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テニスマガジン 1993年5月20日号 速報! ジャパンオープン サンプラス、ナンバーワン! 文:後藤 忠弘 写真:横山 芳治 |
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ライバルが次々と敗れる中、決勝でギルバートを圧倒して初制覇。 3回戦敗退のクーリエを抜いてATPランキング1位に |
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『東京フロンティア・ジャパンオープン'93朝日生命カップ』は4月5日から11日まで、東京・有明コロシアム/有明テニスの森公園コートで行われ、男子シングルスは公式戦初来日のピート・サンプラスが初優勝、女子は伊達公子が2連覇を飾った。サンプラスは今季3勝目で、男子ツアーの最多タイ。第1シードのジム・クーリエが3回戦で敗退したため、サンプラスはベスト4進出を決めた時点でクーリエを抜き、4月12日付ATPランキングでナンバーワンの座が確定した。一方、伊達のツアー2勝は、井上悦子の記録と並び、男女を通じての日本選手最多タイとなった。 「ナンバーワンが決まってすぐの優勝。東京は忘れられない街になりそうだ」―――世界ランキング1位の獲得とビッグ・イベントの制覇。"両手に花" を飾ったピート・サンプラスは、さすがにうれしそうだった。 男子はドロー56、賞金総額104万ドルの大型。その格にふさわしく、世界ランキング1、2位のジム・クーリエとサンプラス、そして日本に人気の高い中国系選手のマイケル・チャン(8位)と、トップ10のうち3人が顔をそろえた豪華ラインアップ。 ところが前週、大阪のセーラム・オープンを制したチャンが、初戦の2回戦(上位8シードは1回戦不戦勝)で、オーストラリアのデ杯ダブルス選手トッド・ウッドブリッジにフルセットの末の敗退。3回戦ではクーリエも世界77位にすぎない伏兵ジョナサン・スターク(アメリカ)に、サーブ力の差で押しきられてしまった。 |
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こうした波乱がサンプラスを気分的に楽にしたことは確かだ。準々決勝では対オーストラリアのデ杯に出場したデビッド・ウィートン、準決勝ではオーストラリアのデ杯代表ウォーリー・マスーを退けた。クーリエが姿を消してしまい、自分が準決勝に進んだことで、クーリエを抜いて世界ランキング・ナンバーワンも確定した。 「まだ、実感はわかない。しかし(世界一に)なった手前、決勝も絶対に勝ちたい」と語ったとおり、サンプラスはブラッド・ギルバート相手の5セット制の決勝を、ストレートの3セット、1時間38分で片付けてしまった。 優勝を引き出したのは、精神面の安定もさることながら、技術的に煎じ詰めれば、サーブ力だった。準決勝を終わってエース58本で、1試合平均14.5本。決勝でも好調さを裏書きして14本のエースを決めた。そればかりではない。ファーストサーブの89パーセントまでを自分のポイントに結びつけ、一方ではギルバートのサーブを叩き、79本中40本のリターンを自分のポイントに結びつけた。 過去の対戦成績は4勝3敗でギルバートのリード。しかも10歳年長のギルバートはツアーのキャリアでもサンプラスをはるかにしのいではいるが、そうしたデータはここでは何の役にも立たなかった。 |
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たまりかねた "判官びいき" のセンターコート観客席から「カモン、ブラッド」と何度もギルバートを励ます声援が飛んだが、当のギルバートは「相手のプレーが完璧すぎてどうにもならないよ」と肩をすくめるばかり。 こうして、サンプラスと男子ツアー界の新時代が始まった。「クーリエとサンプラスが実力の安定性でも図抜けているが、サーブ力の差だけ、サンプラスが今後も有利」とギルバートも見ている。 「1990年の全米オープン優勝以来、世界のトップランカーとして標的にされてきたから、ナンバーワンになったからといって格別のプレッシャーはない。当面の目標は全仏オープン。でも、今日のようないいプレーができればウインブルドンもチャンスはあると思う」と語るサンプラスの今後に注目、だ。 |
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日本勢は松岡修造が1回戦でウッドブリッジに当たり5-7、0-6で敗退した。昨年のKALオープン決勝では松岡が勝っているが、今回は「相手がすべり出し不調だったのに、自分の方が守りのテニスになってしまい、本来のテニスができなかった」と松岡。病気回復後とはいえ、デ杯香港戦で健闘、セーラム・オープンでもベスト8入りした矢先だけに、いかにも残念だった。 日本勢は、このほか山本育史、金子英樹、辻野隆三、本村剛一、トーマス嶋田が本戦に出場したが、同士打ちで山本に金子が勝った以外、1回戦で敗退。予選には13選手が参加したが、本戦入りはならなかった。 |
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