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1997年
ピート・サンプラス、性的な人物
文:Joe Clark


思うに、その若造のテニススターは、我々のまさに眼前で成長している。そして*シニード・オコナーとは違い、関心を引くために頭を剃ったり、写真を引き裂いたりする必要がない。彼はゆっくりと性的な魅力を育み、*カミール・パーリア主義を使うようになっている。
訳注:シニード・オコナー。90年代を代表する女性ロック・ミュージシャンの1人。スキンヘッドにしたり、過激な発言などでも知られる。
訳注:カミール・パーリア。安易なフェミニズムやフェミニストを批判する、アメリカ・ジャーナリズム界のスター。戦闘的なレズビアン・フェミニスト。人文学を研究する教授でもある。

我々は常に、人にどう見られるかを非常に気にかけるが、サンプラスは自然なセックスアピール、カリスマ性、そして異性愛者だけが持ち得る無頓着さを身につけている。たとえばシャツを脱ぎ、群衆に放り投げる時。汗をかく夏のテニスシーズンには、彼はそれを少なくとも月に2〜3回はする。あるいは、同棲している10歳近くも年上の恋人に関する批判を受け流す時。彼女はご都合主義で財産目当てと非難された事もあった。(それは愛である。キミはその事で迷惑をこうむったかい?)

あるいは牛乳普及の広告(雌牛の利益にはならないが)で、シャツを脱いで頭にタオルを掛けてポーズを取る時。彼はまるで、我々がついに勇気を出して頼んだから、秘密めかした姿を見せてくれ、ちっともかまわんと示すために、(ミルクの口髭の下で)にっこり笑っているかのようだ。

あるいは、1997年7月14日号の「スポーツ・イラストレイテッド」表紙写真。彼は空中に跳び上がり、シャツはめくれ上がり、肩にまとわりつき、脚は曲げられ、テニスラケットはほとんど見えない。この写真は、衣服をまとう事は裸の状態よりも、むしろ多くを露わにできるという発言に意味を与えている。その主張は醜い裸姿の人々にだけ、熱烈に支持されているのだが。(ある女性はこう書いていた。「その写真は………彼の刺激的な面をすべて表現している―――驚くべき運動能力と優雅さ、クラクラするようなハンサムぶり、尊大さのかけらもない完璧な肉体」これで女の子たちは理解する)

現在のナイキ・コマーシャルではガキの一面を見せている(「25歳のガキ」サンプラスのナレーションが語りかける)。そのガキは全くもって上半身裸で、気後れもせず、そして名指しもできる他の魅力的スポーツマン達―――おしゃべりな奴やら目立ちたがり屋、金髪のクォーターバック、筋肉隆々のスプリンター・タイプ―――とはかなり違う。スイマーの体型だ。レントゲン写真のような筋肉組織と、腹を空かせた羚羊なみの体脂肪。休んでいる時、唯一見えるピートの筋肉は背中にある。サンプラスは*ジョー・ウィダーの顔に砂を蹴りつける。
訳注:ジョー・ウィダー。著名なボディビルダー。「JOE WIDER'S MUSCLE & FITNESS」誌の主宰者。「ウィダー in ゼリー」も彼の名前から来ているとか。

これは、多文化主義の世紀にもかかわらず、2つの味―――バニラ(白人)とチョコレート(黒人)―――のアスリートだけをいまだに好む国にとっては、意外なヒーローである。彼は小型で、ギリシャ人で、毛深いが、強くて、さわやか、そして………バチ当たりな言葉を吐く。

2年前にサンプラスとアガシをカバーした「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」では、紳士的なサンプラスが辺りかまわずF-ワードを吐きちらし(プールから出る時さえ*ホックニー・スタイルだ)、一方、卑しいアガシは、信仰を新たにしたキリスト教徒で、特別注文のシャコタン・ワゴン車でラスベガス周辺を静かにドライブしていた。
訳注:デビッド・ホックニー。イギリスが生んだポップ・アートの大家。南カリフォルニアの眩しい陽光が降り注ぐプールの情景を描いた作品などが有名。「ホックニー・スタイル」という言葉が普通名詞化している。

そして、そう、コーチが病院で死にかけていた時には、彼は泣いた。エルトン・ジョンから花束を受け取る時には、お行儀を気にかけた。しかし要点は、ピート・サンプラスは何についても、2度考える必要がないという事である―――テニスについて以外は。行動と反応があるだけで、行動、反省、ノイローゼ、心理的補償、行動というサイクルはない。

おそらく20年後には、ゲイの子供たち、スポーツ好きなゲイの子供たちは、これが自然だと感じ、自己分析したりせず成長するようになるだろう。しかし現在はストレートの男たちだけが場を占め、素晴らしい時を経験している―――背中をたたき合い、野球帽を逆に被って額にストラップの日焼けあとをつけ、そして男ばかりなら水泳パンツを穿いたりなんかしない。そして我々は、専用海岸のドリームハウスのベランダから、双眼鏡を通して遠い浜辺を見つめて過ごすのだ。時々、我々のロールモデルは皆、ゲイであるべきではないかと考える。




ゲイである事をカミングアウトしている男性の書いた、非常に珍しい文章です。ピートファンの一部では有名? 筆者のジョー・クラークという人は、トロント在住のジャーナリスト・作家・accessibility コンサルタントだそうです。この文章は現在でも彼のウェブサイトに掲載されています。

accessibility
1 )接近できること、近づきやすさ。
2 )動かされやすいこと、影響を受けやすいこと。
[研究社新英和中辞典第6版]

ナイキCM「25歳のガキ」
モノクロ画像で、ピートが上半身裸で練習中という設定。サーブ、ストロークの他、笑ったり不満顔だったり、ラケットをクルクル回したり、ピョンピョン跳びはねたり、とってもラブリーで、なおかつピートとしてはちょいとキワどい?映像。背中の筋や筋肉も、脇腹に浮かぶ肋骨も、低めで深みのあるピートの声もク〜〜! 女性もゲイもノックアウト間違いなし!?


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