としに ひとたび

 

 



 破裂音が立て続けにして、子供たちの歓声が上がった。
 阿笠邸の庭に置かれた筒の噴水花火が、高く火花を上げている。めまぐるしく色を変える光が、彼らのそばに立てられた笹を照らした。重たげに見えるほど短冊が吊されている。
 七夕の夜。
 まだ梅雨の最中だが、阿笠邸では少年探偵団たちが少し早い花火を楽しんでいた。
 
庭に出された縁台に腰掛け、新一ははしゃぐ彼らを眺めていた。隣では親友が麦茶を呷っている。
 生ぬるい夜風がまとわりつく。今夜も湿度が高い。
「やらないのか」
 視線で遊ぶ子供らを指す。
「今日はええわ。遠慮しとく」

 平次が空になったグラスを縁台の上に置かれた盆の上に戻す。新一もつられて自分のグラスを置いた。ふたりきりならあるだろうアルコールも今夜はない。哀に子供たちの前だからと止められたのだ。
「花火とか好きそうに見えるぜ」
「好きやけど、今回は遠慮しとく」
 平次は笑う。
「子供の分、取るわけにはいかんやろ」
 新一の目には、平次ひとりが加わったぐらいで影響がないほど、数があるように見えるのだが。

 ふたりの間に落ちた沈黙が、子供たちの明るい声の前に浮き上がる。また火花が吹き上がった。大物の花火に点火するのは博士の役目だ。子供と一緒になってはしゃいでいる。
 豚の形をした蚊取り線香が、足下で細い煙を漂わせる。それを新一の手にした団扇が散らす。
 平次は大学進学にともなって上京してきた。新一の家の近くにマンションを借り、そこから大学に通っている。大学こそ別だが、新一も順調に進学できた。高校の出席日数の足りなさは、受験の成績でカバーした。

 新一は盆からグラスを取り上げ、残りを一気に飲み干した。
 そのまま両手を後ろについて、頭を反らす。
 ガスの掛かったようなはっきりとしない夜空では、上弦を過ぎた月が西に傾こうとしていた。星はほとんど見えない。
「さすがに織姫と彦星は見えるな」
「せやな。デネブも見えて、一応夏の大三角だけはわかるな。星座の形はさっぱりやけど」
 月ですら、時折掛かる薄雲に輪郭をぼやけさせている。

「年に一度か」
 平次が空を見上げて言う。
「そんなん会うたうちに入らんやろ」
「仕方がないだろ。罰なんだから」
「それでもや。俺は惚れた奴には毎日でも会いたい」
 首を傾け、平次が新一を見る。
 頬に突き刺さるような視線を新一は感じていた。

 なぜ彼が上京してきたのか。
 本当の理由を新一は勘づいている。
 平次が隠そうともしないからだ。そしてこうして機会を捉えてほのめかす。
 好きだ、と。

「毎日会って、仕事をさぼって、それで引き離されたんだろうが。あのふたりは」
 新一は空を見たまま答えた。
 自分は、と新一は考える。
 恋におぼれる自分が想像できない。
 確かに蘭の危機には平常心を保てないこともあった。
 だが、だからといって事件を蔑ろにした覚えはない。

「仕事は、探偵として事件の真相を解き明かすことは、最優先や。それはそれ、これはこれや。切り替えが下手やったんやな、あのふたり」
 平次がまた星を見上げる。
「惚れた奴が隣におってくれるからこそ、気合いが入るゆうもんや」
 言いきる平次は楽しげだ。

 たぶん自分も一緒だ。
 彼がいるから気合いが入る。
 新一ももう自分の気持ちを覚っている。
 だから、彼の来訪を拒まない。
 いや、待ち望むほどになった。

 新一は花火の方に目をやった。
 元太が火のついた花火を振り回し、皆から怒られている。
「まったく会えないより、年に一度でも会えればいいじゃねぇか」
 コナンになり、新一として蘭に会えなかったつらさを思えば、年に一度でも堂々と会えるならいい。結局、会えない日々の中で曇る彼女の笑顔を見ていられず、新一は彼女の手を離した。今、彼女には自分ではない彼氏がいる。

「けど、足りへん。俺には全然。昨日会って今日会っておっても、明日にはまた会いたい思う」
 ふたりの視線がかち合った。
 絡む視線にのる熱に、新一は瞬きを忘れた。
 真剣な瞳を見つめ返す。

「また、明日も、俺のところに来るのか」
 昨日は夕食を共にした。
 今夜はこうして並んで花火の庭にいる。
「行く」
 きっぱりと平次が頷く。
 彼の手が縁台の上に投げ出してあった新一の指を掴む。

 突然、ふたりの足下で破裂音がした。
 不意打ちに驚いたふたりは、飛び上がるように縁台から立ち上がった。
「ごめんなさい」
 歩美が両手で口を押さえて謝っている。
「そっちまで行くとは思わなかったのよ」
 哀のフォローがすぐさま入る。

 足下で爆発したのは、ネズミ花火だ。
 新一はその燃えかすを靴先で蹴飛ばした。
「そんなに驚いた?」
 本気で驚いていたふたりに哀が含み笑う。
「うるせぇ」
 新一は子供たちのそばに歩み寄った。後ろを平次がついてくる。
「見ているだけにしようと思っていたけど、混ぜて貰うことにする」

「もう線香花火しか残ってませんよ」
 光彦が線香花火の束を差し出す。
「ええって。一本、俺にもくれや」
 新一は彼から貰った花火を平次にも渡した。
 しゃがみ込み、ろうそくから火を移す。
 並んで、松葉を散らす火の玉を見つめる。

「服部。今夜、泊まっていけ」
 顔を上げた平次の花火から、火の玉が落ちた。
「なにしてんだよ」
「そら、驚いたからに決まっとるやん」
 新しい線香花火を哀から貰い、火をつけずに彼は問う。

「ええんか」
 慎重な響きの中に、いろいろな意味を含ませた言葉だった。
「七夕の夜にあやかったとでも思えよ」
「せやからゆうて、この先泊まりは年に一度ゆうんはなしやで」
 笑った新一の指先が揺れて、火の玉が落ちる。
 揃って下手だと子供たちに笑われながら、ふたりは新しい線香花火に火をつけた。

 年に一度の逢瀬の夜は、ゆっくりと更けていく。


 

題材が、古今和歌集なのか万葉集なのか、はっきりしなくなってしまったので、離れに置きました。


 契りけん 心ぞつらき 織女(たなばた)の 年(とし)にひとたび あふは あふかは

古今和歌集 巻第四 秋歌上 179 藤原 興風

一年に一回だけの逢瀬の約束した織り姫の心はなんとつれないことだろう。年に一度など、会ううちには入らない。(歌の表記は岩波文庫の古今和歌集に準じています)


 前日(をとつひ)も 昨日も今日(けふ)も 見つれども 明日さえ見まく 欲しき君かも

万葉集 巻第六 1014 橘 文成

おとといも、きのうも今日も会ったけど、明日もまた君に会いたい。

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