天の原ふみとどろかしなる神も

思ふなかをばさくるものかは

 


 駅を出たときから、空模様は怪しかった。真っ黒な雲が夏の日差しを遮り、地上では荒れた風が吹き始めている。
 夕立の予感をひしひしと感じながら、新一は平次と共に家路を急いでいた。ふたりとも傘は持っていない。遠雷がもう聞こえている。
 家まであとすこしというところで、雨が落ちてきた。大粒の雨がみるみるうちに焼けたアスファルトの色を変えていく。
 新一は平次と視線を交わし、すでに見えている工藤邸に向けて駈けだした。




 玄関ポーチに駆け込み大きく息を吐く新一の隣で、平次が声を上げた。
「めっちゃついてへん」
 彼の全身からは、新一同様滴がしたたり落ちている。ほんの少しの距離だったのにずぶ濡れだ。
「最悪だな」
 夏休みを利用して上京してきた平次と映画を見に行った帰り道。一本早い電車にすればおそらく濡れずに済んだだろう。大型書店を冷やかした時間がよけいだったようだ。
 苦笑するふたりを稲妻が照らした。雷鳴もすぐに聞こえる。雷がだいぶ近づいているらしい。

 鍵を出そうと鞄を探っていた新一は平次の視線に気がついた。
 目が合うと、彼は照れくさそうに笑った。だが目には欲情がにじんでいる。
「なんだよ」
「あー、なんちゅうか、めちゃめちゃ色っぽい格好しとんなぁ、と」
 濡れたシャツが、と平次が白状する。
 そういわれて、新一は改めて自分の姿を観察した。
 白地のシャツが張り付いて、うっすらと肌が透けている。見えそうで見えないあたりが、そそるのだろう。

 ちらりと新一は平次を睨んだ。
「しゃあないやん」
 すねたように開き直った後、平次が新一の耳に口を寄せた。
「惚れとるんやし」
 囁きは雨音にも負けなかった。
 息まで吹きかけられて、新一の耳は熱を帯びる。

「おまえだって、ひとのこと言えるか」
 鍵を握りこんだ手で、平次の鼻先を指さす。
 彼もまたTシャツが肌に張り付き、その下の筋肉が見て取れそうになっていた。そのうえ、走ったために上気した顔を水が伝い、否応なく夜の彼を思い出させてくれている。
 そうなんか? と彼は首を傾げる。
 自分の魅力というものに彼は無関心だ。おそらく彼が思っている以上に、自分は彼に惚れ込んでいると新一は思う。
 彼に欲情し、彼に欲情されることを、うれしいと思うほどには。

 突きつけていた指先を外し、平次の首に腕を回す。引き寄せれば、彼の腕が新一の腰を抱いた。
 濡れた胸が合い、互いの心音を意識する。
 一瞬視界が光に焼かれた。耳をつんざくような雷鳴がとどろく。空気がふるえ、雨がひときわ激しさを増した。
 篠突く雨が地面をえぐるように叩き、荒れる風が細かな水滴を抱き合うふたりに容赦なく浴びせる。
 また頭上で雷が鳴った。
 雨のカーテンで門扉もかすんで見える。

「OKゆうこっちゃな」
「野暮なこと聞くな」
「ベッド直行か」
「いや、風呂場だろ。ベッドが濡れる」
「たまにはそういうんもええな」
「バーロ」
 濡れたような声で応酬して、新一は玄関の鍵を開けた。
 扉を開けようとする新一を、平次の腕がもう一度抱きしめる。
 いつもよりも激しい口づけに新一は彼の頭を強く抱き寄せた。

 夕立の激しい音が、本能を揺さぶり、欲情を煽る。
 新一のまぶたの裏を稲光が焼く。
 だが、気にする余裕は、もうない。


 

天の原ふみとどろかしなる神も 思ふなかをばさくるものかは

古今和歌集 巻第十四 恋歌四 701 よみ人しらず

大空を踏みならすようにしてあばれる雷神も、想う仲を引き離したりなどはしないものだ。

戻る