1999年初め
ピート・サンプラスとのインタビュー
ピート・サンプラス:神話と人間
文:Paul Fein
*このインタビュー記事は、ポール・ファイン氏が samprasfanz に提供してくれたものです。


「存命中のみ偉大な者は、真に偉大ではない。偉大さの価値を測るのは
歴史のページである」――ウィリアム・ハズリット

訳注:ウィリアム・ハズリット(William Hazlitt。1778〜1830年)。イギリスの評論家。


「まさしく初めから、競争相手は常にレーバーだった」とピート・サンプラスは振り返る。今や彼は、伝説的オーストラリア人のグランドスラム・シングルス・タイトル11に追いつき、ロイ・エマーソンの記録12に迫っている。

討論は紛糾する:サンプラスはテニス史における最も偉大な選手なのか? サンプラスがロケット・ロッドの信じがたい2回の年間グランドスラム(1962年と1969年)に匹敵、あるいは越す事はないだろう。誰もそれをなし得ないからだ。

だが、ほんの27歳で、ハンサムで気楽なカリフォルニア人は、5年連続1位というジミー・コナーズの神聖な記録をすでに破っている。

彼が崇拝する往年のオーストラリア人チャンピオン達の先祖返りとも言うべきサンプラスは、彼らのスポーツマンシップ、運動能力と素晴らしいショット・メイキングを見習ってきた。しかし、優れた能力を褒め称える代わりに、あら捜しの好きなメディアはサンプラスを「退屈」と描写した。アメリカのスポーツ好きな大衆が、志操堅固な英雄を受け入れなかった事は、皮肉なアンチ・ヒーローの時代をいっそう反映している。

しかしながら、サンプラスの同僚達は、あまねく彼を称賛する。ボリス・ベッカーは、1995年ウインブルドン決勝戦でサンプラスに負けた後、次のように述べた。「テニス界に1人のお手本がいるとすれば、それはピート・サンプラスだ。彼はコート上では完璧に振る舞い、コート外では感じの良い人間だ。そして彼はまったくもって素晴らしいテニスをしている。彼はテニスのゲームにとって極めて優れた存在だと思う」

だが「スイート・ピート」には、矛盾がなくもない。ダブルスは言うに及ばず、デビスカップを無視するという点では、彼は最も非オーストラリア人的な性向を示してきた。そして自分を「最も偉大な選手」と誇ったりは決してしないと控え目に主張する一方で、自身の記録、テニスの神殿における地位、盛んに論じられている問題について話し合う事をいわば楽しんでいる。

退屈とはほど遠く、サンプラスは頑固で、洞察力があり、理論整然としており、そしてユーモアに富んでいる。それでは、その男を神話から切り離してみよう。


ポール・ファイン(P.F.):近頃、ブラジル・サッカーのスーパースターであるロナウドは、あなたとマイケル・ジョーダンがお気に入りの運動選手だと言いました。それについてどう思いますか?

ピート・サンプラス(以下ピート):
面映ゆいよ! 彼が僕のファンだなんて、とても嬉しいよ。その賛辞をありがたく思う。

P.F.:ビル・ブラッドリーの新しい著書『ゲームの価値』の中で、ニックスの元スターであり合衆国上院議員である彼は、バスケットボールに見られる美徳について解説しています。自制、情熱、敬意、回復力、 無私、責任、勇気などについてです。これらの美徳は、あなたの人生やテニスキャリアにおいて、どれほど重要ですか?

ピート:
あなたの言及した全てが、とても重要だ。人間として、そしてテニスプレーヤーとして、僕が指針としていくものだ。成功し、最善を尽くすには、それら全ての特質が必要だよ。

P.F.: ATP の投票(選出された100人の過去・現在の選手、大会ディレクター、ジャーナリストによる)で、過去25年における最高の選手に指名された事は「自分がプロとして受けた最大の賛辞」と、あなたは言いました。

1999年には、最高のテニスプレーヤーの他にも、20世紀最高の運動選手を選ぶ投票などが多分たくさん行われるでしょう。これらの投票で、あなたはどう評価されると思いますか?

ピート:
最高のテニスプレーヤーに関しては、恐らくかなり高く評価されるだろう。僕が過去6〜7年に成し遂げてきた事からいって。20世紀の運動選手については………(笑)それほど高くはないだろう。ジョーダン、モハメド・アリ等、スポーツを変えてきた男たちがいる。それに残念ながら、テニスはバスケットボールほど人気が高くないしね。

P.F.:元ナンバー1のステファン・エドバーグは、あなたを今までに見るか、あるいは対戦した事のある最も完成されたプレーヤーと呼びましたが、あなたは自分がテニスを変えてきたと思いますか?

ピート:
ある意味で、僕はいろいろな事のできる若干のオプションを備えたゲームを持っていると思う。僕は一面的ではない。テニスの歴史を見ると、多くの選手は一面的だ。僕はいつも、できる限り完全であろうとしてきた。だから、その意味では、恐らく僕はテニスを変えてきたのだろう。でも僕は、自分はテニスを変えたなんて言う気はないよ。それを判断するのは評論家だ。

P.F.:「自分を歴史上の偶像だとは見ていない。だが現実には、今、歴史を追ってプレーしている」とあなたは言いました。という事は、テニス史で最も偉大な選手として記憶されたいという事を意味するのですか?

ピート:
まあ、自分の自我のためには必要ないよ。自分について良い気分を味わうためには必要ない。だが………それは僕が決して口にしない事だ。テニスを追う人々が判断する事だよ。ロッド・レーバーがグランドスラムを成し遂げた30年前と現在を比較するのは、とても難しい。でも、これからの数年で、自分が幾つかの記録を破る機会があるように感じている。誰が史上最高かについては、結果が批評家への答えになるだろう。自分がそうだとか、そうではないとかは、僕が言う事ではないよ。

毎日の生活で(そういう話を)耳にするのは重要な事じゃない。僕は自分にできる限りベストの選手でありたい。そうできるなら、僕にはそれで充分だよ。

P.F.:でもそういった評判・称賛は好きでしょう?

ピート:
そりゃね!

P.F.:あなたの全ての記録は、「史上最高の選手」というラベルに充分な根拠を示すと思いますか? それとも、履歴書にはもっと多くの業績が必要でしょうか?

ピート:
僕がフレンチ・オープンで優勝するまで、テニスの歴史家と完全主義者は僕を史上最高とは見なさないだろう。でもそれは不当だと思う。レーバーや(1938年のグランドスラマー、ドン)バッジをけなす気はないが、当時の競争は現在のようなものじゃなかった。特にクレーではね。30年前や60年前と今日を比べる事はできないよ。だが皆が「ピートがフレンチで優勝するまで、史上最高とは見なせない」と言うのは確かだ。

P.F.:私は違う意見です。あなたがさらに多くのグランドスラム・タイトルを獲得すれば、ローラン・ギャロスで優勝せずとも「史上最高」の地位に値すると考えます。

ピート:
うん。でも彼らはそこにいるよ。信じてほしいけど、年配のオーストラリア人は、レーバーが史上最高と言うよ。レーバーは(フレンチで)およそ4人のクレーコートプレーヤーについて悩んだ。僕は50人から悩まなくちゃいけない。現在は全く違ったボールゲームなんだ。それが、現在と30年前のゲームを比較するのが難しい理由だ。僕は自分のテニスを(ビョルン)ボルグ以降と比較してほしいように思う。30年前のウッドラケットの時代とでは、語るのはあまりにも難しいよ。

P.F.:あなたは、偉大さを測る最も重要な基準の2つは、獲得したグランドスラム・タイトルの合計と、1位にランクされた年数であると主張しました。あなたには今年、エマーソンの12スラムタイトルに並ぶか、破るチャンスがあります。そして既に、コナーズの5年連続1位の記録を破りました。今、他にどんな業績や記録を目指していますか?

ピート:
今のところは、7年間(1999年を)再びナンバー1で終えたいね。続けていきたいよ。簡単ではないけれど。グランドスラム記録もある。それが今のところ、僕のテニスで最大の優先事項だ。そしてもちろんフレンチ・オープン。その3つの後は、テニスですべき事はそれほど残ってない。

P.F.:レンドルの持つ合計270週のナンバー1記録を破る事は?

ピート:
それは間もなく、3〜4カ月でやって来る。(サンプラスはナンバー1の座251週で1999年を始めた)もちろん、その記録を破るために、できる限りの事をするつもりだよ。そして、僕が良いプレーをすれば、今年そうする可能性があるようだ。もしその記録を破るなら、それはボーナスだ。ボルグは史上最高記録を持っている訳ではないが、もし彼の5ウィンブルドン・タイトルを超えたら、それも同じくボーナスだろう。それは大きなボーナスだ。近代(20世紀)における最多記録だからね。ビョルンほどの選手より多くのウインブルドンを獲得できたら、いいなあ。

P.F.:ITF(国際テニス連盟) 会長のブライアン・トービンが最近論評しました。「ピートは11のグランドスラムと2つのデビスカップを持っている。エマーソンは12のグランドスラムと8つのデビスカップを持っている。それで、2人をどう比較するというのか?」
あなたはトービンにどう答えるでしょう?

ピート:
まあ、僕は僕の仕事をし、彼は彼の仕事をするさ。いや、でも彼がそう言ったその時、(スウェーデンがイタリアを破った)彼はデビスカップ決勝戦にいた。そして僕はそこにいなかった。そして彼が非難を浴びたのは確かだ。トップ30の誰もデビスカップ決勝戦でプレーしていなかったからね。だから彼は体面を保とうとしているのだろう。本気で言っているとは思わないよ。彼は僕がデビスカップでプレーするのを望んでいるのだろう。彼は僕がどんな選手か知っているし、エマーソンがどんな選手かも知っている。

P.F.:あなたはフレンチ・オープンでは、9回の試みで準決勝に1回到達しただけです。それを念頭におくと、あなたは4月と5月に行われる主要なクレーコート・キャンペーンに専心し、フレンチで優勝する妥当なチャンスを掴むべく充分な準備をすべきではありませんか?

ピート:
僕は過去にそうしたよ。効果がなかった。(フレンチの前に)殆どクレーでプレーしなかった事もあった。それも効果がなかったようだ。僕が準決勝に到達した年(1996年)は、クレーで全くプレーしなかった年だった。それで今年はモンテカルロ、ローマ、世界チームカップでプレーして、かなり長いクレーコートシーズンを過ごすつもりだ。

でもただ1つの大会のために、1年の計画を立てる事はできないよ。できる限り最良の準備をして、そしてプレーするつもりだ。それが僕という人間なんだ。イワン・レンドルは、ウィンブルドン優勝という点では、僕よりずっと取り憑かれていた。だから、それが僕のアプローチ法だ。

P.F.:ボリス・ベッカーはデビスカップ・シングルスで38勝3敗という信じがたい記録を樹立し、他のスーパースター達もそこで偉大さを発揮した事を考慮すると、デビスカップの結果もテニスの不朽の名声にとって、もう1つの正当な基準であるべきですか?

ピート:
うん。そして僕はそれを示したと考えているよ。(サンプラスのデビスカップ・シングルス記録は13勝6敗)ロシアでは最も困難な状況でプレーし、(1995年デビスカップ決勝で)あの3試合に勝った。あれは究極の試練だった。僕のキャリアにおける最高の奮闘の1つだったよ。残念ながら、それは注目されなかった。だがそれは別の話だ。

P.F.:あなたの兄、ガスは「ピートは続けて3回 ESPN スポーツセンターを見る。何が次に来るか知っていても」と言いました。あなたはスポーツファンですが、お気に入りの運動選手は誰ですか?

ピート:
(心からの笑)面白いね。僕は各スポーツの偉大な選手を見るのが好きだよ。彼らの話に耳を傾け、少しばかり知ると、彼らがそのスポーツで最も偉大だとは分からないだろう。彼らはとても謙虚だ。彼らは為す事、献身する事において偉大で、そして自身について横柄さや自惚れがないんだ。彼らの偉大さは、口にされないままだ。

ジョーダン、(ウェイン)グレツキー、(ジョー)モンタナ。それらの運動選手は僕のお手本だ―――彼らの身の処し方、人間としての振る舞い方ゆえに。グレツキーは9回も MVP(最優秀選手)になっているのに、いちばん謙虚なんだよ。

P.F.:あなたはマイケル・ジョーダンを「アドバイスを受けてみたいと思う1人の人間」と言いました。特に、彼からどんなアドバイスを受けたいと思うでしょうか?

ピート:年齢を重ねるにつれて、どんな風に肉体が変化してきたか、そしてあれほど長い年月、どのようにフィットネスとコンディション調整を維持してきたのか尋ねるだろうね。

もう1つの質問は、モチベーションについて。僕は何年間も同じライバルたち―――アガシ、ベッカー、エドバーグ等―――と対戦してきたと感じていた。そして今、新しい選手たちの集団がいる。彼らと対戦するために同様のモチベーションを得るには、心の奥深くに何かを見つける必要がある。彼は何年間も(ラリー)バードや(マジック)ジョンソンと対戦してきた後、現在の若い新人たちに対して、どのようにモチベーションを湧かせているのだろうと思っていたんだ。

P.F.:多くのスポーツ評論家は、礼儀正しく、行儀の良い、そして人生について真摯な男が退屈というレッテルを貼られるのは、大いに遺憾だと考えています。その話題について、あなたの意見はどうですか?

ピート:
それは今でも僕を困惑させるよ。前ほどじゃないけど。でも21〜22歳頃ロンドンで、僕がナンバー1でウィンブルドンに優勝していた頃、僕は自分について、前向きな良い人間であるように思っていた。そしてメディアは僕についてそれほど知らなかった。だから彼らの逃げ道は、僕を退屈と呼ぶ事だった。僕はあまり喋ったり何かしたりする人間じゃなかったしね。

だが今は、この5〜6年に僕がしてきた事で、それ(レッテル)はいわば消えた。今は皆、記録についてとか、史上最高である事について質問してくる。退屈というレッテルを取り除くのに、ちょっと時間を要したね。僕については、目にするものが理解できるものだと、皆知っているのだろう。僕には何の不正表示もない。僕はどんな風かを語り、それが常に僕という人間なんだ。

P.F.:ジョン・マッケンローは最近、現在の男子トップ選手たちは「退屈なクローンの群れ」だと言いました。マッケンローの痛烈な批判に対して、あなたの理論的返答と、人間的な感情はどんなものですか?

ピート:もしマッケンローが100人いたら………(笑)。誰であれ同じ人間が100人いたら、問題だろう。皆、少しずつ異なっているよ。僕自身、リオス、アガシ、ラフター。長年、ジョンの評判は必ずしも全てが肯定的ではなかった。僕は彼が言った事について、それほど考えないよ。

P.F.:もしテニス界に100人のマッケンローがいたら、どうなるでしょう?

ピート:
少しばかり問題を抱えるだろうね。

P.F.:無政府状態?

ピート:
(笑)どうなるか分からないよ。多くの才能は得るだろう。でも………誰であれ、同じ人間は100人もいらないよ。多様さが必要さ。そして僕たちにはそれがあるよ。

P.F.:アンドレ・アガシとの短い、18カ月間のライバル関係以外に、あなたは残念ながら1990年代の間、素晴らしいライバル関係の恩恵を被る事がありませんでした。アンドレはあなたとのライバル関係を「自分のキャリア最高の時」「信じ難いほどの楽しみ」と呼びました。アンドレとの1994〜95年のライバル関係について、あなたはどのように感じましたか?

ピート:
ベッカーとの間に少し生じた他には、あれ以来、経験した事がないね。でもアンドレと僕の関係ほど良いライバル関係はないだろう。僕たちは共にアメリカ人で、世界の1位と2位で、ゲームも個性も異なっていた。それは素晴らしい取り合わせで、僕たちは共にそれを知っていた。

アンドレをどうやって倒すかを考えるのは、テニスにおける僕の最大のチャレンジだった。彼は僕を何度か負かしていたからね。彼は僕に、自分のゲームのある分野を向上させるよう強いたプレーヤーだった。コート全体を使う事、ストレートにバックハンドを打つ事、チップ&チャージで(ネットへ)詰める事などをね。

僕がいいプレーをして、なおかつ僕を倒せるのはアンドレただ1人だと感じていた。彼は僕のサーブを打ち砕く事ができ、野生の籾みたいに僕に迫った。お互いにとても尊敬し合っていた。彼と僕とで何年もゲームを支配するだろうと思っていたよ。

P.F.:運動能力、体格とプレースタイルという点で、パトリック・ラフターは1999年にあなたのトップ・ライバルとしてつり合うようですが。同意しますか? それとも、リオス―――彼とは4年間対戦していませんが、モヤ、ヘンマンあるいは誰か他の選手がより気になりますか?

ピート:
誰か1人というのはないね。もちろん、彼らは全て素晴らしい選手だ。だが僕次第であるように感じる。自分が対抗できないような、絶対的なゲームを持つ者はいない。

リオスはラフターとは極めて異なったプレーヤーだ。そして両者ともそれぞれの強さと弱さを持っている。だから恐れを感じる選手はいない。2位から15位までの選手は誰でも、日によっては僕を倒す事が可能だ。でも僕は1年を通して堅実で、1位で終われたらいいなと思うよ。

P.F.:シンシナティの ATP 選手権における、マッチポイントでの疑わしいライン判定に関するあなたの苦情、そしてUSオープンにおけるあなたの怪我への返答として、ラフターは「ピートは少しばかり泣き虫になっている」と言いました。あなたの応答は?

ピート:
パットはそういう事を言うタイプの男じゃないよ。メディアが彼に言わせるよう仕向けたんだろう。みんなマッチポイントについて話をしていたからね。いずれにせよ、それは僕が負けた理由ではなかった。それからUSオープンで怪我をした。僕はパットをよく知っている。彼は正々堂々とした男だ。そのコメントは聞いたが、あまり考えなかったよ。言おうと思ってない事をメディアが言わせようとする時、どんな状況になり得るか僕は承知している。

P.F.:18歳のマラト・サフィンとハビエル・マリッセ―――彼は昨年2月にあなたを倒しそうになりましたが――以外には、期待の新人は現れていないように思われます。彼ら、あるいは他の若い選手たちは、チャンピオンになる可能性はありますか?

ピート:
何とも言えないね。マリッセとは対戦したが、1試合だけだ。それでどれくらい良くなるかは見極められない。彼にはなにがしかの才能がある。そしてサフィン、USオープンで彼と対戦した。彼はビッグゲームを持っている。彼には武器がある。強烈なサーブとグラウンドストローク。

ゲームに際立った何かを持つ必要があるよ。予測は難しい。チャンピオンになるには、漠然としたものも多く付随するからね。ゲームを持つ事だけじゃないんだ。同じく心と知力を持つ事だ。今後2年くらいの間で、誰がそれを持っているか分かるだろう。

P.F.:あなたはかつて、アガシが持っている物で唯一欲しいと思うのは自家用飛行機だと言いました。今、彼は飛行機を売り払いました。そして伝えられるところによれば、あなたは1,700万ドルでセスナ機の Citation -10を買ったとか。あなたの新しいおもちゃについて、話してくれますか?

ピート:
(笑)ちょっと待った! 1,700万ドルの飛行機なんて買ってないよ。どこからそんな噂を聞いたのかな。僕は過去2年間、それをリース(賃借)してきたんだ。今まで僕がしてきた事の中で、最高の1つだね。スケジュールに融通性が加わった。空港での旅行のストレスがなくなったよ。僕は好きな時に出発できるんだ。実際、僕のキャリアを2年ばかり延長してくれるだろうね。今、僕は空港で人に気づかれたりしないんだから。ストレスがないんだ。車に飛び乗って、町を横切るようなものだよ。

P.F.:コンディション調整の権威、パット・エチェベリーのそばにいるため、あなたはタンパからオーランドーへ引っ越しました。さらに、ガールフレンドでハリウッド女優のキンバリー・ウィリアムズのそばにいるため、280万ドルでロサンジェルスにケニー・Gの不動産を買いました。これらの件について、もう少し説明してもらえますか?

ピート:僕はコンディション調整に関して今もパットと一緒にやっているよ。もちろん僕はロス出身だが、今はまだフロリダ在住だ。そして今後もそこで過ごしているだろう。ロスにいる時は、この家で過ごせるだろう。僕のような立場の男が2軒の家を持っているのは、珍しい事じゃないよ。

P.F.:あるテニス雑誌は、あなたとキンバリーが婚約したという噂があると書いていました。噂は本当ですか?

ピート:
いいや。婚約してないよ。

P.F.:キンバリーの何が、まずあなたの気に入りましたか? そして彼女を良く知るようになるにつれて、他のどんな特質があなたをもっともっと惹き付けましたか?

ピート:
(笑)その話題には乗りたくないよ。

P.F.:でも読者はもっと知りたがっているでしょう。

ピート:
彼女はとても地に足が着いた人間だ。ノーマルで、道理をわきまえた人だ。彼女はいわゆるハリウッド的な場にいない。僕もそうだ。ハリウッドの派手なうわべの魅力に属さない。彼女は女優だが、とても地に足の着いた人だ。

P.F.:6年連続ナンバー1を確定した後、あなたは「僕は自分がする事のため、そしてトップでいるために、人生の多くを捧げてきた」と言いました。テニスチャンピオンになるために、私生活でどんな事を断念してきましたか。それは何らかの影響があった、あるいは今後も続くと思いますか?

ピート:私生活じゃない。テニスに100パーセント打ち込む事から、僕の人生の全てをだ。何年もナンバー1でいるには、そうでなければならないんだ。休暇とかパーティーとか、外出して楽しい時を過ごす事などを断念した。僕は集中を失う事ができなかった。僕はナンバー1で、それに従って行動する責任があるからね。

簡単ではないよ。それを経験する者だけが理解できるんだ。多くの犠牲がある。例えば、僕は家族やガールフレンドにあまり会えない。確かに大きな責任だよ。

P.F.:大学教育を受けなかった事を残念に思いますか?

ピート:
いいや。それは大して重大な問題じゃない。僕が過去10年にしてきた事から、より学べるよ。世界じゅうを旅行する事から。僕は M.I.T. (マサチューセッツ工科大学)へ行った人よりも、人生について知っている。ひょっとしたら NASA(アメリカ航空宇宙局)で良い仕事を得られるかもね。(笑)

P.F.:今までに受け取った最大の賛辞は「親ごさんが僕のところに来て、『コート上でのあなたの様子は、私の子供たちにとって良いものです。あなたは素晴らしいお手本です』と言ってくれる事だ」とあなたは言及した事があります。素晴らしいお手本である事は、あなたにとってどれほど重要なものですか?

ピート:とても大切だよ。年長の運動選手として―――僕はもう21歳じゃない―――僕は生活にもう少し気をつけている。自分が言う事やコート上での振る舞いに、気をつけているよ。そこでの僕の振る舞い方は、子供たちに影響を与えていく。親ごさんが僕のところに来て、あなたは素晴らしいお手本で、前向きな方法で他の人の人生に影響を与えていると言ってくれると、素晴らしい気持ちになるよ。何年もそういう事があった。

ファンは僕のプレーを見るのが好きだという事に加えて、いつも僕にそう言ってくれる。彼らは何度も、最良のやり方で期待に応えない運動選手を見ている。だから僕はいつもそれがとても大きな賛辞であると思ってきた。

P.F.:あなたは時に、国のためにデビスカップでプレーする事を拒否したと、ひどく批判されてきました。アドリアナ・パネッタという1970年代のイタリアのスターは、「真のナンバー1は、常に国のためにプレーする」と言いました。1995年の英雄的な、ほとんど独力でロシアを倒したカップでの奮闘は、メディアに殆ど取り上げられず、大衆やクリントン大統領には過小評価されたと言って、あなたは応じました。

たとえあなたが正しいとしても、デビスカップの百周年である1999年は、和睦してカップの競争に戻る完璧な時なのでは?

ピート:いいや。1999年にはデビスカップでプレーしないと決めたんだ。はっきりしている。僕のデビスカップへの見方は………残念ながら、僕が成長する途上で、デビスカップの事はあまり知らなかったんだ。大会についてこう考えるべきだと誰かに命ずるのは、正しくはないよ。

僕にとっては、常に(最も重要なのは)スラム大会なんだ。もし僕がデビスカップでプレーすれば、自分の順位を投げ出す事になると思う。キャリアのこの時点では、両方ともする事はできないからね。単純な問題だ。ナンバー1でいたいのか、あるいはデビスカップでプレーし、それ(ナンバー1でいる事)を危うくしたいのか? だから僕にとってはとても簡単な決断なんだ。

P.F.:私は「ベスト14」のルールが元凶だと思います。もし全ての大会が世界ランキングにカウントされていれば―――明らかにそうすべきですが、あなたは1998年に、かなりの余裕をもってナンバー1でいたでしょうから。そうすれば、あなたは多分14か15の大会にだけ出場し、デビスカップでもっとプレーするエネルギーと意欲も持てたでしょう。殊に、もしデビスカップの結果がランキングにカウントされるなら。同意しますか?

ピート:
そうだね。「ベスト14」システムでトップにいるために、僕は(1年に)20〜22の大会に出場している。それにデビスカップを加えるのは、多すぎるんだ。もしランキング・システムが1990年以前の、マッケンローがプレーしていた時代のようだったら、僕はもっとデビスカップでプレーする気になるだろう。ランキング・システムとデビスカップ・スケジュールの有様を考えると、僕はデビスカップでプレーしないと不当に批判されているように感じるんだ。

P.F.:なぜですか?

ピート:
もしデビスカップの前後に1週ずつオフがあれば、僕はデビスカップでプレーするだろう。でも(現在)僕がすべてプレーしたら、順位に影響が出るよ。そしてメディアはこう言うだろう―――「ピート、なぜ君は世界4位、5位に落ちたのか? モチベーションか何かを失っているのかい?」ってね。

僕は自分のナンバー1ランキングを危険にさらしたくない。最終的に、僕は1年をそうやって終わらせたいからだ。僕たちはデビスカップについて、20分でも話をできるよ。でも(デビスカップ)決勝戦は1年の最後の週で、テニスにはシーズンオフがない。デビスカップについては、たくさんの否定的な事があるよ。だが一方で、自分の国のためにプレーする。それには僕も加わりたいと思う。雰囲気を楽しむんだ。フォーマットが変えられて、僕ももっとプレーする気になれたらいいなと思うよ。それまでは、恐らく僕は出ないだろう。

P.F.:テニスチャンピオンになりたいと望む子供たちに、あなたはどんなアドバイスをするでしょうか?

ピート:僕が子供だった頃は、勝つ事よりも良いプレーをする事を気にかけていた。僕は上達したかった。最近の子供たちは、ジュニアの大会で勝つ事にこだわりすぎている。ジュニアの頃、僕はそれほど良くなかったよ。でも上達していたし、自分よりもかなり年上の人たちと対戦していた。それが僕のコーチ、家族、そして僕のアプローチ法だった。確かに効果があったよ。

P.F.:1997年に USTA(アメリカテニス協会)は、アメリカの選手養成プログラムの何がまずいのかに関して、4,000ページにわたる報告書を作成しました。今のところアメリカには、期待の星となりそうな男子選手が見当たりません。新しい世代の世界的な選手やチャンピオンを養成するために、あなたはどんな考えを持っていますか?

ピート:僕はどうやったか、そしてチャンはどうやったか? 僕たちはお互いに助け合っていたんだと思うよ。僕は USTA の助力をそれほど受けなかった。僕はカリフォルニアにいて、(ジェフ)タランゴやチャンと対戦していた。良い競争相手がいた。そしてアンドレがしょっちゅうロスに来ていた。ジム(クーリエ)と(デビッド)ウィートンは共にフロリダへ行った。僕たちはみんな、お互いに努力し、自分のゲームを向上させようとしていた。今、同じ事がスペインで起こっている。USTA が纏め上げようとしている事に対する魔法の薬はないよ。

P.F.:ESPN の解説者クリフ・ドライスデールは、テレビにとって最良の事がテニスにとってもベストの事だと考えています。それで彼は、ベスト・オブ・5セットの試合の廃止、ノー・アドバンテージ制、オンコート・コーチングの許可、準決勝進出へのラウンドロビン・フォーマットの採用など改革を提案しています。これらの改革提案のどれかに、何かメリットがあると思いますか?

ピート:
いいや。テニスについて否定的な事を聞くと、みんな過剰反応するんだ。スコアリング・システムを変えるべきだとか、ベスト・オブ・5セットからベスト・オブ・3セットに変えるべきだとか、何だかんだとね。

スポーツの売り物は、素晴らしい試合だ。興味を引くライバル関係は、すべてへの答えだ。数年前、アンドレと僕がライバル関係だった頃には、スコアリング・システムの変更だの、今聞いたような話は何もなかったよ。重要なのは選手であり、スポーツそのもの、試合だ。変更だの何だのって話は、ただナンセンスだね。

P.F.:ここで1つ型破りの質問を。あなたは愛情を勝ち得るために、女性に嘘をついた事がありますか?

ピート:
(笑)それには答えないよ。さあね。

P.F.:あるATP ツアーの首脳は、あなたが魅力的で面白い人間であり、もしあなたが望めばテレビ・トークショーのスターになり、それはあなたとテニス界双方に有益だろうだと言いました。同意しますか?

ピート:うん。僕はとてもプライベートを大事にするんだ。それに、有名人である事を楽しいと思った事はない。僕はいつだって、ただ運動選手でありたいと考えてきた。だが僕は数年間ナンバー1の座にいたので、テニス(人気)の向上のために、もっと何か始めるべきだと思ったんだ。トークショーであれ、何であれね。それで、1999年にはもう少しいろんな事をするつもりだ。でも僕がハワード・スターンみたいになるって事はないよ。
訳注:ハワード・スターン。過激かつ下品なネタで知られるアメリカのDJ。

P.F.:あなたにはとても良いユーモアのセンスがあります。だからそれは大きなプラスでしょう。

ピート:うん、助けになるだろうね。もう少し色々な事をして、もう少し露出を増やすのを楽しみにしているよ―――自分のためだけじゃなくね。自分がしている事(テニス)に気を遣っていると、皆に示したい。新しいピートを見る事にはならないが、もう少し頻繁にピートを見る事になるだろう。

P.F.:ピート・フィッシャーの事件は、悲しいものです。彼はスーパースター、あなたを創造する手助けをしましたが、少年たちへの性的いたずらで、自分の人生とキャリアを破壊しました。ピート・フィッシャーについて、どのように思いますか?

ピート:
僕は友人として彼をサポートするよ。こんな風になって残念だ。彼の人生は、もはや今までとは違う。それを気の毒に思う。

P.F.:獄中にいる彼を励ますために、あなたが温かい手紙を書いたと読みました。

ピート:それは私的な事だ。

P.F.:記録的な6年連続ナンバー1を成し遂げた事に関して、あなたは「これは最高の業績だと思う。今後それが破られるとは思わない」と言いました。なぜそう考えるのですか?

ピート:それをしたがる人がいるとは思わないよ。3つのものが必要なんだ。これは僕が学んできた事だ。ゲームが必要だ、心が必要だ、そして知力が必要なんだ。ある者たちは、それら全てを少しずつ持っている。ある者たちは3つのうち2つを持っている。だが、それを何年も何年もするためには、3つとも持っていなければならない。それも、とても上手い具合にね。

残念ながらテニスにはシーズンオフがないから、テニスが自分の生活でなければならない。毎週毎週、それに備えるゲームが必要だ。2年間それをできる人はいるだろう。だが6年? それは選手のキャリアの大半を占める長さだよ。

P.F.:あなたは1999年に新しい挑戦者はいないと言いました。リオスとカフェルニコフは不安定で、ラフターはハードコートでだけのスターで、アガシは全盛期を過ぎているとなると、1999年にあなたが7年連続ナンバー1で終わる見込みはどんなものでしょうか?

ピート:僕に自信を与えてくれるのは、1988年は他の年と比較してベストの年ではなかったが、なおもそれ(ナンバー1に留まる事)ができたという事だ。だから、もし僕が1999年初めの3〜4カ月―――昨年は上手く行かなかった時期―――に少し調子を上げられれば、再びナンバー1で終わる事ができる。それを止められる唯一の人間は僕だ。

P.F.:世界じゅうのあなたのファンの多くが、どれほど誠実で、そして熱烈か、あなたは知らないかも知れません。大会でもっとファンと交流して、彼らにあなたの謝意を示すべきだと思いますか? あるいは、インターネットで活発に活動しているサンプラス・グループと、時おり話をするなどして?

ピート:良い質問だね。僕はラジオショーの「スポーツライン」で、インタビューを受けたりしている。僕はコンピュータを持ってないんだよ。だからインターネットで何かする事に、興味を感じてこなかった。ファンとの交流に関しては、この数年 ATP ツアーの「スター・プログラム」に基づいて、サイン会とか他の事をしてきたよ。でもインターネットに関する事は、僕には縁がないね。

P.F.:あなたのテニスの業績を認める事においてですが、スペイン最大の出版物 MARCA が表彰する「MARCA レジェンド賞」を受賞する、10人目のスポーツマンになりました。あなたはしばしば、あなたは合衆国でよりも世界でもっと評価されていると語ってきましたが、どの国が最もあなたを称賛しているでしょう? そしてこの現象を、どのように説明しますか?

ピート:ヨーロッパのすべての国。特に、1998年の終わりに6週間あそこにいた時、人々からの称賛を感じたよ。僕がコートに出ていくと、皆が与えてくれる反応からね。

勝ち目の薄い方を応援するのはアメリカの特色だ。僕はこの数年間、プレーした大半の試合で、勝つだろうと予想される側だった。みんなは僕に負けろと思っている、と言ってるんじゃないよ。彼らはただ良い試合を見たくて応援しているんだ。でもヨーロッパで感じる好意的評価、それは合衆国で感じるものとは少し違うんだ。オーストラリアと日本でも、とても称賛されていると感じるよ。

P.F.:名声のパラドックスに関して、パトリック・ラフターは「それを得ていなかった時は強く欲し、手に入れると、それほど欲しいとは思わなくなる」とコメントしました。あなたの意見はどうですか?

ピート:適度なものならオーケイだよ。でも名声は、必ずしも望むような形では訪れない。僕は相応に人に気づかれる。場所によっては、行くのが難しい場合もある。だが同時に、僕の立場ゆえに多くの特典もある。僕は世界で最も良いゴルフコースでプレーしている。

自分の立場と、得るものに感謝しなければね。だから街に出て人々が僕に気づくと、いつも礼儀正しく、そして感じよくあろうとしているよ。みんな長い間、僕を支えてきてくれたんだ。合衆国では、僕はロックスターのような有名人ではないしね。

人々は僕を知っていて、そして僕のプライバシーを尊重してくれる。オーストラリアでのパットは、合衆国での僕よりもずっと大きな存在だろうけど。そして、それが僕の気に入っているあり方だ。僕は人に気づかれるが、買い物や映画館に行かれないというほどじゃない。とても心地よいよ。


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