平次は捜査一課の扉を閉め、ひとつ息を吐き出した。
密室で殺人事件が起きたと連絡がきたのは、平次が朝食の後かたづけを終えた直後だった。
携帯電話に出た新一の目が輝くのを見て、平次は慌ててそれを奪い取った。当然蹴られたのだが、まだ微熱の残る彼を外出させるわけには行かなかった。
もうすぐ彼の風邪は治る。
明日にはきっと治っているだろう。
――治ったら話す。
そう約束して、平次は新一の看病を続けてきた。
彼の体調が万全となったなら、平次は新一に自分の抱え続けてきた想いを告げなければならない。
玉砕はもとより覚悟の上だ。
そもそもの発端を作ってしまったのは自分。
友人としてでも彼の側にあり続けたいと願っていたというのに、想いの欠片を新一に知られるという失態を犯したのは自分だ。
新一は謎を謎のままにしておくような事を好まない。
その謎が自分に関することとあって、よけいに真相を知りたがっている。
なにが起きようと、あくまで真実を求める。
それが新一という探偵で、平次の惚れた男なのだ。
廊下の突き当たりの窓から外を覗くと、ようやく切れてきた雨雲の隙間から夕焼けが射していた。明日からは晴れると天気予報も告げている。
「なんだ。もう終わったのか?」
平次ははじかれたように振り返った。
「工藤!」
家で寝ているはずの新一が廊下に立っていた。
「なんでここにおんねん」
「探偵だからな。事件があればここに来る」
一瞬平次はまた新たに事件が起きたのかと思った。だがそうでないことは、今まで捜査一課にいた自分がよく知っている。
「そういうことを聞いとるんちゃうわ」
まだ熱が。
言いかけた平次の手首を無造作に新一が掴んだ。そのまま自分の額に平次の手のひらを押しつける。
「もう引いた」
手のひらの下から、新一が笑う。
その顔色がまだ悪いように見えたのは、平次の心配のしすぎか。
だが、確かに伝わってくる熱は朝より低く感じる。
「風邪治ったぜ。服部」
手首を放し、新一が平次を見据えた。
もう逃がさないと彼の目が語る。
「そらよかった」
逃げる気など毛頭ない。
すべてを話す心構えも出来ている。
「家で待っといてくれたらよかったんやで。動くのしんどくないんか」
「待つのは性に合わねぇ。雨もやんだし、散歩がてら出てきてみたんだ。捜査が難航しているのなら、飛び入りする気だったんだけどな」
予想通り終わってたけど。
新一は笑って平次を手招いた。
てっきり家に帰るものだと思っていた平次を、彼は休憩所に誘う。
「ここでいい」
「家の方が落ち着くと思うんやけど」
「ずっと待たされていたんだ」
今すぐ聞きたい、と彼は言う。
一本ずつ缶コーヒーを手にして、ふたりは休憩所の硬いパイプ椅子に座った。
目の前に並ぶ自動販売機の列に、時折ひとが立ち寄っていく。ふたりはしばらく無言でコーヒーを飲んでいた。
人影が途絶えたところで、平次は口火を切った。
「どっから話そか」
「まず、結論を言え」
ひたと新一が見つめてくる。
平次はその瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
もうなにも隠す必要はない。
「惚れとる」
新一が息を飲んだ。
「俺はおまえにめっちゃ惚れとる」
新一は目を見開いたまま、なにも言わない。
「進学で上京してきたんも、おまえの側におりたかったからや。いつでも顔の見られるとこにおりたかった」
平次は話し出すと止まらなくなった。
「おまえが俺のことを探偵として評価してくれとるんは、ほんま嬉しかった。相棒ゆうてくれとったって聞いたときには、信じられへんほど嬉しかったんやで」
抱え込んだ想いが、堰を切ってあふれる。
側にいたくて上京して、会うたびに想いは募った。
話せば話すほど新一に惹かれた。
自分を魅了する笑顔の前で、理性がどれほど保っただろうか。
遅かれ早かれ、勘づかれていたに違いない。
彼を誰かに奪われる不安や嫉妬に、自分がどれだけ耐えられたかもわからない。
苦しんだその果てに、彼を失うような暴挙に出ていたかもしれない。
それぐらいなら今ここで、すべてをさらけ出してしまう方がいい。
新一が片手で顔を覆って、うつむいた。
平次は口を閉ざした。
伝えるべき事は伝えた。
もう思い残すことはない。
思い出して缶コーヒーを飲み干すと、平次は新一に声をかけた。
「ごめんな。ほんまに。相棒のまんまでおりたかったんやけど、そういうわけにはいかんようになってしもた。もう連絡せえへんよ。大学もちゃうし、この先会わんでもすむやろ。今工藤のとこに置かしてもろてる荷物だけ、取りに行かせてもらうな。それで終いや」
新一が顔を上げるのを横目に、平次は立ち上がった。
もう終わった。
工藤邸に戻って荷物を引き揚げてしまえば、それで彼との関係は切れるだろう。
携帯電話のメモリから彼のデータを消すまでには、きっと時間がかかるだろうが。
「けど、事件現場とか警察署で会うてまうのだけは許してな。俺も探偵はやめられへんねん」
いきなり新一が平次の手首を掴んだ。思い切り引かれてパイプ椅子に座り込む。
「探偵はやめられないくせに、俺との関係はやめられるのかよ」
紅潮した新一に睨みつけられて、平次の反論が遅れた。
「その程度なのかよ。そんな簡単に諦められるようなもんなのかよ」
「簡単ちゃうわ」
親友に惚れてしまったと自覚して以来、悩まなかった日はない。
「俺がどんだけ……」
言いかけて、平次は新一の目に拒絶がないことに気がついた。
もしかして、という希望が平次の中に湧く。
見つめる平次に新一が照れたように笑う。
「俺もだ」
ささやく声が平次には大きく聞こえた。
「だから、ずっと相棒のままでもいろ」
恋人となったこれからも。
平次は新一の頬に手を伸ばしかけ、止めた。
新一が平次の後ろに目をやる。
平次の耳も近づいてくる複数の足音を拾っていた。
「帰ろうぜ」
新一が立ち上がる。
平次に当然否はなかった。
誰にも邪魔されることのない新一の家で、話したいことがたくさんある。
平次の手首を掴んだまま、新一が先に立って歩き出す。
逃がさないとでもいうように、彼の手には力がこもっている。
引かれるように歩きながら、平次は彼の赤い耳にもう一度ささやいた。
「惚れてんで、工藤」
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