スマッシュ
2000年2月号
独占インタビュー:ピート・サンプラス
インタビュー:サビーネ・ケーム
翻訳・構成:安藤 正純



「ボクの時代が終わったなんて言わせたくないさ」

ハノーバーで行われたATPワールドチャンピオンシップは、ピート・サンプラスが2年ぶりに優勝を果たした。99年は14トーナメントしか出場できなかったサンプラスだが、アガシを倒しての優勝は、新シーズンへの新たな期待と希望を抱かせるものだったことは間違いない。その直後のサンプラスに、本誌連載「ツアーインサイドレポート」著者、サビーネ・ケームが直撃。独占インタビューに成功した。アガシとのライバル関係、ケガ、新ランキングシステム、そして2000年の予定など、彼を知るうえでもっとも大切と思われる事柄について、サンプラスは実に率直に答えてくれた。


優勝おめでとう。ランキング1位のアガシを破っての勝利だけに、喜びもひとしおじゃない? これで99シーズン最後になって、1位になれるって実感が湧いてきたかしら?

「大会が始まったころ、アンドレ(・アガシ)が、『勝てなかったから1位を滑り落ちるなんて、あまり実感が湧かない』と言っていたように、ボクも『これで自分が世界一だ』って強烈に感じることはないね。選手というのはとにかく1年1年、フレンチオープンだとかウィンブルドン、USオープンと、自分が出場する大会に注意を払うものなんだ」

だけどこの大会の決勝戦は、アガシに対して「誰が本当の世界一か」を示す、シンボル的な性格があったのでは?

「ボクらは、『アンドレがシーズンのNo.1で、ボクがペストプレーヤーだということを証明したいのかどうか』というテーマで、1日中ディスカッションすることができるね。グランドスラムを見れば、アンドレが安定していたことは明らかだ。彼はボクより数多くゲームをこなしていた。その結果得られたランキング1位は当然の結論さ。なにしろグランドスラムで優勝2回、準優勝1回だろ。こんなことって、あまりないよ。なるほど、ATPチャンピオンシップは1つの到達点になるかもしれない。でも、ボクはそうは見ていない。アンドレ本人にとっても、それは個人的に重要なことではないんだ」

年末年始は何をするの?

「いまは(ゲームもなくて)フリーだけど、全豪の準備があって、そこに出かけてプレーするといういつものパターンになると思うよ。その後は、ウーン……、どの大会に出場するかわからないなぁ。確実なのは全仏、ウィンブルドン、そして全米だけ。この4つはどんなことがあっても出場するよ。スーパー9(メルセデススーパー9シリーズ=グランドスラムの1つ下に位置する9つの大会)の出場? わからないよ、まだ。デビスカップは間違いなく出るね。だけどシドニー五輪は出場しない。グランドスラムでいいプレーをするために、が出場の動機になるんだもの」

今回の優勝は全豪での活躍を約束する切符になる?

「オーストラリアとドイツじゃ、昼と夜くらいの条件差があるよ。まぁ、でもここでの優勝は自信につながったね。(気温などで)条件がかなり違うけど、背中の痛みはそれほど感じない。少なくとも以前のレベルほど痛くはないし、問題がないくらいにプレーできると思う。ハノーバーはその意味でもいい経験だったよ。全豪にグッドコンディションで臨めるだけの十分な時間もあるしね」

トップランキングを6年間も占めていたわけだけど、このポジションを放棄しなければならなかったことは辛かった?

「(直前で棄権した)全米オープンが終わった後、『これで99年は1位になれないんだ』と、現実を認めたさ。だけど、自分のキャリアでは1位というポジションはすでに達成していた。長い間1位にいられたし、誰もがなれるポジションじゃない。それだけでも素晴らしいことだよ。コンディションをどうするかは毎週気にしている課題だけど、今度の大会はボクが世界でベストプレーヤーでいることができるかどうかの試金石で、非常に厳しい大会だったんだ」

それをやり遂げたわけよね。自分の力を信じていたからかしら?
いまやゲーム中の定番となった迫力満点の "ダンクスマッシュ"。技で観客を魅了することにかけては、彼の右に出る者はいない。

「自分で想像していた以上によくできた結果だ。大会前って、自分に何を期待すべきかなんて意識することはないんだ。全仏でもATPでもそうだった。でもボクは一度たりとも自分の力を疑ったことがない。たとえ世界最高の選手と対戦するときもだ。厳しいゲームをいくつかやり終えると、ボクは『よし、完全にフィットしているぞ』って感じるんだ。予選(ATPチャンピオンシップのラウンドロビン)でアガシに負けたのは実に恥ずかしかった。でもいつもこう考えているんだ。『こんな状況があるからこそ、自分が成長していくんだぞ』って。それで決勝戦は、ちょっぴりウィンブルドンを思い出すようなレベルのゲームができたんだ。できるってことを証明したことでも、ハノーバーはいい1週間になったよ」

99年は彼にとって試練の年でもあった。全米を直前で棄権し、3か月もの間試合に出場しなかった。しかし、最終戦で彼は蘇ったのだ。
大会は満足できる一年の終わり方になったかしら?

「99年は14大会に出場しただけだったけど、そんな少ない出場数でも、5つの大会に優勝できたことには満足している。いい結果が残せたよ。今度の勝利も、ランキングのことより幸福感を感じる。ランキングってそんなに大事なことじゃない。だけど、『奇跡的な99年』を作ったアンドレを打ち負かしたことは、本当にうれしいよ」

ところで背中の具合は? まだなにか問題がある?

「ちょうどいま氷で冷やしているんだ。見たい?(笑)。痛みはないよ。調子はいいようだ。パリの大会の後に落ち着いたんだ。当時はひどくてね。飛行機で帰って精密検査を受けたんだけど、細胞組織には何の異常もなかった。ただ、キュッと締まるっていうか、震えるような症状があっただけだ。あれ以来トレーニングはふつうにやっていて、とくに大きな問題は発生していないよ」

椎間板に負荷を与えないためにも、将来的にこれまでと違ったトレーニング方法を導入しないといけないとか……。

「これまでやってきたのと同じ方法でトレーニングしていくだろうね。背中のトレーニングは今まで以上に集中しなければいけないけど。背中の筋力を維持しながら、週に2、3回トレーニングする。全体的なコンディショントレーニングと、ウエイトトレーニング、それと持久力は、多少の差はあっても内容的にほとんどこれまでと同じになるよ」

パリ(11月/インドア)の復帰は早すぎた?

「復帰するには早すぎたと思っているよ(注:サンプラスはパリオープンで3か月ぶりに復帰したが、やはり2回戦【1回戦は勝利】で棄権していた)。でも当時はどうしても復帰したかったんだ。しかし身体は正直なものさ。背中は耐えられる状態じゃなかったんだ。あのテラフレックスのサーフェスだと、それまで何年も背中の痛みを味わってきた。だからハノーバーのサーフェスはパリより自分の身体に優しかったのが幸いしたよ」

そのテニスに対する誠実さは、時に周囲の者を誤解させる。しかし彼は、あくまでもプレーで答えを出す男だ。
パリ以前は、ケガのためシンシナティの大会(8月初旬)からずっと欠場していて、ハノーバーはパリ以来の出場。久しぶりに多くの実践を経験してどう感じた?

「本当に厳しかった。トレーニングは十分に積んできたけど、実際のゲームは違うね。コートに立つと神経が高ぶり、トレーニングとは大分勝手が違うんだ。でもうれしいよ。またコートに戻れてプレーできるんだから。トーナメントに参加できるんだから」

ランキング1位のために戦う必要がないシチュエーションってどう? "解放感" があったのでは?

「98年と比べたらわかるけど、まるで昼と夜の違いだよ。ホント、働き過ぎでガチンガチンだった。98年は、連続最終ランキング1位の記録をここらへんでブレイクしたい気持ちもあったぐらいさ。なにしろストレスが溜まって、とても疲れ切っていたからね。99年は試合数が少なかったことで、とても新鮮な1年に感じられたよ」

7年連続ランキング1位を逃して、悲しい気分にならなかった?

「ちょっぴりね。だけど、この4か月間、ゲームじゃなくて、自分の健康に気を使っていたことが愉快でね。たしかに全米でいい結果を残していれば、うれしい秋を迎えられて、7年連続1位になれていたかもしれない。その意味ではガッカリしたけど、もうそれは終わったことなんだ。2000年からランキングシステムが新しくなって、これまで以上に難しい状況になるけど、ボクの時代が終わったなんて言わせたくないさ」

その新システムだけど、どう評価している?

「システムが簡素化されて、全員が新年にゼロから始めることになるのはいいことだと思う。いちばんポイントを多く稼ぐ選手が世界1というわけだよ。これまではちょっと混乱するっていうか、困惑させるものだったな。これからは同時スタートになるわけで、誰でもよくわかるシステムになっていくはずだ。うん、ボクは新システムを評価するよ」

長期間自宅で休養するなんて面白い経験があったわね。

「背中のケガのおかげで、家族一緒に自宅にいられる機会が持てたけど、よかったよ、あれは。選手は健康を維持する大切さが身に染みて分かるものさ。健康でなければプレーもできないからね」

もう1つ新たな経験があるわね。これまで一度も深刻なケガを負ったことがないという経験が覆された。

「うん。おかしなことだけど、ボクが管理できないことだった。なにしろ、背中がボクをコントロールして、ボクが背中をコントロールできなかったんだから。これも競技スポーツの宿命さ。どんな選手だって、現役時代に頂点もあればスランプもあるわけだから。しかし、ケームさんにこれだけは言っておくよ。2000年に向けてボクは準備万端だ、とね。もう恐れるものはないぞ」

落ち込んでいるとき、家ではどんな状態だったの?

「全米が終わって、ボクは感情面で大きな壁にブチ当たった。とっても辛い気持ちになって、気分の悪さは1年は続くと想像したくらいさ。感情的な問題だと解決策を見つけるのは難しい。ボクは2か月ものあいだ治療に通って、やっと治したんだ。そのときこう思ったよ。『自分の2、3年先はどうなっているんだろう?』ってね。デ杯にもう一度出場したい気持ちがあったからだ。幸いにも、自分がこれまで何をしてきたかを "振り返る時間" が十分にあった。

コートに立っていたときはゲームはたくさんできたけど、いかんせん、この "振り返る" ことができる自由な時間がなかった。だからせっかくできた時間を使って、テニスとトレーニングに集中することだけじゃなくて、あれこれ考えて行動できる余裕が生まれたんだ。長い間持てなかった時間さ。1か所に3週間以上滞在することができたのも、それを可能にしてくれたといえるな」

そんなことを以前にしたのは、いつのこと?

「まだティーンエージャーだったころだから、16歳のときだ」
2000年に向けて、意欲は充分。アガシとのライバル対決をはじめ、その期待は大きくなるばかりである。

ところでインターネットをやっている? ATPにはあなたのプロフィールが書かれたホームページがあるけど。

「エッ、ボクのHPがあるの? 本当? コンピューターなんて一度も持ったことがないんだ。コンピューターが嫌いでね。あんな機械なんかいじるより、本を読むほうがずっといいさ。読書したり、博物館や美術館に出かけたりして、街の歴史と文化を知るほうがよっぼどいいと思うけどね。インターネットなんて、テレビを見るのと同じコトじゃないか。バカみたいだ」

じゃあ、チャットルームに入ったこともないわけね?

「一度もない。入りたいとも思わない。あんなところで誰とも話したくない。ボクは自分自身のために人生を使いたいんだ。このボクの話は、いつだって引用していいよ」


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