夏びきのてびきの糸を くりかへし
言しげくとも絶えむと思ふな
待ち合わせの場所に新一がやってくるのが見えた。 平次が手を振ってみせると、彼もまた小さく手を挙げる。 たまたま一緒に掲示板の前にいた友人たちが、また騒ぎ出た。 「服部、愛しの工藤がきたぜ」 茶化す友人の声が聞こえたのか、新一の表情が険しくなる。なまじ顔が整っているだけに、凍りつくと怖い。冷ややかな視線を向けられただけで友人たちの騒ぎが収まった。 臆している後ろの気配に苦笑しながら、平次は新一に声をかけた。 「工藤、遅かったな」 「ああ、ちょっと引き留められて。それで、何を話していたんだ?」 新一が平次の後ろに視線を流して問いかける。 平次はにっと笑って答えた。 「工藤と俺がらぶらぶや、ゆう話をしとっただけや」 新一の蹴りと叫びが同時に平次を襲った。 「おまえのせいか! さっき、講義室を出ようとしたら、知らない男に服部と出来ているというのは本当かって聞かれたんだぞ」 すねを押さえて座り込む平次の頭上から、新一の怒りが降り注いでくる。 「おまえが噂を流しているんだな」 「ちゃうって! それだけはちゃうねん」 あわてて手を振る平次に、友人たちが助け船を出してくれた。 「噂の元はわかんないけどさ。こいつじゃないのは確かだから。その辺は無実だから」 だからそれ以上蹴ってくれるなと、彼らは口々に言ってくれる。 「ただ、噂をどう思うのか聞いたら、服部は熱愛中だからじゃまするなって……」 立ち上がりかけた平次にまた新一の足が飛んできた。 「それがよけいだ」 「そうや、おまえらがよけいなことをゆうから、俺がまた蹴られたやんか」 「違うだろ。服部の一言がよけいだっていっているんだ。噂を当事者が煽ってどうするんだよ」 「ええやん。こないおもろい話、そうそうないで。乗らな損やんか」 しゃがみ込んだまま胸を張る平次に、新一が大きくため息をついた。 このお笑い気質が、という言葉は聞かなかったことにして、平次は尋ねた。 「そんで、聞いた男はどうなったんや? 蹴り飛ばしたわけちゃうやろ」 「そんなことするかよ。無言で睨みつけたら勝手に謝って帰っていった」 殺人現場で場数を踏んでいるだけあって、本気で睨んだときの新一の眼光には凄みがある。おそらく不用意に噂の真意を聞いた男は、深く反省したことだろう。 「けど俺たち、なんか噂になるようなことをしたか?」 首を傾げる新一に、立ち上がって平次は答えた。 「そら簡単や。俺やおまえみたいなええ男が、女も作らんと二人で一緒に暮らしとるからやろ」 後ろで友人たちが揃って大きなため息をついた。ひとりが代表するように言う。 「自分でいい男とか言うなって。けど、マジな話、登下校も一緒。休む日もさぼりも一緒じゃ、噂にもなるって」 「しょうがないだろ。同じ家から同じ大学に通うんだから、一緒の方が都合がいい。それに事件があれば当然同じように行動するわけだから、さぼる日だって同じになるだろ」 しかし新一には納得がいかないらしい。 彼の反論を平次は両手を上げて制した。 「確かにそうなんやけどな。端から見とると、そうは見えへんのやろな。いっつもくっついとるように見えるわけや」 ま、らぶらぶ熱愛中やからしゃあないわなぁ、と付け加えて平次は新一に睨まれた。 掲示板の前で友人たちと別れ、二人は学生用駐車場に向かった。 もう夕方だというのに、アスファルトから立ち上る熱気で、駐車場はむせ返るように暑かった。初夏の日差しが二人の影を伸ばしている。 平次は隣を歩く新一の様子を窺った。 夕飯にさっぱりしたものが食べたいと主張している彼に、普段と変わった様子は見えない。 平次は内心胸をなで下ろした。 大学で流れている噂は、真実だ。 平次は新一と恋人としてつきあっている。同居ではなく、同棲生活を送っているのだ。あくまで表向きは同居なのだから、妙な噂が立ったことを新一が気に病むかと思っていたが、どうやらそういうことはないらしい。 止めておいた平次のバイクも熱を持っている。気持ちのいい天気だったので、今日はタンデムで来ていた。そのあたりも噂に一役買ったのかもしれない。 やはり熱いヘルメットを新一に手渡して、平次はいった。 「噂になってしもたな」 「まぁ、遅かれ早かれそうなると思っていた」 新一は苦笑している。 「おまえは嫌がると思うてたけど」 「好きじゃねぇけど、仕方がないだろ」 同性同士の恋愛など、偏見の目で見られることは請け合いだ。気色悪いと敬遠されるか、好奇の視線で見られるか。どちらにしても、当事者にとって気持ちのいいものではない。 それでも平次はいい。新一に心底惚れて、口説き落としたのだから、後悔などする気はない。 だが、新一はどうなのか。 今は笑っているが、この先噂になり続けても笑顔が消えたりしないだろうか。 「どないしようか」 「放っておいたら消えるだろ」 あっさりと新一は言う。 「おまえはさっきみたいに笑いのネタにでもして、どんどん煽ればいい。俺は全部受け流す」 「せやな」 頷く平次を横目に見て、新一が声を低めた。 「噂を気にするなんて、おまえらしくねぇな。それとも噂になったから、俺との関係を終わらせるって言うのか」 口調は冗談めかしていても、目の光が言葉を裏切っている。 「あほ!」 平次の即答に、新一が破顔した。 「それは俺が心配していたことや。こそこそと陰口叩かれたら鬱陶しいやろ。そういうの、工藤嫌いやと思うてたから」 「確かに嫌いだな。けど」 新一が平次の顔をまっすぐに見た。 「俺は生半可な覚悟でおまえの告白を受け入れたわけじゃねぇ。証拠写真を撮られて世間に公表されても、俺は逃げねぇぞ」 おまえから。 彼は言い切る。 思わず新一を抱き寄せようとした平次は、彼の持っていたヘルメットに顔をぶつけた。 「だからって、写真に撮られたい訳じゃないんだよ」 平次のキスを阻んで、残念だったなと新一は笑っている。 鼻を押さえながら平次は反論した。 「ええやん。せやったら、いっそのこと公表してまえば。もし、おまえが今回の件で俺と別れるゆうようやったら、逃げられへんように全部公表してやろうかと思とったのに。そんでおまえを独り占めしたるんや」 「捨て身の方法だな」 新一が本気であきれている。 「おまえ相手になりふり構ってられるかい」 新一を相手に、格好をつけている余裕などない。 真っ正面から真実をぶつける。それが最善だと平次は思っている。 姑息な手段も嘘も彼には通用しないのだから。 「せやけど、今回の噂で工藤のめっちゃ嬉しい告白も聞けたし。結果オーライやな」 にやりと平次が笑うと、新一はそっぽを向いてフルフェイスのヘルメットをかぶってしまった。あわてて隠された彼の頬が赤らんでいたのを、見逃してはいない。 「帰ろか、まっすぐ。寄り道せんとはよ帰ろうな。そんでゆっくり」 ベッドで、と言いかけた平次の足を新一が蹴りつける。大げさに痛がって見せたものの、照れ隠しとわかっているから平気だ。 バイクにまたがった平次の後ろに新一が乗ろうとしたとき、彼の携帯電話が鳴った。着信音に二人の表情が引き締まる。押しつけられたヘルメットを抱え、平次は電話に出る新一の横顔に視線を注いだ。短い通話が終わって、新一が顔を上げる。彼は探偵の顔をしていた。 「どこや?」 「都庁の中だ」 平次の手からヘルメットを受け取り、新一がバイクの後ろに乗る。 「そらまたえらいところで」 まったくだと答え、新一の腕が平次の腰に回った。 「さぁ、行こうぜ」 「よっしゃ。捕まらん程度に飛ばすで」 馴染んだ振動が身体を走り、バイクがゆっくりと発進する。 駐車場を出たところで出会った友人たちに、二人はそろって手を振った。 これでまた噂になるんやろなぁと、平次はヘルメットの中で笑った。
夏びきのてびきの糸を くりかへし言しげくとも絶えむと思ふな
古今和歌集 巻第十四 恋歌四 703 よみ人しらず
夏、麻から糸を紡ぐときに繰り返し枠に糸を掛けていくように、何度も何度も噂がうるさく立っても、私と別れようなどとは思わないで欲しい。
戻る