灯りを落とした部屋に、雨音が忍び込んでくる。
平次は椅子の上で身じろぎをした。肩からかけている毛布をかき合わせる。春になったとはいえ、まだ夜は冷える。まして、雨の夜は。
すぐ側のベッドでは、新一が眠っている。
ベッドサイドのランプの薄明かりに浮かび上がる彼の表情は苦しげだ。また熱が上がってきたのかも知れない。
平次は重いため息をそっと吐いた。
夕方、平次は新一と出会った。
工藤邸に新一を訪ねた帰り道。彼はおらず、携帯電話も通じず、心配していた矢先、彼と行き会った。
雨の降る中、彼は傘も差さずに歩いていた。
ずぶ濡れの新一が泣いているように見えて、平次は息が止まるかと思った。それが体調不良のせいだったとわかった今でも、その衝撃は残っている。
新一が寝返りを打って、薄く目を開けた。
枕元の平次を認め、彼は眉を寄せる。
「どうや。具合」
ささやいた平次に新一が逆に問う。
「なんで、ここにいる?」
喉に絡むかすれた声が新一の体調を物語る。
具合の悪い新一を家まで送り届けた平次は、無理を言って泊まり込んだ。新一は客間に泊まるように勧めて寝付いたのだが、平次はそうしなかった。高熱を出している新一に付き添っていたかったからだ。
「部屋で寝ろよ」
「なんか寝付けんのや。せやから来てもうた」
客間から勝手に借りてきた毛布を見せて笑いかける。
本当は心配だから。
気の強い彼があまりにも弱っているように見えた、そのことが気にかかってしかたがなかったから。
客間でベッドに入ったところで、眠ることなどできない。
新一が平次を睨む。
嘘を見抜かれたのかも知れない。
それでもかまわなかった。
「喉、乾いとらん?」
スポーツドリンクは用意してある。
新一が小さく首を振る。
「移るぞ」
「平気や」
「ああ、馬鹿は風邪を引かないからな」
「熱高いくせに、口は減らんなぁ」
呆れる平次に、新一がかすかに笑う。
平次は椅子から身を乗り出した。腕を伸ばして、新一の額に手のひらを乗せる。
新一が目を見開いた。
「熱、上がったんちゃうか」
「おまえの手が冷たいんだよ」
「額も冷やそか」
寝にくくなるから嫌だと新一が首を振る。
平次は大げさにため息をついた。
彼は自分の身体を大事にしない。そのせいだろう、家捜しをする勢いでようやく見つけた水枕は古くて使い物にならず、薬箱の薬はことごとく使用期限が切れていた。今使っている物は、すべて隣の阿笠邸で借りてきた物だ。
「病人のくせにわがままやな」
「病気のときぐらい、わがままを言わせろ」
「ほんまに、口の減らんやっちゃな」
新一がまた笑う。
「部屋に帰れよ」
「眠くなったらな」
しかたなさそうに苦笑して新一が目を閉じた。
平次の手の上に、彼は自分の手を乗せた。
新一が淡く笑んで、ささやく。
「おまえみたいに面倒見のいいやつが友達にいて良かったよ」
平次は身体を強ばらせた。
手から染みこむ彼の熱が、平次の抑えつけている熱を暴こうとする。
友達でなど、いたくはない。
自分は友人ではなく――。
平次は答えを返せなかった。
新一がまた目を開く。
発熱で潤んだ瞳に平次は捕まった。
ふたりの視線が絡まったまま、ほどけない。
雨音が部屋に満ちる。
はっとり。
新一の乾いた唇が、平次を呼ぶ。
引き寄せられそうになって、平次は我に返った。
そっと上に乗る新一の手を取り、布団の中にしまい込んでやる。
「寝ろや」
服部、と彼は重ねて問う。
それでも答えず、平次は掛け布団をぽんぽんと叩いた。
「寝てまえ」
「眠れねぇよ」
新一は瞳に苛立ちを浮かべている。
絡まった視線からあふれかけた想いを、彼はおそらく読みとってしまった。
だからこうして、追求してくる。
どんなものであれ、理由や原因や謎を、彼は明らかにせずにはいられないのだろう。
「寝て、はよ風邪を治し」
平次は答えを拒絶した。
今は明かせない。友人と思っている男から惚れられているなどと、彼の弱っている今、知らせてはいけない。
「……わかった、治す」
言葉の裏に隠した約束を新一は読みとってくれた。
そして、彼はまた目を閉じる。
新一の寝息が聞こえるようになるまで、平次は息を殺していた。
平次は椅子の背もたれに寄りかかった。
新一の体調が良くなったら、自分は想いのすべてを打ち明ける。
すでに彼に覚られてしまっているようだが、それでもけじめはつけねばならない。
雨の音が平次を包み込む。
薄明かりに沈む新一の横顔は、どことなくつらそうだ。
出会った頃から惹かれてやまなかった。
進学のために上京というのも、表向きの理由にすぎない。
ただ、新一の側にいたかったから。
だがそれも無駄になるかも知れなかった。
想いを拒絶されれば、もう会うことは出来ない。
どれほど苦しくても、会わないようにしなければならない。
新一のために。
心にまで雨音が染みこんでくる。
しかし彼への想いを押し流してくれはしない。
平次は新一の寝顔を見つめ続けた。
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