インスタイル
2001年2月号(結婚式特集)
家族のお祝い
グランドスラム


チャンピオンの求愛:9カ月間のロマンスと16週間の婚約期間の後、
ピート・サンプラスブリジット・ウィルソンは、
自宅の庭で親密な結婚式を挙げた。


彼は記録的な13のグランドスラム・シングルス・タイトルを獲得してきた。しかし女優ブリジット・ウィルソンと結婚して、7回のウインブルドン・チャンピオンであるピート・サンプラスは、ダブルスの方がむしろ適任かもしれないと証明した。

感動的なセレモニーには、親戚の他に友人の子供たちも参列した。ブリジットと父親の感傷的なダンス、ギリシャの伝統にのっとったピートの祝いの行為、焦点は家族のお祝いであった。ピートの家族、ブリジットの家族、そして彼らが共に築いていくファミリー。テニス・ヒーローと女優の花嫁にふさわしく、大喝采を浴びる驚きもあった。

すべては1999年の9月に始まった。ピートは29歳で、10年間テニス界を支配してきた。しかしロマンス的には、彼はまだピッタリの相手(match)に出会っていなかった。そして彼はロスの映画館(のスクリーン上)で、27歳のウィルソンを見つけた。

「友人に半分冗談で『彼女に会ってみたいなあ』と言ったんだ」とピートは振り返る。彼の友だちは、共通の友人から彼女の電話番号を手に入れた。そしてmatchは始まった。

ブリジットと姉のトレーシー・ウィルソン、両親のキャシー&C・デール・ウィルソン。
新郎新婦と子供たち。ウィルソンは言う。「私たちは付き添い人をつけず、指輪を運ぶ2人の男の子(ザック&アダム・ウェフト)と、2人のフラワー・ガール(オリビア・アナコーンとブリットニー・ウィルソン)についてもらったの」


笑みを交わすピートとブリジット。長方形カット・ダイヤのついたカルチェのプラチナバンドと共に、 ブリジットは Fred Leighton 貸与の40万ドルのアンティーク・ネックレス&イヤリングを着用。

彼女の有名な崇拝者について聞かされた時、ウィルソンはピート・サンプラスが誰なのか全く分からなかった。「私はテニスを見た事がなかったので、彼を知らなかったの」と彼女は笑って言う。「でも彼の写真を見た時、『まあ、ステキな人』って思ったわ」

姉のすすめもあり、ウィルソンはサンプラスとの食事を承知した。それは「ブラインド・デート(初対面同士のデート)に最も近いものだったわ」(6フィート1インチのサンプラスは、5フィート9インチの彼女より背が高いと確かめた直後の事だった)。

9カ月後の6月7日、サンプラスは楕円形ダイヤのついたカルチェのプラチナ・リングを用意し、プロポーズした。「彼女がその人だと分かった正確な日は覚えていない。覚えているのは、彼女そのもの、彼女の出身、そして彼女の家族、すべてが合わさったゆえのものだったという事だ」とサンプラスは言う。彼はロサンジェルスの自宅でプロポーズした。

(左)エルトン・ジョンのエイズ基金チャリティ大会で、ピートは何回かプレーしてきたが、ジョンに招待客のための演奏を頼んだ。45分のコンサートはその夜のハイライトであった --- とりわけ新郎新婦にとって。「エルトン・ジョンが演奏してくれ、僕たち2人が彼の歌に合わせて踊るなんて、素晴らしい気持ちだった」とピートは言う。

(中) ヴェラ・ワン特製のドレスを着て、フラワー・ガールが踊る。

(右) ピートと母親のジョージアが、ダンスに加わる。


ロブ・スミス設営のオーガンジーに覆われたテントで、One O'Clock Band 演奏のロックに乗ってゲストが踊る。
















ピートの自宅の航空写真。左側が、テニスコートに特設された巨大テント。


婚約した後、ブリジットは花嫁になる者の忙しさを経験した。彼女自身の結婚式を準備するだけでなく、ちょうど「ウェディング・プランナー」(2月公開)の撮影を終えたところだったのだ。

それから彼女はテレビシリーズ 「ザ・ストリート」の出演が決まり、収録のためニューヨークへ向かわなければならなかった。サンプラスの多忙なツアー・スケジュールもあり、結婚式の日取りと準備の時間を見いだす事が、何よりも難題だった。

ロサンジェルスにある Laurels Custom Flora の結婚式コーディネーター、ロブ・スミスが援助にやってきた。またブリジットの姉・新婦付き添いであるトレーシーも加わり、たった6週間で大車輪のうちに、小ぢんまりとした、しかしエレガントな式をまとめ上げた。

「トレーシーは招待客を選び、私のために食事の味見をしてくれたの。お姉さんが良い味だと思うなら、私もよ、という感じだったわ」とウィルソンは言う。「彼女の思いやりに感謝している。私のために本当に尽くしてくれたの。そしてロブは、すべてが間に合うように魔法を使ってくれたわ」


「いつだって誰と結婚するのかを夢想し、
その相手がどこにいるのか考える」
とサンプラスは言う。
「そして僕がドアを開いたら、そこに
ブリジットがいた。まさにずっと
望んできたものだった」

9月30日、素晴らしいカリフォルニア日よりの夕暮れ、およそ80人の招待客(主に親戚と、ウェイン・グレツキーを含む少数の親しい友人)が、サンプラスの自宅の庭に集った。庭には白い椅子、白い花で飾られたアーチ道、プールには白いキャンドルと花が浮かべられ、夢のようなしつらいに変わった。

ブリジットもまた純白の装いで、前日に Fedex で到着したなめらかなジョーゼットの、ヴェラ・ワン・デザインのドレスを身につけていた。彼女と父親はバージン・ロードを進み、ティム・ブルックナー牧師が20分のキリスト教式典を執り行った。彼はオレゴンの日曜学校の牧師で、一家の友人でもあり、ブリジットはかつてそこの託児所で活動していたのだ。

「通路を進み、ピートをじっと見つめた瞬間は、素晴らしかった。そして彼が私に向かって誓いの言葉を繰り返していた時、私は泣きだしてしまったの」とウィルソンは思い出す。

サンプラスとウィルソンが夫婦となった後、招待客はプールのそばでオードブルとカクテルを楽しみ、そして大テントへと入っていった。テニスコートは花やシャンデリア、鏡で、ロマンチックな披露宴会場となっていたのだ。

新郎新婦が入場し、ダイヤモンド・リオの「 I Know How the River Feels 」に合わせて、最初のダンスを踊った。客はロスの Patina レストランのシェフ、ヨアキム・Splichal による、リゾットと牛フィレ肉の正餐を取った。

食事の後、ピートは招待客を驚かせた。エルトン・ジョンがリムジンで到着してピアノの前に座り、45分間のヒット曲コンサートをしてくれたのだ。最後の曲は「 Can You Feel the Loves Tonight 」だった。花嫁さえ驚きで呆然とした。「あれは結婚式の中で、最高にあざやかな思い出の1つだわ」と彼女は言う。

ブリジットにとり、もう1つの感動的なハイライトは、アラバマの「 I Love you Enough to Let You Go 」で踊った父親とのダンスであった。「私は泣きじゃくってしまった」と彼女は思い出す。「父がピートを信頼し、私を任せ、2人で家庭を築く事を認めてくれている象徴だったわ」

新郎新婦のダンス。ピートは思い出す。
「皆とダンスを楽しみ、エルトンが来てくれた……すべてがただ最高だった」
姉のステラに伴われて、ピートはギリシャの伝統にのっとり、大皿をダンスフロアに投げつけて割る。
ダンス音楽グループの One O'Clock Band が演奏を始めると、新郎新婦は再びフロアに出て、真夜中に招待客が去るまでそこにいた。

途中でサンプラスはダンスを中断し、彼の家系の伝統に敬意を表した。ギリシャの祝いの習慣に従い、「僕は幸運を祈ってお皿を割ったんだ」と彼は言う。

招待客は引き出物のエルトン・ジョンのCDと、もう1つのギリシャの伝統であるヨルダン・アーモンドを手に、帰途に就いた。

サンプラスはセンターコートで注目を浴びるのは、慣れているかもしれない。しかし自分の結婚式で、友人や家族の焦点となる事は、また違った経験であった。

「試合に勝つ事、それは短い高揚感だ」と彼は言う。「だがこれは、僕が生涯かけて関わっていく事だった。テニスはいつの日か終わる。でも僕には常にブリジットがいる。それは最大の褒美だよ」
「私はあの晩を、スーッと飛んでいる
ようだったわ」と、ブリジットは
結婚式について語る。
「けれどもすべてが終わった後、
ピートと私はお互いを見て
言ったの。『完璧』とね。
まさに望みうるすべてだった」
バラの生花が飾られた、3段のレモン&イチゴのケーキを新郎新婦がカット。Sweet Lady Jane ベーカリー調製。
琥珀色の四角いモダンな大皿と、ビクトリア時代風のリモージュ皿の組み合わせを8つのテーブルにセット。カップルの頭文字がデザインされたメニューが添えられている
Laurels Custom Flora のロブ・スミスは、ポロ、ピーチ、アンバーのバラで豊かな色彩の盛り花を用意し、テーブルに暖かみを添えた。周りをキャンドルが囲む。
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