ニューヨーク・タイムズ
2000年7月11日
ウィンブルドン・両親・将来について、サンプラスが思いを巡らす
文:Ozier Muhammad


7回目のウィンブルドン男子シングルス・タイトル獲得後、ピート・サンプラスは
月曜日にマンハッタンへ到着し、45分のインタビューを受けた


キャリアで最も意味深いと語る勝利から24時間足らず。ウィンブルドン・センターコートで浴びたフラッシュのため、ピート・サンプラスは今でも目が眩んでいるようだった。

パトリック・ラフターに第2セット・タイブレークで4-1とリードされ、既に第1セットを落としていたサンプラスは、自分が敗北へ向かうと考えていた。だがそうではなく、彼は歴史へと向かう運命にあった。

「僕にとっては重大なものだ」
7回目のウィンブルドン・タイトルであり、新記録ともなった13回目のグランドスラム・シングルス優勝の意味を噛み締めるように、昨日サンプラスはマンハッタンのホテルの部屋で語った。「明かりが失われていく午後9時に、それが起ころうとしているようだった。これだ、これはおそらく僕の運命なのだ………というように感じたよ」

眠れない夜の後、ロンドンから朝の飛行機でニューヨークに到着したサンプラスは、リラックスした様子で、タイムズ紙レポーターのリズ・ロビンズ、および数人の編集者と45分を共に過ごした。

現在28歳の彼は、両親の事から、彼のキャリアを変えた試合、来週スペインで行われるデビスカップ準決勝でのプレーを再考する必要に迫られた向こうずねの怪我についてまで、幅広い話題について語った。

Q. この24時間はどんな感じでしたか?

ピート:そうだね、試合後はたくさんの記者会見をこなし、チャンピオンズ・ディナーへはウォームアップとジャケットで行く事になった。少し挨拶を述べて、みんなに感謝したよ。あの時点ではいろいろな感情が渦巻いて、頭がまだクラクラしていた。試合後には両親とも多くの時間を過ごしたが、ステキだったよ。

昨夜は夜中の1時頃に帰宅したんだ。テレビで試合の再放送をしていたので、僕は試合を再び体験する事ができた。驚くようなものだった、本当にね。まだピンと来ない感じだよ。

Q. では、自分の試合を見て、最も驚くべき部分はどこですか? あなたが1-4ビハインドだった時?

ピート:そうだなあ、僕は試合を通じて、大体はパットより優勢だと感じていた。たくさんのチャンスがあったしね。彼は、いわば相手を徐々に打ちひしいでいくタイプの選手だ。そして(第1セットで)とても、とても拮抗したタイブレークになり、僕は続けてダブルフォールトを犯した。大きなプレッシャーがかかり、気後れする。何度そういう状況を経験しても、それを感じるんだ。

第1セットを失った後のチェンジオーバーで、僕はベッカーとの対戦(サンプラスが4セットで勝った1995年の決勝戦)を思い出そうとしていた。あの時も第1セットを7-6で失ったんだ。芝では、くさっている暇はない。集中力を失っている余裕はないよ。

第2セットのタイブレークで4-1ダウンとなり、勝ち目がないように思えた。本当にね。ツキが僕の側になかった。それから彼がダブルフォールトを犯し、僕が2本いいショットを打ち、あっという間に僕はサービング・フォー・タイブレークを迎えていた。そして試合の複雑な様相がすっかり変わったんだ。

僕は何か違う事をした訳じゃなかった。彼は第2セットのタイブレークで、ついに気後れを感じたんだ。第2セットを取ったら、僕はリラックスする事ができた。

Q. 優勝後は、いつも試合を見るのですか?

ピート: ふだんは家に戻り、NBC の番組を見る。昨夜はユーロスポーツでやっていて、なかなか良かったよ。トレーナー、コーチ、婚約者と一緒だったが、試合を再体験するのは驚くべきものだったよ。

Q. マッチポイントと優勝の瞬間では………感情を爆発させる自分自身を見ていたのですね。

ピート:無意識にだった。昨日は1日じゅう、試合中も、感情のローラーコースターみたいだったからね。ある段階では、自分が負けるのだと感じていた。だが(第4セット)5-2のチェンジオーバーで………それが僕の胸を打った時だった。それが起ころうとしていると感じた。45分前には悪戦苦闘していたのに、その後に勝利を迎える立場になると、いつだって不可解な気分になるよ。

事がとても速く進んだので、あらゆるものが僕の胸を打った。大会を通しての感情、両親がそこにいるという事実、記録を破るという歴史的な衝撃。つまり、僕の内にあったすべてが。でも大部分は両親がそこにいて、僕がそれを知っているという事だったと思う。試合の間じゅう、両親の事、そして僕が彼らをひどく苦しめているという事を考えていた。

Q. どうやってご両親を来させるようにしたのですか?

ピート:ウィンブルドンへ向かう前に、もし僕が決勝に進出したら、その場にいてほしいと言っておいたんだ。父は「旅行の支度はできているよ」と言ってくれた。決勝へ進むたびに、電話して両親を招くのだけれど、父は「いいや、お前はよくやっている。私は邪魔したくないんだよ」と言う。父はいつも、いわば距離をおいているんだ。

今年は、もしグランドスラム大会の決勝に達したら、両親にその場を共有してもらうという目標を立てていた。彼らは毎週は一緒に来ようとしないが、ウィンブルドンは僕のテニスにとってとても大きなものとなってきたし、あのコートは僕にとって特別なものだ。それに、両親がいたからこそ僕はプレーする事ができたんだ。自分がここまで来るのを助けてくれた人には、そこにいてほしいものだよ。試合の後はただもう素晴らしかった。

Q. ご両親がどこに座っているのか、あなたは知らなかったのですか?

ピート:うん、知らなかった。雨で中断している間も、会わなかった。父は2つの事を望んだんだ。決勝戦の日に僕と会ったり話したりしないという事。それとファミリー・ボックスに座らないという事。それが父のただ2つの願いだった。

父は土曜日も、日曜日の決勝戦前も、邪魔になりたがらなかった。出迎えやチケットの事で僕を煩わせたくないと言ったんだ。シンプルにしたがっていた。

両親がグランドスラム大会で最後に僕を見たのは92年USオープン決勝で、僕は負けたんだが、皮肉にも僕のキャリアを変えるものになった。

Q. どんな風に?

ピート:あの時点までは、僕はグランドスラム大会で決勝、もしくは準々決勝とか準決勝に進むだけで嬉しかった。世界のトップ10にいるだけで満足していた。だがあの試合は僕のキャリアを変えた。負けるのは嫌いなのだと、ついに悟ったんだ。ステファン・エドバーグとの試合では、最後は少しばかり諦め気味で、弱腰になってしまった。

そして敗戦後の数カ月間、その事が僕を責めさいなんだ。自分が降参してしまったように感じていた。決勝に進出する事自体は大健闘だが、誰が2番目かなんて、残念ながら誰も覚えていない。それを厳しい形で学ぶんだ。

Q. この試合もまた、あなたのキャリアを変えると思いますか?

ピート:
そうだね。絶対に。僕が直面していたものだけを考えてみてもね。怪我を抱え、練習できなかった事、グランドスラム大会の2週目にあまり自信を持てなかった事………それは僕がベストのテニスをする時なんだ。

それにウィンブルドンは、僕にはとても大きな存在だ。グランドスラム大会はどれも重要だが、特にウィンブルドンは最大の大会となってきた。それで、僕はこれだ、多分これは僕の運命なんだと感じた。僕は運命を信じるよ………本当に。

物事はただ起こるのだと信じている。試合中に、ひょっとしたら僕は勝つのだろうという風に感じていた。そう信じていたよ。何であれ………起こるのだと。明かりが失われていくまさに午後9時に、もしかしたら勝利するのだというように感じていた。

その場は信じられないような雰囲気だった。だんだん暗くなっていき、そしてあのカメラのフラッシュ。シナリオでもあるみたいだったよ。

Q. ロイ・エマーソンのグランドスラム記録を破った後、彼と話をしましたか?

ピート:僕はロイとあまり話をした事がないんだ。オーストラリアで会ったが、彼の事をよく知っている訳ではない。だが確かに、もっと知るようになりたいな。

Q. 驚くような祝福の電話はありましたか?

ピート:デイブ・マシューズからもらったよ。僕は彼の音楽の大ファンで、2回くらい会った事がある。それで電話をくれたんだ。でも僕は家にいなかったからね。ビル・クリントンはまだ電話をしてこないよ。

Q. あなたはデビスカップでプレーする予定だと発表しましたが、今でもそのつもりですか?

ピート:分からない。向こうずねをきちんと治す必要がある。プレーできるだろうと思いたくとも、休養を取るように医者から勧められている。僕はプレーするために、かなり無理な治療を受けていたんだ。そして夏全体の事を考えると、治療に2週間くらい必要だ。だからこの時点では、デビスカップをどうするか分からない。家に帰って、さらに検査と治療を受けるつもりだ。

向こうずねを治療し、このままプレーを続けても長引く怪我にならない、悪化しないとハッキリさせる必要がある。100パーセントの状態になって、良い夏のシーズンを迎え、オープンに備えなければならない。この1年は怪我がすごく多くて、苛立たしい思いをしてきたよ。

Q. 年齢のせいでしょうか?

ピート:そうかも知れない。長年プレーしてきたからかも知れない。多分ストレッチや準備をもう少しきちんとするべきなんだろう。年齢を重ねると、身体は変化してくる。だからもう少し自分の身体に気を配る必要がある。自分が年を取ったとは思わない………年齢は重ねてきたが、まだ若いよ。来月やっと29歳になるのだから。

Q. 決勝戦の間、向こうずねは痛みましたか?

ピート:ズキズキしていた。唯一考えられたのは、これは最後の試合だという事だった。決勝戦に向かうにあたり、これが最後だと承知していた。これが最後の試合だと分かっていて、ホッとしていたよ。

Q. デビスカップでプレーするかどうか、ジョン・マッケンローに知らせる最終期限は?

ピート:彼に電話をする必要がある。この事について、彼とは何も話してないからね。一両日中に電話して、その点について話が通じ合うようにしなければ。

Q. あなたがプレーできない場合、彼は理解するでしょうか?

ピート:理解してくれるのを願っているよ。理解すべきだ。それが僕の望んでいる事だが、どうだろうね。

Q. キャリア・グランドスラムを完成するために、フレンチ・オープンで勝ちたいとどれくらい強く思っていますか?

ピート:勝ちたいと思っているよ。今年はかなりいいプレーをしたが、(1回戦でフィリポウシスに)タフな試合で負けたと感じている。それはいつだって重要事項だ。みんなが話したがる話題で―――なぜ僕はあそこで勝っていないのか?―――そして確かに僕が勝つのは簡単じゃない。

来年は適切なスケジュールを立てなければならない。今年はクレーでプレーできなかった。来年はクレーでプレーするのを目標にすると思うよ。僕はあそこでうまくやれると思っている。そしてもしかしたら勝つ。何らかの幸運が必要だし、僕の場合、フレンチではさらにもうちょっと必要だと知っているよ。

それは「35歳までプレーするつもりだ。フレンチで勝てないなら、毎年フレンチでプレーするだろう」と言う理由ではない。でも、キャリアのこの時点では、僕の最大のチャレンジだ。

Q. 決勝戦の話から離れますが、男子テニスはパワフルになりすぎているという疑問が、ウィンブルドンで広がっていたようです。

ピート:そうだね。確かにビッグサーバーはたくさんいるが、ウィンブルドンでは早い段階で負けたよ。だが将来のゲームは、おそらくベースラインからのプレーがもう少し増えていくだろう。

誰が最後の週末に残ったかを考えると、アガシがいた。彼はバックコートからプレーする。そして(ジャン - マイケル)ギャンビル、彼もそうだ。だから、必ずしも2人の男がサーブで互いをコートから吹っ飛ばしていた訳じゃない。

だが、サーブ合戦でない方がプレーするのは楽しいし、ラフター対アガシ戦のようにプレースタイルが対照的だと、見るのもより面白いね。それがベストのテニスだと思うよ。

Q. 技術的に見て、あなたのゲームの最大の強みは何でしょう? セカンドサーブ?

ピート:そう、セカンドサーブ。ファーストサーブでポイントの大半を取りにいくが、セカンドサーブも同じくらい良いという事だ。ダブルフォールトもあったけれど、僕は昨夜、セカンドサーブ無しでは生き残れなかっただろう。

Q. あなたは今でもウィルソン・プロスタッフを使っています。 あのラケットはかれこれ15年目ですが、まだ製造しているのですか?

ピート:
いや、もう製造していない。でも僕はたくさん持っているんだ。多分ウィルソンには100本かそこらあると思う。

Q. ラケットのテンションは?

ピート:ウィンブルドンでは32キロ(70.5ポンド)だ。通常は33キロか34キロくらいだが、ウインブルドンでは少し緩くする。それでもとても硬いけどね………。僕はできる限り細いゲージのものを使う。122と呼ぶものだ。普通はみんな130を使うが、122が最も細いガットなんだ。

Q. 芝生とかプログラムとか、ウィンブルドンから何か形のある記念品を持ち帰りましたか? 

ピート:いいや、何も。これまで優勝したどんなグランドスラム大会でも、ラケットを記念に保管しておいた事がないんだ。今回は、身につけたウェアや使ったラケットをとっておいて、居間のトロフィー・ケースにしまうつもりだよ。

Q. 現在、あなたの最大の挑戦者は誰ですか?

ピート:同じ男だ。アンドレ・アガシは常に僕のライバルだよ。ランキングを辿ると、パット(ラフター)、もし彼が健康で、いいプレーをするなら、USオープンでは強力な競争相手になる。(マグナス)ノーマンのような選手たちや(グスタボ)クエルテンのような選手たちもいる。だが僕にとっては、アンドレが誰よりも際立っている。

Q. あなたは(ブリジット・ウィルソンと)今年の後半に結婚します。結婚や子供を持つ事が、テニスキャリアに影響を与えると思いますか?

ピート:そうは思わない。オフコートでは僕の生活を変えるかもしれない。妻や子供への責任が生じる。でもプレーや練習、トレーニングする時は同じだろう。だから、そういう事に関しては、大きな変化があるとは思わない。

Q. 婚約者はどんな風に、あなたのキャリアを助けてきてくれましたか?

ピート:彼女はこの2週間、僕の拠り所だった。僕のために、だたそこにいてくれた。僕が自分を保てるようにしてくれた。本当にね。僕は結婚に、彼女と結婚して人生を共にし、いずれ家族を持つ事に有頂天さ。僕はふさわしい女性と結婚するんだ。

Q. この13回目の優勝は、あなたにとって特別なものですか?

ピート:うん、僕が直面していたものを考えるとね。最も困難で、そして最も満足するものだった。確かに、すべてのグランドスラム大会でプレッシャーはある。でも今回は、向こうずねの怪我と、そのケアをしなければならない事がプレッシャーに感じられた。容易ではなかった。

僕の周りには何人かの仲間がいて、ジェフ・シュワルツ(エージェント)や婚約者は、僕が自分を保つのを助けてくれた。自分が最後までやれるのかどうか不安だったからね。

Q. 1990年に(19歳で)USオープンで優勝した時、自分が13回まで達すると考えましたか?

ピート:いいや。90年の時点では、とても若かったし、まだ僕のゲームはそれほど良くなかった。信じられないような2週間を送ったに過ぎなかった。そして僕にはそれをバックアップするほどの自信がなかった。グランドスラム後の憂鬱に囚われた。今日ここまで来るとは、思ってもみなかったよ。あの92年USオープンでの敗戦が、僕のキャリアを変えたんだ。能力はあった。ただ僕の心と、さらなる進歩を目指す僕の精神の問題だった。

僕のキャリアで最も容易かったスラム優勝は、最初のものだった。そして最も困難だったのは昨日のだ。



以下の話題についてピート・サンプラスが語る

ウィリアムズ姉妹
素晴らしいアスリートで、スポーツに多大な影響をもたらそうとしている。彼女たちはパワーと運動能力で女子テニスを支配し、世界の1位と2位になるだろう。若くて、ますます良くなろうとしている。今や2人ともグランドスラムで優勝したから、プレッシャーもない。

アメリカ男子テニスの現状
ジャン - マイケル・ギャンビルと対戦したが、彼が際立っていると思う。良いゲームを持っている。彼がどこまで行くか、トップ10に入れるか、グランドスラムで優勝できるかは見定めがたい。彼の次となると、少しばかり寂しいね。僕、アンドレ・アガシ、マイケル・チャン、ジム・クーリエ、トッド・マーチンのようなグループが現れるのには、何年かかかるのかも知れない。

自分のセカンドサーブ
何年もの間、それは他の選手たちと僕とを分けるショットだった。彼らが言うには、僕のトスは読みにくいそうだ。プレッシャーのかかる場面で時速115マイルのサーブを打ち、コートの狙った地点に入れるのは1つの能力だ。すべて筋肉が覚えているんだ。セカンドサーブ、動き、そしてリターンが上達した事。それら3つの分野が僕と他の人たちとを分け、僕は何年も堅実にやってきたのだ。

10年後の生活
頻繁にゴルフをして、父親になり、子供を学校に送っていくだろう。テニスに関わっていたい。ロサンジェルス地域で子供たちと一緒に、テニスを少しばかり発展させようとしているかも知れない。


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