RACQUET
YEARBOOK 1993年
サンプラスは次代の世界1位に就かんとしている
インタビュー:Karen Day


カリフォルニア州、Rancho Palos Verdes 出身の男を、時は確かに変えてきた。ジュニア時代、ピート・サンプラスはバック両手打ちのベースライナーで、ネットに出る事はめったになかった。自分のゲームを変える必要があると決断した後、彼は両手打ちをやめ、サービスを強化して、元気良くジュニアから飛び出した。

そして2年前、USオープンで最初のグランドスラム・タイトルを獲得し、テニス界を驚かせた。昨年は自己最高の2位にまで上り、トップの地位に照準を合わせた。それはいま、サンプラスに残されたただ1つの場所であり、今年それが実現しそうである。


昨年は6位から2位にまで上がり、とても良い年でしたね。何かきっかけとなった試合、あるいは大会がありましたか?

ピート:フィラデルフィアで優勝した後、3位になったが、その頃ベッカーとシュティッヒが順位を下げたんだと思う。昨年は彼らにとってあまり良い年ではなかったけれど、順位を下げたのには驚いた。

その2つが合わさって、僕の順位が上がったんだろう。僕のゲームのレベルも上がり、1年を通してトップ3の位置を保ったんだ。

今年1位になるために、何が必要だと思いますか?

ピート トップでいるためには、たくさん試合をし、怪我をしないでいる必要があると思う。昨年初め、僕は肩を痛めてオーストラリアン・オープンを欠場したけれど、もしそこでいい成績を出していたら、順位がどうなっていたかは分からないよね。

他にもUSオープンとストックホルムの大会で、1位になるチャンスがあった。現時点では、自分のゲームを大幅に変えるという事は考えられない。いずれ1位になれるといいなあと思っている。

1位になる事について、よく考えますか?

ピート うん。コーチやエージェントとよく話し合う。これまでにも2回チャンスがあったし、僕が1位になれない理由は何もないと思うよ。でも誰か1人がずっと首位を占めるとは思えないな。競争が激しいから、とても厳しいと思う。僕は21歳で、この先長くいいテニスをしたいと思っているから、急ぐ事はない。でも近づけば近づくほど、1位になりたいと思うよ。USオープンでの敗戦にはとても失望し、僕に影響を及ぼした。大会に優勝し、それから1位になれたら、彩りを添えるものになるだろう。

USオープンでの出来をどう見ていますか?

ピート USオープンの前に、シンシナティとインディアナポリスで優勝し、とてもいい2週間を送った。USオープンの1週目もいい感じで始まったが、早いラウンド(3回戦)でトッド・マーチンに大苦戦した。この夏は1つも悪い試合はしなかったんだけれど、あれはいままででも最悪の試合の1つだった。2ndセットでブレークされ、イライラしていた。ふさぎ込んで、少しうなだれるようになった。そういう事をしてはいけないんだ。本当に厳しかった。何とか勝つ途を見つけなければならない試合だった。

どうやるのですか? 勝とうという気持ちを取り戻すのに、何か具体的な事をするのですか?

ピート 5セットマッチの中では、調子が上がったり下がったりするんだ。特に僕のようなプレースタイルだと。何か違った事を試みたりもできるけれど、試合では、とにかく1ポイント1ポイントを勝ち取ろうと考えるんだ。でも試合を見ている立場だと、また違う。僕のコーチのティム・ガリクソンは、明らかな問題点に気がついた。

マーチン戦のような試合の後では、彼はどんな事をあなたに言うのですか?

ピート
 マーチン戦のようにサービスをブレークされると、僕はただ意気消沈しているように見え、歩き方がのろくなり、うなだれてしまう。よく知られているけど、僕は集中力を失ってしまう事を指摘される。でも良くなっていると思うよ。それが僕のプレーなんだとも思うし。クーリエのような選手は、毎日いいプレーをする。でも僕やベッカーのようなサーブ&ボレーヤーには、「オフ」の日というものがあるんだ。

批評家はあなたに厳しかったですね。特に決勝のエドバーグ戦に負けた後は。懸命にやって勝とうとする根性があるのかと疑問視されましたが、それにどう答えますか?

ピート 批評には特に悩んだりしない。僕のプレーの仕方とかコート上の様子だと、一生懸命やっていないように見えるんだろう。もし僕がいいプレーをして、素晴らしいショットを打ったりすると、みんな僕を天才だと思い、もしいいプレーをしないと、みんな僕が一生懸命やってないと言う。僕は勝っている時も負けている時も、同じように見えるからだ。でも僕はいつも、全力を尽くしているつもりだよ。ただ僕は感情をほとんど見せない。アメリカのメディアや大衆は、燃えるものを見たいようだけれど、僕は感情を表に出さず、すべてを内に秘めるんだ。僕はエドバーグのような感じなんだと思う。

エドバーグの話が出ましたが、2回目のUSオープン優勝に近いところまで行き、優勝できなかった事に、どう対処するのですか?

ピート とても落ち込んだ。オーストラリアン・オープンの前に、ティムと今年の目標について話し合ったが、僕はUSオープンで優勝したいと言ったんだ。すごく大きな失望だった。初優勝は素晴らしく、一生忘れないけれど、僕にとってはもう一度優勝する事の方が、より大きな意味がある。決勝でいいプレーができなかった事にも落胆した。自分のプレーには本当にがっかりした。負けるのは確かに残念だけれど、もしいいプレーをして、それで負けたのなら、これほどひどい気分にはならなかっただろう。

このような敗戦の後には、どんな事をするのですか?

ピート 試合の後、ガールフレンドとティムと姉と一緒にいた。たしか出かけたと思う。僕はテレビを見たくなかった。試合のハイライトを見たくなかったからだ。次の週は全くラケットに触れなかった。敗戦は思っていた以上にこたえた。練習も、テニスに関わる何事もする気になれなかった。でも翌週はデビスカップで、ダブルスでステファンに勝ったのは、とてもいい気分だったよ。

デビスカップでは、ジョン・マッケンローとのダブルスを楽しんでいるように見えましたが。

ピート
 とても楽しかったよ。特にとてもいいチームに対して、5セットで勝ったんだからね。エドバーグとヤリードは世界でも有数のチームだし、ジョンは僕が一緒にプレーした人の中で、最も情熱的な1人だ。僕たちはお互いに励まし、盛り上げ合った。

僕がうなだれているのを見たら、彼は「カモン、ピート、レッツゴー!」と言ってくれた。第3セットで僕がサービスをブレークされた後、休憩のためロッカールームへ行ったんだけれど、彼はとてもポジティブだった。僕のゲームについて、膝を曲げろとかなんとか技術的な事については何も言わなかった。ただ僕に話しかけ、勇気づけてくれたんだ。

みんなは、マッケンローをチームのリーダーと見なしているのですか?

ピート
 もちろん。ジムもアンドレも僕も、重要なポイントを取るたびに彼を見るんだ。僕たちは彼を尊敬している。彼が何かすると、僕たちはそれを取り入れようとする。彼は並はずれたアスリートで、彼のような選手はなかなか生まれないよ。

マッケンローの他に、デビスカップではジュニア時代に一緒に育った人たちとプレーしましたね。あなたとアガシ、クーリエ、チャンの間で、1位への競争心はあるのですか?

ピート 僕たちはみんないい奴だし、個人的にどうこうは何もないよ。マジック・ジョンソンとIsiah Thomasのような関係なんだ。彼らはコートの外では友だちだけれど、プレーの時にはお互いに相手をやっつけようとする。それが僕たちの基本的な姿勢だよ。

あなた方が対戦すると、何かパターンがあるように見えます。たとえばクーリエはほとんどいつもアガシに勝つし、チャンはほぼいつもあなたに勝つようです。どうしてそうなると思いますか?

ピート よく分からない。チャンは僕に対して、5勝1敗か6勝1敗なんだ。彼とやると、僕はいつも打ちすぎたり、打つ場所を誤ってしまう。彼がとても素速いからだ。彼に対して本当にいいと言えるプレーをした事がないんだけれど、どうしてかなあ。ジュニア時代にまで遡るんだけれど、何が悪いんだかよく分からないんだよね。

彼らの誰かと深い付き合いがありますか?

ピート 僕がアンドレやジムと親しく付き合うのは、デビスカップの時だけだね。その週はいわばチームとしてやっているから、昼食や夕食も一緒にとる。ふだんのツアーでは難しい。一緒に出かけるとしたら、ジムだけだ。ジムとはジュニア時代から対戦してきたし、一緒にダブルスも組んでいた。知り合いの中では、ジムといちばん親しいね。僕たちは一緒にゴルフもやる。あまり競い合ったりせず、ただ楽しむためにね。僕たちが関わっているテニスとか、お金とか、ビジネスとかエージェントとかの事を忘れて、リラックスするんだ。

ジムと、あるいは他の誰かと、そういう話題について話したりしますか? お金とか、エージェント、メディアとの関わり方とか。

ピート ほとんどない。僕たちはこの仕事をもう3〜4年やってきて、慣れたからね。これらすべてが仕事の一部だ。メディアに話すのも仕事の一部。トップでいるためには、ある程度プライバシーといったものを手放さなければならない。その覚悟はできているよ。

クーリエと、彼が1位になった時の経験について話しましたか?

ピート いや。1位になる事について最もあれこれ言うのは、むしろメディアだ。僕たちはそんなに思案したりはできないよ。ジムは22歳で僕は21歳、まだキャリアの早い段階だし、1位になる事は、徐々にもっと重要になってくるんだと思う。

ジュニアからプロツアーのトップに変わっていくのは、厳しいですか?

ピート 最初はね。USオープンで優勝した後、僕が苦しんだのは、そういう立場に慣れる事だった。ひとたびトップ10になると、みんな倒そうと狙ってくるが、それは僕が経験した事のない立場だった。順応するのに少し時間はかかるけれど、慣れていくものだよ。

そのような順応やプレッシャーにうまく対処していたと、尊敬する人はいますか?

ピート スウェーデンの選手はとてもうまく対処していたと思ってきた。彼らはいい人間で、あまり論争を引き起こしたりもしない。特にエドバーグはね。

1988年、レンドルがトップで、あなたがプロになったばかりの頃、一緒に過ごした事がありませんでしたか?

ピート 当時、僕たちはIMG(マネージメント会社)に属していたんだ。最終戦のマスターズの期間中、僕は彼の家に1週間行き、彼がベッカーと対戦した決勝を見た。彼の試合の中でも、かなりいいものだった。そして彼がどんな風に試合に向けて準備するのか、どんなに勤勉に取り組むかを学んだ。

どんな風でしかた?

ピート その週の月曜か火曜に彼と話をしたんだけれど、彼は自分がいつ練習し、いつ試合をするのか正確に掴んでいた。試合の日は………僕はすごく驚いたんだけど、僕たちは朝7時に起きて、まず彼のクラブに行ってエアロビック・トレーニングを1時間やった。彼が試合をする日なんだよ! それからマジソン・スクエア・ガーデンで1時間ヒッティングをして、家に戻った。僕は自転車漕ぎに取り組み、彼は昼寝をし、それから彼は試合をしに会場に戻った。彼は本当に計画的にやっていた。敬服している。

上位に上がっていくために役立つ、何かいい習慣などを学びましたか?

ピート うん。僕にはなにがしかの才能はあるけれど、そのすべてを引き出すためには、ハードに取り組まなければならないと分かった。それはプロになって以来、あまりやってこなかった事だった。僕は90位くらいの位置で6〜8カ月停滞していた。ただプレーしていただけで、コート外のトレーニングはやらなかったし、練習はしても、それほど熱心にやっていなかったんだ。それからはフルタイムのコーチとトレーナーをつけて、いまはとてもハードにやっているよ。

その後もレンドルとの関係は続いているのですか?

ピート メディアは少し大げさに捉えているようだけれど、僕はただ彼と1週間、一緒に過ごしただけだよ。彼とは友人だけれど、電話をしたり一緒に出かけたりするわけじゃない。ツアーの仲間と親しくなる事もできるけれど、トップ15に入るような選手がお互いに親しくしている例はあまりないよ。

では、あなたの友人の大半はテニス以外の人ですか?

ピート 僕には親しい友人はあまりいないんだ。ガールフレンドがいちばん親しい友人と言えるかな。家族ともとても緊密な関係だ。ツアーではひとところに長く滞在しないし、高校の時もあまり出かけたりしなかった。僕はテニスばかりやっていたんだ。

今年の展望はどんなものですか?

ピート 1993年はブレークの年としたい。昨年はとても近いところまでは行ったけれど、充分ではなかった。1位になるというのは、キャリアを終える前にぜひ実現したい事だね。


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