サンデー・モーニング・ポスト(香港)
1998年6月14日
ピストル・ピートの個人的に快適な領域
インタビュー:Craig Gabriel


「ウィンブルドンは僕に合っているようだ。それはとても素晴らしい。
僕たちにとって世界最大の大会だからね」


ウィンブルドンのセンターコートを、かつてボリス・ベッカーは「自分の居間」と称した。しかしピート・サンプラスがオール・イングランド・クラブの1995年決勝でそのドイツ人を負かした時―――それは彼のウィンブルドン3連覇だったが、その居間はいまやこのアメリカ人のものだとベッカーは宣言した。

6月22日、前回優勝者のサンプラスが世界で最も有名なテニスコート―――その青々とした刈り込まれた芝のコートでは、ラケット・ストリングスに当たるボールの音が他のどことも違って響く―――を歩く時、彼は熟知している領地へと入っていくのだ。まさに彼以前のすべての、そして彼自身がそうであるディフェンディング・チャンピオンとして。

世界ナンバー1は彼の快適な場にいる。フレンチ・オープンで経験する継続的な失望の後では。彼はそこでは一度も決勝に達した事がないのだ。

対照的に、サンプラスはウィンブルドンでは一度も決勝で負けた事がない。彼はセンターコートでは1回しか負けた事がない―――それは1996年、リチャード・クライチェクにストレートで敗れた時だ。クライチェクはそのままタイトルを勝ち取った。

ここでは第112回ウィンブルドン・チャンピオンシップへの準備段階で、サンプラスが彼の大望、プレッシャー、スポーツ界最高の2週間、世界最高のプレーヤーであるとはどんな事かについて話をする。


5年間で4回ウィンブルドンで優勝するというのは、実現すると想像したものでは恐らくなかったのでは。しかしあなたはまだ若いし、ビョルン・ボルグの5連覇は近代では歴史的な事です。あなたにはその数を超える可能性もあります。ここでのあなたの業績をどのように感じますか?

ピート
 正直言って、そんな事をすると計画してはいなかったよ。子供の頃はウィンブルドンで優勝する事をいつだって夢見る。でも自分がこのレベルにいて、これだけ優勝するとは考えもしなかった。現実は、芝生が僕にとってベターなサーフェスの1つに変わったという事だ。ウィンブルドンでプレーし始めた頃、僕は最初の3〜4年で1試合に勝っただけだった。でもいま、僕はウィンブルドンのセンターコートでは自信を持っている。そして芝で僕を負かすのは難しいという自信を持っている。良いサービスが打て、かなり上手くリターンできると、もちろん助けとなるよ。

自分がボルグのような人と比較されると考えるのは、少しばかり面映ゆいよ。でも僕の業績については、引退後にもっとありがたく味わうだろう。いまは自分がする事にだけ目を向けている。ウィンブルドンは僕のベストを引き出してくれるようだ。もちろん今年それが起きる事を望んでいるよ。

大会が始まる時、サンプラスを倒す男に優勝するチャンスがあると言われます。あなたは優勝をさらうと予想されている。その事はロッカールームであなたに効力をもたらしますか、それとも毎年より厳しくなると考えていますか?

ピート
 どの年も厳しいよ。タイトル防衛はむずかしい。どんなメジャー大会でも優勝はむずかしい。ウインウィンブルドンでは、確かに僕は有力な優勝候補の1人で、選手たちはそれを知っているだろう。そして僕が芝生でいいプレーをする事も知っている。でもそれが芝で僕にオーラをもたらし、威嚇するものになっているかどうかは分からない………そうならいいけどね。

ウィンブルドンで優勝するのはむずかしい。天気、雨による遅延、スピード、ある時にホットになる事のできる男たちとの対戦、さまざまな要素がある。プレーには非常に厳しいサーフェスだ。2回くらいミスをすると、大会から去る事になる。何らかの理由で過去4〜5年、僕はあそこで優勝するに足るプレーをする方法を見いだしてこられた。ウィンブルドンで準々決勝、準決勝が近づくと、これだ、このためにプレーしているんだと感じる。そして多分、その年の他のいかなる試合よりも、気合いが入るんだ。それは僕のベストを引き出してくれる。

センターコートに出ていき、観客のテンションに応える時、どんな気分に襲われますか。

ピート
 それは突然やって来るような気分ではなく、なじみのものだ。初めてセンターコートに入った時は、おそらく少し圧倒された:僕はついにそこにいるぞってね。でもいまは、僕は何回もあのコートでプレーしたし、環境や風景全体になじんでいる。僕は徐々に好きになっていった ―――知っての通り、フレンチ・オープンではそういう感じを持てないでいるけど。ウィンブルドンは僕に合っているようだ。それは素晴らしい。僕たちにとって世界最大の大会だからね。

芝生はとても恐ろしいサーフェスだ。ビッグサーブを打つ男たちがいるが、芝では他のどんなサーフェスよりもシャープな状態でいて、いつでも応じられるよう待ち構えていなければならない。ミスをする余裕がない。

1996年には優勝せず、1997年はウィンブルドン・チャンピオンと紹介されませんでした。そこで再び優勝したのは、さらに甘いものでしたか?

ピート
 いいや、僕はタフな試合でクライチェクに負けた。でもそれがスポーツだ。僕がする事の一部だ。僕はセンターコートですべての接戦に勝つわけじゃない。彼は2週間、素晴らしいプレーをした。その事を受け入れて、先へ進まなければ。

僕が前の年にウィンブルドンで優勝したかどうかは問題じゃない。僕は気合いを入れて臨む。あの場所の何かがそうさせるんだ。これだ、これは僕たちのチャンピオンシップだってね。前の年に優勝している事は関係ない。

試合でミスをすると、その後のメンタル・アプローチに影響がありますか?

ピート 芝では悪いショットに拘泥している余裕がない。すべてはとても速く起こり得る。ダブルフォールトでも不運でも。ほんの2〜3分でも悪いショットに拘っている余裕はないよ。そんな事をしていたらサービスゲームをブレークされ、ブレークされると、悪い結果をもたらす。できる限りの事をただ続けるしかないんだ。

70年代、80年代と比較して、グランドスラムにおける変転の速さをどう説明できますか?

ピート
 僕は4つの大会をこんな風に見ている―――フレンチは、20〜30人の選手に優勝するチャンスがある。ウィンブルドンあるいはUSオープンは8〜10人、オーストラリアンは多分12人くらい。フレンチはとてもワイドオープンだ。目立って支配的なクレーコート・プレーヤーがいなくて、また現在のゲームには、速いコートのプレーヤーがそれほど多くないからだ。スペインが男子のクレーコート・テニスを支配しているようだ。パリでの決勝は驚く事ではない。

今日のゲームは15年前とは違う。当時はメジャー大会の準決勝や決勝には、いつもレンドル、コナーズ、ボルグ、マッケンローが進出してきた。いまは誰にもチャンスがあり、そして多くの選手がその事を知っている。彼らはウインブルドンやUSオープンでホットになる。昨年のUSオープンのように。今日、選手たちはとても優れていて、ゲームはとても層が厚い。優勝候補もかつてほど確かなものではない。

世界ナンバー1であるという事は、どれくらい厳しいですか? 毎月毎月、毎年毎年、卓越したレベルを維持するのは、どれくらい苛酷ですか?

ピート
 簡単じゃない。1位に到達するのは1つの事だが、そこに留まるのはまた別の事だ。留まる方が倍も大変だよ。それをバックアップする必要がある。僕がこの数年間してきたのは、それを楽しみ、ランキングについて悩まないという事だった。僕はメジャー大会に重点を置いてきた。もしメジャー大会でうまくやれば、かなり高いランクに就く。1位になり、そして留まるには、それにほぼ全精力を傾ける必要がある。いろんな意味でそれが生活とならなければならない。

それが優先事項だ。でも残念ながら、今年はそれほど堅実ではなかった。しかしそれは年末に決まる事で、もちろん僕はコナーズの1位の記録を破ろうとトライするよ(両者とも5年連続で年末ナンバー1の座に就いていた)。スポンサーからメディアまで、多くの掛かり合いがある --- 対処する必要のある物事がたくさんある。簡単ではないが、僕の「退屈な」性格は助けになると思うよ。

あなたはもちろん望みを持っていますね。さもなければ、5回目のウィンブルドンの栄冠を勝ち取ろうと、ここにいる事はないでしょうから。

ピート
 その通り。僕は自分にできうる限り最高のプレーヤーでありたい。最善を尽くさなかったら、テニスを辞めた時に自分を許せないだろう。僕にはまだ良くない日もある。でも僕は若くていいプレーをしていて、ハングリーで健康なこの数年を活かしたいんだ。プレーを辞める時に後悔を残したくない。モチベーションの欠如に苦しんではいない。しかしスポーツ、特にテニスには近道がない。メジャー大会がやって来たら、悪天候のようなネガティブな事は無視しなければならない。でも1年のうちには疲れを感じる時がある。精神状態が良くても、僕には休みが必要で、それを取るつもりでいる。

多くの選手が、グランドスラムの最も厳しい部分は、その大会になじむまでの最初の2〜3ラウンドであると言います。ウインブルドンのそれらのラウンドでは、誰と対戦するのがイヤでしょうか?

ピート
 僕にとっては1回戦だ。1回戦が常に最もむずかしい。少し不安で、最初の試合を無事に終えて、大会の中にうまく入っていけるのはステキだよ。凄いサーブを持っている人とは対戦したくないな。もし風が少し強かったり寒い日だと、いろんな事が起こり得る。巨大な大砲を持っているプレーヤーが相手だと、息をつくいとまがない。ウィンブルドンで勝つには、セカンドサーブが必要だ。そしてリターンが必要だ。

クレーコートシーズンは、通常あなたには失望するものとなっています。軌道に戻るには、どれくらいの時間がかかりますか。またこの数年、完全なモチベーションを得るのはむずかしくなってきていますか?

ピート
 同じだよ。僕はパリで水曜日に負けた。そして月曜日には、ボールを打つ事を自分に強いなければならなかった。僕はしたくなかった。「ここで僕は何をしているんだ? 心はパリにあるのに」って考えていた。大会が終わるまでかかる。でも時が癒してくれ、その思いは消え失せる。風船はポンと弾け、起きるのが辛い。そして僕は独りでいたい。テレビで大会を見る事ができない。僕はゴルフをしに行く。でも常に前進し、過去に囚われないできたよ。

チャンピオンシップと位置づけられているウィンブルドンについて、どんな経験がありますか?

ピート 
多くの人がそれを最大のものと見なしている。僕にとっては、それはテレビで見るのを楽しむ大会だった。午前6時に起きて、ライヴで見たものだった。芝生でのボールの響きは、ユニークだ。USオープンではあまりそれを感じない。1年を通してあまり感じる事のない独特のオーラがある。センターコート。それはただ歴史的だ。ウィンブルドンでプレーしている時には、全世界が見守っているようだ。普段はテニスを見ない人や、テニスファンではないかも知れない人も、それがウィンブルドンだと知り、見るだろう。


サンプラスの資料
ウィンブルドン成績
1989年
1回戦
1990年
1回戦
1991年
2回戦
1992年
準決勝
1993年
チャンピオン
1994年
チャンピオン
1995年
チャンピオン
1996年
準々決勝
1997年
チャンピオン
獲得賞金総額
32,410,249ドル
順位
1位
誕生日
1971年8月12日
身長
185センチ
体重
77キロ

    
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