さくらさく

 



 隣のホームで発車のベルがなった。
 平次は新大阪駅をゆっくりと離れていく新幹線を横目で見送った。大きく傾いた日差しの中、列車は定刻どおりに去っていく。
 高校二年の春休みがそろそろ終わろうとしていた。

 新幹線ホームには、休みを利用して旅行をする家族連れの姿が多い。大阪から地方へ出かける人、大阪観光に来る人、そして観光を終えて帰る人。
 平次の隣には、東京に帰っていく親友がいる。
 ふたりは新一の指定席の車両が止まる付近にたたずんでいた。すでにできている列には並ばず、少し離れて残り時間をつぶす。

「おまえも俺の家に泊まればよかったんだ」
 十日ほど前のことを持ち出して、新一がぼやく。土産物を詰めて、来たときよりも大きくなっているバッグを肩にかけている。

 彼もまた大阪観光に来ていたのだ。ただ、巡る場所が大阪府警の内部だったりするのが、ただの観光客とは違うところだ。
 新一は元の身体を取り戻してのち、休学していた分の単位の修得にはげみ、無事進級にこぎつけた。
 もう四月。最終学年ともなれば、受験勉強も本格的になる。

「部屋はあまっているのにさ」
 すこし冷たい風に首をすくめながら、新一が平次を見る。
 せやけどな、と平次は答えを濁した。
 十日前に上京した平次は、新一と大阪での花見を約束した。そして約束どおりやってきた彼を自宅に泊め、大阪城で花見をし、ついでに府警にも足を伸ばした。
 母から歓待された新一は、上京した際ホテルを利用した平次を責めているのだ。

「遠慮なんて、らしくねぇ」
 つぶやくようにそういって、彼は横を向く。
 平次はその横顔に向かって、苦笑を浮かべた。

 彼しかいない工藤邸に泊まることが、自分にはできない。
 ふたりきりで過ごす夜を想像するだけで、息が苦しくなってしまう。
 コナンだった彼に抱いていた、できる限り力になりたいという思いは、新一を前にして恋へと名前を変えた。
 苦しいだけで成就する確率のきわめて低い恋だ。

 八分咲きの桜の下を、彼と並んで歩きながら、平次は心の片隅でずっと考えていた。
 この恋を墓場まで持っていくか。
 成就させるためにあがいてみるか。
 答えはまだでない。
 どちらにしても、そばにいたい気持ちは変わらない。

「大学は、東京にしようかと思てんねん」
 新一が身体ごと振り返った。
「本当か」
 だったら、といいかける彼を制して、平次は言った。
「せやからゆうて、おまえの家にやっかいになるかは、わからんで」
 新一がぐっと言葉に詰まる。
「どこ受けるかも決めとらんし。だいたい、受かるかどうかもわからん」
「でも、こっちにくるんだな」
「あくまで希望や」

 あと一年ある。
 その間に結論を出したい。
 この恋をあきらめるか、否か。
 きっとこの決断は、受験勉強よりもきついに違いない。

「大丈夫だ」
 新一が笑う。
「俺の家は都内のどこへ出るにしても便利な立地にあるから、よほどの大学でもなければ通うのに差し支えは出ないはずだ。それに、おまえを落とすような大学は、そうそうないだろ」
 うれしいことを言ってくれる新一に、平次は手を握り締めた。
 放っておくと腕が勝手に彼を抱きしめてしまいそうだ。

「あんまし期待したらあかんで。親にはまだゆうとらんのやし」
 反対される可能性はある。
 そうか、と新一が首を傾げる。残念そうにしている彼がたまらなくいとおしい。

 ふたりの立つホームに博多からの新幹線がゆっくりと入ってきた。
 彼の乗る車両はすでに半分が埋まっている。
 乗っていた人たちが吐き出され、並んでいた乗客たちが乗り込んでいく。
 新一は彼らの最後尾についた。その横に平次は並ぶ。

「来いよ。服部。東京に」
 新一が平次の目を見つめる。
 吸い込まれるようなまなざしに、平次はくらりとめまいを感じた。
「行きたい」
 本音がこぼれる。
 新一がうなずく。

「一緒に暮らそうぜ」
 平次は泣きそうになりながら、笑った。
「あかんわ。工藤」
 誘われたら、拒めない。
 恋しい人が伸ばしてくれる腕を力任せにつかんでしまいそうだ。その力はきっと、彼を傷つける。
「なんでだよ」
 まなざしがきつくなる。

 平次の中でなにかがあふれた。
 抑えていたはずの手で、彼の肩をつかむ。
 驚く彼の耳元に、強引に唇を寄せた。
「惚れてんねん。せやから」
 一気に告げて、平次は新一から距離をとった。

「せやから、そない簡単に誘わんといて」
 目を見開いたまま、彼は足を止めている。
 発車のベルが鳴った。
 平次は固まっている彼を新幹線に押し込んだ。
 新一がなにか言いたげに口を開く。
 かぶせるように、平次は声を上げた。

「おおきに工藤。めっちゃうれしかったわ」
 約束どおり大阪に来てくれたことも。
 東京で一緒に暮らそうと誘ってくれたことも。
 なにより、突然の告白に対して、嫌悪も拒絶の表情も見せなかったことが。

「絶対来い」
 新一が叫ぶと同時に、扉が閉まった。
 今度は平次が驚く番だった。
 窓に張り付くようにして、新一がなにか言っている。
『絶対だぞ』
 平次にはそう読み取れた。

 動き出す新幹線を平次は思わず数歩追った。
 この恋は、叶うのか。
 まだこちらを見つめている新一に向かって、平次は大きくうなずいて見せた。
「行く!」
 叫んでも声は届かない。
 だが、新一には伝わったようで、彼の笑みがちらりと見えた。

 新幹線は東京へ向けて走り去っていく。
 平次は携帯電話を取り出した。
 伝え切れなかったことが、たくさんある。
 そしてもう一度きちんと伝えよう。
 おまえが好きだ、と。


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