スポーツスター
NO. 38:2002年9月21〜27日号
カバーストーリー/ピート・サンプラス
偉大なる神



「より高みへ飛翔するほど、飛ぶ事のできぬ者たちには
より小さく見える」―――フリードリッヒ・ニーチェ


ジョーカーと呼ばれる男は正しかった。ピート・サンプラスは歴史である。グレッグ・ルゼツキーは正しかった。ピート・サンプラスは疲れ切っている。カナダ生まれのイギリス人は正しかった。ピート・サンプラスはスローだ。ルゼツキーは的を射ていた。ピート・サンプラスは年を取り、間もなく父親になる。

結局のところ、彼は他の選手たちも思っている事、多くの評論家が書いたりテレビで喋ってきた意見を口にしただけだった。

彼らはみんな正しかった。グランドスラム・チャンピオンとして、ピート・サンプラスは歴史的存在である。

31歳で2週間前に、ニューヨークはナショナル・テニスセンターの情熱的な群衆の前で、テニス界の偉人の1人―――アンドレ・アガシ―――をUSオープン決勝で破り、出産間近の妻ブリジット・ウィルソン・サンプラスと心からの時を分かち合うため、スタンドを登っていったのは、同じピート・サンプラスなのか?

もちろん、そうである。それでも、このような出来事はサンプラスのキャリアに二度と起こらないだろうと断言した、グレッグ・ルゼツキーやみんなは正しかった。彼らは間違っていなかった。彼らの見地からは論理的と思える事を言ったのだから。彼らは適切だった。彼ら自身の知識と経験の範囲で判断したのだから。彼らの限界という条件の下では、他の何事も言えるはずがなかったのだから、当然であった。

ルゼツキーの見解が陳腐だというのは的はずれである。彼―――そして、最も偉大なテニスプレーヤーを見限ろうと努めたすべての人たち―――が、並はずれた天才については何も知らないというのは、まず妥当ではない。

つまりこういう事である。サンプラスに象徴されるような偉大さの精髄をかいま見るには、それがどういうものなのか、何を可能ならしめるのか、そして時代を超えた資質と傑出した才気を理解するには、いくばくかの偉大さを要するのだ。ルゼツキーのように並みの思考パターンを持つ並みの者たちは、決してその恩恵に浴さないだろう。

しかしまた、 ルゼツキーや彼の同類などどうでもいい。我々は彼らを葬るためにここにいるのではない。スポーツ史で最も偉大なアスリートの1人を讃えるため、彼の非凡なキャリアの中でも最高の瞬間の1つを祝うため、叙事詩とでも言う他ない復活を驚嘆するために、我々はここにいるのだ

こんな事が可能だとは、誰が信じただろうか? 誰が―――偉大な男、彼自身以外に―――去る6月にウィンブルドン2回戦でジョージ・某(バストル)に敗れ、うつむいて椅子に座り、長い、長い間芝生を見つめていた老いたレジェンドが、19歳の初タイトルから12年後に、5回目のUSオープン・タイトルを勝ち取ると考えただろうか?

あの試合の第4・5セットの間、彼を励ますために妻が書いたメモを取り出し、サンプラスは繰り返しそれを読んだ。「私の夫、7回のウィンブルドン・チャンピオン、ピート・サンプラス」とメモは始まっていた。感動的な時であった。しかしその日、サンプラスを不名誉から救う事には失敗した。

スポーツ記者として長年過ごしてくると、冷静なよろいを身にまとうようになる。情熱をもってイベントを記述し、戦いの場における感情を写し取るつもりにも関わらず、実際にはめったに心を動かされない。感じてはいるが、同時に感じていないとも言える。感情をかきたてられるが、それでもなお感動していない。

私のキャリアで、ウィンブルドンのその午後は例外だった。このような事がサンプラスに起こるとは、ただ信じられなかった。予選で負け、ラッキールーザーとして本戦に出場した男に、芝のテニスの支配者が打ちのめされるとは。その晩、ロンドン中央まで行くマスコミのミニバスの中で、イタリア人ジャーナリストが私に言った。「いまがその時だろう。ピートは二度とここに戻って来ない。終わりだ」

私は弱々しい微笑をちらりと浮かべ、「多分彼は正しい」と自分に言った。それでも、偉大な男が2番コートで肩を落として座っている、忘れがたい痛切なイメージが私の心に何度も何度も浮かんできた。偉大な男がどうにかして奇跡を起こしてくれたら、と望んでいた。

しかし実は、フラッシング・メドウの2週目に起こったドラマチックな出来事における、あらゆる意外な要素を考えあわせても、ピート・サンプラスにとって14番目のグランドスラム・タイトルは奇跡ではなかった。それはただ、偉大な男がついにキャリア最大のスランプを克服したという事であった。をれをあらゆる予想に反してやってのけたのだ。

サンプラスがした事を、もしより劣った人間がしたのなら、それは奇跡だっただろう。2年以上の間1つもタイトルが獲れず、そしてトミー・ハース、アンディ・ロディック、アンドレ・アガシといった強敵を破ってUSオープンで優勝するなどという事は。

しかしサンプラスは、勝つために奇跡など必要としない。彼はただ、自分のゲームのおよそ80パーセントを必要とするだけである。そう、80パーセント。100パーセントでさえない。

1990年にニューヨークで、彼が準決勝で復活のジョン・マッケンローを、そして決勝でアンドレ・アガシを下して、最初のグランドスラム・タイトルを勝ち取るのを見守り、彼が7つのウィンブルドン・タイトルと2つのオーストラリアン・オープン・タイトルを勝ち取るのを見てきて、確信をもってこう言える。速いコートでは、80パーセントのサンプラスは100パーセントのアガシを5セットで負かすだろうと。そして他の現役プレーヤーを下すためなら、70パーセントしか必要としないと!

では、サンプラスが100パーセントでプレーすると、何が起こる? 最高のライバルであるアガシが、1999年ウィンブルドン決勝で負けた後言ったように、ピートは水の上を歩くのだ。

テニス評論家の大多数とファンのほとんどは、激しいドラマのある試合を好む傾向がある。勇壮な5セットマッチはより長く心に残る。1980年ウィンブルドンのビヨルン・ボルグ / ジョン・マッケンロー・クラシック、昨年のゴラン・イバニセビッチ / パット・ラフター・スリラー………これらは多くの人にアピールするたぐいの試合だ。

しかし私の中では、奮起したアガシよりサンプラスが断然まさっていた、1999年ウィンブルドン決勝ほど素晴らしい試合はない。第1セット半ばにサービスゲームで押された(0-40)時から、第3セット後半でちょっとペダルを緩めるまで、サンプラスは、もし実際に目撃しなければ、想像もできないようなテニスを披露した。

偉大な男が運動能力と芸術的手腕を限界まで探求するにつれ、ただ座って畏敬の念に打たれ、頬をつねり、それでもまだ、これはじきに覚める夢なのだろうかと思うばかりだった。

「こんなテニスを誰が本当にできるっていうんだ」と、プレスボックスの中で、フランス人テニス記者が目を見張って尋ねた。

そう、ピート・サンプラスはできる。ピート・サンプラスはしてのけた。そしてまさにそれゆえに、偉大な男がこの2年間えらく苦労して、ただの人間に敗北を喫するという事が起こるのを、理解しがたかったのだ。

思い起こせばこの2〜3年間、サンプラスは問題を抱えていた。13のグランドスラム・タイトル記録を勝ち取った後、記録的な7つのウィンブルドン・タイトルを勝ち取った後、新記録の6年連続ナンバー1で終えた後は、目指すべき何の新しい頂点もなかった。負かすべき者も、証明すべき事も、出会うべき挑戦もなかった。

登山家がエベレストを征服した後、何をするというのか? 他のすべては無意味で月並みな、大いなる努力には値しないものに見えてくる。

ではテニス・チャンピオンは、史上最多勝のグランドスラム・チャンピオンになり、史上誰よりも長くナンバー1として過ごし、テニスの聖地―――ウィンブルドン―――を他に例のないほど支配してきた後で、何をするというのか? 多分ちょっとペダルを緩め、結婚すべき理想の女性を見いだし、少し落ち着いて、騒然たるテニスを離れた人生を味わうのだ。

サンプラスはただそうしただけだった。しかし、ほどなく、テニスコートで彼はもはや我々が知っていたサンプラスではなくなっていた。トム誰それ、ディック何とか、ハリー誰とやらは、自分は偉大な男を倒せると信じてコートに出ていくようになった。多くの者が同じようにした。サンプラスは26カ月間、33大会を通して優勝がなかった。

彼はグランドスラム大会のたびに、まだもう1つか2つメジャータイトルを獲れると思うと言い続けた………より劣った男たちに負けた後も………やがてほとんどの者が、彼を信じたがらなくなっていった。偉大な男は見果てぬ虹を追っているように見えた。

しかしかつてのモハメド・アリのように、キャリアの黄昏でのあらゆる心の痛手となる出来事を通じて、サンプラスは自分自身を信じ続けた。少なくとももう一度、過去の魔法を再現できると考えていた。

ハースを下し、ニューヨークで準々決勝に進んだ後、サンプラスは3回戦後のルゼツキーのコメントについて、どう思うか尋ねられた。そして偉大な男は言った。「グレッグが何を言おうと僕は困らない。自分があそこに何をできるか知っている。皆が間違っていると証明する必要はない。それは僕がプレーしている理由ではない。自分自身に挑戦し、もう一度それができるかどうか知るためにプレーしているんだ」

読者の皆さん、それは並外れた偉大さの真のしるしである―――すべての挑戦に出会い、それを征服してきた後も、なお成功裏に自分自身に挑戦する事ができるとは。

「老人と海」よりさらに良い本を書こうとするアーネスト・ヘミングウェイ、「ひまわり」をしのぐ芸術作品を創造しようとするヴィンセント・ヴァン・ゴッホ………自己 の限界を超えようとするプロセスは、偉大さの究極のものさしである。

これは選手生命の限られたアスリートにとっては、とんでもなく厳しい仕事である。自分自身に挑戦し始める時までには―――他の挑戦をすべて克服した後に―――脚は疲れ、 モチベーションは低下する。そしてスポーツマンの最大の敵である「時」は、いわば致命的な代償を求めてくる。

そして突然、再び戦いの第一線に戻っているのだ。サンプラスがそうであったように。人生の妙は、もう何も証明すべき事がないと思う時に、誰のためでもない、すべては自分自身に証明するためなのだと分かる事である。

そして、その日曜日ニューヨークで、最も偉大なテニスプレーヤーは、その事を証明した --- 彼自身に。彼は自分自身に挑戦し、頂点に立てる事を証明した。確かに、それは彼の最大の勝利であった。つまり、その日、ピート・サンプラスはピート・サンプラスを打ち破ったのである。そして、いまやピート・サンプラスにとって、それは唯一の挑戦し、打ち破る価値を持ったプレーヤーなのである!


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