スポーツスター
2002年9月21〜27日号
NO. 38: Sep. 21 - Sep. 27, 2002
コラム:大会ディレクターの喜び
文:Ramesh Krishnan(ラメシュ・クリシュナン)


合衆国テニス連盟にとって、今年の決勝戦に優るものを望む事は不可能だっただろう。女子ではウィリアムズ姉妹のロードショーがグランドスラム3大会連続で披露された一方、男子決勝は、まさに大会プロモーターの喜びであった―――ピート・サンプラス対アンドレ・アガシ。

ピートが最後に大会優勝を遂げてから、26カ月が経過していた。それはグランドスラムだけでなく、通常の大会をも含んでいる。従って、彼がスラム大会で優勝する見込みは、着実に遠ざかってきていた。熱烈なサンプラス・ファンでさえ、諦め始めていたほどに。

サンプラスが大会に入ってきた時、彼の順位は慎ましくも17位だった。1980年代以来なかった事だ。つまり、もし16選手だけをシードする従来のシステムに従っていたら、彼はシードされなかった事になる。しかし始めからずっと、自分にはまだもう1つのグランドスラムがあると彼は主張していた。人々は、彼はそう言っているだけだと考えていた。引退に関する質問が飛び交い、もう1シーズンをプレーするかも知れないとサンプラスは語った。

7つのタイトルを獲得してきたウィンブルドンのセンターコートで、彼は最高の事を成し遂げるという印象がある一方で、彼のUSオープン記録も、さほどかけ離れていない事を忘れてはならない。この決勝戦の前にも、過去2年決勝で敗れたファイナリストであったうえに、彼は既に4回タイトルを獲得していた。1990年、彼はトップ10外の選手として、誰あろう、優勝候補のアンドレ・アガシを破ってタイトルを獲得し、テニス界に躍り出たのだ。

その対決の12年後に、2人のチャンピオンが同じ場所でこの偉業を再現したのは、まさに驚くべき事だ。30歳を過ぎた2人の選手がここで決勝を戦ったのは、オープン時代(1968年に開始)では初の出来事である。この数年、我々はこのようなチャンピオンの返り咲きを目撃してきた。しかしレイトン・ヒューイットがナンバー1の座に就いたうえで、サンプラス / アガシがUSオープン決勝で対戦するという事は、テニス界の今後に何らかの健全さをもたらした。

2人は決勝戦まで対照的なルートを辿った。サンプラスは穏当なスタートの後、2週間の半ばである労働祝日の週末に、時間外労働をしなければならなかった。まずグレッグ・ルゼツキー、彼はサンプラスに厳しい試合を強いてきたうえ、過去に彼を破った事もあった。サンプラスはフルセットの末にルゼツキーを下したが、それでも彼を優勝候補として真剣に受け止める者は誰もいなかった。ルゼツキーが試合後の記者会見でサンプラスの能力を過小評価した際も、彼はただ真実を話しただけという受け止められ方だった。しかしこれは、サンプラスの内なる気力に触れる事となった。

次はドイツのトミー・ハースだった。ハースはここ数回の対戦で、サンプラスの優位に立っていた。さらに、ルゼツキーとの長い闘いは、肉体的にも感情的にも、アメリカ人を消耗させただろうと感じる者もいた。しかしサンプラスは元気を取り戻し、4セットで切り抜けた。この過程で、彼のゲームは徐々に立ち直っていった。

さらに準々決勝でアンディ・ロディックと対決する時までには、サンプラスは絶好調になっていた。これは満員の観客の前で行われる、木曜夜の目玉試合だった。そしてサンプラスは準備を整えていた(サンプラスはキャリアを通して、この大会ではナイトマッチに負けた事がないのだ!)。この試合は過去と現在の戦いとして宣伝された。サンプラスは易々とストレートセットで勝利した。彼が良いプレーをしたからであり、ロディックはその種のプレッシャーに対する準備ができていなかったからでもあった。

一方、アンドレ・アガシは記録的なスピードでドロー表を勝ち上がっていった。まるで彼は「最少の時間をコートで費やして試合に勝つ方法」という講義を、妻のシュテフィ・グラフから受けていたようだった。2回戦では、3セットで2ゲームしか失わなかった。男子テニスでは前代未聞とも言うべきものだった。アンドレが直面した唯一の抵抗は、準々決勝でだった。彼はマックス・ミルニーに対して第1セットを落としたが、立ち直って次の3セットを勝ち取った。

サンプラスとアガシの他に準決勝に進出したのは、前回優勝者で世界ナンバー1のレイトン・ヒューイットと、オランダのシェーン・シャルケンだった。まずシャルケンについて一言。

彼は今年のウィンブルドン準々決勝で、レイトン・ヒューイットに対して5セットまでもつれ込み(ヒューイットからセットを奪ったのは彼だけだった)、番狂わせの寸前まで持ち込んでいた。2回連続してグランドスラムで順調にやるという事は注目に値する。しかし準決勝進出の座を得た直後に、ヒューイット、アガシ、サンプラスという錚々たるトリオと共に準決勝を迎えられ、名誉に感じるとシャルケンは明らかにした。すぐに、彼には準決勝でチャンスがないと分かっただろう。

彼は良いプレーをして、最初の2セットではサンプラス相手にタイブレークまで持ち込んだ。しかし彼が成し遂げたのは、アメリカ人のゲームをよりいっそう好調にさせたという事だった。サンプラスはサーブの「嵐」を浴びせてきたが、今やキレのいいボレー(ボレーは、サンプラスが好調でない時に、ゲームの中で崩れてくる1部門だと私は感じている)がサーブに続き、たまに対戦相手が彼の足元へボールを沈め得た時には、巧みなハーフボレーを披露した。試合後の記者会見で、彼は「ヒューイットは世界ナンバー1だが、僕はアンドレと当たったら格別な思いを抱くだろう」と認めた。

アガシがレイトン・ヒューイットを4セットで下した準決勝勝利は、彼のキャリアでも最も素晴らしい試合の1つとして位置付けられるに違いない。ヒューイットがアガシのサービスゲームをあっという間に破って試合を始めた時には、一方的な試合になり得る兆候が満ちていた。しかしアンドレは強打で盛り返して2セットを取り、第3セットでも堂々たるリードを握る事となった。勝利が近づくと、彼は「いらいら」し、ヒューイットはなんとか試合の中に戻ってきた。アンドレは気を引き締め直して、第4セットでヒューイットを打ち崩し、そしてドリーム・ファイナルをお膳立てした。

インドでのテレビ視聴についていうと、この試合は午前2時というとんでもない時間に放映される。彼らの初のUSオープン決勝対決、そして幾つかの決闘を見てきた者として、私は特別な何かを目撃するために、従順にも目覚まし時計をセットした。試合そのものは彼らが対戦したベストではないかも知れないが、確かに価値ある機会だった。

過去2年、ピート・サンプラスは準決勝を乗り切った段階ですでに少しばかり疲れ切っており、翌日の決勝戦で若い対戦相手に立ち向かうのは厳しい状態にあった。結果として、彼はマラト・サフィンとレイトン・ヒューイットにストレートセットで敗れた。今回は、彼は前週末の奮闘から順調に回復して、準決勝をわりあい楽に乗り切った。決勝戦でアンドレは非常にフレッシュに見えたが、ヒューイット戦の影響があったに違いない。

サンプラスはアガシの能力に多大な敬意を払っている。したがって彼は絶対的なトップフォームになるのである。そしてサンプラスがそのモードにいる時、彼を止める事はできない。彼は押し寄せるような勢いで第1セットを取り、第2セットも5-2リードとした。そして2セット目も取ろうというサービスゲームで、彼は初めてたじろいだ。2ゲーム後にはそれを成し遂げたが、その時までに、アガシはドアの中に足を踏み入れていた。

アガシは第3セットをどうにか取り、第4セットでは徐々にトップフォームへと上がってきているようだった。その時点では、第5セットにもつれ込む可能性が見えてきていた。しかしまさに際どい時に、サンプラスはレベルを上げて最後の3ゲームを勝ち取り、14回目のグランドスラム、5回目のUSオープン・タイトルを獲得した。試合を見た我々は、特別な何かに関わっていたのだ。キング・サンプラスに敬礼する一方で、アンドレ・アガシは対戦相手のベストを引き出し得た立派なライバルである事を忘れまい。誰もが勝利した夜であった。

追記。サンプラス - アガシの対決があまりに際立った出来事だったので、他のすべては補足とならざるを得ない。セレナ・ウィリアムズは3大会連続で、グランドスラム決勝戦で姉のヴィーナスを下した。マヘシュ・ブパシはウィンブルドンとフレンチ・オープンに加え、USオープンのダブルス・タイトルを獲得した。残るはオーストラリアン・オープンだけだ! レアンダー・パエスはマルチナ・ナヴラチロワと組み、混合ダブルスの注目に値する1回戦で、第1シードのトッド・ウッドブリッジ / レネ・スタブス組を破った。


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