テニスマガジン
1993年9月5日号
独占インタビュー ピート・サンプラス
インタビュー&文:Craig Gabriel
写真:中嶋 常正


名声なんてそれほど重要じゃない。
僕はただ、みんなにナイスガイだと思われていたいんだ


今年4月のジャパンオープンで史上11人目のランキング・ナンバーワンとなり、そしてウインブルドンで90年の全米オープン以来のグランドスラム・タイトルを手にしたピート・サンプラス。"最も人気のない王者" などという風評も聞こえてきたが、果たして彼の素顔はどんなものなのだろうか。

確かにアガシのような派手さはないが、我々は彼に関して深い誤解をしているのではないだろうか。今回ご紹介するのは、ウインブルドン直前に収録したもの。この貴重なインタビューからは、サンプラスのウインブルドンにかける、そしてテニスにかける思いをはじめ、これまで知らなかった一面がにじみ出ている。

ときどき自分でも、テレビで自分の姿を見るとボーッとして変なヤツだと思うこともあるけど…

あなたは、家族同士が仲の良い家庭に育ったという話ですが、そのことがどれほどあなたにとって良い効果をもたらしたのか、どれほど重要なことなのかを教えていただけますか。

サンプラス(以下ピート) 基本的には、僕をサポートしてくれるという点で、ベストのシステムだったと思うよ。UCLAでプレーしていた姉のステラや、現在も金銭面を担当してくれている兄のガス、そしてもちろん両親ともずっとうまくいっているからね。

僕は現在はフロリダに住んでいるから、以前ほどではなくなったにしても、できるだけ両親のいるロスへは帰るようにしているし、家族との関係は今まで通りいいよ。


家族の誰かが、あなたに関するスクラップを作っているんですって?

ピート 兄が僕の21歳の誕生日に、90年の全米に関するあらゆる記事と僕がプレーし始めた7歳か8歳ぐらいのころからのすべての試合の記事の切り抜きをくれたんだ。もう、すばらしい宝物だよ。すごく大きなアルバムなんだ。

以前はお兄さんといっしょにツアーを回ることが非常に多かったし、今はティム・ガリクソンがいっしょですね。あなたにとって、誰かといっしょにツアーを回るということはどのような意味のあることなのですか。

ピート 海外へ行くときには特に重大なことなんだ。ヨーロッパやオーストラリアはとても遠いし、ガスやティム・ガリクソンやガールフレンドがいっしょにいてくれると助かるよ。アメリカ国内なら、僕もひとり旅をするには十分年をとっているとは思うけど、でも誰かといっしょにディナーに出かけることができればいつもいい気分なんだ。だから極力そうしてる。若いプレーヤーにとってはなおさら重要なことなんじゃないかな。

あなたが今、興味を持っていることは?

ピート 音楽とゴルフかな。だいたい普通の人たちと変わらないよ。ツアーでオフのときは、ゴルフをしたり、映画を見に行ったり、おいしいものを食べに行ったり。まったくのシンプルライフだよ。ステファン・エドバーグと同じ、極めてシンプル。なんの楽器もいじらないし、本当にのめり込むような趣味もないんだ、テニスを除けばね。もう、ずっとこんな感じだし、たぶんこれからも変わらないと思うよ。趣味と言えるようなものは何ひとつないね。ただ練習をいっぱいすること。そんなとこだね。

非常に現実的ですね。

ピート うん。

あまりにも楽々とプレーするので、人々はたぶん、あなたがコートで全力を尽くす気がないんじゃないかというような印象を持つんじゃないですか。

ピート それじゃあ、「ピート・サンプラス入門」の前書きを理解しただけっていう感じだね。ピート・サンプラスが良いプレーをすれば、人々は僕が天才じゃないかと思う。そうかと思えば、ひどいプレーをしたり負けたりしたときには、ただ変なヤツじゃないかと思う。ゴルフで言えば、フレディ・カプルスみたいにさ。彼はボーッとしてるように見えるじゃない? 

僕は自分の全体像を見てもらいたいと思うけど、ときどき自分でもテレビで自分の姿を見るときには、特に負けているときなんか、頭を下げてブラブラ歩き回っているのを見ると、そんなふうに思うこともあるから、みんながそう感じるっていうのもわかるよ。でも、これまでもずっとそうだったし、これからも変わらないよ。

あなたはもっとも才能あるプレーヤーで、相手に考える暇を与えずにどんどん打って攻めまくるプレーヤーとして一番すぐれていると言う人がいますが、プレーの最中にアドリブで新しいアイディアが浮かんでくるということはありますか。

ピート そういうやり方でプレーすることは、僕にとって有利に働く場合と、不利に働く場合がある。たとえば、気持ちを切り替えたいときには、そのための方法はシチュエーションによって何通りもあるんだ。そのことが逆に良いとは言えない場合もあると思うけど、今までのところ、有効だね。

僕は多くのショットを打つことができる。たとえば、ベ−スラインから10メートル離れていたとしても、そこからフォアのクロスでエースを取ることもできる。何か決めることのできる武器を
持っているということは意味のあることなんだけど、それがまた災いとなることもある。たとえば、まったくバカげたショットさえも打つことが僕には可能だっていうことなんだ。

でもそれが僕のスタイルであり、これからもそういう方法でプレーしていこうと思っているんだ。チャンスをたくさん作り出して、攻めまくって、そしてできればエースを決めたいね。

試合中、自分自身に対してショックを受けることは?

ピート ときにはね。ラッキーなドロップボレーを決めたときなんか、こう言うんだ。「いったいどうしちゃったんだ?」ってね。

あまりにひどいショットを打ったときなんかは、「ああ神様、あんなショットを打つなんて、オレは世界一の大バカ野郎だ!」とかね。

フォアの高いボールなら、ドロップボレーでアッと言わせたいね。そうじゃなきゃ、目の覚めるような鋭いボレーを決めるとかね。ここ数年のプレーの中で記憶に残っているのはそんなところかな。やや安定性に欠けるけど、以前のような無謀なプレーはしなくなったよ。

本能のおもむくままにプレーしたり、自信たっぷりでプレーしたりすることはありますか。

ピート どちらかと言えば自信を持ってプレーする方かな。僕は自信を持ってプレーしないと、自分を見失って、ボロボロになってしまうタイプだと思うよ。そして自分で自分を窮地に追い込んでしまうんだ。本能のおもむくままにプレーしていた時期もあったけど、テニスプレーヤーというよりは、ショットメーカーっていう感じだったね。

ケン・ロ−ズウォールを思い出してよ。彼こそテニスプレーヤーだよね。どんなボールにも追いついて、頭を使ってショットを打つんだ。彼に比べれば、僕は単なるショットメーカーだね。エースもいっぱい打つけど、またミスも多い。いい線いってるけれど、やっぱりそういう意味ではショットメーカーだ。

以前あなたは、1990年の全米で優勝して以来、人々に注目されて私生活に支障をきたすようになったとコメントしていたことがありましたけど、たとえばどんな点で、そういったことがあったのですか。

ピート まったく予期していなかったことだったんだ。むしろ、まず "ATPツアー・カレッジ" に入学して、それから3年後にプロに転向するべきだったと思う。マスコミにも慣れていなかったし、すべてのことに慣れていなかったんだ。ほんの短期間でそういうすべての変化に適応しなければならなかったおかげで、テニス自体も影響を受け、あれから半年から8か月間くらい、まったく良いプレーができなくなってしまった。

そのスランプを抜け出してやっと、本当の意味でトップ5とか10の仲間入りができたんだ。スタジアムに入ろうとすると、あらゆる人々に追いかけられ、あらゆる人々からサインを頼まれた。そんなに時間を要することではないんだけど、最初の頃は私生活をさらけ出すことがいやで、そうした人々の話題の中心にいるということが好きになれなかったんだ。でも今は、生活の一部だと、これも仕事のうちだと思うようになったよ。

それじゃあ、成功することによって得た名声をエンジョイすることができるようになったわけですね。

ピート そうとは言えないね。僕は非常にプライベートな生活を大事にするタイプなんだ。普通に出掛けたいと思うし、なおかつテニスプレーヤーでもあるわけで、今のところ有名になったということはいいことではあるけど、考えさせられるようなこともあるよね。僕はただ、人々にナイスガイだと思われていたいし、試合に勝つことだけを考えているというふうにも思われたい。だから名声なんて物は僕にとってはそれほど重要なことじゃないんだ。

以前に言っていたことなんですが、あなた自身がずいぶんと変化したということですね。最初の頃は、トーナメント中もコンピュータ・ポイントとか賞金のことばかり考えていたのが、今ではすベてのことを考えるようになったという…。そのことについて話してくれませんか。

ピート 15歳とか17歳の頃は、予選には出ずに、ストレートにメインドローに入ることや賞金の額にばかり神経がいっていたけど、今は、そんなことは少しも気にしていない。ただどれだけ多くのタイトルが取れるかということだけを考えてる。ほんの数年前は、自分はポイントをいくつ取れるか、ボーナス・ポイントは何点かっていうことだけを考えていたのに、こんなに変わってしまうなんて興味深いことだよね。でも現在もまた、同じことに頭を悩ませるようになってきているんだ。

ほかにまだ成し遂げていないことは?

ピート おそらくウインブルドンで勝つことだろうね。ウインブルドンと全米のタイトルの両方を持っている選手はそれほど多くないと思うよ。それにグランドスラムだね。4大大会すべてで勝つということは、僕のもっとも大きな目標のひとつだよ。

でも現実的に考えれば、全仏とウインブルドンの両方で優勝するというのは、日程的に両大会の開催日が近いという点からとても厳しいだろうね。

クレーコートでのプレーは少しずつ上達していると思うけど。ウインブルドンに関しては、去年あれだけ良いプレーができた(初めてベスト4へ進み、イバニセビッチに惜敗)から、ぜひとも取りたいタイトルだね。

レンドルを尊敬している。彼こそプロだ。信じられないようなことを彼は実行していたよ

今の生活で一番楽しんでいることは?

ピート 勝つことだね。家族や友人とすごすこと、それに勝つこと。負けることよりもずっといいよ。それにプレーするのがとても楽しいんだ。本当に楽しんでいるよ。そんなふうに言うヤツはそうたくさんはいないと思うけどね。ボールを打つことが本当に楽しいんだ。

もし3日も4日も練習できなければ、いいショットを打つことができなくなってしまうだろうね。今までもずっとそうだったんだけど、新しいトリッキーな、ちょっとバカげているようなショットを開発するのが好きなんだ。それに試合は本当に楽しいよ。

90年代は、80年代のようにひとりのプレーヤーがナンバーワンの座に君臨するようなことが可能だと思いますか。

ピート 今はたったひとりのプレーヤーがナンバーワンの座をキープできるとは思わないね。去年の前半について言えば、ジム(クーリエ)がすばらしいプレーをしたけどね。以前はレンドルが2、3年の間、全仏にも勝ったし、完全に他を圧倒していた時期があったけど、彼のように圧倒的に抜け出すプレーヤーが出てくるとは思えないね。

今までのあなたのキャリアのハイライトを挙げるとすれば?

ピート おそらく1990年の全米での優勝だろうね。僕を有名にしたという点からすれば、間違いなくあの勝利だね。今までのところ、一番誇りに思っていることでもある。

去年のデ杯について話を聞かせてほしいのですが。今後もチームの一員としてプレーするつもりはあるのですか?

ピート 大学でテニスをしたことがないし、僕はあまリチームでプレーしたことは本当になかったんだ。これは本当におかしな話なんだけど、それまでずっと、チームを勝利に導いた野球の監督やフットボールのコーチなんかが非常に高い評価を受けてるってことが理解できなかったんだ。

今になってやっとわかったよ。チーム内にはいろいろな個性の持ち主がいて、次から次へと問題が持ち上がる。だからチームをまとめるキャプテンとかコーチの役割がとても重要なんだよね。去年デ杯で実際プレーしてみて初めてわかったよ。

たとえば(バスケットボールの)レイカーズのパット・レイリーさ。レイカーズにはマジック・ジョンソンだとか、ジェームズ・ワーシングなんかがいて、パットは彼らのようには派手ではないけど、チームをひとつにまとめるという役割を持っているんだよね。

今までそんなこと考えもしなかったけど、こうしたプレーヤーがいるからこそ、ひとつのチームとしてまとまることができるんだと思う。ジョン(マッケンロー)がいてアンドレ(アガシ)がいて、エゴのぶつかり合いがすごい。だからこそ彼らをひとつにまとめる監督の役割が本当に重要なんだ。

今までの経験では、1991年の場合よりもずっと良い思いをさせてもらったんだ。マッケンローと組んで2度ダブルスに、それから早いラウンドでシングルスに数回出場したんだけど、楽しかったし、とてもすばらしい体験だったよ。でも、もっとあとになればなるほど、このことの意味を把握できるようになるんじゃないかと思うよ。

楽しかったし、チームの勝利のために他のプレーヤーといっしょに戦うのは好きだよ。ツアーではそう何度も味わえることじゃないしね。残念なことに月曜日の朝が来ればまたバラバラにプレーすることになってしまうわけだけど。そのことだけが残念だね。

それは悲しい瞬間でした?

ピート 悲しくはなかったけど、100パーセント落ち込んだ気分になったね。僕らは土曜日にすばらしくハイな気分で勝利して、その後すぐに僕だけがグランドスラム・カップに出場するためにミュンヘンに飛んだんだからね。それはもう、まったく遠い世界に飛び立っていったんだ。

ピート・サンプラスは完全主義者?

ピート そうだと思うね。たいていの場合、そうだと思う。プレーするときはすべてのポイントを取りたいと思うからね。40-0で勝っていれば、もう、すぐに次のサービスゲームも取りたいと思うこともあるよ。

でも、そうありたいとは思うけど、自分の性格から言って無理だろうね。ジム・クーリエのようなタイプの方が僕なんかよりはずっとその可能性があるんじゃないかな。

ここまで来る間、尊敬するプレーヤーはいましたか?

ピート たぶんイワン・レンドルのことを尊敬していたと思うよ。彼にはマッケンローほどの才能はなかったけど、誰よりも努力をして、誰よりもすばらしい結果を残した。3年から4年もの間、彼の強さは圧倒的だった。ウインブルドンはもう少しのところだったけど、すべてのことを成し遂げて、すべての大会で優勝することを目指していたんだ。

彼は世界で一番才能のある男ではなかったけど、たいへんな努力を重ね、すべての時間をテニスのために費やしたんだ。数年前、僕は実際彼と1週間いっしょに過ごして、これこそプロだと思ったよ。彼のその取り組み方は尊敬に値する。本当に信じられないようなことを彼はしていたよ。

ツアー中に、暇を見つけて観光に出かけるようなことはありますか。

ピート たいていの場合、ホテルとコートの往復だけだね。パリへ行ったときに、観光に出掛けたことがある。その1991年のパリ・インドアでは決勝で負けてしまったんで、フランクフルトへ行く前にガールフレンドに引っ張られて、そういうことになったんだ。ベッドで一日中寝ているかわりに街へ出た。そんなことは初めてのことだったよ。彼女と兄といっしょに1週間丸々歩き回るなんてね。あれが最初で最後だね。

楽しかった?

ピート うん、けっこうね。サイン攻めにはちょっとばかり参ったし、疲れもしたけど、21歳だからできたというか、でも、ルーブルなんて41歳ぐらいになってみなきゃ、その良さはわからないだろうけどね。

テニスの世界は、人の成長を早める力を持っている。だから、自然と早熟になってしまうんだ

チャリティ活動に関しての役割について話してもらいたいのですが、あなたは、グランドスラム・カップの賞金のうち、ずいぶん多くの額を脳性マヒの人々のために寄付しましたね。どういういきさつがあったのか話していただけますか。

ピート うん、父の姉妹、つまり僕のおばが、もうすでに乳ガンで亡くなっているんだけど、彼女が脳性マヒだったんだ。僕が13か14歳の頃に、父が白日夢を見たんだ。「もしお前が大金を手に入れたら、彼女のためにそのうちのいくらかを寄付するか?」って聞かれたっていうんだよ。

で、僕がミュンヘンで勝って、200万ドルをもらったときに、目の前にマスコミ関係者がたくさんいただろう。マイクの前に進んでいったときにはそんなことは考えてもいなかったんだけど、ふとそれを思い出して、そのお金を寄付することを決めたんだ。何よりも父のためにやったんだ。宣伝のためなんかじゃない。父とおばのためにやったんだ。父はこのことを絶対に忘れないでいてくれると思うし、僕自身もそんなことができたことをうれしく思っているんだ。

それじゃあ、今度は軽い話題。どんな感じの音楽が好きですか?

ピート R・E・M・が好きだね。キャット・スティーブンスとか、レッド・ツェッペリンとかも。あとトム・ぺティもまあまあだね。ぜんぜんジャンルはメチャクチャだけど、ニール・ダイヤモンドも聞くよ。

一番好きな映画は?

ピート 「アマデウス」から「ターミネーター」「レインマン」とか、いろいろだよ。「ア・フュー・グッドメン」はすごかった。役者が良かったよ。

テニス界はどこへ向かっていると思いますか。

ピート とても健康的に発展しているんじゃないかな。メディアは、多かれ少なかれゲームのスピードについて問題視しているけど、僕がプロに転向してからも、随分とスピードアップしたと思うよ。でも、それはファンそれぞれの好みによるんじゃないのかな。

チャンのような長い試合が好きな人もいるだろうし、アガシのようなパワフルなゲームが好きな人もいるだろうし、イバニセビッチのようなビッグサーバーがひいきの人もいるだろうし…。でも、僕に言わせれば、ゲーム自体は進歩していると思うよ。確かにマッケンローやコナーズといったような個性的なプレーヤーはいなくなってしまったけど、健全に進歩しているよ。

自分自身に関して、理想的なゲームを思い描くとするとお手本になるのは?

ピート おそらく、ウインブルドンの決勝のボルグとマッケンローだろうね。人間性にしてもプレースタイルにしても、彼らはコートの上でまったく対照的なふたりだった。あれは本当にすごい試合だったよ。

あなたは以前から、"昔のプレーヤーたち" の試合を見るのはとても楽しいと言っていましたが、それについてちょっと話してくれませんか。

ピート 僕はローズウォールのバックハンドを見るのが好きなんだ。彼の打つボールにはメッセージが込められている。僕が思うには、昔のプレーヤーは今のプレーヤーと比べて、コート上でどういうプレーをするべきかということをずっと深く考えていたんじゃないかな。だって彼らは大きなラケットもなかったし、僕のサーブのような強力な武器も持っていなかったわけだからね。

あなたは多額の賞金とエンドースメンツでたいへんな富を手に入れたわけですが、21歳という年齢を考えると、ときどき自分でも驚いてしまったりすることはありませんか。自分が何をしたと考えていますか。

ピート 驚きだね。僕と同年代のほとんどの人は、大学の2年生か3年生で、僕はといえば百万長者だものね。お金に関して言えば、この先一生困ることはないんだ。そのことを考えるととてもいい気分だよ。

お金はあなたにとってのエネルギーのもとになっているということですか。

ピート いや、そうは思わない。大金を稼ぐのはおもしろいこともいっぱいあるけど、でもコートの上に立ったときには、お金のことは考えてないよ。多くのトッププレーヤーが僕と同じだと思うな。マジック・ジョンソンは誰よりも大金を稼いでいるけど、それでも彼は今年もプレーしたいと考えた。それはプレーすることが好きだからだよ。僕の場合も彼と同じだよ。

あなたはそのお金をジャンジャン使うタイプ、それともむしろ倹約家タイプ? 今までどんな大きな買い物をしましたか。たぶん家とかスポーツカーなどを買ったと思いますが。

ピート すばらしい家をフロリダのタンパに買ったんだ。とてもリーズナブルな買い物だったと思うよ。だってそれまでは借家に住んでいて、それが今やオーナーになったわけだから。それから、三菱の3000GTとその他に3台の車を持っているよ。高いスポーツカーを何台も買う気はないね。

とても簡単なことさ。僕は保守的だけど、貧しくもない。もし何かが必要だと思ったら、それがいくらであろうと買うよ。もし試合前に良い食事を取る必要があるとすれば、それにいくらかけてもかまわないということさ。

"成功のワナ" を楽しんでいるというわけですね。

ピート そういうことだね。インタビューを受けたり、サインをしたり、カクテルパーティに出席したりということは、生活の一部であると思ってるんだよ。自分がかかわっていること、そして成功するためには、プライベートな部分を犠牲にしなければならないこともあるということさ。僕が良いプレーをすればするほど、人々は僕について知りたくなってしまうだろう。

この何年間で、僕はそうしたことにどう対処すればいいかということを悟ったんだ。全米オープンのあと、僕をそこから救い出してくれる誰かが、僕にいいように事を進めてくれる誰かが、そうでなければ僕についてひどい記事をかいてくれる誰かが存在するんじゃないかと思ってた。すべてのことが本当にうまくいくようになるまでたっぷり数か月かかったよ。

ガールフレンドとは、もう何年ものつき合いだと思いますが、あなたたちがまもなく結婚するんじゃないかっていう噂は本当なのですか。この質問に答えてくれなければ、このインタビューは終わりにしませんよ。

ピート いや、僕らはすぐには結婚するつもりはないよ。

もしあなたが、「世界中のたったひとつのことを変える力を持っている」と言われたとしたら、何を変えると思いますか。

ピート 僕はただ、人生がもっとシンプルになればいいなあと望むだけだね。つまり、他人と言い争ったり、家族とケンカしたり、戦争とか紛争とかいった争いごとがなくなることを望んでるんだ。僕はガールフレンドともケンカをしないし、誰とも争わない。すべての人に幸せが訪れることを願うよ。そう思うね。

政治には興味を持っていますか。

ピート いや、全然。

ここ数年でずいぶんと成長したと思いますが、それはどこで感じますか。コート中? 外?

ピート おそらく両方でだろうね。僕は同年代の人たちよりも成熟していると思うよ。それがガールフレンドのおかげなのか、家族のせいなのか、僕が家を出て暮らしているからなのかはわからないけど、たぶんそうしたこと全部が入り混じってこうなったんだと思うよ。僕らがこれまでやってきた世界、つまリテニス界は、成長の速度をより早める力を持っていると思うんだ。

ジェニファー・カプリアティなんか、14か15で、普通の生活をしている人々よりもずっと稼いでしまっているし、僕もクーリエも同じ21歳だけど、いつも自分たちよりもずっと年上の人々に囲まれているから、自然と早熟になっちゃうんだよ。

もしテニスプレーヤーでなかったとしたら、どんな人生を選択していたと思いますか。

ピート わかってくれると思うけど、まったく想像がつかないね。大学の2年生になっているか、これからの人生、何をやって生きていったらいいか、思い悩んでいるところかもしれないね。たぶん、ビジネスマンか証券マンあたりかな。本当にわからないよ。だってボクは13とか14歳ぐらいのときから、テニスのプロになりたいと思っていたんだから。


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