ウォールストリート・ジャーナル
2000年7月
静かなるチャンピオン
文:Jay Winik


日曜日にピート・サンプラスが挙げたウインブルドンでの勝利は、
いったいどれほどの意義があるのだろうか?


我々は次のような事を耳にしてきた。これは彼の、8年間で7回目という瞠目すべき優勝であると。ウインブルドンの芝生で、過去54試合のうち驚くべき53試合にも勝ったのだと。彼は過去7年のうち6年間、男子テニス界のナンバー1であったと。そして今や、12のグランドスラム・タイトルというロイ・エマーソンの記録を凌いだと。すべてが全くもって真実であり、注目に値するものだが、結局は物語の一部にすぎない。

この事を考慮すべきである。つまり、彼はまだ29歳より少し前だというのに、テニス界の基準では年配にあたるという事だ。昨年だけを見ても、彼の身体はゆっくりと弱ってきていた --- 椎間板ヘルニア、苦痛を伴う背中のケイレン、長引く太腿の故障、厄介な肩の問題、膝腱の怪我、たびたびの腱炎。そしてウインブルドンの2週間は、向こう脛の痛みのために絶え間ない治療と、練習をスキップする必要があった。

さらに、プレッシャーが存在した。マグナス・ノーマン、レイトン・ヒューイットといった若手はタイトルを狙えるところにいた。そして第1週が進むにつれて、アンドレ・アガシの強さは際立ってくるようだった。専門家たちの発言は忘れなさい。そういった状況の下では。サンプラス氏がエマーソンの記録を破る事は、必然とは、あるいは充分可能とさえ言いがたかったのだ。

結局のところ、サンプラス氏が勝利したのは、彼の強烈なサーブ、あるいは職人芸のボレー、あるいはレーザーの如きフォアハンドゆえではなく、全くの意志ゆえだったのだ。第2セットで、サンプラス氏は2セットダウンまで3ポイント、敗北にかなり近いところにいた。

しかし彼は雨、暗闇、2回の中断、そして有能なオーストラリア人、パトリック・ラフターによる素晴らしいプレーの大部分をはね返したのだ。終わった時、涙を拭うサンプラス氏は、センターコート上の誰よりも謙虚で、畏敬の念に打たれていた。

この感情の表出は、控えめなサンプラス氏にしては意外なものだった。彼はプレーをあまりにも簡単そうに見せると言われてきた。しばしば試合が進むにつれて、舌が垂れているだの、疲れているように見えるだのと、くだらないお喋りがなされ、やる気がないように見えるとさえ言われてきた。

秘めたる情熱を示す唯一のサインは、時折握り締める拳、あるいは目の隅から放たれる鋭い眼光である。だがこの全ては錯覚なのだ。彼がしている事をするためには、サンプラス氏は一般的なスーパースターのアスリートよりも、多くの事をしなくてはならないのだ。

他のスポーツと異なり、テニスシーズンには事実上終わりがない。毎年11カ月間、選手たちは身体を痛めつけ、毎週のようにプレーするのだ。4つの根本的に異なるサーフェス(ハードコート、芝生、クレー、カーペット)で、屋内と屋外で、シンシナティからシドニーまで考え得るあらゆる時間帯で。

トップ選手たちが例外なく、そしてしばしば早めに燃え尽きても驚く事ではない。ビヨン・ボルグとジョン・マッケンローが最後にグランドスラムで優勝したのは、25歳の時だった。ステファン・エドバーグは26歳、ボリス・ベッカーは28歳、イワン・レンドルは29歳だった。アガシ氏の場合は、キャリア半ばで急激に落ち込み、順位が100位以下にまで下がった。そして男子ツアーでは、時によっては世界30位、あるいは50位、あるいは129位の者でさえナンバー1に勝つ事ができ --- 実際にそういう事が起こっているのだ。

この事を理解しているのは、少数のスポーツ解説者だけである。彼らはマイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズ、マーク・マクガイア等のために確保されている特別なカテゴリーにサンプラス氏を据える。だがこれは、サンプラス氏の業績を控え目に見積もっていると言っても過言ではない。

しかるべき敬意を払って言うのだが、これら最高のアスリートたちのいずれも、サンプラス氏が対峙する圧倒的な日ごとのプレッシャーとは直面してこなかった。そして全員に、調子の悪い日には頼るべき者がいた。

ゴルフではキャディーが、ボクシングではコーナーが、野球やバスケットボールではチームメイトが。テニスでは違う。グランドスラム記録を破るのに、サンプラス氏は全くもって単独でやってきたのだ。

さらに途方もないのは、サンプラス氏が上品さとスポーツマンシップをもって身を処している事である。これらは近頃あまり耳にする言葉ではない。しかしサンプラス氏は鮮やかにそれを体現する。勝利で悦に入ったり、敗北で泣き言を言ったりはしない。日曜日、このウインブルドン優勝の後に彼がいちばん多く繰り返した言葉は「ありがとう」であった。両親へ、婚約者へ、ファンへ、そして最後に、ただプレーする機会に対しても。サンプラス氏はかつての時代から現れた人物のようである。より礼儀正しい、そして作為的な振る舞いの少なかったアメリカ、試合の勝者が雄々しくネットを跳び越えた時代を思い出す。

だが奇妙にも、主流の解説者にとっては、静かなるチャンピオンである事は充分ではない。やかましく喋りちらすクラスに耳を向けると、サンプラス氏は何も正しい事をしてこなかったように思えるだろう。彼はお定まりのように「退屈」と呼ばれる。テレビのネットワークは女子ツアーを放送したがる。ESPN は20世紀のトップ・アスリートたちの特集で、睡眠には「明かりは一切なし」など、彼の「癖」について長々と述べた。そして、馬(Secretariat)よりも13位低い48位にサンプラス氏を据えた。さらに驚きですらあるのだが、彼は共和党員であると公表している。

日曜日の後、これは改められるべきである。サンプラス氏はまだ史上最も偉大なテニスプレーヤーではないかもしれない。ロッド・レーバーは2回のグランドスラム(1年間に4つのメジャー大会で優勝する事)を成したが、熱く焼けつく赤土と、断固たるパルチザン的観客を伴うフレンチ・オープンは、未だに彼を避けている。だが彼はおそらく、現代の最も偉大なアスリートである。そして疑いなく、最も紳士的である。

ここに小さな物語がある。1994年、ウインブルドンのバックコートで、サンプラス氏はテニス界の3人の先輩 --- 彼のアイドルであるレーバー氏、そしてケン・ローズウォール、フレッド・ストール --- と一緒に半時間ヒッティングをした。ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンロー、ビーナス・ウィリアムズ、マルチナ・ヒンギスといった者たちとは異なり、見せびらかしも、むだ話も、芝居じみた振る舞いも、大ボラもなかった。完璧なストロークが立てる柔らかい音、 レーバー氏とサンプラス氏がランニング・フォアハンドを打つ快い光景、時折の「グッド・ショット、メイト」という掛け声、そしてネットでの固い握手だけであった。

サンプラス氏はテニスの伝統、歴史の価値を信じている。悲しい事だが、いなくなった後に、彼は最も正当に評価されるのかもしれない。

Winik 氏はメリーランド大学の社会問題における主任学者である。
彼の著書「April 1865」は来年 Harper Collins 社から出版される。




社会問題専攻の学者という、異色の執筆者が書いた記事です。でも各チャンピオンの最後のグランドスラム優勝に着目するなど、かなりテニス及びスポーツに関心の深い人のようですね。

この記事の準備中、久しぶりに2000年ウインブルドン決勝を最初から最後まで見ました。改めてジ〜ン……。プレーぶりだけでなく、ピートが心の揺らぎ・緊張・力みを露呈し、さらにそれらを克服し、自分で自分を励まして勝利を掴み獲っていく過程に惹かれます。そして勝利した瞬間、派手に転がったり泣きじゃくったりはせず、身体を折り曲げて顔を覆い、静かに感激を噛み締める姿にも。

私がピートを好きになったのは、もちろんプレーに魅せられたのが第一義ですが、より深く知るようになるにつれ、彼の人柄に愛おしさを感じるようになっていきました。シャイではにかみ屋で人見知りがちなところ、感情の爆発を見せるのを恥じらうところ(98年頃からかなりガッツポーズもするようになりましたが、見ている私がテレましたよ)、威厳・風格がありながらナイーブな一面を残しているところ……。

プレーも肉体も精神も、強さと脆さを併せ持っているところに、女心をそそられます。たとえ世間的には少数派だろうが、分かる人には分かるんだ! ピートの魅力を理解できる人は、感度の良い人間なのだとかってに思い決めておりまする。(笑)


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