあるんだ。調子がいいとすれば、遅かれ早かれ下り坂がやってくる。そしてまた調子が上向いてくるんだ。でもテレビや新聞は、大胆な見出しをつけ、大勝利か大敗北を喫した者を求めている。あんまりたくさん読むと、うんざりしてくるよ。

リチャード・クライチェクをどう評価しますか。

ピート ウインブルドン以外で?(笑って)彼はいいプレーをする。器用な男じゃないが、プレーは巧みだ。テニスの能力は高いし、相手を倒す本能も持っている。僕との試合やミヒャエル・シュティヒとの試合を見ればわかるんじゃないかな。

言っておきたいのは、ウインブルドンのタイトルを取ったプレーヤーは、誰でもそれに値するということだ。本気でそう思っている。だって、ひとつには不安定なイギリスの天候があるだろう。今年はまさにそうだった。夏なのに実に鬱陶しい気候だった。でもウインブルドンだけが芝という生きているサーフェスの上で行なわれるグランドスラム大会なんだ。

だから芝はところどころ剥げてしまうし、天候も悪い方にばかり働く。雨でなければ何とかなるけど、降ったらそれで終わり。ウインブルドンでは毎日別の場所でプレーしているような気になるんだ。試合に勝つと、いつも重労働したような気分になるのさ(笑)。

ティム死は僕のすべてに影響した。いや、影響なんてものじゃない。衝撃だった。

ティム・ガリクソン(コーチ)の死はどのように影響していますか(ガリクソンは5月に癌で死去した)。

ピート ……僕のすべてに影響したよ。もちろん…。本当にそうさ……影響なんてものじゃない、衝撃だった。

涙でウインブルドンをあとにしたのはそのせい?

ピート あのときは、とても不幸な気がしたんだ。みんな理解しようとしていないように思えた。ほとんどの新聞は、単に負けたからだと書いた(7月4日、チェコ生まれのオランダ人、クライチェクによって、サンプラスのウインブルドンでの連勝は25でストップした。試合後、サンプラスは涙にくれながら、車に飛び乗って即座にコートをあとにした)。

それがすべてだったけれど、何よりもタイミングが悪かった。ティムのことがあり、負けたのが(アメリカの)独立記念日であり、早い敗退でもあり、そしてやっぱりティムのことが……。

ティム・ガリクソン亡きあと、あなたのプレーは回復していないのではないかという見方もあります。それについてはどう思いますか。

ピート どうしてそう言う人たちがいるのかは理解できる。確かにしばらくの間はダメージを受けたからね。どのジャーナリストにも言うけど、対戦したクライチェクは身長が2メートル近くもある。彼はすばらしいプレーヤーだが、彼の体の大きさや彼がそれをどう扱うかによって彼が "ダメージを受ける" ことはないだろう。それを忘れてほしくない(皮肉っぽく)。

ガリクソンがいなくなって、今後はどのようにしていくつもりですか。

ピート ただひと言、練習あるのみ。

天候はプレーにどう影響するのですか。

ピート 今年は何にとってもいい年ではなかったんだ。いつもそうなのかどうか知らないけど、今年、パリは暑かった。そういうことを聞いているんだよね? フレンチ・オープンはタフだ。気候がひどいよ。暑くて。僕は好きじゃないな。僕がいいプレーをするには向いてないと思う。

どんなコートならいいのでしょう。

ピート (ちょっと笑って)インドアって言うべきかい? ハードコートが好きだな。サーブ・アンド・ボレーのプレーヤーには向いているんだ。

スポーツ誌があなたのいわゆる "脆さ" について書くことには傷つきますか。

ピート うん、それは知っている。もちろん傷つくけど、あれは根拠不足だし、悪趣味だと思う。彼らの狙いは何なんだろうね。マスコミに取り上げられるにしたがって、マスコミ全部を避けたい気分になる。こういうインタビューはまだいいんだ、僕自身の言葉が少なくとも一部は載るから。

でも、みんなのインタビューを受けるわけにはいかないし、すでに落ち込んでいるときに追い打ちをかけるような記者もいるんだ。そうすることで、何か達成したような、山にでも登った気分になれるんだろう。でも、プレーしている以上、それは代償の一部だと思っている。負けることとともにプレーヤーに課せられるペナルティってとこかな。

ごく一部の記者があなたのことを脆いというのなら、誰がタフなのでしょう。

ピート シュテフィ・グラフ!(笑)。いや、真面目な話、彼女は大したもんだよ。あらゆるスタミナとエネルギーを備えたテニス・マシンだね。あの意志の力はすごいよ。

彼女がとても感情的だとは思わないけれど、若い女性だろう、それにウインブルドンのときは彼女の個人的状況だって良くはなかった(グラフの父・ペーターは脱税の容疑でドイツの刑務所に入っている)。それなのに、そのことに影響されているようには見えなかった。

彼女が疲れたり、泣いたりしたのを見たことはある。誰だっていつかは泣くからね。でも、たいてい、それは厳しい試合に勝ったあとなんだ。彼女は試合前と試合中は、完全にテニスマシンになっているよ、ドイツ製の。

僕の戦略はいつも同じ、勝って、勝って、勝ち続けること。それしかない。 

あなたのデビスカップでの勝利は、キャリアにとって重要なものだったというのは本当なのでしょうか。

ピート 新しい話題だね。僕にとって、ということだよね。デビスカップには歴史と伝統があるけど、どういうわけかアメリカではあまり敬意が払われていない。でも、僕にはすごく価値あるものなんだ。自分への自信を促すものとも言える。デビスカップで最初にプレーしたのは91年で、僕は負けたんだけど、当時デビスカップはそこにあるからプレーするという意味で、僕にとっては一種のエベレストだった。それで、デビスカップでプレーすればするほど、特別なものなんだという認識が高まっていったんだ。

ジョン・マッケンローはデビスカップのチャンピオンだけど、デビスカップにどうして相応の敬意が払われないのか不思議だと言っていたよ。でも、僕が勝利を収めてみると、実に甘美で充実した勝利だった。個人的にはデビスカップヘの評価は高いんだ。

間もなく始まるUSオープンで優勝したら、それはきっと大きなカムバックだと言われるでしょうね。それについてどう思いますか。

ピート 優勝は優勝だよ。それはすばらしいことだよ。きっと "カムバック" と言われるんだろうけど。それは言葉の問題だからしようがないさ。カムバックという見方でばかり取り沙汰され続けたら、かなりイラつくと思うけど、僕にはどうしようもない。僕にどうにかできることじゃないから。でも、年に2回優勝したらそういう言い方はされなくなるだろう。僕の戦略はいつも同じ、勝って、勝って、勝ち続けることさ。それしかないだろう。

コーチが亡くなったあと、休養できれば理想的だったのでは?

ピート 精神的にはね。本当にショックなことが起きた場合には、時間をとって立ち直るのがベストなんだ。でも、テニスではスケジュールのせいでそうはいかない。デビスカップを嫌ったり避けたりするプレーヤーがいる理由のひとつもそこにあると思うよ。タイミングの問題なんだ。海外のグランドスラム大会があるせいで、ほとんどの期間、スケジュールが詰まっているんだ。だから、テニスでは精神的にも肉体的にも絶好調である必要があるのに、僕はそうじゃなかった。

ティムはビヨン・ボルグの記録について(ウインブルドンの5連覇)、よく冗談とも本気ともつかないことを言っていて、僕もときどき自分にもできるのかな、なんて考えたけれど、ティムはいつだってその可能性の大きな一部であり、そのためのインスピレーションだった。

その可能性は今年のウインブルドンで消えてしまいましたね。

ピート 本当にひどい年だよ。救いは、あとは上向くしかないということさ。最近、ダブルスをもっとやりたいと思っているんだ、楽しみとか、チームワークのために。テニスでは、チームワークはあまり重要視されていないけれど、それも、デビスカップが広く人気を集められない理由じゃないかな。

デビスカップでは、シングルスとか個人のチャンピオンというより、ほとんどがチームワークだから。マスコミの責任もすごく大きいよ。(笑って)誰が勝ったか負けたかにかかわらず、デビスカップではフレンチ・オープンやウインブルドンほどたくさんの名前を印刷する必要はないだろう。

何か特別な精神的回復治療を試みているのですか。

ピート やっているけど、プライベートなことだから。何よりも時間が癒してくれると思う。それから、絶えず忙しくして、別のことに集中すること。一番いけないのは悲しみを否定することなんだ。だから僕は否定しない。否定しなさすぎかもしれないけど。でもとにかく、僕の場合、普通よりうまくいっているんだ。僕としては最善を尽くすだけさ。

ファンは応援していますよ。

ピート それは絶対に間違いない。ファンはテニスを楽しんでいるんだ。テニスで金儲けしようとか、言葉で人をやりこめようなんて思っていない。ファンの気持ちは何よりありがたいね。彼らは自分の好きなものに誠実で、それから離れない。すばらしいよね!


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