テニス・マガジン
1993年6月5日号
ジャパンオープン・インサイドレポート
「明」と「暗」


半年間続いた王座を力なく明け渡したクーリエと、
史上11人目のナンバーワンとなったサンプラス―――ふたりに何が起こったのか。


今回のジャパンオープン、男子はピート・サンプラスが圧倒的な強さで初優勝を果たしたが、男子テニス界全体としても大きな出来事の震源地となった。サンプラスがベスト4に進出した時点で初めてランキング・ナンバーワン(史上11人目)となり、逆に3回戦で敗れたジム・クーリエが半年間守り続けた王座からすべり落ちたのだ。まさに「明」と「暗」。ふたりを好対照にくっきりと分けたものは何だったのだろうか。


いったいクーリエはどうしてしまったのだろうか。昨年2月にエドバーグを抜いて初めてランキング・ナンバーワンに輝き、その後、一時的にそのエドバーグに王座を譲ったものの、年度末ランキングでは見事1位となり、さらに今年に入って全豪オープンで2連覇を果たしたときには王者としての風格も漂って、その圧倒的強さはまさにナンバーワンにふさわしいものだったのだが………。さらに、リプトン選手権の前哨戦ともいえるインディアンウェルズでのニューズウィーク・チャンピオンズカップに勝って全豪、メンフィスでのクローガー・セントジュード国際に続いて今季3勝目を挙げたときには、王座はしばらくは安泰かと誰もが思ったのだが。

準決勝進出を決めた時点で初のランキング・ナンバーワンを決め、その後は圧倒的な強さで優勝したサンプラス。果たして、この王座はどこまで続くのだろうか。
大阪でのセーラム・オープンではベスト4止まり、そしてジャパンオープンでは3回戦で敗れて王座からすべり落ち、さらに翌週の香港セーラム・オープンでも決勝でサンプラスに敗れたクーリエ。わずか2か月前、全豪オープンで2連覇を果たしたとき(写真下)は、王者としての風格さえ漂ってきたと思われたのだが………。

しかし、まずリプトン選手権でつまずいた。4回戦でオーストラリアのウッドフォードにフルセットの敗戦。1週おいて、クーリエはアジアに渡ったが、そこではさらに悪い結果が待ち受けていた。大阪でのセーラム・オープンでは準決勝でイスラエルのマンスドルフに5-7、6-7でストレート負け。そして翌週のこのジャパンオープンでは3回戦で同じアメリカのATPランキング77位、無名のジョナサン・スタークに敗れ、サンプラスがその翌日準決勝進出を果たした時点で、昨年10月5日以来半年間座り続けてきたナンバーワンの座をサンプラスに譲り渡すことが決まった。昨年のこのジャパンオープンで優勝し、ナンバーワンの座をエドバーグから奪い返したクーリエにとっては、なんとも皮肉な結果だった。

そしてさらに追い討ち―――。ジャパンオープンの翌週、香港に飛んだクーリエはセーラム・オープンで久々に決勝に進んだのだが、なんとサンプラスに3-6、6-7で敗れてしまったのである。

果たして、クーリエに何が起こったのか。大阪でのセーラム・オープン、続くジャパンオープンでのクーリエには、まるでいつもの躍動感、覇気のようなものがなかった。不利なラインジャッジに怒りをあらわにしてみたが、それもプラスに作用するものではなかった。相手を叩きつぶすかのようなパワフルなテニスが身上の、そしてそのプレースタイルで存在感を誇示してきたクーリエから、何かが消え去った。大阪では「今、目指しているもの? わからない」と言い、東京では「気持ちがどこか違う場所にある」と言ったクーリエは、まるで疲れきった老人のようだった。巨額の富を手にし、ナンバーワンの座も掌中にした22歳の若者には、今、一時的ではあるかもしれないが、テニスに対する明瞭なモティベーションが見当たらないようだ。

一方、サンプラス。リプトン選手権で勝った時点で、いずれ近いうちにナンバーワンになる可能性が大きいことはわかっていたが、その地味なキャラクターゆえ、光り輝く "ナンバーワン" の看板は似つかわしくないという声もあった。だが、どうだろう。ジャパンオープンで見せたオールラウンドな切れ味鋭いプレー、高度なテクニックをさらりとこなすテニスは、過去のナンバーワン・プレーヤーと比べてまったく遜色がない。それどころかもしかすると、今のプレーをさらにレベルを高めていけば、史上に残るナンバーワン・プレーヤーとなるかもしれない。そんなきらめく可能性がサンプラスには秘められているのだ。


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