片恋夜話8

 

さ夜ふけて天の門わたる月かげに

あかずも君をあひ見つるかな

 


 明かりのついていない部屋の中は、ほの白い光に満たされていた。
 レースのカーテンしか引かれていない窓から、傾いた月の照らす雪景色が見える。月明かりは低く新一の部屋にも射し込み、シーツの白もまた輝いて見えた。
 平次は静かに扉を閉めた。部屋の主は平次よりも一足早く自分のベッドに潜り込んでいる。もう眠っているのか、身じろぎもしない。
 新一が電気もつけず、遮光カーテンも引かずベッドに向かったことに、平次は照れて苦笑した。
 つい先ほどまでふたりは相手をむさぼるのに夢中になっていた。

 ずっと抑えつけていた想いが弾けたのは雪の中。
 新一も同じ想いを抱えていたのだと知ったのも、彼に「ベッドで」とささやかれて平次の理性が飛んだのも、やはり工藤邸の庭に降り積もった雪の中でだった。
 もつれ合うようにしてなだれ込んだ平次のベッドはいま、シーツを剥がれた無惨な姿で放置されている。シーツに残った情事の痕跡は階下の洗濯機が消し去っているところだ。朝になれば乾燥まで済んでいるはずだ。

 カーテンを閉めようかと思った平次は、ふと自分の部屋のことを思い出した。
 あのとき、カーテンに気を回す余裕などなかった。天井の電気もつけずにいたはずなのに、新一の姿態を余すところなく見ることが出来たのは、おそらく射し込んでいた月明かりがあったからだろう。それにすら気づかなかった。
 平次には新一しか見えていなかった。

 カーテンをそのままにして平次もベッドに入った。セミダブルのベッドには、ちゃんと平次の場所が空けてある。毛布の下で身体を寄せても新一は目を開かない。しかも呼吸は深い。
 理性などかなぐり捨てて抱き合ったあとだ。もしかして照れて寝たふりでもしているのかと考えた平次は、すぐにそれを否定した。照れているなら、背を向けるはずだ。なのに彼は平次の方を向いたまま寝顔をさらしている。
 本当に寝入ってしまっている可能性に思い至って、今度は平次が照れた。
 平次の部屋と、汚れた身体を洗うために入ったはずの浴室とで、どれだけ彼を抱いたか平次ははっきり覚えている。新一の仕草や表情に欲情しては手を伸ばす平次に、彼はなんどでも応えてくれた。
 自分の中にも疲労はある。同じだけ、いやおそらくそれ以上に新一は疲れているはずだ。

「寝てもうた?」
 寝顔にこっそりと尋ねると、新一のまつげがふるえた。そのまま薄く目が開く。平次を認めると、彼は口元に笑みを浮かべた。
「服部」
 かすれた声が平次を呼ぶ。
 情事の嬌声が耳の奥によみがえって、平次の中にまた欲情が湧く。それを見透かしたのか、新一が平次の足を蹴った。
「わかっとるって。かなり無理させてもうたな」
 お互い男相手は初めてだが、負担は受け入れた新一の方が大きい。
「謝るなよ。謝ったら明日思いっきり蹴ってやるからな」
 明日、というあたりやはり身体がつらいのだろうと平次は思った。
「けどな、暴走してもうた自覚があるんやけど」
「俺にもあるぜ」
 答えて彼はまた目を閉じる。

 新一の呼吸がまた穏やかに深くなっていく。眠りを邪魔をしないように息を殺していた平次に、彼は眠たげな声で付け加えた。
「歯止めの利かなくなっているおまえが、俺は嬉しかった」
 平次は思わず新一を抱きしめていた。
 驚いたように彼が目を見開く。
「眠いんだ。寝かせろ」
「せぇへん。なんもせぇへんから、このままでいさせてや」
 新一を胸に抱き込んで、平次はそのまだ湿り気の残る髪に顔を埋めた。香ってくるのは、シャンプーの香りだけはなく、新一の温かな匂い。平次をもっとも誘う香りだ。
 新一ごと幸せを抱きしめて、平次はその香に酔った。

「苦しくて眠れねぇ」
 抗議を受けて平次は渋々腕を解いた。代わりにと彼の頭の下に自分の腕を差し込む。
「腕枕なら苦しいことはないやろ」
「まぁな。その代わり、明日の朝、おまえの腕が使い物にならなくなっているだろうな」
 苦笑しながらも新一は逃げない。
「ええから寝ろや」
 落ちるまぶたに唇を寄せて、目尻に軽いキスを落とす。新一の口元にかすかな笑みが上った。
「おやすみ」
 輪郭のぼやけた声で言う新一に、平次もおやすみとささやき返した。

 今度こそ眠りの中に落ちていった新一を平次はじっと見つめた。
 上京する前から好きだったと告げた平次に、彼は微苦笑して俺もだと答えた。
 理性のはじけ飛んでいたそのときには思い至らなかったが、考えてみれば自分は彼にかなりひどいことをしていたことになる。
 一時期、平次は彼を避けていた。
 自分の欲望を煽ってやまない彼から、ずっと逃げていた。
 訳もわからず避けられていた新一は、いったいどんな気持ちでいたのだろう。あの頃の彼もまた、平次と同じ想いを抱えていたというのに。
 夜遊びを繰り返す平次を新一はあきれた目で見ていた。それが仮面であったことを見抜けなかった自分が情けなく悔しい。
 自分が同じことをされていたら、新一のように振る舞えていただろうか。
 平次は後悔と共に考える。

「ごめんな、工藤。そんで、おおきに」
 想いが醒めてもおかしくなかったのに。
 見捨てられても不思議ではなかったのに。
 傷つけた自分のそばに、彼はいてくれる。
 こうして無防備に寝顔をさらし、腕の中にいてくれる。
 申し訳なさと愛おしさが平次の胸を満たす。
 二度と彼を苦しめない。
 誓いを込めて平次はそっと新一のこめかみにキスを落とした。
 身も心も満たされた心地よい疲労感が平次を眠りに誘う。とろとろと溶けてゆくような意識の中で、平次は新一を抱く腕に力を込めた。
 どうか自分の隣が彼の一番安らげる場所になりますように。


 窓から差し込む月明かりが部屋の壁を照らすほど低くなった。夜明けが近づいている。


 

さ夜ふけて天の門わたる月かげに あかずも君をあひ見つるかな

古今和歌集 巻第十三 恋歌三 648 読み人知らず

夜が更けて月が空を渡っていく。その光の下、飽きることなくあなたと抱き合っていました。

  

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