テニスジャーナル
1993年6月号
No.1達成スペシャル・インタビュー
ピート・サンプラス


ついにNo.1を手中にしたサンプラス。だが彼の夢はそれだけではない。
あくまでも通過点に過ぎないのだ。
ここではNo.1達成直後、胸の内を語ってくれた


世界No.1の実感

まず、世界No.1になった感想を聞かせてください。

ピート・サンプラス(以下ピート)ここ数カ月間、いつNo.1になれると思うかと騒がれていたので、正直に言ってホッとしているんだ。

デビッドとの試合中(ジャパン・オープン準々決勝ウィートン戦:サンプラスがこの試合に勝てばNo.1になることが事前に公表されていた)、じつはNo.1が頭の中をちらついていたんだよ。

あなたは感情を表に出さないタイプのプレイヤーで、しばらくしてNo.1の実感がわいてきたら、どのような気持ちになると思いますか。

ピート 子供の頃から自分は世界一になるんだと自分に言い聞かせてプレイしてきたけど、まさかそれが実現するとは夢にも思っていなかった。この2週間(ジャパン・オープンと香港オープンのアジア遠征)が終わったら、ゆっくりと自分が何をしたのかを振り返ってみるつもりなんだ。だから、どのような気持ちになるかはまだわからない。

たぶん、これはもっと年月が経って、人生を振り返ったときに感じられるようになるのかもしれないね。今はテニスや、その他のやらなければならないことで忙しいから。時間をとって実感できるようになるのを待って、それから仕事に戻るよ。

クーリエ選手が3回戦で敗れて、あなたがジャパン・オープンでNo.1になるチャンスが広がったとき、どのように感じましたか。

ピート ジムが負けたことは驚きだったけど、ランキングのことはできるだけ気にしないように心がけたね。また、たとえNo.1が確定したとしても、そのために気が緩んだり、安心してしまって、試合に集中しなくなることだけは避けようと思ったね。

No.1とグランドスラム・タイトルを巡る現在と過去

クーリエ選手は、No.1の地位か危うくなったことは気にしていない。今のところ、自分は4つのグランドスラム・タイトルを持っているが、ピートは1つ。だから自分のほうが良いプレイヤーであると信じている、と言っていましたが、あなたも彼と同意見ですか。

ピート No.1よりも、グランドスラム・タイトルを重視するという点では同意見だね。もし世界No.2でも、ウィンブルドンやUSオープンのタイトルが取れるんだったら、僕はそのほうがいい。

たしかに子供の頃からの夢を達成できたことはすごく嬉しいけれど、ここ数年僕の目標はグランドスラムでピークを迎えることだったからね。92年は全仏、全英、全米で良い成績を残すことができたけれど、残念ながらタイトルを取れなかった。だから、今年の課題はその3つの大会のどれかでタイトルを取ることなんだ。

コナーズやマッケンローなどは、No.1という地位に対してもっと敬意と尊敬を払っていたのではないかと思うのですが、あなたやクーリエ選手のように、見解が変わってきたのは、ランキング・システムの計算方法が変わったからでしょうか。

ピート そうじゃないと思うよ。結局大切なのは、1年の終わりに誰がNo.1であるか、ということだと思うんだ。そしてそれはおそらく、グランドスラム大会でもっとも良い成績を残したプレイヤーなんだ。ジムは去年2つのグランドスラム・タイトルを獲得した。だから、最終的にNo.1になったんだ。

レンドルやコナーズ、マッケンローにしても、グランドスラム・タイトルを数多く持っている。レンドルは9つのグランドスラム・タイトル、マッケンローはウィンブルドンだけで3つも持っている。それらは間違いなく彼らのキャリアの中でも重要な部分を占めているはずだよ。そしてだからこそ、彼らのNo.1に意味があったんだと思う。

早く訪れた人生の分岐点

では、現在、実質的には世界No.1で、それ以前も、長い間ずっと上位にランクされて、今やあなたは世界中で知られるようになったと思うのですが、そのような名声や環境の変化があなたになんらかの影響を与えたと思いますか。

ピート たぶん、僕も含めてトップにいる多くの若いプレイヤーは、同年代の人たちより成長するのが多少早いだろうね。独立心とか、自立といった精神的な面でもね。ふつう21歳の人だったら、大学に行ってその中で人生の進路を決定するという時期だと思う。これからどうするのか。経済的にどのように生計を立てていくのか。そのような人生の分岐点に達する時期にきている頃だけど、僕はもう人生設計の軌道に乗っている。

プロになることを決めた時点で、人生の分岐点が訪れたと言えるからね。そして幸運なことに、僕はプロのプレイヤーとしてはある程度の成功をし、もう生活は安定している。成長、そして安定という点で、僕たちは同年代の人たちよりも進んでいるのかもしれない。

テニス・プレイヤーと、映画スターを比較した場合、人々の前で「プレイ」する点で多少類似していると思いますが、映画スターの社会的な役割のひとつが人々に夢や感動、ときには人生観などを与えることだとすれば、テニス・プレイヤーのそれは何だと思いますか。

ピート 僕は、テニス・プレイヤーにも映画スターと同じような社会的な役割があると思う。テニス・ファンや観客の人々に夢や感動を与え、そして正しい態度を示すといったね。僕自身にも、コート上での振る舞いや態度で模範としているプレイヤーはいるよ。

反対に僕が見ていて残念に思うのは、不利なコールやまずいプレイがあると、すぐラケットとか投げてしまうプレイヤーがいることかな。その点、ステファン・エドバーグはコート上ではプレイだけに集中し、自分のビジネスをしているんだという態度を取っている。そのような態度こそ僕がいつも目指しているものなんだ。

プレイヤーの社会的役割と、No.1達成

人々が見習うようなプレイヤーになりたいとのことですが、それはNo.1プレイヤーになることとどちらが大切なことだと考えていますか。

ピート 両方だね。その2つは比較できるものじゃないと思うんだ。手本としてのプレイヤーの社会的な役割を演じることも大切だし、記録を残すことも大切なんだ。今は、No.1になるという目標のひとつが達成されて、今後の人生においてそれを再評価できる日も来るんじゃないかと思う。

プロ・キャリア5年の間にあなたが獲得した賞金総額は5億円以上。同世代の人と比較して、一般的には大金とされる額です。しかしあなた自身は、トップを維持するためにこれまで費やしてきた努力や、支払ってきたコストへの代価として、その額は妥当だと考えますか。

ピート 僕はテニスを13年間やってきて、かなりの努力をしてきたし、両親はコーチ料や旅費、そしてトーナメント出場のために多くの出費を負担してくれたんだ。そして、それらの努力は、賞金などによって本当に経済的に採算が取れたと思うよ。それはたしかにかなりの額だけと、僕はそれだけの努力をしてきたし、また大金を稼ぐというのも楽しいことだからね。これは誰もが認めることだよね。

あなたは浪費家ですか、それとも倹約家ですか。

ピート 浪費家! まったくそうじゃないと思うよ。かなり倹約家じゃないかな。たしかにフロリダとロサンゼルスに家を買って、それらは何百万ドルもするものだったけど、それ以外にはたいして使っていないからね。スポーツ・カーや派手なものに使っていないしね。僕は金銭的にはかなり慎重で、道理をわきまえた人間だよ。

ふだんには、ちなみに車は何に乗っているのですか。

ピート ミツビシ3000GTO。でも、契約の関係で、腕にミツビシのロゴを付けていないと乗れないんだ。

テニスはあなたの幸福に結び付いていると思いますか。

ピート もちろん、それが生活の糧だし、勝てば嬉しいし、負ければとても悔しい。間違いなく僕にとって今一番大切なものだね。


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